第1話
「昨日のまどマジ見た?」
「見た見た。あのシーン超エグくね?」
「よくテレビで流せたよな。whisperでも実況がすげえ荒れててさぁ…」
近頃は見た目が普通のやつでも、アニメやネットを少し見てればオタクと呼ばれ、ある意味一種のステータス持った存在となっている。
ただそれは、ある程度の社交性がある奴だけの話。
俺はその社交性を持ち合わせていないただのオタクだ。
コミュ障でしゃべれないオタクはただの陰キャラへと成り下がる。
所謂スクールカーストでいえばド底辺。
幸い、俺はいじめられたりはしていないが、いてもいなくても変わらないような、そんな存在価値しかないのだ。
確かに、アニメやネットもよくみるし、PC操作も得意だ。
最近では趣味で好きなアニメのMADを作り、“愛tube”という動画サイトで公開したりする。
愛tubeとは、世界に20億人のユーザーがいるといわれる世界最大の動画サイトである。
あくまで趣味で作っている範囲なので再生数もそれなりしかないが、たまにコメントが付いたりしたら小躍りするほど嬉しくなる。
まぁ、そんな程度の小市民である。
友達もいないし、青春とはとても縁遠い環境だった。
そう。あの時までは。
見ているだけで不憫だった。
それは、この世界のどこにでもある光景なのかもしれない。
女生徒同士だから余計に陰湿であるそれは、外から見ている分には不快でしかないのだ。
「里中? どうした?」
数学の武田が挙動のおかしい生徒に声をかける。
クラス中の視線が彼女に集まる。
「あ、あの…教科書がなくて…」
か細い声が、彼女の口から漏れ出した。
「なんだ忘れ物か? おい誰か見せてやれ」
その要請に対して誰も反応しない。
いや、反応できないといったほうがいいのか?
この教室に流れる空気は、それが不文律のようにのしかかっている。
「先生ぇー。コイツこの前も教科書忘れてましたよね。授業受ける気ないんじゃないですかー?」
一人の女生徒がその沈黙を破ると同時に、どこからともなくクスクスと笑い声が教室中
に響いていた。
「そういえば、先週も忘れてたな。里中、注意するように!」
「す、すみません…でも」
「はい、しょうがないから見せてあげる。」
「………。あ、ありがとうございます…」
これが今流行っているやり方。
そして帰りの時間になると不思議とその教科書は見つかるのだ。
今は、証拠が残るようないじめはしない。
一時の嫌がらせで彼女の反応を楽しむのだ。
こうしている間にもクラスのトークグループは活発に動いているだろう。
俺は入っていないけど。
本当に趣味が悪い。
1限目が体育だったその日は、教室には誰もいるはずもないので、当然目撃者もいない。
無くなった教科書も最後には見つかるので、彼女も何も言わない。
先生たちは薄々感づいているのだろうが、問題視するのも面倒なので、静観を決め込んでいる。
まさに社会の縮図だった。
ただ、彼女がこのクラスの最底辺であるということに安堵している自分もいる。
それが一番、この胸糞の悪さの理由なのかもしれない。
その日の放課後、いつもは速攻で帰宅するのが俺の流儀。
部活なんて毛ほどの興味もないし、早く帰って家でゲームをやっていたほうが充実する性質なのだ。
しかし、今日に限って保健委員の集まりがあり、いつもよりは遅く学校を出ることになった。
下駄箱から校庭へ出ると、どんよりとした雲が空を覆っている。
「やっべ、傘なんて持ってないぞ」
今にも降り出しそうなそうな天気に、今朝方母親に注意されたのに傘を持って出なかった自分に悪態を吐きつつ、俺はすぐ自転車置き場に向かった。
梅雨特有のジメジメした空気が体を包む。
体の芯から汗を搾り取れるようで心地悪い。
夏休みも近いというのに、いつまでもすっきりとしない空は、まるで自分の心が反映されているようにも感じる。
そうして、自転車を転がし始めて5分もしないうちに雨が降り出してきた。
たまらず近くのコンビニに避難する。
店先の屋根があるところで、濡れた制服をハンカチで拭くが、焼け石に水とはこのことだろう。
諦めて店内に入った。
特に買うものもないので、とりあえず雑誌コーナーに向かう。
いつも愛読しているネット情報誌を手に取った。
「今月はVtuber特集か」
Vtuberとは、愛tube上で活動しているキャラクター達のことをいう。
2Dだったり3Dだったり形は様々だが、歌ったり踊ったりと現実のアイドルさながらの活動をしている。
人気急上昇中のコンテンツである。
表紙には、Vtuberの先駆けともいえるサクラ・アイのイラストが飾っていた。
「へー、こういう感じで収録してるのか」
特集されていた記事には、“今から始めるVtuber”と銘打ち、撮影に必要な機材や、編集の仕方などが掲載されていた。
今は技術も進歩し、ネットでも買えるVR機器と編集ソフトがあれば誰でも簡単に始められるようだ。
「Vtuberなんて飽和してるし、今からなんて誰もやらないだろ…」
誰に行ったのでもなく、独り言ちる。
そんなこんなしていると、外の雨もようやく上がったようであった。
ここ数週間みないような、すっきりとした空が広がっていた。
綺麗な夕焼けが水たまりに反射し、ひと際辺りを赤く照らす。
「帰るか」
帰り道の堤防を走っていると、ふと耳に入ってくる声。
なんとなく気になった俺は、自転車を漕ぐのをやめ辺りを見渡す。
そこには見慣れた制服姿の女生徒が河川敷に座っているのが見えた。
「あれ? 里中じゃないか?」
よく目を凝らすと、そこには見知った(一方的にかもしれないが)クラスメイトの姿であった。
別に声を掛けようと思ったわけではないが、なんとなく彼女に近づいていく。
近づくと、やはり何かをしゃべっているようだ。
誰かと電話しているのだろうか。
距離は少しあったが、彼女の真後ろに位置したとき、一瞬で世界が色づいたように見えた。
声というよりも、流れるような、どこかで聞いたことがあるメロディー。
それは、とても綺麗な声であった。
普段よりも少しだけ声量が大きいその声に俺は一瞬で魅了されたのだ。
俺はこの光景を生涯忘れることはできないだろう。
その声も、真っ赤な夕焼けも、雨の残る匂いも、そして彼女の姿も。
「あ。サクラ・アイの曲か」
若干呆けていた俺は、いつもの癖で独り言を呟いてしまった。
「…え?」
この距離からでもその声は相手に伝わったようだ。
歌うのをやめ、ゆっくりと首をこちらにひねる彼女。
「…え? え?」
俺の姿をとらえたであろうその瞳は一瞬点となり、その後せわしなく動き始める
表情も白くなったり赤くなったりでとても忙しそうであった
「ご、ごめんなさいっ!」
彼女は、俺に背を向けて走り去っていった。