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〈ニ〉― 2


「…もぃ(…おい)」


芯護が目を覚ましたことに気づかない丹波は、自分の胸が芯護の鼻を、面積が余り余って口まで塞いでいることにも気づかないで、ベッド横の棚に置かれたコップに手を伸ばしていた。あともうちょい、あともうちょい、と呟きながら、なおも芯護の顔に胸を沈めてきた。


「ぼい、もごごげ! びぃみがべみばい!!(おい、そこどけ! 息が出来ない!!)」


「もー……ちょいで届きそうなんだがなー」


「みぃぶぅべえ〜〜〜ッ!?(気づけ〜〜〜ッ!?)


この肉の塊には神経は通ってないのか!? と冗談抜きで青ざめてきた芯護は、やけに重たい腕を動かして丹波の背中や肩を叩く。お? と丹波は反応して、これで退いてくれると安堵した芯護は、


「悪ぃ、あと少しだから我慢しろな」


「ば? …ブギぇ!」


コップを手に取る方を優先した丹波の全体重に押し潰された。


「〜〜〜〜〜!! 〜〜……?! ………、」


顔全体に胸がのしかかって何も見えなくなる。相変わらず無呼吸は強いられたまま、息が吸えなくなってそこそこ経っている。芯護の意識は目覚めてまもないのに、再び失われていく―――…、


「よっし、届いた」


「………ぶはぁッ!?」


息の根が止まる前に、紙一重で丹波が退いた。咳き込みながら新鮮な空気を必死に取り込む芯護を余所に、椅子に戻って悪びれる気配もない丹波は、コップに入った水を口へ運ぶ。芯護は目尻に涙を滲ませながら、そんな酷い親の名を呼んだ。


「な……に、してんだよ。連!!」


「何って、水を飲んでる」


「じゃなくて! …連の胸で危うく窒息死してたぞ? 他に言うことないのかよ」


「だから悪かったって。目と鼻の先にあったから手を伸ばせば届くと思ってよ」


「ベッド迂回しろ!!!」


震える声でうがあ!! と怒鳴る芯護だが、丹波にはちっとも伝わない。その薄い反応がまた芯護の怒りに拍車を掛けた。

楽をしようとした分、大惨事だ。成人女性が、子供とはいえ男の頭に胸を乗せるのは衛生上良くない。健全な男子なら照れ笑いして喜びそうな状況でも、育ての親を相手にやましい気持ちは抱けない。否、芯護は抱きたくなかった。そんな下劣な感情は、最果ての地にでも置き去りにしたい。

丹波は自覚を持つべきだ。外見が、特待生外界組にも劣らない美人であるということを。

もっと気を遣うべきだ。自分が、紛いなりにも女性であるということを。

幼い頃から育てられてきた芯護がもっとも承知している。それらが無理難題で、どう苦心したとしても実現不可能であるということを。

その理由(わけ)とは。


「恥じらいってものを持てよな……女なんだから」


芯護が“それ”を口にした、刹那。




「 嗚゛呼 ?」




凛としていた美人顔が“荒れていたであろう時代”へ速攻タイムリープ。

芯護の首襟を無造作に掴んで引き寄せると、ジリジリと烈火の眼差しで表面を炙り、ゴヅンッと一発頭突きをお見舞いしてお決まりの文句を言う。


「誰が女だぁ? おいコラ、何編も同じこと言わすなよ。俺は、オ・ト・コ・だ!!!」


………“男”、なのだそうだ。

どの視点から眺めてみても、どう角度を変えたとしても、れっきとした女性の身体にしか見えないのに。堂々と、誇りすら匂わせて、己の性を真っ向から否定する。それが丹波という男性(ひと)だった。




丹波は昔からそうだった。口を開けば粗暴の目立つ言動、一人称はワイルドに俺、終いに自称は男性と、丹波の残念過ぎるその個性は世の野郎共に血の涙を呑ませた。そっち方面で捉えることのない芯護は、それは至極どうでも良かったが、歳を重ねて物事の分別がつくようになると丹波の在り方が異常だということに気づき、異性でありながら同性よろしく接してくる倫理的問題行動にはよく頭を痛めた。




丹波は言うだけ言うと手を離した。喧嘩っ早さも彼女の困った短所で、芯護は強打された頭を押さえて痛みに悶える。まだハッキリしてない意識に鈍痛が潜り込み、ボヤけ気味だった視界は涙に濡れながらも鮮明に、


そこではたと気づいた。―――そういえば、ここは何処だ?


目を覚ましたらベッドの上だった。服は青い布地の寝間着に着替えさせられ、丹波が介抱(?)していた。左の壁にある窓はカーテンが閉められていていたが、微かに雨の降る音が聴こえた。

部屋の雰囲気からして、ここは恐らく診療塔の病室だ。つまり、自分は気を失ったかして此処へ連れてこられたことになる。

では、気を失う前は何をしていた?

自分はどうして気を失ったのだろうか。肝心なところが曖昧で、上手く思い出せない。記憶にあるのは、確か丹波が授業を休んで補習になり、皆から質問責めにされたような…、


「あれ。連って外界に行ってたんじゃなかったのか? もう戻って来たのか」


「あ?」


微量に残された記憶を手繰りながら喋ると、丹波は不審そうな顔で見てきた。何言ってるの、お前? と言外に語った表情を向けられて、芯護は内心少し焦って質問した。


「ごめん、ちょっと記憶悪くて思い出せないんだけど………、何かあった?」


「覚えてないのか? …いや、無理もねえか。頭に【腐蝕】を受けたって聞いたし、律神器の産出までしてのけたんだ。記憶が飛んでてもおかしくはないな」


頭の上に疑問符を浮かべる芯護に、丹波は一から説明してくれる。

丹波がいなかったあの日―――昨日のことだ。『秩序の学舎』に一人の侵入者が入り込んで、芯護達のいる教室を襲った。

その男は律神士で、【腐蝕】の鞭を発現して暴れた。芯護はその時真っ先に攻撃されて一時気を失い、それからすぐに、偶然『秩序の学舎』に残っていたらしい依妃奈が駆けつけて撃退しようとしたのだが、これも返り討ちにあい。

誰も侵入者の蛮行を止められずに困窮した。その時、気がついた芯護が奇跡を起こした。律神器を産み出すという、この世界で最大の奇跡を。


「俺が……律神器を……」


「思い出さないか? 【誠愛】の剣だ。発現してカマ野郎をのした後、お前は力尽きて倒れたんだが。感覚はまだ残ってるんじゃないか?」


言われて、芯護は自分の手のひらに目をやる。自らが産み出した『器』を掴み、振るった右手をじっと見る。

いまいち実感が湧かない。記憶は、話を聞くうちに断片的に取り戻せたが、律神器発現の下りになると、まるで別人の話を聞いているような錯覚に陥る。

だって都合が良すぎるではないか。悪者が猛威を振るっているところに、今の今まで落ちこぼれだった少年が不思議な力を手に入れてこれを倒す、なんて。おとぎ話の主人公ではあるまいし、それも本物の『英雄』を差し置いてだ。

百歩譲って現実にありだとしても、自分ではないだろう。自分は英雄なんて柄じゃないから、そういう気持ちの方が俄然強いから、想像と実像との噛み合わせが悪くなっていた。なりたいとも思ったことのない自分像が勝手に出来上がって示されて、はい判りましたそれが私なんですねと受け入れられる人はそうそういない。

あれは、本当に自分だったのか。

俺が力を望んで、『器』が産まれた?


【誠愛】の剣―――〈ヴィリア〉。


誠の愛を欲した。それは一体、誰の…、


「……そうだ、トオルは? レンザが、トオルがどうとかって言ってた気がする。その侵入者って奴に何かされたんじゃ…」


顔が火照りそうな予感がして、芯護は深く考えない方向に決めて話題を変えた。思い出すと、発端は取り乱したレンザから始まった感があった。直接関連はなくても、トオルの身は心配だったし。

そしてその危惧は、ズバリ的を得ていた。


「ああ。その日、最初に襲われたのがトオルだった。自分の部屋でな」


「最初……って、大丈夫なのか!? まさか、どうにかなったなんて、」


気を逸らせた芯護に、落ち着けと丹波が制する。丹波の方に深刻そうな気が感じられないので、どうやら大事には至っていないようだ。


「トオルは無事だ。運よく特待生に見つけられて、ミーシャの方に運ばれた。ミーシャの実力はお前も知ってるだろ?」


「まあ…」


「ただ、第一発見者はレンザだったらしいな。錯乱してたせいもあってか、俺ら教師陣に知らせないで、バーノットの奴が部屋に閉じこもってて他にお前しか思いつかなくて、教室へ行ったんだと」


話を聞いている限り、三人は一先ず無事らしかった。そのことに芯護は安心しつつ、今度は居場所を気にかけた。


「あいつらは、今、」


「授業中だよ。お前が目ぇ覚ますまで看てるって聞かなかったから、俺のハンマーで説得しといた」


気軽くそう話した丹波は、ベッド右側の部屋の壁に立て掛けた黒鎚を指差した。柄が細長く、丹波の身長すら悠に越えた化物鎚だが、それよりも気がかりなのが、鎚全体に血痕が散りばめられていたことだ。

ハンマーによる説得って。

それは、平和的に行われたのだろうか?


「(すっごい安否が気になる……あいつら大丈夫か?)」


芯護は侵入者よりも育て親にあらぬ危機感を覚えた。直接レンバノトオを見に行かないと、どうにもこの不安は払拭されそうにない。身体は、目覚めてから感じた重さはほぼ消えたようだし、帰っても良いか訊ねようとして、


「…!」


ポンポンと。

ベッドに手をついて前に屈んだ丹波が、もう一方の手を芯護の頭に乗せて、優しく撫でてきた。やけに嬉しそうな表情で。

丹波のこんな行動を見るのはあまり、ほとんど、いやさまったくなかったもので、芯護は変にドギマギしながら聞いた。


「連、あの、これは何を、してる?」


「頑張ったじゃねーか、芯護」


え? と、一瞬訳の判らなかった芯護を、ナデナデを止めない丹波は褒めた。

丹波にとっても芯護からしても、珍しく“母親”の態度で接する。


「お前が頑張ったお陰で、皆が助かったんだぜ。お前に救われたんだ。誰がどう考えたって、間違いなくお前が『英雄』だ」


テストで良い成績を取った我が子を母が愛でる感じで、本当に誇らしげに、芯護の頭を撫でた。

幼かったあの頃、見せはしなかったものの雰囲気で伝わってきた、懐かしい感覚だ。近頃は離ればなれでめっきりなくなった親の温もりが、ここにある。

笑顔で喜ぶ丹波を見ていると、芯護も段々嬉しくなり、こそばゆさに結局頬を赤色に染めながら笑みを溢した。それから、もうしばらくこうされていたいなと思い、されるままでいたのだが、




あれ、この構図って端から見たら、結構恥ずかしいことになってなくない?




「……………ッッッ!!?」


ズザザァ!! と一気に駆け上ってきた羞恥心により、芯護は全身を丹波から離してベッド端まで後ずさった。いきなりのことで呆気に取られる丹波はキョトン顔で、構ってられない芯護は彼女を直視できず、とにかく沸騰した顔と息を静めようと鼻から大きく息を吸い込む。途端、


「ふぇ………ぶえっくしッ!!」


辺りを漂っていた甘い香りをもろに吸い込んで、豪快なくしゃみをした。


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