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『初めて彼女と会った時、美しい人だと思った。青色の花が咲き乱れる庭園で、彼女は静かに佇んでいた。夕日のように真っ赤な髪。真っ白なドレス。思えば、彼女は白のドレスを着ていることが多い。何度目かに会った時、好きな色なのかと聞いたら、少し首を傾げて考えた後、首を振られてしまったけれど。

――初めまして。リディアーヌ・イザベル・ミリアン・コレット・ルカミエ・ド・ルージュです。

すらすらと自分の名を名乗る彼女の声は、鈴のようだった

私は緊張して、たどたどしくしか名乗れなかったのに、彼女は柔らかく笑ってくれた。差し出された彼女の右手を震える手で取り、口づけを落としたあの瞬間も、緑色の瞳が優しく、私を見つめていた』


◇◇


「殿下」

 ランベールにそう呼びかけられて、私は顔を上げた。書類の整理をしていたのに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「ああ、悪い。今何時だ?」

 午前中は剣の稽古、それから勉強をして、リディアーヌを交えての昼食会。それから王の仕事の補佐を少し。それが私の日常である。

「まもなく午後4時でございます。そろそろお母上との面会時間でございますよ」

「そうだったな」

 宮殿の本館に暮らす母上とは、毎日会う事は無い。週に一回の面会の一時間だけが、母上と過ごす唯一の時だ。

 ふわぁ、と欠伸をしながら伸びをすると、ランベールに苦笑された。まだ子供だな、とでも思っているのだろう。7歳上のランベールにしてみれば、そう思うのも当然かもしれない。

 早く大人になりたいとは思うけれど、こればかりはどうしようも無い。リディアーヌの前では、精一杯頑張りたいが。

「ではヴァレリー。行くぞ」

 壁際に静かに立っていたヴァレリーが一礼して、後に続く。ランベールに見送られながら屋敷を後にして、本館へ向かった。



 妃の客間に入ると、きつい花のような香りがした。私はあまりこの香りが好きでは無い。思わず顔を顰めそうなのを堪え、部屋の中央に座す母上の元へ歩み寄る。

 私と同じ髪と目をした母上は、ふんわりとした青いドレスを着ていた。母上は今、私の弟か妹となる、第二子を身ごもっている。

「ごきげんよう、殿下」

 微笑んで言う母上に少し寂しくなるのは、私がまだ子供だからだろうか。私が正式に後継に指名されてから、母上は私を名前で呼ばなくなった。

「ごきげんよう、母上」

 同じように挨拶をして席に着けば、侍女たちが素早くお茶とお菓子を用意してくれる。

「今街で人気のお菓子ですよ。あなたの為に用意しました。どうぞ召し上がれ」

「ありがとうございます。母上。とてもおいしいそうですね」

 私がそう言うと、母上はにっこりと笑う。その笑顔を見る度に思うのは、母上は幸せなのだろうか、という事だ。

 母上は王妃では無く、ただの妃。数人いる父上の妾の一人。それでも王太子の母だから、地位は保障されている。

 この国の王妃は、今は何処にいるのか分からない。かつて不貞を疑った父上によって、追放されたからだ。それでも王妃の座は空位のまま。この先もずっと、恐らくそうなのだろう。

「どうかしましたか?」

 母上の言葉に、私は慌てて首を振る。心配をかけるのは本意では無い。私が立派な王太子である事が、母上の望みだ。

「いえ。母上の笑った顔を見ると、急にリディを思い出して」

 そういえばリディは、屋敷に帰った後は何をしているのだろう。本を読むのが好きだと言っていたから、読書をしているのかもしれない。もしくは、月の化身と名高い、麗しい兄君の話し相手だろうか。

 彼女はあまり、自分の事を話したがらないから。振れば話してくれるのだけれど、自分から話すのは躊躇うのだろう。そんな事を思っていると、ふと、母上の顔が曇る。

 今度は私が、どうしたのですか、と尋ねる番だった。母上は少しの間迷っていたようだったけれど、遠慮がちに問いかけてきた。

「……リディアーヌ様とは、上手くいっていますか?」

 母上がリディに様を付けて呼ぶのは、リディの方が身分的には上だから。けれど、それだけでは無いような気がした。

 私の婚約者だからか、それとも、一線を引いているのだろうか。

「私はそこそこ仲がいいと思っておりますが。なにか、気になる事でもあるのでしょうか?」

 学院時代に恋人がいたという話は、父君からも兄君からも聞いていない。実はいたとかそういう話を、母上はどこからか聞いたのだろうか。

 けれどそんなもの、この宮殿にいれば、信憑性は低いだだの噂の確立の方が高い。母上も、何度かリディに会っている。彼女がどういう人か、知っている筈なのだ。

「なにか、よからぬ噂を聞いたのでしたら、それは根も葉もない噂でしょう。リディは生真面目ですよ。きちんと叱ってくれますし、しっかりしていて、将来はよき王妃になると……」

「そうではないの!」

 いつもと違って強い口調に、私は思わず口を噤む。母上自身、自分の言葉に驚いていたようだったけれど。

「母上?」

「……ごめんなさい。けれどなにか、不安になるのです。あの方は、薔薇姫に似ています」

「薔薇姫に?」

 薔薇姫と言うのは、追放された王妃だ。にも拘らず父王が今も追い求める、ただ一人の女性。追放された理由はただ、彼女が美しかったから。嫉妬心に狂った父王が、愛人を囲っていると疑って、追放した。

 何処に追放されたのかは、父王ですら知らないらしい。薔薇姫の生家のノワールの家が、異界の妖精の国へ連れて行ったのではないか、と言われている。

 今となっては、本当に存在していたのか、と言われてしまうほどの人だ。

「何故、薔薇姫に似ていると? 母上は薔薇姫にお会いした事があるのですか?」

「数回だけ。とてもお優しい方だった。けれどとても、怖い方だった」

「優しいけれど、怖い?」

 私の言葉に母上は頷き、手を握り合わせる。何かを迷う時の、母上の癖だ。話そうかどうか、迷っているのかもしれない。

 しばらく沈黙が続いた後、母上は口を開く。

「薔薇姫はいつも、どこか遠くを見ていました。話しているのに、そこにいないかのように感じる事もありました。それが私は少し、怖かったのです」

「それを、リディにも感じると?」

 そう聞くと母上は頷き、それきり黙り込んでしまった。もうこれ以上、話したくないようである。薔薇姫は一体どういう人だったのか興味が湧いたけれど、私にとって大事なのは、リディの方だ。

「確かにリディも時折、何を考えているのか分からない時があります。けれどそれは彼女が、感情表現が上手くいかないからだと思います。彼女も私の婚約者として、という責任を感じているのでしょう。話せば楽しいですし、笑ってくれます。今はまだ、たぶん私が頼りないから、そういう風に見えるのかもしれません」

「そうだとよいのですが」

 不安そうな母上に笑って見せる。リディと婚約して、まだ2年だ。これから先、そんな心配はしなくてもいいように、私がしっかりしなければ。

 たぶん、リディも不安なんだと思う。魔術学院を卒業してすぐに、私の婚約者として宮殿に上がるようになった。

 まだまだ慣れない事もたくさんあるはず。それを助けて行くのは、私の役目だろう。

「誰も完璧にこなせるわけではありませんよ」

「……あぁ、そうですわ。リディアーヌ様は完璧すぎるのです」

「え?」

「優雅で品があり、微笑む姿は美しく、婚約者に付き従うだけではなく窘める器量もあって、これ以上ないほどあなたに相応しく、非の打ちどころのない方」

「それなら良いのでは?」

 首を傾げると、母上は激しく首を振る。まるで、何かに怯えているかのようだ。こんな母上の姿を、私は初めて見た。

 侍女の一人が近寄ってきて落ち着いて下さい、と母上に優しく声をかける。母上の背を撫でている様子は動揺していないから、もしかしたらいつもの事なのだろうか。心が不安定なのかもしれない。

 しばらく待ち、ようやく落ち着いた後、母上は私に謝罪して口を開く。

「殿下。リディアーヌ様をよく見ていて差し上げて下さい。あの方は何かきっかけがあれば、折れてしまうかもしれませんから」

 そんな事を誰かに言われたのは初めてだった。リディを見れば、口をそろえて皆同じ事を言う。あのようなしっかりした方が王妃になられるのなら、この先安心だ、と。

 やはり同じ女性から見ると、少し意見が違うのかもしれない。

「わかりました。ちゃんと見ています。将来夫となるのですから。彼女が私を支えてくれるように、私も彼女を支えましょう」

 この時の私はたぶん、その言葉の意味を分かっていなかった。それだけでは駄目なのだという事を、理解していなかった。

 子ども扱いするなと言いながら、私はまだ子供だったのだ。


◇◇


 その後、面会の時間は終わり、母上の前を退出した私は、そのまま庭園へ向かう。

 本館の庭園は美しく整えられ、目を楽しませてくれる。緑生い茂る木から鳥のさえずりが聞こえ、花の間を蝶々が舞う。

 小さい頃に母上と散歩した事もあったけれど、今思い出すのは、リディと初めて会った時の事だ。リディとは、この庭園で初めて会った。

 当時13歳だった私と、18歳になったばかりのリディ。あの頃から彼女は美しかった。

 軽やかな声で名乗り、私に優雅な礼をするその姿は妖精のようで、思わず見惚れてしまった。

 小首を傾げて私の言葉を待つ姿に、慌てて挨拶を返した事を思い返すと、今でも恥ずかしい。本来なら、私から挨拶をするはずだったのだ。

 それでもリディは微笑んでくれた。たどたどしく彼女の手を取って、庭園を案内した時も。これまたたどたどしく、花の説明をする間も。

 彼女はいつも、微笑みを浮かべていた。最近は諌められることが多いのだけれど。私を思って言ってくれているのだ、と思えば嬉しい。だからついつい、と言ったら、リディは怒るだろうか。

「なぁ、ヴァレリー」

 先ほどから一言も発さず、空気のように控えるヴァレリーに声をかけた。ヴァレリーはあまり自分からは喋らないけれど、剣の腕は素晴らしい。剣の稽古に付き合ってくれるのは、いつもヴァレリーだ。

 ヴァレリーはすぐに反応し、私の横に膝をつく。前に、そこまでしなくてもいい、と言ったら、私より身長が高いから、見下ろさないようにしているのだと、ランベールが教えてくれた。

 聞かない方が良かった、と思ったっけ。というか、ランベールが一言余計なんだ。うん。

「ヴァレリーは確か、ルージュの領地にいたんだったな」

「はい、殿下」

 ルージュの領地は、ここから西方の草原地帯だ。

 リディも生まれたその場所に、一度でいいから行ってみたい。けれど、屋敷に行く事が禁じられているように、領地へ行くのも禁じられている。

 王が視察で行く分にはいいのだけれど、私的には駄目だった。それに王が視察に行っても宿に泊まるというのだから、徹底していた。

 聖五家の力は均等に。王をどこかの家が取り込み、都合のいいようにしてしまわないように。聖五家の娘を正妃とするけれど、それは様式美のようなものなのだった。

「リディの小さい頃を知っているか?」

「それは、ご本人にお聞きになるべきかと」

「聞いたら話してくれるだろうか」

「話してくださいますよ。あの方は、お優しい方ですから」

 そう答える声がひどく優しくて、思わずヴァレリーを見た。私を見上げる姿は、いつもと変わりない。むしろ不思議そうだ。

「殿下?」

「なんでも無い。戻ろう」

 言いながらすたすたと歩き始めると、慌ててヴァレリーがついてくる。

 私は少し悔しかった。私の知らないリディを、知っている者がいるのだと言う事実が。リディの方が5年早く生まれているのだから、しょうがない事だと分かっているのに。リディと同い年のヴァレリーが、少し羨ましかった。


◇◇


 殿下との昼食を終え帰宅した私は今、何故か自宅の図書室に閉じ込められていた。

 理由は分かっている。犯人は目の前の男。

 私が静かに本を読んでいたら、いつの間にか来て鍵をかけられたのだ。

「会いたかったよ、愛しのリディアーヌ」

 自分と本棚の間に私を閉じ込め、そう言って私の頬を撫でる。この状況を見れば、王太子の婚約者のくせに、なんて如何わしい、と思われかねない状況だ。

 目の前の男が、実の兄でなければ。

「朝もお会いしたはずですが、セレスタンお兄様。というか、お仕事はどうなさったの?」

 この時間は確か、宮殿で働いている筈である。私と同じ赤い髪と緑色の瞳。これでどうして月の化身と言われるのか、さっぱりわからないのだけど。

 私からすれば、ただただ鬱陶しい。早く離れて、とばかりに胸を押しても、全く離れてくれない。それどころか悲し気な顔をして、益々顔を近づけてくる始末。

「あぁ、リディ。冷たいね。せっかく早く終わらせて帰って来たのに」

「何故?」

「お前に会いたかったからだよ」

 耳元で囁かれても困る。そういう事は恋人とやって欲しい。妹ばっかりに構っているから、もう23になるくせに婚約者の一人もいないのよ。

「いい加減退いて下さい、気持ち悪いです」

「なんて辛辣なんだ!」

 そう言いながらも嬉しそうなのは何故だろう。お兄様が時々怖い。けれどようやく退いて椅子に座ってくれたから、ひとまず良しとしましょう。

「ところでお兄様。何の用でしたの?」

 まさか本当に妹に会いたくて、早く帰って来たわけではあるまい。図書室に妹を閉じ込めてからかうのは、そのついでだ。

 私が机に置いていた本をぺらぺらと捲りながら、お兄様は口を開く。

「ああ、うん。ちょっと父上に相談があって。ここ最近の魔獣被害の件で」

 ほらやっぱり。顔を上げたお兄様は、さっきまでのふざけた調子はなく、仕事の顔をしている。

 お兄様はそういう切り替えがうまい。だから社交界でも人気なのかしら。いつでも微笑を絶やさず、そつなく仕事をこなす人。

「リディも気を付けな、って言いに来たんだけど。ついつい悪戯心が沸いてしまってね」

「変な誤解をされたらどうするんですか。私は、王太子の婚約者なのですよ」

「僕はもちろんリディを愛しているけど、それはちゃんと妹としてだから、安心して」

「当たり前です」

 唇を尖らせると、お兄様は楽しそうに笑っていた。


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