第三話《同行者》
入口付近にテレポートした後、そこから僕らは町中をある程度散策した。
そこで集めた情報を整理し話し合う為に足を止めれる場所が欲しかったので通行人に訊ねたところ付近に宿屋がある様なのでそこに行く事にした。
当たり前だがこの世界の通貨など持ってないので宿代に関しては彼女に支払ってもらう事にした。
どうやらこういう事態に備えてある程度持ち合わせている様だ。
あと認識改変の魔法を掛けていると彼女は言ったが改変と言ってもあの黒と紅で彩られた禍々しい格好がその辺の一般の人が着ている様な露出の少ない洋服に変わっただけで、鮮血の様な瞳と色の抜けた白髪はそのままだった。
「ふーん部屋はまあまあの広さって感じね。ほら、アンタもそこの椅子に座り」
「うん。…それにしても違う世界の人間とは思えないくらい綺麗な発音の日本語でビックリしたよ」
「ふふ、そりゃ良かったわ」
最初は本当に翻訳できているのかと思い、試しに何人かに此処についての話を持ち掛けてみたが驚くほど流通に日本語を喋っているところを目の当たりにしたので確かに備わっている事が確認できた。
それだけじゃなく文字を見ても頭の中で勝手に翻訳・意訳されていくので本や看板などを読む分にも支障は無かった。
そして他にもわかった事がある。
「じゃ、ぶらぶら歩いてわかった事を一つ一つ言っていこうじゃないの」
「まずこの町が出来たのは約100年前で、その10年後にアシュフェルニという王国に領地として取り込まれて現在も続いていること」
今でこそ人が通い詰める賑やかな繁華街ではあるが、120年前は細々とした様相の小さな集落だったらしい。
しかしある日その集落の住人であるミグスアレという男が大量の金塊を掘り当て、それを近辺の王国に持っていき換金してもらうと湯水の如き勢いで大量の金銭が手に入ったらしい。
そしてそれを元手に集落を加速度的に発展させ20年後には町としての原型が出来上がり、名前も集落民の満場一致で事の発端であるミグスアレをそのまま取ったという。
それから10年後に縁のあった王国の庇護下に入る形で領地となり、今も変わらず続いているみたいだ。
「もう一つはこの世界においてイヴィルさんは物凄い脅威だったけど人間が誕生する以前の大昔に光竜ラシャフンとの戦いで相討ちになって消滅したという歴史があること」
僕の目の前でベッドでだらしなく横になっているこの人…イヴィルさんは最初自身の事を邪神と称していたが、やはりというべきか単なる自称などではなく本当にかつて悪しき神として君臨していたみたいで世界そのものを消しかねない勢いで思うがままにその力を振るいまくっていたらしい。
だが当時の竜族で最強だったラシャフンという名のドラゴンと三日三晩に渡って戦い最終的に共に果て、それを見ていた神々や竜族によって後に誕生した妖精やエルフ、そして人間などの知的生命体に伝えられてそれが御伽話や詩という形で一般常識になっているという。
「ま、実際は世界を滅ぼしたかったんじゃなくてただ私より強い存在を煽動したかったが為にわざと暴れてただけなんだけどね。…まぁその過程でうっかり大陸一つを塵芥にはしちゃったけど。加えて共倒れってことになってるけど最初アンタに言った通りすぐ復活したし、何よりこうして今なお生きている事を考えれば真相はバッドエンドでしたっていうね(笑)」
「なんか軽いノリで言ってのけてるけど強い奴を呼ぶ為だけにそこまでやるっておかしいよ」
「いやぁ…私とてそれに関しちゃ深く反省しているわよ」
流石に彼女も思うところがあったらしい。大陸を消したということはそれだけ沢山の命を理不尽に絶滅に追いやったという事だし、邪神といえど悪く思うのは当然と言えば当然か。
「だって――――大陸を消したりなんてしたら当時の地理関係の仕事についている者らに対して非常に申し訳ないじゃない?特に地図製作とかわざわざ作り直さないといけないし余計な手間をかけさせてしまうしね」
前言撤回。大陸規模の無数の命をこの世から「うっかり」消した事より地理関係の人たちに申し訳なく思ってる辺り価値観についても邪神の様だ。倫理観が壊れている以前に人のそれと全く違うらしい。
「で、話を戻すけどもう一つわかったことがあったわよね?」
「…1000年前からイヴィル教という邪神を崇拝する宗教組織が現れて、今に至るまで人々から要警戒されていること」
この世界の人類が文明を築き上げて約2000年ほど過ぎた辺りで突然に邪神を崇め奉る謎の集団が現れた。
彼らは自分たちを「イヴィル教」と名乗り、活動指針の最終目標に『邪神の復活』を掲げそれを成就すべく1000年の時を経て今も各地で暗躍し世界中から特級の指定危険団体として警戒の目を向けられているらしい。
そんなイヴィル教の誕生の背景には様々な説があり、その中でも有力なのが『後の教祖となる人物が邪神の啓示を受けたことでそれに感応し、妄執に駆られて同志を増やした結果一宗教としての形になっていった』という説みたいだが、実際はどうなんだろうか。
「あー…それね、当時私が観光の旅という名目で各地を適当にうろつき回ってたら私の事が記されてる文献を熱心に調べてる物好きな人間がいたのよ」
「へえ、そんな人がいたんだ。それで?」
「当然私は気になってその人間に近づいたんだけど、これが思ったより随分とご執心になってたのよね。
その人間の家は一軒家とかじゃなく大きな古ぼけた屋敷なんだけど、内部は図書館も驚きを隠せないほど至る所に本が並べられててしかもそのほとんどが私の文献に関する資料なの。他にも毒性のある植物やら生物の素体標本や臓器などの培養液漬けやら変なモノばかりあったけど、それら全てが私をこの世に復活させる上で必要な器の肉体を造る為だって言うから大分イカレてるなあと思ったワケ」
「確かにこの時点で頭のネジが数本飛んでるけど…それがイヴィル教創立とどう繋がってくるんだ?」
「いやーそんな有様だから『そんなに邪神を蘇らせたいなら一人より複数人でやった方が効率良いんじゃない?例えば宗教でも興して信者たちを集めてさ』なんてその場のノリで言ったの。そしたらそいつが何か本気で捉えて奮起になりはじめちゃって、それでしばしば一週間ほど様子見してたらホントに私の名前を冠する宗教団体を立ち上げたもんだからちょっと唖然としちゃったわ。更にそれがその先1000年経って尚も組織として存続し、こうしてアンタと会話してる今も世界の何処かでご迷惑をお掛けしているだろう事実にもう笑うしかないよねハハハハ!」
「…つまり?イヴィル教誕生の発端は貴方の『ただの軽い冗談のつもりで言った発言を狂人が真に受けた結果』だったと?」
「…ええそうよ。笑うしかないよねとか言ったけど本当は物凄く後悔しているの。はぁ…」
なんてことだ。そんなギャグみたいなしょうもない原因で特級の危険団体に指定されるくらいのヤバい宗教勢力が結果的に1000年も世界規模でのさばる事になってしまってるとは。
大陸を消した事といい、この邪神は一回この世界の全人類に土下座した方がいいと思う。
「ここに来て貴方がどれほど世界に悪影響を及ぼしているかがよく理解できた。本当に名実ともに悪辣な邪神なんだな」
「そう、だから私を倒すということはこの世界を私という脅威から救うことにも繋がるの。よってこれは敗北を味わってみたいという単なる私の『自己満足』に非ず、アンタにとっても元の世界に帰れるだけじゃなくこの世界の英雄として語り継がれる事にもなるわけよ」
そこまで言うと彼女はこちらに顔を近づけ確認を取るかの様にこう言った。
「ね、どうかしら?これで倒す気がもっと湧いてきたんじゃない?」
「それに答える前に二つ質問していいか?」
「んん、何かしら?」
「まず一つ目の質問だけど、その教祖は今どうなっているんだ?草原の時に貴方は『自分の素の姿を知っているのは教祖と各司教たちだけ』と言っていたが、まさか1000年以上経った今も生きていたり…?」
それを聞いた彼女の顔が少し曇る。
言うのに抵抗があるのか少しの間黙っていたものの、あっさりと踏ん切りがついたらしくその口を開いた。
「ああ、それか。草原の時はどうせ話すのは大分先になるだろうからほとんど言わなかったけど…教祖ちゃんならとっくに死んでるわよ―――――600年前に。」
「600年前?ということは少なくとも600歳以上は生きていたことになるし、やっぱりそいつは人間じゃなかったんだな?」
「後天的にね。私と出会った当初はまだ普通の人間だったんだけど宗教を建ち上げてからは実験の最中で出来た変な薬やら細菌やらを自分に投与しまくった結果、人の域を外れた寿命を持つ化物になっちゃったの」
さっきの話の時点でマッドサイエンティストの一面は十分に伝わっていたからある程度想像はついていたが、こうして具体的に説明されると自分の人間としての体に対する拘りや執着・愛情などさらさら無いという事実になぜそんな簡単に人の体を捨てられるのかという疑問と恐怖を覚えざるを得ない。
「それじゃあどうしてそいつは死んだ?貴方をして化物と称するくらいだから今も生きていたって不思議じゃないと思うんだけど」
「…確かに、私が殺していなければそうなってたでしょうね」
「え、殺した?何で?」
「教祖ちゃんはね、私がこうして人型になってから初めて認識改変の魔法抜きの本来の姿…言い換えるとアンタが最初に見たあの姿を晒した相手なの。つまりは互いの内面を知り合い、認めあった友達に当たる関係だったかな」
「それなら尚更殺した理由がわかりにくいんだが何があった?」
「…見ていられなかったのよ、そいつが身だけでなく心も化物のそれに変わっていくのが。最初は人の形を保っていたけど徐々に醜悪な変貌を遂げ、それに比例するように私に対する『純粋な敬愛』も『歪んだ狂信』に豹変していった。尤も私と出会った時点であいつは狂人だったしそうなるのも容易に想像できた、でもね」
彼女はそこで一旦ため息をついた後にこう言った。
「それでも私にとっちゃ本当にいつぶりか分からないくらいの親しい関係を築けた存在だったの。そのよしみとしてせめて苦痛無く逝かせてやろうと思って首を飛ばした後に貪り喰ったわ」
「ふーん…は?貪り喰った、って…は?仮にも仲が良かった筈の奴を、か?」
「仲が良かったからこそよ。司教共は教祖ちゃんからの教えで生物研究の、特に遺伝子分野に精通していたから死体を残していた場合それを元に複製体を造られる可能性が大いにあったの。そして仮に複製体が造られていたとしたら教祖ちゃんは教団組織内でどういう立場になっていたと思う?」
どういう立場にって…教祖であり続けることに変わりは無いんじゃないのか?
「それはね、教団の信仰心向上・活動維持・研究材料といった用途に渡る『都合の良い道具』として扱われていただろうってこと。当然私からすれば親友がそんな風に扱われるなど堪ったものではないので教祖ちゃんの存在そのものを消す必要があった。そして教祖ちゃんに恨まれることもない殺し方で最適と判断したのが『捕食』だったってワケ」
「…恨まれることもない殺し方?惨たらしく食い尽くすのが?何でそう言い切れる?」
「教祖ちゃん自身が私の正体を知って以降『死ぬ時はこの心身を捧げて貴方様の一部となって微力ながら支えたい』と言ってたからよ。だから友としてその愚直な望みに応えてあげたの」
僕はそれを聞いて唖然とした。
狂人である以上、普通の人間には計り知れない様な価値観を持っていることは分かってはいた。
しかしその上でやはり理解できるものではない考え方だと思った。
自分の肉体と魂を一切惜しむことなく上位者に捧げるというのは宗教的な観点―――――特にイヴィル教から見ればそこまで逸脱してはいないのかもしれないが、一般的な観点―――――少なくとも僕からすればそんなのは『自分という存在の悉くが消えることを平気で是としている』異常思想に他ならないわけで。
故にどうしてそこまで軽々と、そして堂々と言えるのかが分からない。そんなに自分が惜しくないのか?
「…ま、アンタにとっちゃこうした考え・価値観は信徒にでもならない限りちんぷんかんぷんでしょうね」
こちらの考えを見透かしたかの様に彼女が言うが、仮に信徒になっても真の意味で理解することは永遠に無いだろうしそもそもしたくない。
ただそういう話だと一つの疑問が浮かぶ。
「そこまで教祖を大事に思ってたならどうして教団を潰さなかったんだ?さっきの発言から見るに教団が生まれた事にも凄く後悔してるんだろ?なら尚更…」
「そう思った頃には収拾が付かないほど教団の規模が大きくなってたからよ。そん時から幹部・末端に関わらず世界中に分布している有様だったからね。この星を破壊し尽くすとか強引な手段を取らずに教団に属している者たちのみを全員消すなんて都合の良い手段は私でも出来ないし。まあせめてもの打撃として教祖ちゃんの研究室と資料を消して、ついでに私の正体を知る当時の司教共は皆殺しにしてやったけど」
彼女はそう自慢げに言うが、皆殺しにしたところで現在に至るまでにまた新しい司教らが出ているだろうし、加えて研究方面も教祖が築いていた時よりはレベルが低いかもしれないが当時と比べてかなり進歩しているに違いない。
それらを考慮するとイヴィルさんが起こした打撃も結局はあまり意味を成していないと思うのだが、それは彼女も把握済みなんだろう。
「私のこの認識改変の魔法で顔を改変してないのもそれが理由。つまり私の顔を知ってる奴は最早この星に誰一人として存在しないの。で、これで一つ目の質問に対する返答は以上だけど何か他に重ねて聞きたい事はある?」
「いや、もう十分だよ。それじゃ二つ目の質問だけど――――」
体が少し強張り、心臓の鼓動も僅かながら自然と速くなった気がする。
無理もない、何しろこの質問に対しての答えによって元の世界に帰れるか否か――――即ち僕の今後の人生の決定に直結するからだ。
その事実に緊張と恐怖を覚えつつも言葉を紡ぐ。
「たかが…というには語弊があるけど貴方に取っての煽動騒ぎ程度で大陸一つ消せてしまうんだろ?じゃあ本気になったらどれほどの規模になるんだ?」
「んーどれほどだなんて言われても最後に本気出したのいつだったか覚えてないわ。加えて今の方が当時より全然強いし、正直言って私も把握できてないわよ」
ただ、と彼女が間を置いてこう言った。
「確実に言えるのは――――――少なくともこんな小さな星なんか跡形も無く消滅できるでしょうね」
「――――――ッ…」
正直予想はついていた。が、いざ言われると現実離れしたその回答に思わず気が沈む。
それはつまりこの人を倒すには星一つを丸ごと破壊しうるだけの力が最低条件となってくるわけで、しかも本人も限界をわかっていない以上それすらも遥かに凌ぐ可能性さえ考えられる。
よって元の世界に帰りたければそんな計り知れない次元の存在に打ち勝つ必要がある、と。
「いや…無理だろ?倒す倒せない以前にそんな天体を滅ぼせる様な奴に僕みたいな一人間が敵うとでも?幾ら何でも夢を見すぎだ。理想論、否、机上の空論も甚だしいぞ」
「だからこそよ。その机上の空論に過ぎない筈の夢が果たして現実と成りえるかに私は賭けたのよ。他ならぬアンタらの、否、アンタという人間の可能性にね」
「馬鹿な、そんな砂粒にも満たない小さな可能性なんかの為に僕を元居た世界から、家族から有無を言わさず引き離したってのか?」
「ええそうよ。アンタの光魔法の才能はあのトカゲには及ばずとも人間の中じゃズバ抜けてる方だし、仮にアンタが死んだとしてもこの世界だと『よくある小さな不幸』、向こうでも『ある一家に起きた悲劇の行方不明事件』と言った程度で済むしね。ついでに言うとそうなったら私も一切干渉しないわ。…何よ、何か物申したい事でも?」
僕の問いに彼女はさも当然の様に肯定する。これまで色んな人間を見てきたがここまでの自己中心的で性悪な奴はいなかった。ここに来てようやくこいつを理解できた気がする。なるほど確かに邪神であるのも納得だ。
「…お前、頭おかしいよ。狂ってる。」
「はは、どんどん私に対する口が悪くなってきてるわね。まぁアンタに限らず常人の感覚で言わせればそりゃおかしくても不思議じゃないでしょう。たださ、その頭がおかしい奴にこれからの生活で色々とお世話になんのは正に皮肉としか言い様が無いわよね」
「それは、そうだけど」
「それに加え私の性格をまだこうして理解する前とは言え『退屈な日々から解放してくれた』という形で私に感謝の意さえ示していた奴がそんな罵倒をしても説得力に欠けてると思うぞ~?」
こちらを指差してが奴がそう言う。確かに草原にいた時に元の世界の目新しさの無い毎日から脱してくれた事に感謝していた。
だが、そうは言っても無いに等しい可能性に委ねて全く関係ない赤の他人をわざわざ次元を跨いで強引に連れ去り、あまつさえ死んだら死んだで実質放置も同然の扱いをするなどと言われたら怒る以前に普通に怖気が走るだろ?悪態の一つ二つ吐いても仕方ないだろ!?
この世界の人類が誕生する前から存在しているらしい癖にそういう人の感情も分からないのか、或いは分かっている上でこんな振る舞いをしているのか…この邪神の奥底の心理が理解できない。
「…もういい。これ以上言い合っても時間を浪費するだけだろうし話を戻すぞ。次はこの町の付近にある地域についてだ」
ここミグスアレは元々はただの小さな村だったという事もあり四方を森林や鉱山、岩場などの自然で囲まれている。
その中でも最も危険なのが鉱山方面から半里ほど離れた所にある『屍積の墓沼』と言われる毒沼で、常に有害性の高い瘴気を放出しているだけでなく世にも恐ろしい化け物が跋扈しているという噂もある。
反対に一番危険性が低いのは町を出てすぐの森林地帯で『ダンジェの森』と呼ばれ、そこは特にこれと言った危険地帯や凶暴で強い生物――――この世界では通称“危獣”と呼ばれているそうだが、その様な類は確認されていないので比較的安全らしい。
「と言ってもあくまで“比較的”安全なだけで当然ながら捕食生物は居るには居るし、毒性のある植物も一部の範囲で自生しているらしいから油断は禁物だけどな」
「でもこれからそこでしばらくの間修行するわけでしょ?ならせめて生息してる動植物に関しても調べておけばよりいいんじゃ……待てよそういやさっきアンタ図書館で本選んでたけどもう既に調査済みだったり?」
「うん。とは言えまだうろ覚えだから後で何回か読み直すけど」
町で情報集めをする際にどこが良いかで最初に思い浮かんだのが図書館だった。
そこでイヴィルに聞いて案内してもらったところ普通にでかでかと建っていたので中に入り、重要そうな文献や何の地域に何の動植物が、何が大丈夫で何が危険で、危険なものは何がどう危険なのかを一通り調べた。
ただ記憶力に自信があるわけではないので、後でゆっくりと頭に叩き込もうと思ったのでその時もイヴィルに支払ってもらって本を購入した。
…まあ幾ら知識として覚えていても植物ならいざ知らず生物相手だと咄嗟に記憶から引き出せなければ意味がないし、だからこそそうした実戦の駆け引きの経験を積む為にこれから修行をするわけだが。
「ああそれと、草原にいた時も言ったが普通に依頼を受けながらで修行に取り組むよ。あの時はお前に…あんたに見下されたくない意地と勢いで色々と言ったけど、冷静に考えたらまずは目の前の問題をどうにかしないことには何も出来ないし始まらないしな」
「お?少しは頭が回るようになったじゃないの。そうよ普通はそういう『生活する上で必要な物を手に入れる為に稼ぐ』手段に出るのが常識なのよ。まぁ敢えてそうせず自然の中での自給自足生活を行った結果、耐え切れずに情けない悲鳴を上げるアンタの姿も見たかったと言えば見たかったけど」
「本当に性格悪いな。…とにかく今から依頼を受ける為に酒場に行くよ。どうせ受ける為の手続きで冒険者登録とかしないといけないんだろう?」
「ん、そうね。でもその前に一つ聞いてもいいかしら」
「何だ?」
「さっきからコロコロと私に対する二人称を変えてるけどそれ定まらないの?正直気になるんだけど…」
「ああ、それについてはイヴィルが僕に対して言い様に『あんた』に固定するよ」
「ほう、というと?」
「本音を言えば軽蔑の意味を込めて『お前』と呼びたいところだけど、さっきあんたが言っていたように仮にもこれから嫌でもお世話になる相手に対してそんな見下した呼び方はしたくないと思ったからだよ」
幾ら自己中心的な邪神相手とは言え本の件といい宿代の件といい、これからでなくとも既に借が出来てしまっている以上はそうした恩知らずな呼び方はしたくないからな。
「よってささやかな礼儀を込めて今からは『あんた』と呼ばせていただくよ。本や宿代の借もあるしね」
「ふーん、呼び方一つにも意外としっかりした理由をつけるのね。そういう借りた恩を忘れないトコは普通に好感が持てるわ」
「ふん、忘れようものならそれこそあんたと変わらない愚図になるからな。それだけは御免だ」
「はは、無駄に意識が高いねえ。…ところでここ出る前にもう一つ質問していい?」
「なんだ?」
「―――――どうしたらまたさっきみたいに私に対して敬称を使ってくれるのかなぁ?あれはあれで年上を敬っている感じがあって良いんだけどな~♡」
「―――――そうだな。まずは命を大切さを学んで利他的な考えを持て。倫理観もちゃんと人並みに合わせろ。そしたら敬称で呼んでやるよ」
「言うと思った。でもそんなこと言われても嫌よ。利他的だの倫理観だの邪神には基本的に必要ないし」
「だろうな」
互いに分りきった返答をしつつ僕らはその場を後にした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
再び町中に出た二人はすぐに酒場へと向かった。
案の定、依頼を受けるには無条件で良いというわけではなく事前に契約書に了承のサインをし名簿に登録することで冒険者になる必要があったので早々に手続きを済ませた。因みにイヴィルに関しては“元冒険者・現タクトの師”という設定で話を通したのだが、彼女曰く実際にイールという名で冒険者をやっていた時期があったらしく最終的に結構いいトコまで上り詰めていたとの事。
ただいちいち受付に事後報告するのが地味ながら面倒だったみたいですぐに辞めてしまった様だが。
「手続きは以上です。これで貴方も栄えある冒険者の一員でございます。それにあたってこちらの紙とバッジをお渡しいたしますね」
「ん?何ですかこれ…『冒険者の階級一覧』?」
「ええ、冒険者には階級制度が設けられており、低い順から『出立・駆登・不怠・上達・卓人・玄仙・峰辿』までの七つに分けられています。なので必然的にたった今入られたばかりの貴方の階級は出立ということになりますね。そちらのバッジは冒険者の階級を証明する為の必需品です。再発行はいつでも可能ですが料金は頂戴いたしますので失くされないようお願いしますね」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
そして受注の仕方も『階級毎に分けられてあるボードから自身の階級にあったものを選んで受付に持っていき、了承の印を押してもらう』というこれまた典型的な形だったのでダンジェの森指定の依頼を探すべくしばらく二人でボードと睨みあっていると――――――
「あ、これなんて良いんじゃない?ほら、内容は木の実採集と地味だけどアンタの希望通りダンジェの森が目的地に書かれてるでしょ?」
「確かに。よしそれじゃ食料調達も兼ねてそれにし―――」
「――――あの、そこの二人少しいいか?」
突然横から声を掛けられたので二人が振りかえると、そこに立っていたのは長い一本結びの黒髪と澄んだ蒼い瞳が目立つ女性だった。
腰に剣を据え、反り立った襟のついた黒いマントを胸の辺りまで覆っており、スマートな鉄鎧を身につけているが二の腕や胸部、腰と膝から下といった一部に限定されている。鎧の下は全身黒インナーで長めのショートパンツを履いていて、全体的に頭部以外の露出が無い格好だ。
だがそんな女性の全体像よりもタクトが一番注目したのは左胸に付けられている『玄仙』と刻まれた金色のバッジであった。
玄仙と言えば冒険者の中で最高位である峰辿の一つ手前の階級である。
そんな高位の大物がついさっき入ったばかりの出立である自分に突然話しかけてきたことにタクトは驚きと警戒の念を抱いたが、取り敢えず意図を確認するべく問い掛けに応じる。
「えっと…失礼ですが貴方は?」
「私はリンカ、バッジを見ればわかると思うが貴方達と同じ冒険者だ。いきなり話しかけて悪いが貴方達はその依頼を受けるつもりなのか?」
「あ、はいそうですけど…それが何か?」
「ああそれなんだが、私もその依頼に同行させてもらってもよろしいだろうか?」
こちらに何用で訊ねてきたかと思えばまさかの同行願い。
タクトとしてはイヴィルの助言を借りつつ、他の冒険者と組むことになった際に最低限足手まといにならない程度の実力になるまで依頼をこなし続ける予定だった。
「なるほど同行、ですか…どうしようか…」
故にこの申し出には嬉しく思う反面、足を引っ張ることにならないかに一抹の不安を抱いたが、そこにイヴィルが意見した。
「まあ良いんじゃない?一人で行って無様に失敗する可能性を孕むよりはずっとマシだし、他にも危険生物と遭遇した時に『先輩』の対処法を直に見れるから受け入れて損どころか得しか無いと思うわよ」
実際イヴィルの言う通り、ここで断って一人で行くと拭いきれない不安要素が多々ある。
何せタクト自身、そういう人の手が届いていない完全な自然環境の中で採集や狩りと言った経験をした事が無い。
いや、正確に言うと採集だけなら中学の時に授業の一環で一度だけやったがその経験が今も活かせるかと問われれば答えは否だ。言うまでもないが狩りに至っては皆無である。
そもそも野生というのは『何時何が起きるか分からない生きるか死ぬかの戦場』と言っても過言ではなく、単独どころか団体行動でも油断してはならない。
加えてここは異世界。元居た世界の常識が通用しない、あらゆる要素が予測不能の不確定な未知の世界。
そんな中で体が鍛えられてもいなければ知識も経験も無いド素人が、急造の浅い知識と手伝う気の無い相棒からの適当な助言、才能があると言っても今は弱小レベルしか扱えない魔法の三つのみで依頼を受けた場合どうなるか。
当然、失敗する確率が100%と断言してもいいほどに跳ね上がる。
しかしそこに同業者の先輩が一人加われば?少なくともタクトよりずっと異世界における野生について把握しているだろうし、捕食生物に遭遇しても指示や動きに合わせて冷静に対処すれば基本的には危機的状況からも脱せられる。
それはつまり依頼を成功させられる確率が大きくあがることに繋がるわけで、従って同行願いを受け入れる事がタクトらが依頼を問題なくクリアする上で必要不可欠な選択であった。
「いや…確かにそう言われるとそうなんだけど。それでも下手に足を引っ張らないか不安で…」
「ああ、それなら心配する必要はないぞ。バッジを見るに君は出立のようだし、まだ右も左もわからない感じだろう?なら危険が迫った時は遠慮なく私を頼るといい。そちらの方が言うように先輩の動きや教えを取り入れるのは必要な事だからな。それが冒険者みたいな命の危険が伴う職業なら尚更だ」
「だってよタクト。この人もこう言ってるわけだしそんな気にしなくていいでしょ」
イヴィルに話しかけている傍から尤もらしい意見をぶつけられてタクトは動揺する。
てっきり“足を引っ張るかもしれないなら同行は無しだ”という感じで向こうから断ってくるだろうと思っていただけに、こんなにも堂々且つ冷静に自分を頼れと言ってきたことに先輩としての風格を薄々ながら感じ取ったからだ。
「分かりました。そこまで言って下さるなら喜んで同行願いを受け入れますが…どうしてこんな採集依頼なんかに協力を?」
「それはその依頼の目的である木の実…マーニスというんだが、それから作った果汁飲料が私の好物だからだ。特にダンジェの森に群生しているものは見た目も味もかなり良質だからな。その依頼を探していたら貴方達が手に取っているのを見かけた、というわけだ」
理由を聞く限り凛華は単に自分の好きな果汁飲料、つまりジュースの材料調達を目的としていただけの様だ。
まあ依頼が依頼だからそれも当然かとタクトが思っているとリンカが思い出したようにある事を聞く。
「ところで聞きそびれていたが君の名前は?」
「純義拓翔です。呼び方は貴方の自由で構いません」
「そうか。…そうだな、ではイール殿に合わせて私もタクトと呼ばせていただこう」
苗字ではなく普通に下の名前で呼ばれた事にタクトは意外だと思う一方で呼ばれ慣れてる分、反応しやすいので結果オーライと静かに安堵した。
そしてリンカを連れて受付の方に行ったが、リンカの姿を確認した受付の女性が驚く。
「あら?何方かと思えばリンカ様ではないですか。玄仙の貴方がこの様な最下級の依頼に出向かれるなんて、しかも出立の方と?ふふっ新人教育でもなさるおつもりで?」
「いや、それはついでで本命は好物の材料調達だ」
「ああ…そう言えば偶にマーニス集めに行かれますよね。ということはリンカ様も含めた3名で受注でよろしいのでしょうか?タクト様、イール様」
「はい、よろしくお願いします」「よろしくねー」
「了解です。依頼の受注、承りました。入口を出て左側に馬車を手配しますので暫くお待ち下さい。それではいってらっしゃいませ!」
そうして受付の人が見送る中、タクトらが外に出てほんの少し待っていると一台の馬車が来た。
これは現地に行く時の移動手段として手配されているのだが、冒険者達を乗せて危険を孕む現場に赴くことを考慮してか車体が鉄製で出来ていた。
御者が三人が乗り込んだの確認した後、馬を走らせた。
「それじゃ後輩としてよろしくお願いします。リンカさん」
「こちらこそ。さっきも言ったが危なくなった時は私を頼れ。先輩として君を依頼達成に導いてみせよう」
「ふふふふ、私としても玄仙の格にいるアンタの実力が気になるから楽しみだわぁ~!てなわけでよろしく、リンカ!」
先輩に迷惑を掛けずにクリアしたい、後輩を危険に晒すことなく達成する、格に相応しい強さを持ってるか見てみたい。
そんな三者それぞれの思いを乗せながら、馬車はダンジェの森へと向かった。