〈一〉― 3
―――、
わずかな松明が照らすだけの仄暗い一室を、床に彫られた溝から放たれる光が照らした。
室内の隅で座り込んでいた生徒は、光ったのを合図に反応して腰を上げる。溝によって描かれた、床一面に拡がる複数の紋様まで近づいて、しばし刻を置く。
ほどなくすると、立ち上る煌めきは一気に強まっていき、目が眩むほどの光を放った。
生徒が薄く目を見開いて注視するなか、光はすぐに収縮していく。明かりがまた松明だけになって暗闇の色が濃くなると、先程までなにもなかった紋様の上に、六人の人影が立っていた。
人がなにもないところから現れるのを見守っていた生徒は、特に驚くこともなく、笑顔を見せて話しかける。
「…転移は滞りなく完了、だね。皆、お帰りなさい」
「ただいま。お出迎えありがとう」
一人が挨拶を返すと、他も口々にただいまを繰り返していく。
「本日の収穫はぁ……ナシ! でしたとさ。あーあ、無駄足無駄骨ムダナニクー…」
「何処を見て言ってるのよー?」
「何処って、それはお前の腰まわブぎッ」
「ああ、疲れた……主にこの二人の仲裁に。ていうか、もう面倒だから止めないからね」
「まあまあ、元気なのは良いことですよ。ねえ、そうは思いませんか?」
「それより、早く戻って先生に報告を」
軽い冗談を交えつつ、お互いなにをしていたのか、疲れたからさっさと戻ろう、などとやりとりをして、
六人改め七人は、室内をあとにして『秩序の学舎』校舎へと歩き出す。
『秩序の学舎』の学級は、一学生から三学生に分けられている。生徒達は皆一学生から始まり、定期的に行われる昇級試験を受けて合格すれば、次の学級へ進む。三学生まで進んだ者もまた試験を受けて、合格すると『秩序の学舎』を卒業して―――とはならない。
学級にはもう一つ、『特待生』というクラスが存在する。最上級である三学生に限らず、生徒全員が自由希望で受けることを許された“適性試験”。これをパスすることで入れるこのクラスでは、唯一、島の外『外界』に出ることを許されている。
島の最東端に設置された『転送器』を用いることで、ナーリマルク、ルト・カゥキラの方々へ移動できる彼らは、“世界秩序の守り手”として働くことを義務づけられる。
ついでに言えば、『秩序の学舎』に卒業というものはない。皆、形はどうあれ最終的には特待生となり、島での暮らしを送ることになる。
“世界秩序の守り手”になろうと、学生のままであろうと、生徒が『秩序の学舎』を出て大陸に移り住むことは恐らくない。成績が悪く『秩序の学舎』を追い出されて、路頭に迷う心配も、多分、ないだろう。
だからという訳でもないのだが。
特待生への昇級も“世界秩序の守り手”にもさらさら興味のない芯護達が落ちこぼれになるのは、致し方ないのかも知れない。
「世界の平和と秩序を守る、ねぇ。おとぎ話の主人公になれそうで魅力的に思わないでもないけど、自分からやる気を出す気にはなれないな。だって現実味に欠けてるじゃないか」
そう話したトオルの考えに、芯護もほぼ意見を一致させた(他二人はまともな意見を出さなかったので放置)。
“世界秩序の守り手”の役割は、世界に燻る争いの火種を取り除き、処分できないものなら管理するために『秩序の学舎』へ回収する、というものだ。しかし芯護達は、この役割をどうにも理解できずに疑問を投げかけてしまう。
実際に特待生にならなければ『外界』に出る機会は訪れないので、芯護は周りから伝え聞かされたことしか知らないのだが、『秩序の学舎』創設のきっかけにもなった『ラゼンティア戦役』はすでに十数年前の話であるらしいし、現在は過去の前例を踏まえてどの国も仲良くやっていると聞く。
とにかく、落ちこぼれが言いたいのはこういうこと。
―――そんな大仰な称号を掲げて世界を飛び回り、あれこれすることに意味はあるのか?
―――こちらが余計に気を揉まなくても、現に世界はなんの問題もなく回っているのなら、手を加える必要はないのではないか?
万全に万全を尽くすのは判る。とはいえ、それを“自分達がする必要性”はあるのだろうか。
目の前で困っている人がいるなら助けようとは思う。けれど、何処かでなにかがあって困った誰かがいたとして、そこにいちいち首を突っ込むのは、ちと節介が過ぎやしないだろうか。
そしてなにより、
「ただ“落ちこぼれ”って言われないためだけに勉強する気にもなれないしな」
いつまで経っても一学生のままで、何度となく“落ちこぼれ”と呼ばれては蔑まれて。そのことが気にならないといえば嘘になるが、それを撤回させたいだけで特待生を目指すのもなにか違う気がする。
芯護は“世界秩序の守り手”になる気はない。特待生のクラスなんて住む世界が違うし、彼らの仕事は勿論、自分から積極的に関わっていくようなことは一生ない。
ずっと一学生で勉学に励まず、変わらぬ日々を惰性で生きていく。それが自分の一生だろうと、芯護はなんとなく決めつけていた。
数年前に特待生に上がり、とある律神器を発現することに成功した少女が現れるまでは。