9 密猟者との戦い
颯爽と現れ、密猟者に向かって馬を走らせるルナールに向かって、クオートは大声を発する。
「保護官長、気をつけてください! 敵は他にも二人います!」
「了解した!」
ルナールの剣が青白い光を放ち、馬は全速力で氷の煙を突き抜けていく。
密猟者の一人が、火属性魔法の標的をドラゴンからルナールに変更するが。ルナールは向かってくる火の玉に、左手に宿した水属性の魔法を正確にぶつけた。
水が蒸発する激しい音と共に魔法は相殺され、周囲を巨大な蒸気の雲が覆い、それは白い雲となって視界をさえぎる。
……ルナールがそれを抜けた時。敵との距離はすでに指呼の間だった。
馬上でルナールの腕が太陽の光を宿したように閃くと、爆発が起きて男が倒れる。雷属性魔法の攻撃だ。
――しかし、その早技に見蕩れていたのも束の間。残った一人がスピードを緩めたルナールを狙って、背後から襲いかかろうとしている。
「保護官長! 後ろ!」
クオートの声とほとんど同時に、ルナールは馬上から跳ぶと空中で綺麗に一回転して着地し、男に向かって剣を構える。
「小娘が、調子に乗りやがって……」
ドスの効いた、重くて低い声。
ルナールと向かい合った男の構えには隙がなく、クオートが見てもかなりの手練だとわかる。
先程までの様子を見ても、多分この男が密猟者達のリーダーだ。
剣を構えながらチラリとドラゴンに目をやったルナールが、静かだが、今までで一番凄みのある声を発する。
「こんな事をして、貴様の命一つで償えると思うなよ……」
ルナールの眼光のあまりの鋭さに、一瞬男がたじろいだように見えた。
クオートなら多分そのまま卒倒していただろうが、さすがに歴戦の猛者らしい男は、剣を構え直すと大声で叫ぶ。
「ほざけ! 真っ二つにしてやる!」
男は地面を蹴ると、渾身の力を込めて剣を振りおろす。体格差は歴然で、体重は倍ほども違うだろう。
金属がぶつかる激しい音がし、火花が散る。ルナールは男の剣を正面からは受けず。左へ受け流しつつ、自らは右に跳んだ。
男の剣は対象を取る事ができずに地面に激突して土煙を上げ、その隙に側方に回り込んだルナールの剣が男を狙う。
――完全に捉えたと思った攻撃。しかし響いたのは悲鳴ではなく、鋭い金属音だった。
ルナールの剣が、男の手首によって弾かれてしまう。袖の破れ目から、頑丈そうな鉄の枷がのぞいていた。
男が反撃のために振るった剣をバックステップでかわし、ルナールは一旦距離をとる。
「へへ、昔の名残って奴だ。鎖は外れたが、今じゃ立派な盾代わりよ」
破れた袖を引きちぎり、男が自慢気に枷を見せる。どうやら元は囚人であるらしく、腕には禍禍しい刺青までしてあった。
しかしルナールは眉一つ動かす事なく、相手を睨んだまま左手に火属性魔法の炎を宿らせる……と、男がポケットから小瓶を取り出し、中の液体を自分の体にふりかけた。
「──な!」
枷や刺青を見ても動じなかったルナールが、初めて動揺を見せて声を上げる。
「お、コイツがなにか知ってるようだな。なんでもドラゴンの血から作られた魔法薬で、コイツを浴びると数時間はどんな魔法も効かなくなるんだそうだ。お得意の魔法が使えなくなって残念だったな」
嘲笑うように言う男の声に、ルナールがまとう気配がみるみる怒りの色に染まっていく。
次の瞬間、クオートの視界からルナールの姿が消えた……。
――岩に巨大なハンマーを振り下ろしたようなすさまじい音が響き、ルナールの剣が男の手枷を打ち据える。あまりに強い衝撃に剣は折れ砕け、手枷も真っ二つに割れて地面に転がった。
ルナールの動きは、遠くから眺めているクオートにさえ見えなかったのだから、間近で体験した男はさぞ驚いた事だろう。
ルナールは男の腕を打ってできた隙に潜り込み、刃が砕けた剣の柄で、みぞおちに強烈な一撃をお見舞いする。
「ぐおえっ!」
くぐもった呻き声を残し、男の体は地面に崩れ落ちてピクリとも動かなくなった。
――あまりの早技に、クオートが瞬きするのも忘れて見蕩れていると。ルナールは手元に残った剣の柄を捨て、踵を返して倒れているドラゴンの元へと駆け寄っていく。
「ちょ、保護官長待ってください!」
さきほど密漁者の一人が吹き飛ばされるのを見ているクオートは、慌てて制止しようと駆け寄るが、それよりも早く。ルナールの手はドラゴンの体に触れていた。
「保護官長! 危ないですよ!」
必死に叫ぶが、クオートの声などまるで聞こえていないかのように。ルナールは地面に横たわるドラゴンに身を寄せ、胸にぴたりと耳を当てる。
追いついたクオートが手を引いて連れ戻そうとするが、ルナールは乱暴にそれを払い、ドラゴンの側を離れようとしなかった。
「……アシネル草の実か」
ドラゴンの体から耳を離したルナールが、眉を寄せてつぶやくように言う。
「なんですかそれ?」
「使われている毒の名だ。南部の湿地帯に生えている植物で、その実は強い毒性を持つ。摂取後短時間で肺に水が溜まり、呼吸ができなくなって溺れたように死んでしまうのだ」
恐ろしい説明に、クオートは背筋がゾクリとするのを感じる。
「これはドラゴン狩りによく用いられる毒の一つだ。呼吸器を侵すので吹雪を吐けなくなるし、肉や血への残留性もない。鳴き声も出せなくなるので、密猟にも適している」
ルナールは辛そうにドラゴンを見ながら言う。ドラゴンはもうほとんど動く力もないようで、呼吸はごく浅く。目も閉じてしまっている。
「解毒法とかないんですか?」
クオートはさっきまでの怯えも忘れて訊ねるが、ルナールは唇を噛んで顔を伏せた。
「……そんなものがあれば、とっくにやっている。対処法としては胸部を強く圧迫してむりやり水を吐かせ、肺に空気が入る隙間をつくってやる事くらいだ」
「そんな、胸を圧迫って……」
間近から見上げるドラゴンの体は、小山のように大きい。胸部を圧迫など、とてもできそうには思えなかった。
しばらく重苦しい沈黙が続いたあと。ルナールはなにかを決心したように顔を上げ、ドラゴンの巨体を仰ぎ見る。
「クオート三士、離れていろ……」
そう言ったルナールの顔には、悲壮とも言える決意の表情が浮かんでいた……。