第100話 嘆きの城下町
翌日は爽やかな風と明るい陽射しに気がつくと、すっかり朝になっていた。
外で忙しく仕事をしている人たちの声が聞こえる。今日は洗濯日和だね。
いまだ、お城の中の部屋にいた。天井の漆喰に描かれた、花を抱えた天使たちの浮かぶ青い空の絵が美しい。
おや?天使ですか?寝転がったあたしの顔を覗き込んでいるのは、天使ではなくディオ兄だった。
「アンジェ、あんまり長く寝ているから心配したよ」
「お嬢様、起きますか?お腹すいてません?」
「空いちゃった、おきまちゅ」
小さなベッドからダリアさんがあたしを抱き起こし、ディオ兄に渡し、離乳食の用意をするために離れた。
ディオ兄はきゅむっと抱きしめて「アンジェはもう無茶しちゃ駄目だよ」と呟いた。
セリオンさんとディオ兄が、寝ていた昨日からの話をしてくれた。
ディオ兄は今までいろいろなことを出来たのは、あたしに教わったり、アドバイスを受けていたせいだと大人達に話した。
「俺も正直に話したかったからね、アンジェの考えたことで褒められるなんて、居心地が悪かったから」
「ディオ兄でなきゃできないでちゅ…」
「ふふ、話して良かったよ。兄上の借金を回収出来るようになったのはアンジェのお陰だと知って、父上が張り切っている」
はてな?と首をひねると、セリオンさんが呆れていった。
「領地に貢献できる才能を外に出さずに済む、カラブリア卿は大乗り気だったぞ。絶対にディオとアンジェは婚約させると言ってな」
マジか…この若さで婚約…運命がどんどん外堀を埋めに来ている。
しかし、まあ先のことだ。カメリア様も婚約していたのに、パパと一緒になったくらいだ。
どう転ぶかわからないだろう。とにかく、皆は容易くあたしの存在を受け入れてくれたらしいので安心した。
「今回の事件でアンジェのことはエルハナス家も理解してくれた。
もうお前も悩むことは無いのだから、これからはハイランジアの子として胸を張ってディオと頑張れよ。
俺も従者として精一杯守ってやるからな」
「あい、がんばりまちゅ」
エルハナス家の人達は随分と懐が深い、本当に助かったわ。
そのとき思い出した、新しい友達を!ヤモリンはどこ?
「アンジェ、ヤモリンは夜行性だから今は寝かせてやりな。アイリスさんが城の大工さんに頼んでヤモリンの寝床を作ってくれたんだ」
ディオ兄は空気穴がついた靴箱くらいの木の箱、ヤモリンの寝床を見せてくれた。
「これなら昼でも暗いから安心して眠れるだろう?」
確かにそうだ、ヤモリンは瞼もないから明るい直射日光は辛いだろう。
暗くした箱のなかをそっと覗くと、穴のあいた木の塊があり、穴はヤモリンが丁度入れそうな大きさだ。
ヤモリンはそこでスヤスヤと寝ていた…と思う…
動かないから寝ていると思う、きっと。
だってヤモリンは目を開けたまま寝るから判らないんだよね。
昨日のヤモリンの話、あたしはもっと詳しく聞きたいことが有ったのだが、仕方がない。
ちなみにフェディナンドお兄様は、カメリア様からみっちり怒られて王都に明日の夜明に追い返されるそうだ。
「御爺様が危篤」、嘘の届けを出してずる休みしたことは学校に連絡するそうだから、きっちり怒られるだろうとのことだ。
学校に出す謝罪文を書かされた後、パパ達にみっちり剣や弓のお稽古をつけられるらしい。
お陰でゆっくり時間を取ることもできないようだ。
今回の件でお兄様と親交を温めることができたので、ゆっくりお話したかったのだけど、どうやらかなわないようで残念だなあ。
朝ごはんの後に、ディオ兄とあたしは、ハイランジア城下の町ラトバラに見物にくり出した。
人ごみに行く場合、お財布を絶対に掏られないセリオンさんが、お財布係になっている。
ガイルさんはいつも言っている。
「セリオンがいる限りバッソじゃスリは仕事が出来ない。財布を掏っても知らない間に財布は持ち主に無事に戻って来る」
スリからスリしちゃうという腕前のセリオンさん。そういうことで、護衛についてくれれば超安心な人だ。
フォルトナの町の中を歩くのは始めてだ、
バッソから来るとここはさすがに元王都だと実感する。
市が立っている広場に行くと、そのなかで子供がやたらに物欲しそうに集まっている出店があった。
「アンジェ飴を売っている」
ディオ兄が指さした先には、くじ引き飴と書いた看板代わりの板が出ていた。
「くじ引き飴?聞いたことないな。どういう品なんだい?」
飴売りお爺さんが指さす飴の中に大きい物と小さい物が混ざっている。
でも大部分が小さい飴だ。
「飴に紐を付けて束のところを隠し、沢山の小さい飴の中に特に大きな1等の飴とやや小さい2等、3等の飴が混ざっているのじゃ。
紐を引いて大きな飴を引き寄せたら当たりじゃが、外してもちゃんと小さい飴がついているのじゃよ。」
なるほど、娯楽性があってハズレなしのくじ引きなら子供達も喜ぶ。
沢山の紐がついた飴を束の真ん中を紙で包んで、大きな飴が紐を辿ってバレないようになっている。
「小さい子供が飴を丸ごと飲み込みそうになって考えたんじゃ。これなら小さい子でも安心じゃろう?」
ダリアさんが感心して、「確かに、小さい子が飴をうっかり丸飲みにして、窒息したという話は聞きますからね」と浅い木の箱に入っている飴玉の束を見おろした。
食べたいな飴…カラフルな飴にザラメがきれいだ。
あ、しまった涎が垂れてきちゃった。
ディオ兄とセリオンさんがクスクスと笑った。
ダリアさんがすかさず口元をハンカチで拭ってきれいにしてくれた。
「アンジェ、飴が食べたいの?紐付きだから安心だね。小さいアンジェでも大丈夫じゃない?」
ディオ兄が財布の紐を握っているセリオンさんを見上げた。
あたしの本性を知っていても、まだ庇護対象だと思っているのは、ディオ兄とパパくらいなもんではないだろうか?
「アンジェ、じゃあ、買ってやるから代わりに紐を引こうか?」
「やー、アンジェやりゅー」
セリオンさんが笑って飴売りのお爺さんに鉄貨を一枚渡した。お爺さんが気をきかせて飴の束がのった四角い盆を差し出した。
くいっと引くとハズレの小さい飴だった。
悔しい!もう一回引こう。
「う~、またしゅる~」
「またやりたいのか?しょうがないな。爺さん、ほらもう一枚鉄貨だ。この子に引かせてくれ」
外れの飴はディオ兄が舐めている、「次は頑張ってねアンジェ」
「うん!ぎゃんばりゅ!」
くいっと手繰ってみる。今度こそ大きいのを引くのだ!
あ…またスカの小さい飴だった……
「うー―――っ」
不満顔でいるとご機嫌をとりながらダリアさんが飴を摘まんだ。
「お嬢様それは私が頂きますから、次は大きいのを引きましょう」
「あい!」
喜んで次に手を伸ばすと、何故かセリオンさんが小銅貨を出している。
飴が10回引ける値段だ、そこまであたしのくじ運を疑うか?
絶対にあの大きい綺麗な色の飴を引いちゃうもん!
くいっとな!スカだった…セリオンさんが近くの子供に外れの飴をやった。
スカ!スカ!………セリオンさんの周りは子供だらけになった。
皆うれしそうに飴を頬張って口から紐を垂らしている。
「アンジェいい加減諦めろよ」と言いながらセリオンさんが小銅貨をまたお爺さんに渡した。
「うー!ちゅぎ!」
スカ!やっぱりスカ!!!飴の束は三分の一以下になりそう。
一番大きいのと中くらいのが残っているのだ!ここで止められるかー――!
「あの…僕も買いたいのだけど良い?」
「なんだ、飴ならタダでやるぜ?」
子供は不満そうにセリオンさんを見上げると次に飴を見つめた。
「ううん、僕もくじを引きたい…」
セリオンさんが身を引くと、子供は前に出てお爺さんに鉄貨を渡した。
その子が引くと一番大きな飴が手繰り寄せられた。
「わー!やった!いつも外れなのに!こんな大きいの初めてだ!」
その姿を見ている全身が悔しさでフルフル震えた。
むむむむ、涙が何故浮かぶ?堪えるのよアンジェ!
まだ中くらいのが残っているのよ!
『セリオンさん!課金頼むよ!!』
『課金て何のことだ?まあ金だせってことは分る』
「爺さん買い占めるぜ、残り全部だ」
セリオンさんは迷惑料を込みで穴銅貨を出し、お爺さんに釣りは要らないよと握らせた。
それなら絶対ゲットできる!間違いない!残りは6個だ。
『大人買いまでして外さないわよ!絶対ひく!』
スカ!スカスカ!スカ!スカ!!!とうとう残り一個だ!
外すかあああー――!
外野の子供達がだいぶ騒がしくなってきた、タダで飴を奢ってくれる景気のいいお兄さんがいると町中で評判になり、さらに子供が増えたのだ。
スカの小さい飴をセリオンさんが配っている、その場にいる子供達にくまなく飴が行き渡ったところで、とうとう最後の一個になった。
「頑張れ赤ちゃん!」「もう大丈夫だ!きっと食べられるよ」
「これなら最後の一個だもん、絶対だよ」
「もう外しようが無い、赤ちゃん美味しい飴食べな」
口々に言いあう子供達、近在の子供が群れになって応援している。
ひとり残らず紐付きの飴を口に頬ばったまま声援を送ってくれる。
ありがとう、どうもありがとう、君たちの応援は無駄にしないよ♪
最後の一個!これで外すわけがないじゃない!
狙っていた一番大きい飴じゃないけど、もうこいつはあたしの物!
ザラメがついた綺麗な緑色の飴の紐を、鼻息荒く掴んで引き寄せた。
ぐっと手繰ろうとしたらビクともしない、なんだろう引っ掛かったのかな?
と…思ったら紐の先は垂れ耳の黒い犬だった。
ガリン!!!バリ!ジャリジャリ!
犬は口の中で飴をかみ砕くと、凍り付いた場の視線を感じ身を翻して、すたこらサッサと一目散に逃げて行った!
この泥棒犬―――!馬鹿アアアア!!!
「うああああああぁぁぁぁん!!!」
アンジェの嘆きの声が御城下の空にこだました。