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1 王立スタンレー野生生物保護区研究所

『辞令 クオート・タルク三等士官。王立スタンレー野生生物保護区研究所、保護官長きを命ず』


 そう書かれた紙をポケットに納め。クオートは馬の背に揺られてあくびをしながら、のんびりと山道を登っていた。


 季節はもう春だというのに、道沿いのあちこちにはまだ雪が残っている。ここは王都から馬で二十日も離れた大陸の南西端、スタンレー山脈の山裾やますそである。


 森の中をうような道を登っていくと、やがて視界が開けて大きな宿屋くらいの建物が見えてくる。それはクオートが王都を発って、二十五日目の夕方の事だった。


 建物はまだ新しく、隣に厩舎きゅうしゃが併設されている。とりあえずそこに馬を入れさせてもらい、クオートは入り口の前に立つ。


「すいませーん。今日からここに配属になった者なのですが、誰かいませんかー?」


 それはおよそ軍人らしくない、どこか間の抜けた声だった。


「すいませーん、誰かいませんかー?」


 そうして二・三度呼ぶと、人の気配と共に物音が聞こえ。扉がわずかに開かれて、その隙間からまだ幼さを残した少女の顔がのぞく。


「あの……ひょっとしてタルクさん……ですか?」


 少女の声はそのかわいらしさに反して、いっぱいの警戒心を含んでいた。


「うん、そうだよ。これ辞令だけど見る?」


 そう言って、クオートは本来部外者に見せてはいけない書類を平気で渡す。


「……失礼しました。いらっしゃるのは五日前だと聞いていたものので」


「あー、うん。まぁその。道中色々あってね……」


 書類を返してもらいながら、クオートは言い訳にもならない言い訳をする。

 少女はまだ小さく、11歳か12歳くらいだろうか? 栗色の髪を肩まで伸ばした、かわいらしい子だった。


「そうなんですか、それは大変でしたね。お部屋を用意してありますから、荷物を置いてお休みになってください」


「え……あ、うん。ありがとう」


 さすがに突っ込まれるだろうと思っていた言い訳だったが、少女は素直に受け入れてくれたばかりか、気遣ってくれさえした。

 本当は生来の怠け者っぷりをいかんなく発揮して、毎日欠かさず昼寝をしていたからの遅刻ですとは、今更言い出しにくい雰囲気だ。


「どうぞ、こちらです」


 少女が案内してくれた先は建物二階の一室で。一人で住むには十分な広さがあり、柔らかそうなベッドには真っ白いシーツが掛けてある。


 クオートが荷物を降ろすのを待って、少女が口を開いた。


「申し遅れました。わたしはここでまかないをさせて頂いている、エメリーと申します。日常の事でなにかありましたら、遠慮なくなんでもおっしゃってくださいね」


「エメリーか、いい名前だね。俺の事はクオートでいいよ」


「はい、クオートさん。後で研究所の中を御案内しますから、一休みしたら下へ降りてきてくださいね」


 エメリーは笑顔を浮かべてそう言うと、一旦部屋を辞していった。


 クオートはとりあえず、自身一番の関心事であるベッドの寝心地を確かめようと、シーツの上に飛び込んでみる。


 ……ベッドは見た目通りふかふかで、綺麗に洗濯されたシーツからはお陽様の香りがした。クオートが来るのに備えて、エメリーが準備してくれていたのだろう。


 なんていい子なんだと感動して、思わずそのまま眠り込んでしまいそうになる……がしかし。今はそのエメリーを待たせているのだ。


 名残を惜しみつつベッドを離れ、一階へと向かうクオートは。ここでの生活が快適なものになりそうな予感に、すこぶる御機嫌であった……。



「……ここが研究室で、隣が資料室。こっちが食堂で、あっちがお風呂、その向こうがトイレになります」


 合流したエメリーが、要領良く建物を案内してくれる。素直な上に手際が良く、字が読めた事や丁寧な言葉使いからして、頭もいいのだろう。

 気配りもできる子のようだし、日常生活のお世話になる上でこんなに頼もしい事はない。


 クオートの中で、エメリーの評価は絶賛急上昇を続けていた。


「ここが所長室ですが、ルナールさんは今調査に出ておられるのでお留守です。夕方には帰ってこられるはずですから、その時にまた御挨拶をしてください」


「うん、それは了解したけど。他の人達も調査? さっきから一人も出くわさないんだけど?」


 クオートの言葉に、エメリーは一瞬悲しそうな表情を浮かべた。


「いえ、他の方はおられません……。研究員の方も護衛官の方も皆さん辞めてしまわれて、今はルナールさん一人だけです」


「え?」


 予想外の返答に、クオートは思わず言葉を失ってしまう。


 いくら人が嫌がる辺境配置とはいえ、研究員までが全員辞めてしまうというのは妙な話だ。これはなにかあるなと嫌な予感がして、それとなく探りを入れてみる事にする。


「ねぇエメリー。なんで皆やめちゃったの?」


 ……クオートは基本、『それとなく』とか微妙な匙加減は苦手なタイプである。

 直球の質問に、エメリーは小首をかしげた。


「さあ? わたしにはわかりかねます。でも、一番長い方でも二ヶ月ほどしかいらっしゃいませんでしたね」


「……エメリーはいつからここにいるの?」


「わたしは一年半くらいです。その間だけでも研究員の方が6名、クオートさんのような護衛官の方が9名赴任されましたが、皆さんお辞めになってしまいました」


 ……これはとんでもない離職率だ、なにか重大な問題があるに違いない。自他共に認める怠け者で、怠惰な生活を送る事を至上命題にしているクオートにとって、それは由々しき情報だった。


「……エメリーはここを辞めたいって思った事ある?」


「いえ、わたしは一度もありませんよ。ここは働きがいのあるいい所です」


「そうなんだ……エメリーはここに住み込みなの? 御両親は?」


「……両親は、もういません。四年前に孤児になったわたしを、ふもとの警備隊長であるルビングさんが引き取って育ててくれました。そのルビングさんが、ここのまかないの成り手がいないと困っておられたので、わたしが志願したのです」


 ……おおう、思いの外重たい話が返ってきた。


「ごめん、辛い事思い出させちゃって……」


「いえ、気にしないでください。あ、ここがわたしの部屋なので、なにかあったらいつでもいらしてくださいね」


「うん。でも、こんな広い研究所に一人で寂しくないの?」


「平気です。やる事が沢山ありますし、ルナールさんがとても良くしてくださいますから」


「……ルナールさんって、ここの所長さんだよね? どんな人なの?」


「えっと、優しくて美人で働き者で頭も良くて、名家のお嬢様だそうですが、わたしなんかにも分け隔てなく接してくださる、とても良い方ですよ。

 動物学者としてもすごく優秀で、まだお若いのに幾つも賞を頂いているそうです。おまけに剣や魔法も得意で、本当になんでもできるすごい人です。時間がある時には、わたしにも勉強や魔法を教えてくださるんですよ!」


「そ、そうなんだ……」


 目を輝かせるエメリーからは、びっくりするくらい大絶賛の返事が返ってきた。


 保護官長附きであるクオートにとっては直接の上司になる人なのだから、とりあえず良い人なのは大歓迎だ。働き者というのはちょっと問題かもしれないが……。



 そう考え。期待と不安が入り混じる中、クオートは自分の上司になる人物について。さらに情報収集を試みるのであった……。

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