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ドラゴンの守護者  作者: おとしんくるす


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27 ルナールの婚約者

「はあ……はあっ……」


 ルナールの手を引いて部屋に戻り、扉を閉めると。極限の緊張から解放されたクオートは、扉にもたれかかってヘナヘナと座り込んでしまう。


 一方のルナールは、手首まで焼け焦げて消滅してしまった右手袋を引き千切るように外し。それをタオルのように使って、花瓶の水で右手の甲を洗いはじめた。


「……保護官長、先に濡れた髪をいた方がいいんじゃないですか?」


「お前は怪我をした時、重傷と軽傷の傷があればどちらから先に手当てをする? それと同じで、より汚い所から先に処置をしているのだ」


「…………」


 一応毎日交換されてはいるだろうが、花瓶の水は必ずしもきれいではない。

 それでも手を洗い続ける辺り、どうやらよほど耐えかねる状況だったらしい。右手の甲は手袋越しとはいえ、男達に何度もくちづけをされた場所である。


 ――その時、廊下からバタバタと足音がして、数人のメイドがタオルや着替え、お湯を持って部屋に入ってきた。


「うわっ!」


 ドアにもたれかかっていたクオートは、勢いよく開けられた扉に押されて前方に転んでしまう。


 しかしそんなクオートには目もくれず。一気に騒がしくなった部屋で、メイド達はルナールの髪を拭き、着替えの準備をはじめた。


「ありがとう。後の事は自分でやるから、下がっていてくれ」


「お嬢様、しかし……」


「頼む」


「はい……」


 ルナールにまっすぐ目を見て言われたメイド達は、なぜか少しほほを赤らめて指示に従う。

 どうやらルナールの圧倒的な美しさは、男女を問わず見る者を惹きつけるらしい。


 一人のメイドがドアの横に転がっているクオートを一瞥いちべつし。『せっかくのお嬢様の晴れ舞台を……』と冷たい目をして言い放った。


 ……もっとも、冷たい目といってもルナールのそれに比べれば全然大した事はないし。クオートとしては悪い事をした実感もないのでどうという事はないのだが、ルナールは少し申し訳なさそうに眉根を寄せた。


 扉が閉まると、ルナールが先に口を開く。


「さっきはすまなかったな」


「いえ、俺の方こそあんなやり方しかできなくて……」


「かまわんさ。お前がいなかったら、私はあの二人をケシズミに変えていただろう。そうなったらパーティーどころか、先生の所へ帰る事もできなくなっていただろうさ。やはりお前を連れてきてよかった、感謝しているよ」


「保護官長……」


 怒られる事には馴れているが、褒められる事には馴れていないクオートは、なんだかむずがゆい気がして顔が熱くなる。


 そして恥ずかしさを紛らわせる為に、慌てて言葉を発した。


「それで、保護官長はどうするんですか?」


「なにをだ?」


 ルナールは椅子いすに腰掛けて髪を解き、お湯で濡らしたタオルで髪を拭きながら怪訝けげんそうに返事を返す。

 その姿はとても魅惑みわく的で、クオートの顔を更に熱くさせた。


「あの、婚約相手……」


 クオートの言葉に。ルナールの表情は露骨に不機嫌になる。


「フン。あのような金と権力の亡者共との結婚など、考えただけで虫酸むしずが走る。連中の目を見たか? 死んだ魚の方がまだ綺麗な目をしていただろう」


「はあ……でも、誰か選ばないと研究所に帰れないんでしょう?」


「…………」


 この時。クオートの頭をふっと、公爵から持ちかけられた取引の事がよぎった。


 今の発言はそれを意識したものではなかったし、それどころかパーティー会場に行ってからは緊張のあまりきれいさっぱり忘れていた。


 しかし、どこかで無意識のうちにその方向に誘導しようとしたのではないかと、心に引っかかるものを感じたのだ。



 そんなクオートの悩みをよそに。しばらく考え込んでいたルナールが、急にハタと顔を上げる。


「そうだ、クオート三士。お前もあの場にいた男の一人には違いないな。よし、私と婚約しろ」


「…………は?」


 あまりに突飛とっぴな発言に、クオートの脳は意味を理解するのに時間を要した。


「うむ、それがいい。それなら条件も満たした事になる。よし、早速その旨書面に書いてスタンレーに帰るぞ」


 なにがいいのかよくわからないが、ルナールはそう言って勢いよく立ち上がった。


「ちょちょ、ちょっと待ってください、保護官長!」


「なんだ? ……そうか、婚約を申し込むのに今の態度はなかったな」


 なにやら一方的に納得した様子のルナールは、ドレスをひるがえしてクオートの元へやってくると、目の前で片膝かたひざをついて頭を下げた。


「クオート・タルク三等士官殿。私、ルナール・ピアストルを貴公の婚約者として迎え入れて頂きたい……」


 いつものルナールからは想像もできないような、柔らかくて流麗りゅうれいな物腰と穏やかな声。あまりの違和感に、クオートの思考は完全に停止してしまう。


 ルナールはクオートの右手を取り、その甲にくちづけをした。そして、上目使いにクオートを見上げて返事を待つ……。



「……ほほほ、保護官長!?」


 ようやく正気に戻ったクオートは、すごい勢いで後ろに飛びのいた。


「じょ、冗談……ですよね?」


「お前は私が冗談でこんな事を言うと思うのか?」


「いえ、思わないですけど……」


「ならばそういう事だ」


「で、でも。俺と保護官長じゃ身分も全然違うし……あ、そうか。研究所に戻る為の偽装婚約ですよね? なんだ、びっくりさせないでくださいよ……」


「……クオート三士。私は身分とか家柄とか、そのたぐいの価値観が大嫌いだ。人間は生まれではなく、個々の才覚と人柄によって評価されるべきものだと思っている」


「は、はい……」


 少し機嫌を悪くした様子のルナールに、例の鋭い目で言われ。クオートはちょっとおびえながら返事をする。


 しかし、今日のルナールは一瞬不機嫌になっただけで。すぐに表情を和らげた。


「正直な所、研究所に帰る為だというのは否定しない。だが、私は本当にお前と結婚するのも悪くないと思っているのだ」


「え、それはまたなんでまた……?」


 思わず『また』が二つついてしまうくらいに、クオートは激しい当惑に襲われる。


 身分や家柄を気にしないのはわかったが、才覚や人柄で評価しても、クオートは自分がルナールと釣り合うとは思えなかった。

 むしろ怠け者で、嫌われるタイプだと思う。


「お前とエメリーは私が一番弱っている時。心が砕けそうな時に、いつもと変わらずそばにいて支えてくれた。そして、エルクを連れ帰る時には助けてくれさえした。その事には、深く感謝しているのだ」


「はあ……」


「確かにお前は不真面目だし。だらしないし、怠け者だし、いいかげんだし、頭も悪い」


(よくわかってるじゃないですか……)


「だが、誠実で正直な人間だ。私が知る限り、お前はクライゼン先生とルビング隊長に次いで良い男だよ。それに、私と三ヶ月以上行動を共にできた男もはじめてだ。どうせ結婚しなくてはならんなら、お前が相手なら不本意だとは思わん。よければ真剣に考えておいてくれ」


「えぇ……」


「ただし。私と結婚するという事は、ピアストル家を全面的に敵に回すという事だ。それだけは覚悟をしておいてくれ」


「…………」


 クオートは、ルナールが自分に予想外の信頼を寄せていてくれた事に驚くと同時に、強い後ろめたさも感じていた。


 なぜなら自分は、公爵から持ちかけられたルナールを裏切る取引を、拒否しなかったのである。


「……保護官長。俺、保護官長が思ってくれてるほど誠実で正直な人間じゃないですよ。今だって、保護官長に隠し事をしてるんです」


「秘密くらい誰にでもあるものだろう」


「そうじゃなくてもっとこう……信頼を裏切るような秘密です。……俺はキュビエ公爵から、保護官長を婚約させるのに協力するように頼まれているんです。代わりに、悠々自適で楽ができる役職を与えてやるからと……」


「……なるほど、あの男が考えそうな事だ」


「そして俺は、その取引を断りませんでした。受けてもいませんが、もし事が成った時には、受けたものとして取引を履行りこうしようと言われています。そして、実際それが頭をよぎった事も……」


「フン。いかにもあの男が使いそうな、卑劣ひれつな手だな。熟考されたら断られるような案件でも、あえて回答させずに受諾じゅだくしたのと同じ状態に置いておくのだ。そうすれば相手に迷いを生じさせて思惑通りの動きをとらせる事ができるかもしれんし、場合によっては断らなかったとおどす材料にも使えるからな」


 ルナールは、心の底からの嫌悪けんおを込めた口調で言う。


「……保護官長、怒らないんですか?」


「ん、なにをだ?」


「だって、俺保護官長を裏切るかもしれなかったんですよ」


「だが実際には裏切らなかったのだろう? 人間だれしも、夢に思い描く理想の生活というのはあるものだ。それを目の前にぶら下げられて、即断で断ったなどという話を聞かされたら、それこそ私は信用しないよ。クオート三士。お前はやはり、誠実で正直な人間だ」


「でも……」


「私はな。スタンレーの研究所長の話がきた時、それがあの男の策謀さくぼうであると承知の上で、それに飛び付いたのだ。幼い頃から夢に描いた、理想の仕事だったからな。そんな私には、たとえお前が取引を受けていたとしても、それを非難する資格はないのだよ」


「保護官長……」


「――さて、先生の家でエメリーが待っている。早く帰ってやらねばな。そしてこんな下らん事はさっさと終わらせて、研究所へ帰ろう」


 ルナールはそう言って服を着替え。公爵宛の手紙を書いてメイドに渡すと、屋敷を後にした。



 もちろんこれですんなり事が収まるとは、ルナールはもちろんクオートでさえ思っていなかったのであるが……。

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