6 ドラゴンとの邂逅(かいこう)
日付が変わって翌日の1時55分。クオートは眠い目をこすりながら馬を引き、研究所の前にいた。
「ほう、今日はちゃんと五分前に集合できたか」
感心したように言うルナールの声は相変わらず冷たいが、いつもがマイナス20度くらいだとすると、今日はマイナス10度くらいに温んでいる気がした。
「クオートさん。これ頼まれていたロープです」
「おお! ありがとう、エメリー」
エメリーから細いロープを受け取ったクオートが、嬉しそうに顔をほころばせる。
昨日、生命の危機に直面しつつクオートは考えた。普段使わない頭をフル回転させて考えた。そして、ついに与えられた条件下で生き残る方法を考え出したのである。
クオートは一足早く馬に乗ると、自分の両膝を鐙に繋がるベルトに縛りつける。馬の鞍は軍用の物で、胴回りに加えて首の付根から前足の間も通してある三点固定式なので、こうしておけばとりあえず落馬の心配はない。
つまり、移動中に寝てしまっても問題ないという事だ。
「そんな事をすると、馬が転倒した時下敷きになるぞ」
「平気ですよ、保護官長の馬は大人しくて賢いですから。さあ、出発しましょう」
……ルナールはなにか言いたそうだったが、ちょうど時間が2時になったので、溜息をついて馬に乗る。
昨日同様エメリーの見送りを受け、クオート達は夜の山へと出発するのだった……。
(うん、これはいいぞ……)
山中を行く馬の上で、クオートはすこぶるごきげんだった。
思ったよりも安定感があるし、座ったまま寝るのは士官学校の学生時代によくやっていたので、お手のものだ。この際寝心地がどうのと贅沢を言う気はない。
どうせ暗くて周りはほとんど見えないのだし。ルナールは無口なので話相手になる必要もない。二頭の馬は繋がれているので、乗ってさえいれば勝手に目的地まで連れていってくれるのだ。
護衛の任務を完全に放棄している点さえ気にしなければ、まさに万全の体制だった。
「保護官長。俺の事は荷物だと思って、気にしないでいいですから」
「ああ、お前の事は昨日からお荷物だと思っていた所だ」
「あはは、保護官長上手いですね。じゃあ、おやすみなさい」
ルナールの皮肉にも全く動じる事なく。ゴキゲンなクオートはめでたく夢の世界へと復帰を果たす。
「……主人が役立たずな分、お前がしっかり道を覚えておけよ」
ルナールはそう言ってクオートの馬を撫でてやり、夜の闇の中、注意深く馬を進めるのだった……。
「おい、クオート三士。起きろ」
目的地に到着したルナールが、馬のたてがみに顔を埋めて幸せそうに眠っているクオートを、剣の柄でつつく。
「おい、起きろ!」
二度呼びかけるが、クオートは完全に熟睡していてなんの反応もない。
「…………」
長いか短いかで言えば、ルナールは明らかに気が短い方に分類されるだろう。ルナールは黙って、右手をスッとクオートの首筋にかざした。
『──バチッ!』
「うごう!?」
一瞬大きな音と光が発生し、妙な悲鳴を上げてクオートが跳ね起きる。
「おはよう。目的地に着いたぞ、さっさと馬から降りろ」
「あ、あれ? 保護官長……?」
首筋に雷属性魔法の一撃を受けたクオートは、目を白黒させて辺りを見回す。状況を理解するまで、数秒の時間を必要とした。
「あの、できればもう少し優しく起こして頂けるとありがたいのですが……」
「お前が起きないのが悪い。最初は優しく起こしてやったのだぞ」
剣の柄でつつくのが優しいかどうかはともかく、目覚めの悪さはクオート自身も自覚しているので、それ以上の抗議をやめて膝のロープを解きにかかる。
(多分エメリーにも迷惑かけてるんだろうなぁ)と、そんな事を考えながら……。
……昨日と同じような調査が始まって一時間ほど。
言われるがままに巻尺の端を持ったり、動物の痕跡を探したりと機械的に作業をこなしていたクオートは、ふっと辺りが暗くなったような気がして天を仰いだ。
『──バサッ』
大きな羽音と共に、巨大な影が上空を通過していく。
「クオート三士、来い!」
「ぐえっ」
耳元でルナールの鋭い声が響いたかと思うと、服の襟首を掴んで強く引っ張られる。
――なにが起きたのかと戸惑う間に、ルナールは馬を近くの森へと隠し。自身はクオートと共に岩陰に潜んで、そっと湖をのぞく。
……湖の上空では、天を圧するような巨体がゆっくりと旋回しながら、徐々に高度を下げてきていた。
がっしりとした体に太くて長い尾、体のわりには小さな手に、背中には巨大な翼がはえている。
羽ばたくたびに強風が木々をたわませ、飛ばされた小石や小枝がクオートにもピシッと当たってかなり痛い。
「クオート三士、お前は運がいい。二日目でドラゴンを見られるとはな」
そんな状況で。長い髪を風になびかせながら、ルナールは食い入るように空を見上げていた。その顔には、エメリーに見せる優しい笑顔とは別の種類の笑顔が浮かんでいる。
興奮と歓喜が入り混じり、口角が少し上がって目が輝いている。純真な子供を思わせる笑顔だった。
(保護官長ってこんな表情もするんだな……)などとクオートが意外に思っていると、突然『ズシン』と重い音がして地面が激しく揺れ、ドラゴンの巨体がクオート達の間近に舞い降りてきた。
太陽の光を眩しく反射する銀白色の鱗。全ての生物を威圧し、怯えさせるような鋭い目。あらゆるものを噛み砕くであろう巨大な牙。見る者を畏怖させずにおかないその姿は、まさしくかって地上最強を謳われたドラゴンの一種。スノードラゴンであった。
「──で、でかいですね。保護官長……」
初めて間近にドラゴンを見たクオートの声は、恐怖に震えている。
「あれはメスの成体で、最大全長に近い。おそらく50エーメルはあるだろう。こんなに近くで見られるなど、めったにない事だぞ」
一方ルナールの声は、興奮に震えていた。
「ご、ごじゅう!? そんなにですか?」
クオートの身長が1.75エーメルほどだから、50といえば実に30倍近くにもなる。
巨大なドラゴンは悠然と湖の水を飲むと、ぐるりと辺りを見回した。
「ひいっ!」
クオートが情けない悲鳴を上げて縮こまる。
だが、生物種としてはクオートの反応こそが正しく、ルナールの方がおかしいのだ。
いくら人間がドラゴンを狩れるようになったとはいえ、それは毒や罠を使っての話であり、まともに戦ったら歯牙にもかけられない存在なのである。
「ほ、保護官長。あいつ人間を食べたりしませんよね?」
「もちろん食べるさ。スノードラゴンは雑食で、主食はこの辺り一帯に生えているギルワ杉の葉だが、目につけば動物も食べる。氷の息を吐き、獲物が凍りついて動けなくなったところを一呑みだ。あの大きさなら、熊でも捕食するだろうな」
ルナールはいつになく饒舌に言葉を紡ぐ。
「なんでそんな嬉しそうなんですか!? ダメじゃないですか、早く逃げましょうよ!」
「馬鹿かお前は、こんな間近でドラゴンを観察できる機会など、年に数回あるかないかだ。我々はドラゴンの保護と研究の為にここにいるのだぞ」
「保護って、どう見てもこっちが狩られる側じゃないですか!」
「心配するな。私は命の危険を感じた事など一度もない」
「それは保護官長が感じてないだけで、今すでに十分命の危機ですよ!」
視線をずっとドラゴンに固定したまま動かないルナールに、必死になって訴えるが全く取り合ってもらえない。
ドラゴンは幸いクオート達には気付かず、大きく口を開けて近くの大木に齧りついた。
(ひっ……)
木の幹がへし折れる凄まじい音と共に、一噛みで二抱えもある大木の上半分がなくなってしまう。
わずか百エーメルほどしか離れていない場所で繰り広げられる、この世の物とも思えない光景を、クオートはただ呆然と眺めていた。
……そのまま二十本ほどの木を齧ると、ドラゴンは満足したのか再び翼を羽ばたかせる。
さっきよりも強い風がクオート達を襲い、雪が舞い上がって視界が効かなくなった。
「うわあああっ…………ぐべっ!」
あまりの強風にクオートの体が浮き上がり、後ろの木まで飛ばされてしまう。
嵐のような強風はドラゴンの羽ばたきに合わせて何度も吹き、ようやく雪煙が収まった所で空を見上げると、ドラゴンはすでに小さな点となって、彼方に見える一際高い山へと飛び去っていた。
……なんとかドラゴンのオヤツにならずにすんだ事に安堵して、クオートは木にぶつかった姿勢のままぐったりしている。
一方のルナールは。飛んできた小枝で顔に傷がつき、血が流れているのを気にする様子もなく。瞳を爛々(らんらん)と輝かせながら、ドラゴンが飛び去っていった方向をいつまでも見つめ続けているのだった……。
クオートはドラゴンと初対面を果たした後、興奮冷めやらぬルナールから小一時間ドラゴンの生態についての話を聞かされ、更に消耗した所でようやく調査が再開された。
ルナールはなにやら厚い紙の束に、ドラゴンが齧った木の様子や位置を詳しく書き込んでいる。注意して辺りを見ると、あちこちにの木に齧られたような痕跡があった。
(ちょ、ここって危険地帯なんじゃ……)
保護官長附きであるクオートの仕事は、書類上ルナールの護衛と補助という事になっている。だが、あんな化物相手に護衛もなにもないものだ。クオートが百人束になってかかっても、鱗一枚剥がせないだろう。
……ルナールの性格に加えて、過酷な勤務時間。おまけに調査まで命がけとあっては、前任者達が辞めてしまったのも当然だ。
「ほ、保護官長……。次のドラゴンが現われる前に帰った方がいいんじゃないですか?」
今回ばかりは怠けたいからではなく、本当に心からそう口にする。しかし、ルナールは振り向きもせずに言い放った。
「一日に二度もドラゴンに出会えるような幸運がそうあるものか。10日通って一度姿を見る事ができたら良い方だと覚えておけ」
「え、そんなに少ないんですか?」
「ここはこの時期におけるスノードラゴンの主要な餌場だが、なにせ相手は数が少ない希少種だからな。私が確認した範囲で18個体、食事の痕跡から推定しても、おそらく最大で20個体ほどしかいないだろう」
「……保護官長はドラゴンを見分けられるんですか?」
「当然だ。先程のは識別名を『アルティア』と言って、私が知る限り一番大型の個体だ。おそらく、この世界でもっとも長く生きている生物でもあるだろう」
(ドラゴンに名前つけてるんだ……)
クオートにとっては恐怖でしかなかったドラゴンとの対面だが、ルナールにとっては感激するほど嬉しい事だったらしい。今まで見た事がないほど機嫌が良く、口数も多い。
「長く生きてるって、何歳くらいなんですか?」
「鱗を調べてみないと正確な事はわからんが、おそらく1200歳ほどだろう」
「せんにひゃく!? そんなに生きるんですか?」
「悠久の時を生きる生物だと言われているくらいだからな。我々人間には想像もつかないような長い時間を過ごしてきた事だろうさ……」
いつもの愛想の悪さが嘘のように、ルナールは饒舌にドラゴンについて語り続ける。
意外なルナールの一面を見て、クオートの中で無愛想で堅物だというイメージが、少しだけ変わっていくのだった……。




