39 血戦
弓を構え。目に激しい怒りの感情を宿らせたキュビエ公爵が、低い声で言葉を発する。
「まさか私に対抗する為にドラゴンまで連れてくるとはな……そこの老人の差し金か?」
そう言って公爵はクライゼン老人を睨み、弓に二本目の矢を番える。
その体からは、例の魔法薬を使っている気配が漂っていた。
「……エメリー……エルクの事を頼む。クオート三士、エメリーと先生の亡骸を守ってやってくれ」
ルナールの言葉にぎょっとして視線を移すと、胸を貫かれたクライゼン老人はがくりと首を垂れ、手足からも完全に力が抜けてしまっている様子だった。
「保護官長……」
呆然としてつぶやくクオートの言葉に、ルナールは目を閉じてわずかに首を振ると、クライゼン老人の亡骸をそっと地面に横たえ。一転して、身震いするほどの殺気を纏って立ち上がる。
ルナールが地面を蹴るのと公爵が矢を放つのは、ほとんど同時だった。
──金属同士がぶつかるような、鋭い音が響く。
ルナールが使った土属性魔法の防壁は、矢が刺さる事すら許さず。表面で弾いてしまった。
こんな強度の土属性魔法は、相当高レベルのものだ。
だがルナールはいともたやすくそれを使い、同時に公爵との間合いを詰める。
一方の公爵は矢を放つと同時に弓を捨て、これまた壁に飾ってあった剣に持ち替えた。
それに対し、武器を持たないルナールは火属性魔法を放つが、魔法薬の防護を受けている公爵に対しては、服を焦がす程度のダメージも与えられない。
だが、肉薄する為の目眩ましとしてはそれで十分だった。
火炎が吹き抜けた時には、すでに互いの鼻先が触れ合うような距離にまで迫っていたルナールが、渾身の力を込めた拳を繰り出す。
折れた肋骨や鎖骨の痛みも忘れ。左肩の傷が開いて血が吹き出すのも構わずに、魂を燃やすような叫び声と共に、全体重を乗せた一撃を公爵の顔面に叩き込んだ。
弾き飛ばされた公爵の体は数エーメルも宙を舞い、地面に打ちつけられた後二回転して、ようやく止まる。
通常なら首の骨が折れていたであろう威力だ。
――しかし、息を呑んで見守るクオートの視線の先で、公爵は何事もなかったかのように体を起こす。
ルナール渾身の一撃でさえ、魔法薬の効果を上回る事はできなかったのだ。
ルナールは横に飛んで落ちている剣を拾い、公爵に向けて構える。それは、雷属性魔法の直撃を受けた時に手放してしまった、ルナールの愛剣だった。
それまでの激闘を物語るように全体が刃こぼれでボロボロだが、ルナールはその剣をかざして公爵に突っ込んでいく。
その咆哮は、クオートの脳裏に山で聞いたドラゴンの雄叫びを思い起こさせた。
風を切る鋭い音がし、互いの剣がぶつかって火花が散る。
続けざまに数度。わずかの間を置いてまた数度。クオートでは追いきれないようなスピードで、攻防が繰り広げられる。
……公爵とルナールの戦いは、スピードでは完全にルナールが上回っていた。
しかしいくら攻撃を当てても、魔法薬によって硬質化された公爵の体には、傷一つつけられない。
逆に魔法薬の効果でパワーは公爵が勝り。ルナールは左手が使えず右手一本で戦っている事もあって、攻撃をまともに受け止める事ができないでいる。
それでも避けるか受け流すかでなんとか戦っているが、明らかに苦戦を強いられていた。
「うおおぉぉぉぉ!」
渾身の力を込めたルナールの剣が、公爵の首を正確に捉える。だが無情にも、結果は剣の方が根元から砕け散ってしまっただけだった。
その隙を突いて公爵が薙ぎ払うように剣を振り、ルナールは後ろに跳んでギリギリでそれをかわす。
――いや、鳩尾の下辺りで服が真一文字に切れ、白い肌に走った赤い線から、血が滴り落ちていた。
……もしあとわずかに深かったら。ルナールが跳ぶのが0.1秒遅かったら。傷は致命傷となって、ルナールは内臓を太陽の下に晒す結果になっていただろう。
この戦いはもう親子喧嘩などというレベルではなく、本気の殺し合いなのだ。
クオートが息を詰まらせ、冷汗を伝わせながら見ている間にも、ルナールは臆する事なく攻撃を続けていた。
雷属性魔法を放ち。激しい音と光で姿を眩まし、背後に回り込んで足を高く上げた廻し蹴りを放つ。
ブーツの踵が公爵の後頭部を正確に捉え、ねじ切るように地面に薙ぎ倒すが。急所を正確に狙った攻撃にも関わらず、公爵はまたも何事もなかったように立ち上がった。
……目の前で繰り広げられる戦いに圧倒されながら。しかし、クオートはどこか違和感を覚えていた。
いくら怒りに燃えているとはいえ。いくら積年の恨みが募る仇敵を目の前にしているからといって、通じない攻撃を何度も繰り返すなど、ルナールらしくないのである。
かと言って、エルクのように我を忘れている風でもない。
今のルナールを突き動かしているのは強い怒りに違いないだろうが、決してそれに支配されている訳ではなく。生死の境界線上で恐ろしいほど冷静に、なにかの意図を持って攻防を繰り返しているように見えた。
……それはつまり、公爵を守っている魔法薬の効果を減ずるには、時間の経過以外に打撃を与えるのも有効だという事なのだろうか?
しかし、ルナールの左肩からの出血はますます酷くなって服を赤く染め、指先から滴り落ちる血は、ルナールが動くたびに飛沫となって舞い散っている。
とてもではないが、魔法薬の効果が切れるまでの持久戦を戦えるようには思えなかった。
――だが、一旦退いて出直す選択肢も採り得ない。時間を置いて体勢を立て直すとなれば、向こうが圧倒的に有利なのだ。
エルクのおかげで一対一の勝負ができている現状は、実はこの上ない好機と言っていい。
その事をよくわかっているルナールは、ある意味エルクが与えてくれたチャンスを生かそうと。エルクの母アルティアの仇をとろうと、魂を燃やし。命を削って戦っているのだ。
……クオートは自分になにかできる事がないかと必死に考えるが、無情にも答えは否であった。
剣や格闘術のレベルは話にならないし、今下手に横から魔法を撃ち込むのは、逆にルナールの集中力を乱してしまうだけだろう。
そもそも、魔法薬の効果で攻撃が通じないのが致命的だ。ドラゴンの鱗に匹敵する防御力を破る方法など、見当もつかない。
エルクが健在なら可能なのかもしれないが、エメリーの胸に抱かれたエルクは、毒のせいでぐったりと意識を失ったままだった。
(……ん? エルクなら?)
クオートの頭に、ふと一つの考えが浮かぶ。
ドラゴンの牙には、ドラゴンの鱗を貫くだけの鋭さと強さがある。
……つまり、ドラゴンの牙で作られた剣があれば、今の公爵の体も貫けるのではないだろうか?
ドラゴンの牙で作られた剣といえば国宝級の代物で、とても容易に手に入るような品ではない。
だが、ここは王国随一の権勢を誇るピアストル家の屋敷なのだ。
その主の部屋に飾られていた剣、それは国宝級の代物である可能性が十分にあるのではないだろうか?
「――保護官長! 公爵の持っている剣を奪って戦ってみてください! ひょっとしたら攻撃が通るかもしれません!」
クオートの声に、しかしルナールはそれが聞こえていないかのごとく、戦い方を変えようとはしなかった。
もう一度叫ぼうとして、クオートはハッとある事に思い当たる。
――そうだ、自分が気付くような事に、ルナールが気付いていないはずがないではないか。
ルナールはその可能性を承知の上で、あえてそれをしようとしないのだ。
そしてその理由は明白だ。ルナールが父親と戦う理由、父親を憎むもっとも根源的な理由と同じである。
ルナールは頑なに、ドラゴンの体を道具として使う事を。人間同士の争いにドラゴンを巻き込む事を嫌っているのである。
……自分の命をかけてまで信念を貫こうとする姿。それは呆れるのを通り越して、いっそ気高いほどの一途さだった。
……だが、このまま消耗戦を続けてもルナールに勝ち目はない。
公爵が使っている魔法薬は、体力を高める効果もあるのだ。戦う前から大きく消耗していたルナールと、どちらが先に力尽きるかなど考えるまでもない。
なにか方法はないかと、クオートは普段使わない頭を必死に回転させるのであった……。




