〈一〉― 11
言い返せないのではなく、よくそこまで人を貶せるものだと半ば感心すらしてしまい、喉から声が出なかった。
ディスケルグは才能に恵まれている。
『秩序の学舎』へ入校する前から『器』を発現して律神士となり、何をやらせても他の生徒より頭四つ分は秀でていた。性格の悪ささえ除けば、特待生一、いや『秩序の学舎』一の秀才と褒め称えられても何ら不思議ではない才覚の持ち主だ。
生まれ持った性格を視野に入れなければ、だが。
それさえ無ければ万人に愛されただろうに、彼の性格に改善の余地が残されていないのは非常に悔やまれる。
本人曰く、
『―――天は人の上に人を造らず、但し、この俺様を造り賜うた』
だそうで。
誰より、何よりも己れこそが唯一の存在。至上にして最上なのだと公言してはばからないディスケルグは、今日も今日とて他人を見下すのだ。
正直、付き合ってられない。
芯護もトオルらも、もう面倒だからひたすら無視しね? と暗黙の内に了解を交わし、そっと距離を置こうとする。
「あれ、何処に行くんだ? 口で敵わないからって逃げなくても良いだろう?」
気取り屋がしつこく言い寄って来たが、芯護達は無視する。
空気扱いをされたディスケルグは、四人の態度を見て取り、そうくるか、と頷く。引き下がる気は毛頭ないらしく、一笑に付して、
「話と違うなぁ。気高き【純心】の使い手くんは、血迷った剋帝陛下にも怖れることなく突撃する“英雄”だって聞いたんだけど………おっとそうじゃなくて、居眠りした挙げ句にスンバラシーおとぎ話を聞かせてくれた方の“英雄”だったかな? それともどちらともか? どうなんだ、え・い・ゆ・う・?」
「…………」
「(抑えろ芯護! 相手にするな!)」
挑発で頭に血が上る芯護を、レンザが腕を掴んで踏み止まらせた。手を出せば負け、そう目で訴えている。
芯護の中では、馬鹿を殴りたい気持ちと我慢して見返してやりたい気持ちがせめぎあっていた。ここで売り文句に買い文句でかかっていくのは容易いが、それではディスケルグの思う壺だ。相手にしないことこそ、この場合のもっとも冴えたやり方だろう。
辛うじて後者を選択した芯護はぐっと堪え、ディスケルグは少し意外そうな顔をした。
「おや、大人。まあいいさ。億年底辺で『器』も発現出来ない最下層の諸君らを、これ以上苛めるのも忍びないし。俺って寛大だし? 見逃してやっても良いぞ、腰抜け」
「…やっぱり殴る」
「心変わり早いよ! ストップ、ストップ!!」
進路を変えて拳を握る芯護をトオルが急いで阻止、レンザとバーノットも加わって必死に止めに入る。
止めなければいけない。ディスケルグはまがいなりにも『律神士』なのだから。
「待て待て芯護! 気持ちは判るけどな、相手にするだけ損だって!」
「そうだぜ。それにいくら偉ぶったって、どうせあいつは外界組の律神士の中で一人だけ【肉体】の『器』なんだからさ」
二人は、トオルが芯護の進行を妨げている間に気を逸らそうとするが、芯護の耳には届かなかった。自分が優越感に浸りたいが為にトオル達を侮辱されるのが許せなくて、芯護はディスケルグを強く睨みつけ、
面白がって鑑賞していたディスケルグの表情が消えていることに気づいた。ディスケルグの視線は真っ直ぐバーノットに向き、そのことに気づかないバーノットは、
「そりゃあさ、発現出来るのはすげえよ? でも、律神器中最弱の『器』が使えるってだけで、そこまでデカイ顔されてもさ。みっともなくてこっちが恥ず―――」
目を見開いたまま、突然黙った。いや、黙らされた。
バーノットの眼前にはディスケルグの足がある。先程まで普通の靴を履いていた足が、今は膝当たりまでを覆う頑強な鎧を纏った脚が、バーノットの鼻先に突きつけられている。
音も風もなく、気配も匂わせず。ポケットに入れた手もそのままの状態で。
両者の距離を瞬く間に詰める神業を披露したディスケルグは、それを誇りもせずに、ただ問いかける。
「…発現時の『真銘』(しんめい)破棄、『器』の形状変化を0.二秒で終えて、所々の説明は到底理解不能だろうから省こうか。お前の寸足らずな鼻に踵をつけたのは一秒足らずってところだが……、聞かせて貰おうか。―――この俺以上の天才が、『秩序の学舎』にいるのか?」
「…ッ」
バーノットは、毒気を抜かれて答えられない。レンザ、トオルも身体が硬直して動けずに押し黙る。
ただ一人、芯護だけは怯むことなく動いていた。
一瞬で四人の前に移動したディスケルグのことを、わざわざ殴りやすい位置に来てくれた、程度にしか捉えなかった。
実力の差は歴然、それでも構わずに芯護は振りかぶる。対するディスケルグも嘲笑うことはしないで、五月蝿い虫を叩き潰すような気持ちで脚を振り上げる。
芯護の拳は、脚の長さで勝るディスケルグには届かない。
結果は目に見えていた。
「そこまでにしておけ、ディスケルグ。でなければ、我輩も『器』を使わなければならんぞ?」
ディスケルグの脚と芯護の拳は、ゴツゴツした大きな両の手に防がれた。
手の持ち主は、鍛え抜かれた巨躯に側頭部だけ白髪を残した禿頭の老人教師、グレアム。凶暴な熊でも連想させそうなグレアムは、身体もさることながら目付きも険しいものとなって芯護とディスケルグを睨んでいる。
より厳密に、律神器を発現しているディスケルグを。
「律神士はその強大さ故、むやみに力を行使するのを控えねばならん。己れを律せられん者に神を律することは叶わんのだ。判っておるか、ディスケルグ」
芯護には何も言わず、手も離さず、ディスケルグにだけ叱責を浴びせる。それが無性に気に入らないし、手を掴まれたままなのも嫌で芯護は抜け出そうともがくが、グレアムの握る手はピクリとも動かない。
一方のディスケルグは、既に剣呑な雰囲気を捨て去って、また軽薄な笑みで受け答える。
「アッハッハ、百も承知だよ、グレアム。俺は自分のことを誰よりも御しきれているさ。それでこその天才、だろ?」
「ふむ、ではもう一つ。特待生が授業過程全免除の利権を持っていたとしても、他のクラスの授業を妨害して良い理由にはならん。お主は此処で何をしておる?」
「…あ〜」
グレアムの返しにディスケルグは言い淀んだ。これは言い逃れは出来そうになく、ディスケルグが出した答えは、
「………【俊足】〈ソルシンク〉!」
「ぬ!?」
グレアムの掴んでいた脚ごと、ディスケルグの姿は消えた。逃げの一手を打ったようだ。
いつの間にか空を掴まされたグレアムは渋い顔で、逃げても罰則からは逃れられんというに…とレンザと同じ考えを口にする。それから、
「いい加減離せよ、グレアム」
「む? おお、すまんな、芯護」
ぶすっとした顔で申し入れる芯護を見て思い出し、やっと手を離した。
解放された手をブラブラ振って、芯護は苦虫を噛み潰す。グレアムが止めに来なければ、やられていたのは自分の方だった。
ミーシャに感じた時と同じ溝だ。選ばれた人間と凡庸な人間との、絶対的な差異だ。
…悔しい。
今までもディスケルグとは衝突したことはあるし、殴り合いだって何度もしてきた。何度だって負けた。いつもの通りだ。
でも、今日は違った。いつもなら気にしないのに、変に意識してしまう。
ディスケルグや大勢の律神士が持っているその『力』が、この上なく羨ましい。
俺もあんな力を手に入れたい。
この手に納めて、使ってみたい。
あの力で、俺は―――…、
「……手にしたって使い道ないだろ。アホらしい」
律神器の力を得たいだなんて、羨んだことはあっても欲しいと思ったことはない。
これまでも、これからも、ある筈がない。
込み上げてくる何かが溢れないよう蓋をして、考えるのを打ち切った芯護は、天敵がいなくなったことで調子を取り戻したレンバノに目をやる。
二人はディスケルグを撃退してくれたグレアムに感謝の意を伝えている。
「いや〜、さっすがグレアムじいさん! あの生意気なディスクをギャフンと言わせるなんて、禿げ頭は伊達じゃない!」
「何処かの国の騎士団長やってたって話は本当だったんだ。目から鱗だなー」
うん、それって褒めてないだろお前ら、と芯護が内心で突っ込むと、グレアムもそう思ったのか呆れて、親指と人差し指で両目の瞼を押さえながら訊ねる。
「お主らは、我輩の授業も聴かずに何をしておるか?」
「「「………」」」
一同、無言。
ディスケルグが現れたお陰で失念していた。そうだ、グレアムに見つかっても駄目じゃないか。
グレアムはもう怒りを通り越して爽やかな笑顔を見せて、盛り上がる腕の筋肉をことさら盛り上げて準備万端。
芯護達に残された道は、一つしかなかった。
「―――逃げろ!!」
罰則がどうのこうのと考えていたレンザからの一声で、四人は一斉にその場から走り出した。その行動を読んでいたてグレアムは先回りして、
魔の手を掻い潜っていく悪ガキを逃すまいと全身を捻った直後、腰元からグキリと痛々しい音を響かせて。
「ふぐぉ!? こ、腰がぁァァ………ッッ」
「ご……ご免なさい!」
「謝るな、トオル。必要な犠牲なんだ…」
「バノ、勝手に死なすなよって。ってー、あれ? 芯護は?」
皆が非情にもグレアムを置き去りにして走り去る中、芯護は足を止めてある方向を見つめた。
本校舎北寄りの一階。窓の向こう側の廊下を早足で歩く二人組がいる。二人組は、アイン・セイレとミーシャだ。
注目するような組み合わせではなく、別に目を奪われたのでもなかったが、二人の顔がかなり深刻なもので芯護の印象に残った。そういえば昨日の夕方にもセイレはミーシャを呼んで、その時もミーシャから焦りの色が窺えなかったか。
芯護が行き先を目で追っていくと、二人は奥に続く廊下へ曲がって見えなくなる。その先には確か、渡り廊下で校舎と繋がる診療塔があった。『生命力』を操る律神士ミーシャがそこへ向かったということは、誰か怪我を負ったのだろうか。昨日と今日と続けて?
「何なんだ、一体…」
胸の内がざわめく。
これから良からぬことが起こりそうな、不吉な予感がしてならない。
言い知れぬ不安が芯護を襲い、それが急速に迫っていると感じる。恐ろしい予感は背後にまで近づいて、ハッと振り返った芯護は、
ガッ! と。
老体を引きずってきたグレアムに、頭を鷲掴みにされた。