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赤い眼の魔導士  作者:
王都より
14/16

ディアナと王太子

「はあ、窮屈……」


 ディアナはこっそりとため息をついた。

 もう夜半過ぎだというのに、宮廷舞踏会は延々と続いている。食べ物や香水のにおいの混じった大広間内の警護は何とかまぬかれたが、庭園の警護とて、窮屈な制服での長時間の勤務は慣れない身には辛い。


(やっぱり、断ればよかった。近衛兵なんて)


 魔王との戦いの後、以前のように辺境警護の傭兵――通称ドサまわり――に戻ろうとしたディアナを引き留めたのは、アラン参謀長だった。


「あのクソみたいな魔王討伐の戦いで、俺に得たものがあったとしたら、唯一お前たちだ」

 英雄となった「鉄面皮のアラン参謀」は、素顔はなかなか口が悪い。

「この化け物だらけの王宮で、本当に信じられるのは、お前たちだけだ」

 そんなことを言われてしまうと、断りにくい。


 アラン参謀長が、幼い時に政争で親を失い、政敵であった親族に引き取られていたのはあまり知られていない。表向き不自由したことはなかったけれど、寝所にいつ蛇が出るか分からないので、士官学校の宿舎に入るまで、毎晩衣装箱の中で寝ていた、とこともなげに彼は話していた。

 実力主義の武官の世界で王宮筆頭参謀まで上り詰めても、捨て駒の魔王討伐隊に駆り出され、戦いが終わるまで一度も帰してもらえなかったのにも、その辺の事情があったらしい。人を信じられるようになるのは、なかなか難しい環境だったのだろう。


 ディアナたちは、表向きは王宮付きの近衛兵、その実は、必要な時は裏から現王を守ったり、汚れ仕事もする、「陰の衛兵」に任じられている。


(それにしても、ねえ……)

 ディアナは近衛兵の制服をまじまじと眺める。青地に銀の縫い取りのある制服は、美しいがとにかく実用性に欠ける。腕さえ満足に上げられず、剣を振り回すなど、まったくできない。そもそも近衛「兵」というが、彼らの腰に下がっている刀は、まがい物だ。宮廷内での抜刀は固く禁じられている。魔導士の防御魔術が隅々まで行き届いているため、基本的に宮廷内は安全だ、というのがその言い分だった。腰に本物の刀をぶら下げているのは、アラン参謀やディアナ他、数人の陰の部隊員のみである。


(いくら訓練したって、体なまるよなあ、これ。ああ、早く帰って葡萄酒飲みたい)

 延々と続く舞踏曲を背に、星空を見上げる。

 その時、視界にちらりと白いものが映った。あわてて目を戻すと、高貴な身なりをした若い男が足早に庭園を横切っていく。

「お待ちください」

慌てた様子で宮廷侍史たちが後を追ってくる。

「もう嫌だ、僕は帰る、寝る」

「そのように申されましても。今夜は隣国の王族をお迎えした晩さん会です。殿下に中座されるのは」

「もう嫌だ、飽きた、眠い」

(わかりますよー)

 ディアナは直立不動で傍観する。あの人いきれの中で、ずっと挨拶を受け続ける王太子を思うと、気の毒でしかない。罰ゲームだ。でも、それが彼のお仕事なのだ。


 王太子の美しい横顔がこちらをちらりと向く。青色の双眸が、助けて、と言っている。

(いや、さすがに無理だし。あたしに言わないで。こっち見ないで)

 ディアナは表情を変えずに突っ立ち続ける。

 有無を言わさず、王太子は大広間に引き戻されていく。恨みがましい目がディアナを見つめている。

(いや、そんな顔されても。……お仕事がんばってー)

 ディアナはうんざりしながらそのふてくされた顔を眺める。



 ディアナに王太子からの招待状が届いたのは、王都に戻って数週間が経ったころだった。

 曰く、魔王討伐の功労者たちと、個別に話がしたい。要は、王族のきまぐれ、興味本位だ。

(めんどくさい)

思ったが、彼女に断る権利はない。

 当日、控えの間で待たされていたディアナに、王宮侍史が別室での謁見を伝えた。とにかく、この王太子さまは気まぐれらしい。王宮別棟まで案内されながら、ディアナはやれやれと思う。

 招き入れられた部屋は、予想外に簡素なものだった。独特な香りが鼻を突き、ディアナは軽く顔をしかめる。

「お声がけいただき恐縮です。近衛兵第1分隊、ディアナ・エストラです」

 すらりとした年若い王太子の前に膝をつくと、彼は柔らかい笑みで言った。

「立って。その上着脱いで、あそこでポーズ取って」

「は?」

真顔で顔を上げたディアナに、青い双眸を輝かせて華奢な体躯を翻し、王太子は何やら木枠に張られた布の前に駆け寄る。

「僕の絵の、モデルになってくれ」



「嫌です」

ディアナは即答した。王太子の目がぱちくりとまたたく。自分の要求が拒絶されることなど、端から考えてもみなかった顔だ。

「これは、私の仕事ではありません。どなたのご命令でも、お断りします」

 ディアナは、じっとしているのが死ぬより嫌いだった。クビにされ宮廷から放り出されるだろうが、こんな苦行はごめんだ。

「え、……どうして?」

 意外なことに、王太子の表情に怒りはない。珍しいものに出会って興味津々といった様子だ。

(この人、奔放だけど傲慢ではないんだ)

 ディアナの中の高貴な人たちのイメージとは若干違う。

「じっとしているのは、耐えられません」

思わず素直に答える。

「なるほど。……じゃあ、『型』を演じてくれないか」

 剣とは無縁そうな華奢な体躯の王太子から出た言葉に、ディアナは少し驚いた。確かに、剣を習う時にはまず、『型』から入る。実戦経験でだいぶ崩れてしまったろうが、ディアナも幼いころ、繰り返し型を叩き込まれたものだ。

 やはり、腐っても王族なのだろう。彼もまた、剣の教育を施されたに違いない。

「あまり、美しい型はご披露できないと、存じますが」

「いや、間違いなく君の型は、美しいよ」

 王太子は眼を細めて微笑む。これ以上、頼みを無下にすることはできなかった。


 それから、たびたびディアナは彼のアトリエに呼び出された。と言っても、さすがに暇ではないらしく、呼び出しはひと月も空いたり、30分でお開きになることもあった。

 彼は時々膜が張ったようなぼんやりとした顔をしていたり、青白い顔で眉根を寄せて筆が全く進まないこともあった。それでも、その日の作業を終える時には、霧の晴れたような笑顔で、ありがとう、と微笑んだ。

 人外の美しさだったという祖父の血を引くだけあり、王太子の横顔は、いつも完璧な造形をなしている。無心にキャンバスに向かう彼の姿のほうが、絵画のようだとディアナは思う。


 モデルを引き受けた、と報告したとき、アラン参謀長は漆黒の瞳を軽く見開いて、驚いた、とつぶやいた。王太子の酔狂な趣味は公然の秘密だったが、これまではどんな美しい姫が頼んでも、彼がモデルのある絵を描いたことはなかったらしい。曰く、まがい物の美しさには興味がない、と。



 珍しく午前中いっぱい時間を割いてほしいと依頼された初夏のある日、彼はぽつりとつぶやいた。

「出来た」

ゆっくりと伸びをすると、ふにゃりとディアナに笑顔をよこす。

「見たい?」

「もちろんです」

 これだけ協力した作品だ。王太子の腕前がどんなものか、ディアナは興味津々でキャンバスをのぞき込む。

「……これは」

キャンバスいっぱいに、躍動する騎士の姿がある。そこから立ち昇る闘気に、ディアナの脳裏に魔王討伐の闘いの日々が鮮明によみがえる

「どう」

見たこともない真剣な顔で、王太子が尋ねる。

「……あの時の、戦場に、いる、ようです」

ディアナには絵画の腕などはよくわからない。ただ、彼の絵が人を惹きつけることは、間違いないと感じる。

「ありがとう」

王太子が破顔する。

「人を本格的に描いたのは、初めてなんだ。気に入ってくれたようで、良かった」

「え」

「君にあげるよ」

 予想外の言葉に、ディアナの目は見開いた。

「それは、……いただけません」

さすがに分不相応だ。王太子の笑顔が深まる。


 彼が口を開きかけた時、ディアナの目の端にキラリと光が走った。

「……!」

 王太子とイーゼルを抱えて引き倒し、体をひねって短刀を避ける。

 考えるよりも早く、ディアナの懐から棒剣が飛ぶ。短刀の飛んできたあたりからがさりと音がしたが、駆け付けた時には人影はなかった。

(取り逃がした)

 駆け戻ると、王太子は呆然と床に座り込んでいる。

「すみません、お怪我はありませんか」

「君、ほんとに、強いんだねえ」

王太子はつぶやく。

「いえ、取り逃がしました。面目ありません。すぐに護衛が来ます」

(まさか、王太子が狙われるなんて。油断した)

王宮で王族を狙うなど、命知らずもよいところだ。

「いや、必要ないよ。あれは、僕の絵を狙ったのさ。父上の刺客だ」

「え」

「……もう、絵を描くのはやめにするよ」

王太子の顔には苦い笑みがあった。

「あの短剣、僕に当たっていたかも、しれないよね」


ディアナはどう答えてよいのかわからない。でも。

「殿下はそれでよいのですか」

自分の才があるものに出会えるのは、奇跡のようなものだ。今は亡いひょろりとした背中が目に浮かぶ。

「半分、死んだように生きるので、良いのですか」


 あの戦いの後、ディアナはずっと、考えていた。トーマスを魔王の前に引きずり出したことが、正しかったのか。

 でも、あれは彼にしか成しえなかった。

 多分過去に戻れても、私は何回でも同じことをする。


 王太子は眼を閉じる。開いたその目からは、先ほどの苦いものは消え、すっきりとした光がある。

「それなら、君は僕を、僕の絵を、ずっと守ってくれるかい?」

いたずらっぽい笑顔に、ディアナは目を伏せる。

「もちろんです。……仕事ですから」

「決まりだ、アラン、彼女はぼくがもらう」


 扉の陰から、黒ずくめの男が現れる。

「私の優秀な部下を、勝手に引き抜かないでいただきたい」

 いつからそこにいたの。ディアナは何となく気恥ずかしく、参謀長に敬礼する。


 王太子のアトリエには、初夏の昼過ぎの明るい日差しが降り注いでいる。


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