11 身を裂かれる思い
……陽が西の空に傾く頃、クオートは一人研究所への道を急いでいた。あの後、ようやく泣きやんだルナールから、力ない声で警備隊への連絡を頼まれたのだ。
出発する前、ルナールが倒れている密猟者達を指して、『あの三人は縛って森の中にでも吊るしておけ、私の目につく所に置いておくとなにをしてしまうかわからん……』と言った時の目には、いつもの震えるような迫力は欠片もなく。
ただ悲しみと絶望と、やり場のない怒りに満たされたような、濁った目をしているだけだった。
心配のあまり気が急くが、いつも馬の背で眠りながら移動していたクオートには、道がさっぱりわからない。
馬任せである以上あまり急かす事もできず、やっと研究所に辿り着いた頃には、すでに日没になっていた。
帰りが遅いのを心配したのだろう。研究所の前で待っていてくれたエメリーに急いで事情を話す。
エメリーは強いショックを受けたようだったが、クオートの判断で明日は一緒に来てほしいと言うと。気丈にうなずいて準備に取りかかった。クオートはそのまま、ふもとの警備隊まで連絡にいく。
翌朝。さすがに今日は眠いなどと言っておられず、クオートは大きな荷物を抱えたエメリーを馬に乗せて、ルナールの元へと向かう。
現場に着くと、ルナールは一晩中そうしていたのか。アルティアの傍らで放心したように座り込んでいた。馬が止まるのも待たずに飛び降りたエメリーが、一目散に駆け寄っていく。
「ルナールさん!」
後ろからエメリーに抱きつかれても、ルナールはなんの反応も示さなかった。
泣き腫らして真っ赤になった目で、もう動く事はないアルティアをじっと見つめ続けている。
「ルナールさん、こんなに体が冷えてしまって……。今ミルクを温めますから」
エメリーはそう言うと、近くに即席のかまどを作り、手際よく火を起こして鍋をかける。
「……保護官長。警備隊は準備を整えて、今日の昼には到着するそうです」
「そうか……」
ルナールは、クオートの報告にも弱々しく応えるだけだった。いつもの厳しくて覇気に満ちた、凛とした面影はどこにもない。
クオートはこんな時どうしたらよいかわからず。抜け殻のようになっているルナールの横顔と地面に横たわるドラゴンとの間で、ただ交互に視線を動かすのだった……。
「ルナールさん、温かいミルクです」
沈黙を破り、エメリーが湯気の立つミルクを運んでくる。
「体が暖まりますから、飲んでください」
エメリーは動かないルナールの手を取り、両手でカップを握らせる。
「ありがとう、エメリー……」
ルナールはそう言ってカップを包み込むように持つが、ドラゴンの死体を見つめたまま口をつけようとはしなかった。
エメリーは辛そうにその光景を見ていたが、ややあって努めて明るい声で口を開く。
「そうだ、クオートさんの分も温めてきますね。すみません、気が回らなくて」
小走りでかまどの所へ戻っていくエメリーを見ながら、クオートは心の中で(そんな事ないよ、エメリーくらい気のつく子はそうそういないから……)とつぶやくのだった。
……しばらくして、エメリーが温かいミルクを運んできてくれる。春とはいえ標高の高いこの場所は、まだ吐く息が白いほどに寒い。
温かいミルクは甘くておいしく、体の中に染み込んでいくようだった。
「……ルナールさん、ミルク冷えてしまったでしょう。温め直してきますね」
エメリーはそう言って、ルナールの手からカップを受け取る。エメリーはその後何回も、飲まれる事がないミルクを繰り返し温め直していた。
クオートがそっと(もういいよ、保護官長喉通らないみたいだから……)とささやいたが、『いえ、指先を温めるだけでも違いますから』と言って、何度もルナールの元を往復していた。
ルナールを想うその健気さに、クオートは胸を熱くさせられる。
その時、遠くから馬の鳴き声と共に、100人近い人の群れがやってくるのが見えた。この山脈のふもとに駐留している、保護区警備隊だ。
「あ、ルビングさん!」
警備隊のルビング隊長の姿を見つけたエメリーが、嬉しそうに駆け寄っていく。
ルビング隊長は50歳を越えた老軍人で、両親を亡くしたエメリーを引き取り、研究所に来るまでの間親代わりに育ててくれた人だ。
「エメリー、大きくなったな」
久しぶりの再会に二人共嬉しそうだが、ひとしきり喜びの対面が済むと。一転して厳しい表情になったルビング隊長が、ルナールの元にやってくる。
「所長殿、今回は大変だったな。密猟者の侵入を許したのは警備隊の責任だ、すまなかった」
「いえ……元々この広大な地域への侵入を隈なく見張るなど不可能な事なのです。一番近くにいた私が、もっと早く気付くべきだったのです……」
「…………」
この中で一番ルナールとの付き合いが長いルビング隊長ですら、今のルナールにはそれ以上かける言葉が見つからないようだった。
下手な慰めなどなんの意味もないと肌で感じられるほど、ルナールの悲しみと自責の念は深いのだ。
「……これからの光景は君にとって辛いものになる。近くにテントを張らせるから、そこで休んでいたらどうだ?」
「いえ、最後まで見届けるのが私の責任ですから」
「……相変わらず仕事熱心な事だな。少しは新入りを見習ったらどうだ? なぁ、クオート君」
「え? あ……はい?」
クオートの所属は一応保護区警備隊になっており、そこから研究所へ派遣される形になっている。
給料や書類など事務手続きの関係だそうだが、形の上ではルビング隊長はクオートの直属上官であり。赴任してくる時に一度挨拶をしただけだが、士官学校からの書類でクオートがどんな人間か知っているのだろう。
クオートは今までの人生で人を見習えと言われた事ならあるが、自分を見習えと言われた経験は皆無なので、なんだか妙な気持ちになる。
……結局ルナールがルビング隊長の忠告を容れる事はなく。少し離れた小高い場所へ移動しただけで、アルティアから目を離そうとはしなかった。
そしてルナールが見ている前で、アルティアの解体作業が開始される。
ドラゴンは、その体全てが最高級の素材である。たとえルナールの気持ちがどうであろうと、死んだ体を埋葬する事は許されないのだ。
――大勢の兵士が蟻のように群がり、ドラゴンを解体していく。
血が抜かれ、鱗が剥ぎ取られ、皮を切り裂き、内臓を取り出し、肉を切り出す。
牙と目は特に貴重なので、厳重に梱包して運ばれて行く。ドラゴンの体は真っ赤な肉の塊から、次第に骨へと変わっていった。
そんなある意味残酷な光景を。ルナールは立ったまま目を逸らさずに、じっと見続けていた。
固く握り締められた拳からは血が流れ、きつく噛み締められた下唇にも血が滲んでいる。
ただでさえ魔法で多くの血液を失っているルナールの顔色は、寒さと疲労に加えて精神的な消耗までが重なって、蒼白に近い。見かねたクオートが、頼み込むように声をかける。
「保護官長。向こうでエメリーが温かい食事をつくってくれていますから、なにか少しだけでも食べてくださいよ。無理ならせめて休むだけでも……」
「余計な世話だ、私の事は構わなくていい」
「でも、このままじゃ倒れちゃいますよ」
「黙れ! お前に心配される事ではない! アルティアの姿を最後まで見届けるのが、私の責任なのだ!」
目に涙を浮かべてそんな事を言われると思わず引き下がってしまいそうになるし、鬼気迫る迫力にクオートも涙目になってしまうが。後ろではエメリーもまた、泣きそうな目をしてこちらを見ている。
……前後を挟まれて引くに引けないクオートは、思い切って説得の言葉を発し続ける。
「保護官長……もう俺達にできる事はなにもないですよ。そんな風に自分を傷つけても、アルティアは生き返ったりしませんよ」
「――黙れと言っているだろうが!」
感情を爆発させるような叫びと同時に、ルナールの拳がクオートの顔を捉える。
雪の上に倒れたクオートが殴られた左頬に手を当ててみると、べっとりと赤い血がついていた。
一瞬ドキリとするが、確認してみるとクオートの血ではない。それは、拳を固く握り締めるあまり爪が手に食い込んでしまった、ルナールの血であった。
「保護官長……」
クオートは殴られた痛みやショックよりも、あのルナールがこんな感情的な行動に出た事への驚きで、呆然と目の前の人影を見上げていた。
そこにはいつもの冷然としたルナールの姿はなく。ただ怒りと悲しみに身を震わせ、涙を浮かべている少女の姿がある。
いつもは冷たい青い目が、今日は赤く燃えているようにさえ見えた。
ルナールはそのまま、なにも言わずに視線をアルティアだった物へと戻す。クオートも黙って、ルナールの横顔を見つめ続けるのだった……。




