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〈二〉― 3


顔が赤いこともあって、丹波は違う解釈で受け取ったらしくベッドを横断、鼻を啜る芯護に近寄り手を伸ばしてきた。


「風邪か? 長雨の寒さで身体冷やしたかな。どれ、熱があるか触らせろ」


「え、違う。そうじゃない。変な、甘い感じの匂いがしただけだって風邪じゃないから待てって来るなよ手を退けろ!!」


丹波の無遠慮な仕草は照れの残る芯護には耐え難いものがあり、手で払い除けたり、頭を振ってこれを回避して誤解を解こうとする。

意識が覚醒する前から感じていた、嗅いだことのない匂い。そのことを指摘すると、頭をナデナデしようと迫っていた丹波は手を止めて、訝しげに芯護へ聞き返した。


「甘い?」


「そう、部屋中匂ってる………これって香水か? まさか、連がつけてるなんて言わないよな」


芯護の知る限り、丹波が香水をつけるような女っ気を見せたことは無きに等しい。なので期待はしていなかったが、それでも僅かな希望を胸に返事を待ってみる。

丹波は何故かその質問に表情を固くさせて、険しい顔つきで首を横に振った。


「いや、俺じゃない。この手の匂いは苦手か?」


「苦手……て言われれば。こういう不自然なのは好きじゃない。あまり肌に合わないっていうか」


「不自然、ねえ。……そりゃああながち間違いでもないが……」


「?」


腕を組んで小声で呟き、終わると今度は物珍しい顔で覗き込んでくる。丹波の真意を掴みかねて困る芯護は、もう一度訊ねてみるか検討、




したところへ、忍んでいた丹波が転じてニヤリとほくそ笑み、隙だらけな芯護の頭を執拗に撫で回した。




「…―――てぇ、だからやめろって言ってん……、だ、あっと、お、お、おお? ………オだ!!」


ベッドの端っこだということを忘れ、慌てて丹波の手を避けようとしたせいでバランスを崩して。

芯護は滑るシーツと一緒にベッドから落ちて、間抜けな格好で天を仰いだ。丹波はそれを見て明け透けに笑い、芯護の機嫌は著しく損なわれた。


「…………帰れ。もういい帰れ。連の顔なんて見たくもない。さっさとここから出ていけ男女」


「待てやコラ。男女? 男っぽい女って意味か? そうだな? よっしゃお前私刑(リンチ)決定」


「意味わかんねえよ………ちょっと待った判った、男女より女男って言われたかったんだなそうだなそれは俺が悪かった謝るだから殴るのやめろぉ―――」


屈辱を味わわされた上に病み上がりな身体をボッコボコにされる不運息子。と、怪我人を相手に一切手加減なしで殴り倒す鬼畜親父。

『秩序の学舎』ではよく見られる、親子の、ありきたりで和やかな風景が繰り広げられた。










「じゃ、俺はそろそろ行くな。服はそっちの棚に置いてあるから、着替えて教室に戻れよ。調子が良くないなら部屋で休んでてもいいしな」


ひとしきり芯護を殴りまくったその後、概ね満足した丹波がそう切り出した。ベッドに沈んで死に瀕した芯護はブスッとして、答えられる程度の余力は残されていたので、素っ気なく返した。


「………教室に行く。あいつらの顔を見ておきたいし。そういえば、連は授業に出なくて大丈夫なのか?」


「特待生に任せてある。試験が近いと補習で片付けられるから楽で良いな」


それで良いのかよ教師。と思わなくもなかったが、万年居眠りサボり常習犯に言えた義理ではないし、知ったこっちゃないので閉口。

丹波は黒鎚を担ぎ、芯護を残して退出した。


「…―――あー、もう。しんどいったらない」


扉が閉まって一人っきりになった芯護は、力なく寝返りを打った。殴られた部分が冷えている布に触れて癒される感触に浸りつつ、いつか必ず丹波との喧嘩に勝てるようになろうと無謀な決意を抱きながら、昨日の事件について色々と思い起こした。




『秩序の学舎』に、謎の侵入者からの襲撃。

今まで起こり得なかったことだ。あったとしても、ここは律神士を養成する最高機関。おいそれと攻められる場所ではないし、攻めても『秩序の学舎』教師陣、特待生の実力者に駆逐されるのみで、事が成される確率は極めて低い。

けれど、事は起こされた。芯護達のいる教室に侵入者は現れ、生徒達は狙われた。

『秩序の学舎』(ここ)は絶対に安全が保障されている。その考え方が覆されたばかりでなく、外界の治安についても疑問を覚えることになった。




―――“世界秩序の守り手”、か。




脳裏を掠める、疑念。

外の世界は、まだ荒れたままなのだろうか。

昔あったとされる戦争の傷跡が残っていて、あの侵入者はそこから派生した膿なのか。どんな目的があったにせよ、『秩序の学舎』に悪意と敵意を向けたのは、先の戦禍に起因したものなのか。

判らないことだらけだ。謎の侵入者に『秩序の学舎』の安全性、偶然発現した【誠愛】の律神器に、それに関与する少女。

―――そうだ。依妃奈があの後どうなったのかを聞いていなかった。

あの時間帯、特待生外界組は全員出払っていたはずなのに、どうして依妃奈は『秩序の学舎』にいたのか。理由としては、体調不良か何かで休んだ、なのだろうが、そうすると依妃奈は、弱った身体に無理をさせて侵入者と対峙したことになる。

侵入者に負けたと丹波が話した時はそれなりに耳を疑ったが、肉体的に万全でなかったのなら、返り討たれても納得がいく。むしろ我が身を省みずに皆を助けようとした依妃奈は、称賛されるに値するだろう。流石は英雄《無垢なる者》とでも言うか、やはり『英雄』の称号は自分よりも依妃奈に授与されるべきだと芯護は思う。


「英雄………英雄(ヒーロー)か。柄じゃ、ない」


以前にも考えた気がする。自分は英雄になりたいと願ったことはないし、気取るつもりもない。律神器を発現したって、落ちこぼれであることに変更はない。

俺は『英雄』でなくていい。ただ、本物の『英雄』である彼女を守れれば、それで。

彼女を守れれば。それで、




―――なんだって? 彼女を守れれば???




「いやいやいや。依妃奈を守ったのは不可抗力だし、守れて良かったのは事実だし、嬉しくなくはないのもウソじゃないんだし、結果良ければすべて良し!?」


芯護は自分でも理解不能なことを口走ってしまった。丹波に殴られ過ぎて脳がイカれたか。

心の中に浮かんだ気持ちを全力で否定する。芯護が結果的に守ったのは依妃奈含むクラス全員であって、決して“依妃奈個人を守ったのではない”。なのに、さも依妃奈を守りたくて奇跡の律神器産出及び発現を成し遂げた、なんてとち狂った考えをするのは馬鹿げている。

何度だって自分に言い聞かせてやる。俺は依妃奈のことはなんとも思っていない、ただ“気になる”だけだと。

発現した律神器が【誠愛】だったのは、…………良い言い訳が思いつかない。細かいことは気にするな。

……よくよく思い返すと、律神器発現の引き金は、依妃奈が倒れていたのを目にしたからじゃなかったか? どうなのかな? おや?

あれ、考えれば考えるほど泥沼に嵌まっていってる気がするのは、気が気でない? ではなくて、木の精?


「落ち着け、落ち着け、取り乱すな、俺。そんなんじゃない、俺はそんなキャラじゃない。じゃあどんなんだよって言われたって、答えはいつも一つだろうが。だからな、依妃奈のことは、なんでもないって言ってるだろ。どうしてそうそっちに持っていきたがるのか、俺にはサッパリ判らない」


判らないのは、パニクってる芯護の脳ミソだ。なるべく考えないようにしていたことを不意に考えてしまったせいで、自分でも収拾つかなくなってしまった。

それも仕方ないことではある。これまでずっと違うと言い張っていたのに、思わぬ形でそれが立証されてしまったのだから。


【誠愛】の剣―――〈ヴィリア〉。


誠の愛を欲した。それは、誰がどう考えたって、彼女しかいない。


芯護が欲しがった愛の人は。


芯護が愛して、愛されたがっているのは………、




「悪い、良い忘れてたことがあるんだがよ」




「アッ―――!!?!?」




扉が開いて丹波が顔を覗かせた瞬間、芯護の魂が雄叫びを上げた。戻ってくるなり叫ばれた丹波はギョッとして、面白いほどのドン引きぶりを見せた。


「な、なんだ、気色悪いな。俺はノンケだぞ」


「嘘つけ。連がノンケな訳あるか。自分のことを男だって言い張る奴が、一般人に分けられてたまるか」


反論したら、部屋の真ん中まで余裕な黒鎚が突き出てきた。鎚頭部の平たい面が芯護の眉間を捉えて黙らせ、丹波はうずくまる芯護に忘れていたことを伝えた。


「お前の律神器な、発現は継続されてて、今はアインが預かってるから。調べ終わるまでは返せないからな」


「調、べるって、なんでだ。悪いことでもあるのか?」


「違う違う。純天然物の『器』、しかも産まれたての新生児とくれば、稀少価値はとんでもなく高くなるだろ。調べりゃ、未だに解明されてない律神器の構造なんかが判るかも知れないからな。俺も今から合流して調べるんだ」


「あっそ。それは良かったな。頑張れよ。じゃ」


律神器自体に特別興味や関心のない芯護は、俯いたままいい加減に受け答える。

直下、カチンときた丹波から、後頭部に黒鎚を振り落とされる羽目になった。










瞼の裏で星を散らした芯護を放って部屋を出た丹波は、閉めた扉を背にしばらくその場に立ち尽くして、長く息を吐いた。


「……問題ない程度だが、多少情緒不安定だな。【誠愛】に影響されてる感は否めないか。まあ、我を抑え込む嫌いがあるアイツにはあれくらいが丁度良いだろうが。それより…」


部屋での暴力一辺倒な面を潜めて、冷静かつ明晰に芯護の状態を分析、把握する。それから後ろを振り返って、扉越しにいるであろう芯護へ向く。

彼に律神器を預かっていることを言いに戻って来たが、その他にも、まだ言っていないことがあった。そちらを優先的に言おうと踵を返したのに、機会を逃してしまった。


「結局言えず終いか。俺もつくづく、意気地がねえ」


丹波らしくない独り言をする。

言いたいことはズバリ言ってのける丹波が、最後まで言うのを躊躇ったそれは、自責による謝罪の言葉だ。トオルや、その他の子供達にも言えなかった一言。口にするだけ無駄な、自己満足にしかならないもの。

その言葉を、誰もいない廊下で吐き捨てるように呟く。

誰にも知られることのないまま、内々に処分した。


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