35 劣勢
魔法薬を飲み、攻勢に転じてくる剣士。
その高速の初撃をかわし、反撃に出た一撃が男の胴体を捉えたと思った刹那、剣先が甲高い金属音をたてて弾かれてしまった。
ニヤリと笑う男が剣を振るい。ルナールはそれを受け止めきれずに、弾き飛ばされてしまう。
服が裂けた左肩に、みるみる赤い染みが広がっていく……。
一方、魔法士の方もクオートとエメリーに向けて火属性魔法を放ってきた。
今まで見た事がないほど巨大な火の玉は、エメリー一人では支えきれず。クオートも手を貸してなんとかギリギリで防ぎはしたものの、あまりの高熱に岩壁の表面が融けてしまうほどだった。
一撃はなんとか防いだが、何度も耐えられるような威力ではない。
「身体能力を高める魔法薬だ。私は用心深い男だからな、万全の上にも万全を期す主義なのだよ」
切り札を切った公爵が、勝ち誇ったように言う。ルナールは、剥き出しの殺意を含んだ視線を父親に向けた。
「そう怖い顔をするな。先だってお前が送って寄越したドラゴンで作らせた物だぞ。高価なものだから、できれば使わずに済ませたかったがな」
「――──貴様あぁ!」
怒りに震えるルナールが、我を忘れたように公爵に向かっていく。しかし、その前に高速で回り込んだ剣士が立ち塞がった。
「ルナールさん!」
エメリーがとっさに援護しようとするが、魔法薬の効果で身体能力が高められた剣士の速さには追いつけない。
「ぐっ……!」
剣士の攻撃を受けてルナールの左腕、肘の上あたりが裂けて血が噴き出す。
だがルナールは剣を片手に持ち替え、なおも公爵に迫ろうと跳躍した。
――そこへ、魔法士の男が雷属性魔法を放つ。エメリーが受け止めようと、ありったけの力で防壁を張る……。
太陽より強い閃光と同時に大地を揺らす轟音が響き。思わず目を覆ったクオートの上に、大小無数の岩石片が降り注いでくる。
そして、絞り出すようなルナールの悲鳴が聞こえた……。
「あ……そん……な……」
エメリーが絶望に染まった声を出し、弱々しく地面に膝をつく。
魔法士の雷属性魔法は、エメリー必死の防壁をたやすく貫き。地面に倒れたルナールの体からは煙が上がり、剣はどこかに飛ばされて、服は所々焦げ落ちていた。
「おい、気をつけろ! 直撃だったら死んでいたぞ!」
「すまん、まだ加減がな……」
初老の魔法士が、雷属性魔法を放った魔法士を叱責する声が聞こえてくる。目の前で繰り広げられる光景に、クオートはただ呆然とするばかりだった。
ドラゴンの血から作られるという魔法薬の、圧倒的な威力。
それは先の大戦中に四種いたドラゴンのうち三種までが絶滅し、一種が絶滅寸前に追い込まれるほどに乱獲された理由を、まざまざと見せつけていた。
さきほどまではこちらが互角以上に押していたのに、一瞬にして形勢は破局的となってしまった。
ルナールは無惨な姿で地面に倒れ、エメリーも使える魔力はほとんど残っていない。
クオートの目に、公爵が倒れ伏すルナールの元へと歩いていく姿が映った。
「結局私の足元にひざまずいたな、ルナールよ」
ルナールを見下ろしながらそう言った公爵の体が、不意にぐらりと揺れる。
気を失ったと思っていたルナールの手が、公爵の足を掴んで力任せに引き倒したのだ。
そして獣のような雄叫びをあげながら、公爵に覆い被さっていく。
――瞬間、クオートの頭を『喉笛を食い千切ってでも亡き者にしてやります』とルビング隊長に言っていたルナールの言葉がよぎる。
ルナールはまさにそれを実行しようとするかのように、荒れ狂う猛獣のごとく公爵に襲いかかった。
……それはおそらく、ルナールにとって最後の賭けだったのだろう。
だが非情な現実は、ルナール捨て身の攻撃さえも成就を許してはくれなかった。
あとわずかの所で、魔法薬によって身体能力を強化された剣士のつま先が、ルナールの脇腹を抉ったのだ。
「──かはっ!」
軍人が履く硬い皮製のブーツで思い切り蹴り飛ばされ。ルナールは地面を転がり、えづきながら苦しそうに体を丸める。
「公爵様! 大丈夫ですか!?」
護衛の魔法士に抱き起こされた公爵が忌々(いまいま)しげにルナールに目をやると、ルナールも脇腹を押さえながら、歯を食いしばって睨み返す。
「……少し甘い顔を見せれば調子にのりおって! おい! 構わんから自分の立場がわかるまで痛めつけてやれ!」
公爵の言葉に、剣士の男が嗜虐的な笑みを浮かべてルナールに歩み寄る。
ルナールもなんとか立ち上がるものの、明らかにダメージは重く、立っているだけでも辛そうだ。
「公爵様のご命令だ。恨むんじゃねぇぞ」
そんな言葉を口に出し。男の姿がふっと消えたかと思うと、次の瞬間には男の拳がルナールのみぞおちに深く突き立てられていた。
「ごはっ!」
くぐもったうめき声と共にルナールの体が折れ、地面に膝をついた刹那、背中から廻し蹴りが襲い、ルナールは数エーメルも吹き飛ばされて瓦礫に叩きつけられる。
……ルナールはなおも体を起こそうとするが、男の足が容赦なくルナールのお腹を蹴り上げると、ルナールの体は人形のように宙に浮いた。力なく落ちてくるルナールに更に一撃を加えようと、男が身構える。
「ルナールさん!」
エメリーが悲痛な声を上げて助けに入ろうとするが、至近距離に撃ち込まれた雷属性魔法の爆発に吹き飛ばされ、地面に薙ぎ倒されてしまう。
クオートが駆け寄って抱き起こそうとすると、触れた瞬間『バチッ』と青白い火花が散る。
……エメリーは意識こそあるものの、指一本満足に動かせないほどのダメージを受けていた。
なにかを喋ろうと唇を動かすが、言葉にならない。
そしてルナールもまた、空中で一撃を加えられ。地面に落ちた所を踏みつけられ、また蹴り飛ばされてと、見るに耐えない一方的な暴力を受けている。
ルナールの服は血と土埃、吐瀉物にまみれ、綺麗な金色の髪も無惨に汚れてしまっている。
だがボロ雑巾のような姿になってなお、ぞっとするような憎悪の光が宿った瞳の輝きだけは失われていなかった。
それが癇に障るのか、公爵はなかなか制止の命令を出そうとせず。このままでは本当に殺されてしまうのではないかと、クオートが本気で恐怖を感じるほどだった。
……クオートは固く奥歯を噛み絞めながら、今朝ルナールから言われた事を思い出す。
エメリーの目を避けて呼び出された物陰で、思い詰めた表情のルナールに言われたのだ。
『クオート三士。お前は今日戦わなくてもよいから、防御に徹してなるべく体力と魔力を温存しておいてくれ。私がどんな状況に陥っても助ける必要はない。……そしてもし私が死んだら、その時はどんな手を使ってもよいから、エメリーとエルクを連れて逃げてくれ。我侭なのは重々承知しているが、どうかよろしく頼む……』
……あのルナールに、頭を下げて頼まれたのである。
クオートはその時、まさかこんな状況になるとは思っていなかったが、ルナールは予期していたのだろう。
そして、『敗れたら』ではなく『死んだら』と言っていた。生きての負けなどありえないと、そこまで覚悟を固めていたのだろう。
……そして。そもそも助けに入った所で、クオートの実力ではなんの役にも立たないだろう。
今はただ、奇跡が起こって状況が好転するのを祈るのみだった……。




