16 ドラゴンの脅威
山を降りようとするクオート達の上に、突然黒い影が覆い被さってくる。
「――しまった!」
頭上を見上げたルナールが唇を噛む。空では今まさに、一匹のスノードラゴンが獲物を狙って急降下しようとしていた。
「そこの岩陰に入れ!」
ルナールの指示で近くの岩影に転がり込む。しかし、すでに狙いを定めたスノードラゴンは一直線に突っ込んできて、口から猛烈な吹雪を吐いた。
「くっ……」
ルナールがドラゴンの子供を抱いたまま、土属性魔法を発動させて岩の壁をつくる。直後に、ものすごい音と共に吹雪が襲いかかってきた。
「ぐううっ……」
必死に壁を維持するルナールが、苦しそうに表情を歪ませる。数日前の魔力の消耗が、まだ回復していないのだ。しかも今は体力まで消耗している。
ドラゴンが吐くすさまじい吹雪を受け、防壁は今にも崩壊しようとしていた。
「ルナールさん、わたしが代わります!」
そう言ってエメリーが手をかざすと、ヒビが入って今にも崩れそうだった壁が、見違えるように修復されていく。
「すまん、エメリー……」
ルナールは苦しそうに言うと、岩にもたれかかるようにして気を失ってしまう。顔色はすでに、蝋のように白かった。
――エメリーのおかげで最初の攻撃は防ぎ切ったものの。一旦頭上を通過したドラゴンは上空で反転し、今度は逆方向から襲いかかってくる。
エメリーはそちらの方向に壁を構築しなおし、再び襲う猛烈な吹雪を、歯を食いしばってなんとか凌いでくれた。
大人のドラゴンが吐く吹雪は凄まじく、わずかでも防壁の外に手を出せば、たちまち指先が凍りついてしまうほどである。風の圧力も、拳大の石が舞い上がるほどだった。
そんな攻撃に二回も耐えたエメリーの呼吸は乱れ、苦しそうにしている。あと何回も耐えられそうにはない。
しかし、四星級魔法である土属性魔法はクオートには使えないし、氷属性魔法でも壁は作れるが、それでは強度が足りないだろう。
ドラゴンは三度身を翻し、低空でこちらに向かってくる。クオートの脳裏に、スノードラゴンは獲物を氷漬けにして食べるのだと言っていた、ルナールの言葉が甦ってくる。
「――くそっ!」
クオートはやおら立ち上がると、エメリーが備えてくれている防壁から外に飛び出した。そして、後方の斜面へ向けて地を這うように、全力で水属性魔法を放つ。
……そこへ、ドラゴンが氷の息を浴びせてきた。
「クオートさん!」
エメリーの叫び声を、クオートはかろうじて転がり込んだ壁の内側で聞いた。
暴風の唸り声、吹雪に含まれている氷の粒や飛ばされた石が壁に当たって砕ける音。エメリーが必死に維持してくれている壁が軋む音が、不気味な三重奏となって周囲を包む……。
ドラゴンの通過と共に吹雪が治まった時、エメリーは倒れ込むように地面に手を着いた。明らかにもう限界だ。
「エメリー、一か八かだけどこれで逃げよう。保護官長を!」
そう叫んで、クオートは荷物からテントの天幕を引っ張り出す。
エメリーは一瞬途惑いを見せたが、すぐに意図を理解したらしく、気を失っているルナールの体を抱えて引っ張ってきた。ルナールは気を失ってなお、ドラゴンの子供を固く抱き締めている。
クオートが天幕に荷物を乗せ、ソリのように引いていく。その先には、ずっと下まで続く氷の道があった。
さっきクオートが放った水属性魔法が、ドラゴンの吹雪で一瞬のうちに凍ったのだ。
エメリーがルナールを乗せた時、上空では攻撃を反復しようとするドラゴンが、ゆっくりと旋回をはじめていた。
「エメリー、しっかり掴まっててね!」
クオートの声と同時に、天幕のソリが氷の滑り台へと乗り出していく。
水属性魔法は曲げたり水の玉をつくって飛ばしたりといった応用は難しいが、まっすぐ放出するだけなら比較的簡単なので。クオートでも相当長い道をつくる事ができていた。
「――うわああぁぁぁぁ……」
自分でつくった巨大な滑り台を、クオートは悲鳴を上げながら滑り降りていく。斜面が急なので、どんどんスピードが出る。
ものすごく怖いが、スピードを緩める訳にはいかないし。その手段もない。
――三百エーメル以上も一気に斜面を滑り降り、氷の道が途切れた所で、クオート達は盛大な雪飛沫を上げて雪溜まりに突っ込んだ。
「あたたたた……エメリー、大丈夫?」
「はい、ルナールさんも御無事です」
起き上がったクオートが辺りを見ると、ドラゴンは急に獲物が消えた事に当惑しているらしく、さっきまでクオート達がいた場所の上空を旋回している。
そのまま近くの岩陰に身を潜めていると。やがてドラゴンは諦めたようで、山の方へと飛び去って行った。クオートはやれやれと、胸をなでおろす。
……みんなの消耗が激しいので、その日はそのまま。その場所にテントを張る事になった。
狭いテントに三人と一匹が寄り添うように入り、寝袋を敷いてルナールを寝かせる。
……それにしても、運良く終点が深い雪溜まりだったから良かったものの。氷の斜面から無数に頭を出している岩にでもぶつかっていたら大惨事だった。
そこまで考えずに行動したクオートは、我が事ながら身震いする思いだ。
「……エメリー、保護官長の様子はどう?」
「傷の手当ては終わりました。ですが、体力と魔力の消耗が激しいです。あと、腫れ具合からして少し前。多分岩棚から落ちた時だと思いますが、右肩を痛めているようです……」
「え、そんな様子は全然……」
「多分……我慢していたんだと思います。こんな状態で荷物を担いだり、魔法で防壁を張ったり。どんなに辛かった事か……」
エメリーは目にいっぱい涙を溜めて、ルナールの顔をじっと見ながら言葉を続ける。
「わたしにもっと力があれば……ルナールさんの手足になって働けるだけの力があれば、こんな事には……」
「……そんな事ないよ、エメリーは頑張ったと思うよ。エメリーがいなかったら、今頃みんな氷漬けにされてドラゴンのお腹の中だったんだし」
「――それでも、結局はクオートさんに助けて頂きました。頑張るだけじゃダメなんです。ルナールさんに信頼されて、それに応えられるだけの力がないと……」
「…………」
ルナールに寄り添いながら、まだあどけなさを残す少女が悔し涙を流すのを見ていると、クオートは怠ける事ばかり考えている自分が申し訳なく思えてくる。
……だが、思う事と行動する事の間には深くて大きな溝があるのが、世の中の難しい所だ。
ルナールが目を覚ましたのは、それから一時間ほどしてからだった……。




