37 怒るエメリー
ルナールに向かって急降下していくエルク。
二つの影が接触する直前。クオートが放った水属性魔法が、立ち尽くすルナールの体を横から吹き飛ばした。
――目標を失ったエルクがふたたび上昇に転じた隙に、クオートはルナールの元へと駆け寄っていく。
クオートは全身ずぶ濡れのルナールを、瓦礫の陰に隠れながらエメリーの元へと引っ張っていく。
そして、いつになく強い調子で言葉を発した。
「保護官長、どうしてあんな真似したんですか! もうちょっとで死ぬ所でしたよ!」
「クオート三士……私には、罪があるのだ……」
まるで精気が抜けてしまったかのようなルナールが、消え入りそうな声で言葉を発する。
「私はエルクの母親、アルティアを見殺しにした。そしてそればかりか、その身を埋葬してやる事すらせず、悪魔のような男に売り渡したのだ。母親を思い出したエルクが私を殺そうとするのも当然だよ。私はそれだけの事をしたのだ……」
「そんな、あれはどうしようもなかったじゃないですか……」
「どうしようもなかったで済まされるような事ではない。私はエルクがそれを望むなら、この身をもってその罪を償わねばならんのだ」
……いつも氷の刃のように鋭く、剣士にすさまじい暴力を浴びせられる中にあっても光を失わなかったルナールの瞳が。ただ悲しみのみを湛えて涙を流す。
――たしかに、今までエメリーの言いつけを忠実に守り。大きな爆発があったり建物が崩れたりしても人形のふりを続けていたエルクが、突然暴れ出した理由。
それはキュビエ公爵が持ち出した指輪に、母親の面影を見たからに違いない。
だが、母親が殺された経緯をエルクは知らないはずだ。復讐の為にルナールを襲うなど、あるはずがない。
クオートはそう思うが、たとえそう言ってもルナールが納得するとは思えず、口に出すのを躊躇していた。
「エルクは、そんな事望んでいませんよ……」
クオートの心中を代弁してくれたのは、意識を取り戻したエメリーだった。
「エルクは今、お母さんの体でつくられた指輪を見て正気を失っているだけです。ルナールさんが憎くて襲った訳じゃありませんよ」
エメリーはクオートに助けられて上体を起こし、大きくはないが力強い声で言葉を紡ぐ。
「……なぜそんな事がわかる?」
「わかりますよ、何ヶ月も一緒に過ごしてきたんです! むしろ、どうしてルナールさんはわかってあげられないんですか!?」
エメリーは珍しく、ルナールに向かって声を荒げた。
「わたし達は家族のように一緒に過ごし、一緒に遊んで一緒にごはんを食べて、一緒に眠ったじゃないですか! 研究所へ来てからのエルクが、一度でもルナールさんに敵意を見せた事がありましたか? ずっと楽しそうにしていたじゃありませんか!」
「…………」
「もしルナールさんがエルクに殺されてしまったら、エルクが正気に戻った時に絶対悲しみますよ! 一度母親を亡くしたエルクに、ルナールさんはもう一度同じ思いをさせるんですか!?」
……一番多くエルクとの時間を過ごし。自身も両親を亡くしていてルナールを母親のように慕っているエメリーの言葉には、特別な重みがあった。
ルナールは目を伏せ、黙ってうつむいてしまう。
「……保護官長。もしここで保護官長が死んじゃったら、だれがアルティアの仇をとるんですか? それに、保護区のドラゴン達はどうするんです? 自慢じゃないですけど、俺一人じゃなにもできないですよ。保護区のドラゴン達を守れるのは保護官長しかいないんです。その責任まで放棄するんですか?」
「それは……」
少しずるいとは思ったが、クオートはルナールが一番弱い所を引き合いに出す。
そしてルナールに少し感情が戻ってきた気配を感じ、精一杯の虚勢を張って強い声を出した。
「――俺が知ってる保護官長は、そんな無責任な人じゃないはずですよ! 果たしたい夢がある。その為にはなんでもするって言ってたの、嘘だったんですか!?」
「……だが、私は……」
顔を上げたルナールが、目にいっぱいの涙を溜めてクオートを見る。
思い返してみればルナールは研究所にいる時から、何度もエルクを見ながら悲しそうな表情をしていた。苦悩に沈んでいるのも見た。
あれは父への怒りと同時に、自分をも責めていたのだろう。
……だが、今はそんな事では困るのだ。クオートは、たたみかけるように言葉を発する。
「今のエルクは正気じゃないです。本当にエルクがどう思っているかは、冷静な時のエルクに訊いてみましょうよ。本当に保護官長を恨んでいるなら、食い殺されるのはその時でもいいじゃないですか」
「クオート三士……」
その言葉が決定打になったのか、ルナールの表情に生気が差してきた。ゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。
「クオート三士、私を殴ってくれ」
「え……?」
以前にも同じ事を言われた気がするが、その時とは状況が違う。
クオートは覚悟を決めて目を瞑り。ありったけの力を右手に込めて、ルナールの頬を張った。
――鋭い平手打ちの音が響き、右手が痺れたように熱くなる。
恐る恐る目を開けると、左頬を赤くしたルナールの姿があった。
「こんな時に加減をするなど、相変わらずぬるい奴め……だが目は覚めた。ありがとう」
……クオートとしては全く手加減などしなかったのだが、この辺りは基礎戦闘力の差であろう。
ともあれ、ルナールは闘志を取り戻したようだった。
少し余裕ができた所で辺りを見回すと、キュビエ公爵はどこかに隠れたのか姿が見えず、ピアストル邸の兵士やメイド達の姿も見えなかった。
上空を、エルクが獲物を探す猛禽のように、ゆっくりと旋回している。
ルナールは立ち直ったものの、いぜん状況は極めて悪い。
子供とはいえ、エルクはドラゴンなのだ。剣にせよ魔法にせよ、人間が正攻法でなんとかできる相手ではない。
厳しい表情で上空を見つめるルナールにも、名案はありそうになかった。
加えて、戦力の消耗もはなはだしい。
エメリーは魔力を消耗し尽くしてほとんど戦えない状態だし、ルナールは魔力こそ残しているものの、肉体的なダメージは深刻だろう。
「保護官長、怪我は大丈夫なんですか?」
「……肋骨が何本かと左の鎖骨が折れているようだが、他はかすり傷程度だ。問題ない」
「いや、それ問題なくないですよ。左肩の傷もかすり傷には見えませんし」
「出血は止まっているし、痛みも許容範囲内だ。右手は存分に動かす事ができる。問題なかろう」
「いや、そんな無茶な……」
「今問題なのは、エルクをどうするかだ。このままではあの子の体力が持たん……」
「え?」
「エルクはまだ産まれて半年ほどだ。空も先日やっと飛べるようになったに過ぎん。このまま無理を続けたら、最悪の場合命の危険もあるかもしれんのだ……」
「――わたしが説得してきます!」
ルナールの言葉に、エメリーがふらつきながら立ち上がる。しかし、ルナールが複雑な表情でそれを押し留めた。
「今のエルクは話が通じる状態ではない。やられるだけだぞ」
「でも!」
「そんな事になったら、正気を取り戻した時にエルクが悲しむ。私にそう言ったのはエメリーだろう」
「それは……」
「心配するな、なにか手を考える」
ルナールはそう言ってエルクを仰ぎ見るが、果たして本当に手があるのだろうか?
仮にエルクを攻撃する手段があったとしても、そもそもルナールにそんな事ができるのだろうか?
クオートが不安を押し殺して見守る間に、エルクは低空に降りてきて無差別に吹雪を吐きはじめた。
幸い直撃はしなかったが、夏だというのに見渡す限りあっという間に氷で白く染まってしまう。それはとても、人間が抗い得る力ではないと思われた……。
「……なにやら大変な事になっておるようじゃのう」
突然発せられた声に、全員の視線が一点に集中する。
そこには意識を奪われて人質にされていたクラウゼン老人が。上体を起こして空を見上げていたのだった……。




