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赤い眼の魔導士  作者:
本編
12/16

終章 赤い眼の魔導士(3)

 ドン、と何かの衝撃が左脚を襲った。同時に、生ぬるい液体が噴き出すのを感じる。

 大腿動脈を切られたな、僕は視界が狭まるのを感じながら他人事のように思う。


「トーマス!!」


 切迫した懐かしい声を聞く。とたんに、脚の付け根を布と棒でねじり上げられ、僕は顔をしかめる。僕とディアナの周りに、セラの結界が展開する。彼女らしくないやや薄いそれは、それでも弟の放つ閃光を一つ二つとはじいている。


「傷を閉じる魔術を使え。死ぬぞ」


 相変わらず切迫したいとこの声。ぼんやりと意識が遠のいていく。




「あの子はわたくしには育てられないわ」


 3歳の夏、屋敷の庭に、僕がディアナを喜ばせようと屋根よりも高い氷の城を作った時、大騒ぎとなった屋敷内で母は僕を見て言い放った。

 今になって思えば、有力な魔導士の血を引き自身も魔女として名をはせていた母にとって、3歳の僕の制御できない魔力は脅威だったのだろう。同じ家に強い魔導士が二人いてはいけない、と言われる時代だった。何かの拍子に魔力がぶつかれば、殺し合いになってしまいかねない。

 僕は、自分が母よりも強いことは分かっていた。僕がそう思えば、この世界の大概のものはすぐに握りつぶせることは分かっていた。

 でもぼくは、そんなことより子供らしい子供でいたかった。

 僕はいい匂いのする、柔らかい母の胸が大好きだった。僕は、ニンジン色のおさげ髪の、キラキラしたとび色の眼をしたいとこのディアナが大好きだった。僕は恐れた。ここから、引き離されるかもしれない。

 僕は、その日から左腕を動かさなくなった。

 それでも結局、あの屋敷には5歳までしかいられなかった。

 5歳の夏、ディアナを襲った雷を、僕は左手で握りつぶした。そのたった一度の過ちで、僕は二度と、あの懐かしい屋敷へは足を踏み入れられなくなってしまったのだ。




「トーマス!!」


 怒号に近いいとこの声が耳を打つ。


「まさかあんた、このまま死ぬつもりなの?」


 彼女の眼は純粋な驚きで見開かれている。僕の口元の薄い笑いに目をとめた時、その瞳は閉じられた。


「……分かったよ。あんたが自分の力をどう使おうと、……使わなかろうと、それはあんたの自由だ」


 再度開かれたとび色の眼がひた、と僕を見つめる。予想に反してその瞳には、失望も軽蔑の色も浮かんでいない。僕を叩きのめすために開かれると思っていた唇から漏れたのは、弱弱しいつぶやきだった。


「悪かったね。そこまであんたが苦しんでいることに、気づいてもやれなくて」

「あたしも多分、すぐにそっちに行くからさ」


 僕の胸の奥底に、何やら熱い塊が生まれる。それはみるみる膨らんで、抑えようもなく全身を駆け巡る。

 いやだ。僕の中の何かが叫ぶ。この人がいなくなってしまうのはいやだ。

 僕の左手を鉛のように重くして、僕の口元にとれない仮面のように薄笑いを張り付かせていた何かが、バチンとはじけ飛ぶのを感じる。僕はゆっくり目を閉じる。


 そして、瞳の奥のもう一つの瞳を、静かに開いた。




 ディアナが思っているほど、僕の魔術は完璧じゃない。

 封印を解いたところで、僕にはこれ程太い動脈から噴き出ている血を止めることはできない。動けるのは、もう、数分だろう。使える力を総動員しても、たぶん僕は、弟を閉じ込めることしかできない。外側からでは。

 ピンクの参謀長は花の精の加護で無傷だろう。目の端に、黒い男の背が一番身近にいた剣士を抱え込もうとしているのが見える。彼の身一つで守れるのは、一人が限界だ。いつもながら素早い正確な判断だと感心する。

 僕らの周りの、セラの結界はほぼ破られている。ディアナを守りながら、僕はこれを成すことができるのだろうか。


 僕は両手から、最大量の魔力を一気に放つ。それが半球の形を結ぶまで、ほんの数秒だ。周囲の魔導士たちは、ポカンとそれを眺めている。左右を見渡し、僕の視線の届く範囲の魔獣を焼き尽くす。


「おい、俺たちの1か月返せ」


 マシューがつぶやく。マシュー、君の結界が魔導士たちを守り切ることを願う。

 弟は僕の作った半球の中に立ち尽くしている。まだ、何が起こったか分かっていないようだ。


「セラ、僕の墓には、王宮の農園のニンジンを供えてくれないか」


 言い残したいことがこれだけなんて。


 僕は全力で半球を握りつぶす。徐々に魔力が圧縮され、膨大な光と熱が生み出され始める。自分と弟の外側に、もう一つの結界を展開する。どうか、最後までもってくれますように。


 最後にちらりと、ニンジン色のおさげが脳裏をよぎった。

 ありがとう、さよなら、愛しい人よ。




「トーマスが『赤眼』だったとはな……」


 見事に何もなくなった円の中に立ち尽くし、マシューがつぶやく。


「あいつ、俺たちがひと月かけて作った魔法陣で倒そうとしていた魔獣を一瞥で殺しやがった。ここまで黙ってみてたなんて、どういう神経してやがんだよ……」

「というか、魔王をものの数秒で消したわね、……自分もろとも、だけど」

「私たちを殺さずに、どうやってあの半球を消したのかしらね」


 セラがいつの間にやら戻った幼女の姿でぽつりとつぶやく。

 そうか、あいつ、消えちゃったのか。

 私はようやっと、ひょろりとした彼の姿がないことに得心する。

 まだみんな、夢見心地だ。見渡すと、息のある仲間はあまり多くはないように見える。

 失ったものは、あまりにも大きい。



「トーマス、私があなたにしたことは正しかったのかな」


 私は、剣だこで醜くでこぼこしている自分の右手を眺めながらつぶやく。あなたが本気を出したら最高位の魔導士にもなれるだろうというのは、私は小さい時から、分かっていた。だから、魔王討伐の部隊に志願した。私が行けば、あなたが嫌々でもついてくるのが、分かっていたから。でも、まさかこんな終わり方が待っていようとは、ほんの先刻まで思ってもみなかった。

 本当は、あなたはあのまま王都で眠るように生きて死ねたら、良かったのかもしれない。あなたの本当の力をみんなに知らしめたいなんて、あたしがそんな浅はかな願いを持たなかったなら。

 でも、もう、すべては終わってしまった。



 僕は、君を守りきれたから、満足だよ。

 真冬の荒野だというのに、耳元を温かい風がかすめた。その風は、そのまま私の周りを一巡し上へ上へと昇っていく。

 まだ春は遠い冬の夜に、伝説の魔導師は永遠にいなくなった。


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