33 戦いの始まり
ルナールは早足に、ピアストル邸の廊下を進んでいく。
案内はいないが、勝手知ったる自分の家だ。
エルクを抱いたエメリーが若干駆け足気味に後に続き、クオートが最後尾を進む。
途中で何十人もの使用人や兵士とすれ違ったが、みんな壁に寄って視線を送るばかりで、止めようとする者も。声をかけてくる者もいなかった。
「……保護官長、なんかすごく見られてますね」
ルナールは肩で風を切るように歩きながら、冷たい声で言う。
「大方、そう命令されているのだろう。こちらの覚悟と力量を量るには、最初の一当てだけで十分だからな」
そう答える目は、完全に据わっていた。
クオートは胃がキリキリと痛むのを感じながら、広大な屋敷を奥へと進んでいく。
そして見覚えのある、大きくて豪奢な扉の前に立った。
ルナールはいささかの躊躇もなく、押し破るような勢いで扉を開く。
「――――」
ルナール・エメリーに続いて部屋に入ったクオートは、ぐるりと部屋に視線を巡らせた。
大きな机と、その向こうに悠然と座っているキュビエ公爵。
その後ろには護衛だろう、四人の男が鋭い視線をこちらに向けていた。
……キュビエ公爵が大きな溜息をつき、大蛇のような気配をまとってルナールを睨みつける。
「一応聞いておくが、婚約者を選ぶ決心はついたのか?」
「手紙でお知らせしたでしょう。私はここにいるクオート三等士官を婚約相手として選びました」
「そんな子供のような言い訳が通ると思っているのか?」
「貴方の指示通りであるはずですが?」
二人が交わす声は恐ろしいほど冷たく、敵意に満ちている。
クオートははやくも、全身から冷や汗が噴き出すのを感じていた。
「……我が娘ながら、まさかここまで愚かとはな。本気でこの私に歯向かえると思っているのか?」
「権力でなんでも思い通りにできると思うのなら、御自慢の卑劣な手を使って、私を貴方の足元にひざまずかせてみてはいかがですか?」
ルナールの言葉に、公爵は鼻白んだように視線を滑らせ、部屋の奥にある扉に向かって合図を送る。
――扉から現れたのは屈強そうな大男。そして彼に乱暴に抱えられている、気を失った老人だった。
「先生!」
ルナールの叫びに、わずかに感情の揺らぎが混じる。
老人はルナールがこの世でもっとも尊敬する人物。彼女に動物学を教えた師匠でもある、クラウゼン老人だった。
「今にして思えば、この男をお前の家庭教師につけたのは失敗だったかもしれんな」
公爵はチラリとクラウゼン老人に目をやったあと、鋭い視線をルナールに向ける。
「さて、この老人が明日から王立科学院の総長になるか。それとも今日、少し寿命を縮めて天寿を全うするか。ルナール、お前はどちらが良いと思う?」
――部屋いっぱいに怒気が満ち、ルナールの奥歯が『ギリッ』と音をたてるのを聞きながら、クオートは初めて。ルナールが自分の父親を異常なほどに嫌悪している理由がわかった気がした。
そしてもはや、まともな話し合いなどする余地がない事も……。
「貴様! どこまで腐っている!」
怒りに震えるルナールの気迫が、竜巻のような激しさを伴って辺りを包む。
しかし、公爵と後ろに控える男達には、いささかの動揺も見て取る事はできなかった。
「ルナール、これが最後の忠告だ。大人しく私の言う事を聞けば、この老人に加えてそこの二人にも、安全と不自由のない暮らしを保証してやろう。保護区のドラゴンも、10年ごとに一匹を狩るだけで妥協しておいてやる。だがもしも嫌だと言ったら……」
公爵の合図で、クラウゼン老人を抱えている大男が腕に力を入れ、老人を絞め殺すような素振りを見せる。――目が笑っていない、本気だ。
一方的な公爵の言動に、ルナールの怒りが限界を突破したのが、傍らにいるクオートにも伝わってきた。
「……よくわかった。やはり貴様は死ぬべき人間だ……」
ルナールの手が腰に伸び、剣を抜き放って構えると同時に。公爵の後ろに控えている四人も剣を抜き、戦闘体勢をとる。
「やれやれ、この馬鹿娘が。自分が痛い目をみんとわからんとみえる……」
そう言って溜息をつく公爵に、クオートは思わず怒鳴り返してやりたい衝動に駆られた。
まだ半年にもならないつきあいだが、ルナールが決して他人の痛みに鈍感ではない事を。そして、常に自分が一番辛い役割を背負い込もうとする事を、クオートは何度も間近で見て知っていた。
――だがそれを口にする間もなく。公爵の合図でクラウゼン老人を抱えていた男が老人を放り投げ、一瞬で剣を抜いて、目にも留まらぬ速さでルナールに向かってくる。
迎え撃つルナールの剣との間に火花が散り、連続して鋭い音が響く。
「ここにいるのは剣と弓の特級練士に加えて、五星級魔法士が三人だ。どうあがいても勝てはせんぞ」
そう言って公爵が合図を送ると、男の一人が弓を構える。
「保護官長!」
クオートの声より一瞬早く放たれた矢が、まっすぐにルナールの足へと向かう。
だが、ルナールは剣士との戦いで手一杯だ。
命中するかに思われた矢だったが、なにか硬い物に当たる甲高い音と共に、ルナールの手前に出現した土の壁に阻まれた。
クオートが振り返ると、エメリーが右手をかざしたまま、まっすぐに矢を放った男を睨みつけている。
「あの者達を黙らせろ。片方なら殺しても構わん」
公爵の指示で、魔法士のうち二人が動きだす。
クオートの前に出たエメリーは、今までに見た事がないほど厳しい表情をしていた。
「エメリー、防壁を作れ!」
突然響いたルナールの声とほぼ同時に。クオートは顔にジリッと、強い熱を感じた。
瞬間的に空気が膨張する音がして、轟音と共にエメリーが作った土魔法の防壁がビリビリと振動する。
そしてしばらくすると、今度は逆に後ろから風が吹き込んでくるのが感じられた。
……防壁が消え。煙と砂埃が収まるにつれて、滅茶苦茶に破壊された部屋の惨状が見えてくる。
壊れた家具が散乱し、壁は黒く焼け焦げ、窓ガラスは跡形もなく吹き飛び、所々で木製の家具やカーテンが燃えていた。
一瞬にして廃墟のように変わってしまった部屋で、ルナールは先程までと変わらぬ、綺麗な姿のままで立っていた。
火の粉が混じった風に髪をなびかせ、剣を握って破壊の跡に立つ姿は、神話に出てくる戦女神を彷彿とさせる。
「──これは驚いた。最大級の火属性魔法は巨大な爆発を生じさせ、その熱量は空気を極限まで膨張させて、中心を真空に近い状態にまでしてしまうものですが。まさかその若さでこの領域にまで達しているとはね……」
先程まで公爵がいた場所にある岩の塊から、男の声が聞こえてくる。
塊が崩れるように消えると、中から公爵と無傷の護衛達が姿を現わした。
「全く。建物の中で火属性魔法とは、無茶をなさる」
別の場所にあった岩の塊からも、魔法士二人と剣士が姿を現わす。
「……公爵様、これは無傷でとはいかないかもしれません」
キュビエ公爵の一番近くにいる、初老の魔法士が言葉を発する。
男は他の護衛に比べて上品というか、少し落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
公爵は一度ルナールに目をやると、また溜息をつきつつ口を開く。
「やむをえん。だが顔は傷つけるなよ、値打ちが下がるからな」
(なっ……)
自分の娘を物のように言う公爵の言葉に、クオートは頭を殴りつけられたようなショックを受ける。
……しかしルナールは馴れた事だとでも言うかのように、眉一つ動かさない。
そして、ルナールがエメリーに目配せした直後。ルナールの右手が赤く光り、二度目の爆発が起こったのだった……。




