7 覚醒
それは突然のことだった。
「うぐっ」
突然の地鳴りと、隣のテントからのくぐもった声に、ディアナは飛び起きる。
押し殺した悲鳴が聞こえたのは、魔導士隊の隊幕の中のようだ。まずは状況を確認せねばと、慌ててテントから飛び出す。
「マシュー、なんてことを!」
女魔導士の悲痛な声が響く。先ほどの声は、魔導士分隊長のもののようだった。
「何事だ、セラ殿、状況の説明を」
普段は開け放たれることはめったにない魔導士分隊の陣幕を跳ね上げ、アラン参謀長が飛び込んでいく。動ける剣士たちはみな、武器を手にテントを飛び出している。
「マシューが、結界破りの反呪を受けました。致命傷ではありませんが、しばらく動かせません。すぐに解呪にかかります」
「俺のことより……すまん、『赤眼』のいる結界に触るはずが……あれは、たぶん魔王だ」
マシューが苦しい息の下から恐ろしい言葉を吐く。
「魔王?!」
周囲の空気が凍り付く。
「北東2,3㎞のところの、地中で眠っていた。俺が触ってしまったから、奴はたぶん目覚めてしまった。さっきの地鳴りは、そのせいだ」
「馬を回せ。ディアナ、セラ、カイト、私と来い。魔鳥を2羽つかせろ。他のものは指示あるまで防御結界内で待機!」
間髪を入れず参謀長の指示が飛ぶ。4人は即座に自分の馬に飛び乗り、北東を目指し馬を駆る。
「都から、近すぎる」
参謀長のつぶやきには焦燥がにじむ。
魔王の居場所はすぐに分かった。周辺の枯れ草がごうごうと燃え上がり、その中心に、それはいた。
「……小さい。這っているのか? ……あれは……!」
炎の中心にうずくまっているのは、赤ん坊だった。眠りを邪魔されたためか、大声で泣きわめいている。赤ん坊が声を放つたび、何匹もの魔獣がその息から、涙から湧き出してくる。
「セラ、カイト、奴に結界を張れ。できるか?」
参謀長の言葉が聞こえるよりも早く、閃光のように銀の影が走る。
「白銀の…!」
矢のように飛び込み繰り出す騎士の剣の切っ先は、まっすぐに赤ん坊の喉元を狙っている。
その瞬間、赤ん坊の眼が見開かれる。ルビーのような真っ赤なそれが向けられたとたん、騎士の身体は切っ先から燃え上がり霧散した。
「セラ!」
年若い魔導士、カイトの悲鳴が響く。彼がとっさに張った防御結界の中に、白銀の騎士がいた位置から立ち昇った煙がすいと移動し、白い人影が現れる。
「何あの眼。やばいってもんじゃないわ」
ディアナは声の主を見てぎょっとする。ちらりと見ただけでも目がつぶれてしまいそうな絶世の美女がそこにいた。
「……あの眼は。まさか」
そんなディアナには目もくれず、カイトがつぶやく。
「赤い眼の魔導士は、……魔王だったのか」
参謀長が顔をゆがめる。彼の顔に初めて、絶望の色が浮かぶ。しかしそれは一瞬のことだった。
「……っ。魔鳥を飛ばせ。『最後の移動陣』を使う」
「あの眼。一瞥されただけで、すべて燃やし尽くされてしまうわ」
セラの切迫した声。彼女の魔力はもうほとんど残っていないようだ。何とか人型を保っているが、息遣いは荒い。本来の姿をとることがやっとのようだった。
「精霊に、傷をつけられる炎があるなんて」
直後に、背後からおびただしい数の魔力の束が襲ってくるのが見えた。
その束はゆっくりと空中で編みこまれ、赤ん坊の周りで半球を作ってゆく。
「防御の結界を解け。セラ殿は魔鳥の転移術で即時離脱。他総員、陣営まで全速力!」
参謀長が自らの黒馬に飛び乗りながら指示を出す。
討伐隊陣営から長く伸びた魔力の帯が、絶え間なく赤ん坊の周りの半球の網に絡まり続けている。王国中の魔導士の魔力を集結させた、束縛の結界だ。
陣営に近づくと、数百人に及ぶ魔導士の両手から、魔力が放たれているのが見えた。国中の魔導士がすべて強制転移させられ、陣営に集められている。王国中の魔術が中断し、今頃王宮はパニックになっているであろうが、背に腹は代えられない。
「まさか本当にやりよるとはの」
王国の最高魔導士、ポタルは苦笑いで黒馬から飛び降り駆け寄ってくるアラン参謀を眺める。万が一の王都存亡の危機の時に、最後の切り札として使わせてくれと懇願されて、『最後の移動陣』の作成を許したのは、たった2日前のことだ。その存在を知っていることにも驚いたが、本当に使う豪胆さに舌を巻く。
「武官の参謀長が、切り札に魔導士を使うとはの…」
これまでの司令官であれば、死んでも魔力など頼らないというところだ。
討伐隊がこれまで全滅しなかったのは、彼の力量であることは明らかだった。