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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

金持ち貴族の裏の顔

 

  赤濡れの亡骸の群れ。その中心に男は立っていた。

  彼の足元には人であったモノが散らばり、そのうちの一体に突き立てられた剣をスルリと抜くと、それを振るって剣に付着していた血を払った。

  黒い甲冑に身を包み、顔を兜で覆い隠す。背中のマントが風で揺らいだ。

  そこにあったのは皆、人であった。

  魔王に脅かされ、一つにならなればいけない世界で私欲のために暴れていた人間であった。

  屍の群れから少し離れた位置に、少女が一人いた。

  光り輝く剣を抱え、震えている。その剣は勇者として選ばれた証だった。

  少女は襲われていたのだ。

  勇者に選ばれたものの、だからといってすぐに強くなるわけでもない。強力な聖剣を持つことができたとしても、それを扱う技量が彼女にはなかった。

  勇者として旅に出て、その矢先の出来事だった。

  勇気と自信で満ちていた彼女の表情は今は強張り、情けないほどに恐怖で歪んでいた。

  美しい金色の髪を乱れさせ、華奢な身体を剣と共に両腕で抱きしめ、座り込んでいる。

  涙でぼやけた視界には、すぐ近くまで来ていた黒い鎧の男が映った。

  びくり、と身体を大きく震わせた。

  男は彼女の腕を握って、引っ張り、強引に立たせ、少女はそれに素直に従った。


  「……その剣は飾りか、勇者マリー」


  重く沈んだ声だった。その堅牢な岩を叩きつけたような鈍く低い音はわずかな恐怖と、それ以上の安心感を彼女に与えた。

  武器を携えた大勢の賊を瞬く間に壊滅させた男。

  一切の躊躇もなく、首を斬り飛ばし、心の臓を貫き、頭蓋を踏み砕く。

  魔族かもしれない、と少女はまず思った。

  世界の敵である魔王の配下である魔族。人倫道徳のカケラも持たず、力を振るい人類に害をなす。

  彼の姿は魔族のそれと重なったが、どうやらそうではないらしい。

  だってこうして、彼らにとっては最大の敵となる勇者を救ってくれた。


  「貴方は誰、なんですか……?」


  当然の疑問を、勇者である少女は男に尋ねた。

  男は少しの間のあと、剣を鞘に納めた。


  「ノーフェイス。名はノーフェイスだ」


  この日から勇者は彼に師事し、卓越した戦闘技術を身につけ、魔王を倒すまでに至った。

  そして世界に平和が訪れると共にノーフェイスと名乗る男は消えた。





  勇者マリーは飽き飽きしていた。

  魔王を倒してから、連日連夜開かれる貴族のパーティ。

  魔王を倒した勇者として彼女は顔を出さなければならず、まさかボロボロの鎧で出席するわけにもいかないので、苦手なドレスを着て笑顔を振りまく。

  一通りの波のあと、彼女はバルコニーに一人出て、外の空気を肺いっぱいに溜め込んで、それをゆっくり吐き出した。

  世界は平和になった。

  少し前までは魔王と呼ばれる脅威によって、人々に休まる時間はなかった。

  彼女も勇者として休み暇なく戦い続け、遂に魔王を倒したのだ。

  世界は彼女一人を讃え、賞賛するが、自分一人の名誉ではないと彼女は思っていた。

  黒色の騎士ノーフェイス

  彼女に戦う術を教え、常に彼女を支え続けた男である。

  その正体は結局わからずじまいのまま、彼女のもとから消えてしまった。

  こんな生活を送るぐらいなら、彼と一緒に何処かで剣を振って暮らしたい。

  マリーは手すりに手をかけ、大声で叫んでしまいたい気分になった。

  もういっそそうしてやろうか、と思いかけた彼女の耳に届いたのは勇者を呼ぶ声。

  その声はこの国の王子、第一王子アランのものであった。

  王子の声を無視するわけにもいかず、マリーは咄嗟にぎこちない笑みを作り上げて声の方向へ身体を向けた。

  アランの隣には見慣れない一人の男がいた。

  大柄な男である。

  年のほどは王子のそれと変わらないだろう。二十代の前半か、それに近い。

  貴族の煌びやかな衣装に隠れてはいるが、それでも完全には隠しきれない武骨な肉体がマリーの目に止まった。

  しかしとりたて興味が湧いたというわけでもない。

  彼女にとっては並み居る貴族の一人に過ぎず、それ以上の観察をやめた。


  「やはり、こういったパーティは勇者である貴方には慣れない場かな。マリーさん」


  アランはそう言いながらバルコニーの端にいたマリーのもとへと近づいた。もう一人の貴族の男性もアランの後を追う。

 

  「いえ、そんなことは」


  マリーは頭を横に振るが、彼の言う通り彼女の肌には中々どうして合いそうもない。

  随分と長い間、剣を褥に、魔族の血を浴び生きてきた身体にはこうした豪華絢爛な騒ぎはむず痒く感じてしまうのだ。

 

  「えっと、そちらは……」


  話を変えてしまおうと、話題の中心を王子の隣で立っている男に渡した。

 

  「ああ、そうだった。彼を貴方に紹介したくてね。こいつの名はハベル。ハベル・クラフト公爵だ。実に優秀な奴だよ。なあ、ハベル」


  「お前の口から褒め言葉が聞けるなんてな。明日は雪でも降りそうだ」


  「よせよ。これでも優しい王子様で通しているんだ。勇者様に裏がバレたらどうしてくれる」


  長年の友人であるように、彼らのやりとりは和やかで、そこに身分の差は感じられない。

  実際に彼らは深い仲なのだろう。

  接する少しの間に、マリーは二人の関係性を感じ取った。


  「どうも、勇者殿。ハベル・クラフトだ。どうも彼が言うに俺は優秀らしいが、仕事の類いはもっと優秀な人間に丸投げして遊んでいるだけの遊び人だよ。一応公爵だが、そんな男だ。気にしなくていい」


  「こいつ、金だけはあるからな」


  差し出されたハベルという男の手を、マリーは握った。

  ゴツゴツとした、岩のような手である。

  アランも武芸に秀でていると聞いたが、彼もそうなのだろう。

  けれど、どうしてもノーフェイスのそれと比べてしまう。

  彼の素顔を、肌を見たことはなかった。

  直接手を触れたこともない。

  いつも鎧の中に全てを隠し、それでもマリーを静かに導いた男であった。

  貴族の、こういった浅薄な殻を眺めるのは一種の気味悪ささえ覚えた。

  それは王子であるアランであっても、ハベルという男であっても同じことだ。

  みな一様に腹の中に何かを抱え、笑顔と賞賛を繕い勇者の栄光のカケラを求めるのだ。

  ノーフェイスは逆だった。

  彼女が魔王を倒し、そしてようやくノーフェイスと静かに語り合えると思った矢先に消えた。

  魔族人間の区別なく彼女にとっての障害を取り除き、マリーが最後まで躊躇した人殺しの咎を背負い続け、窮地を救い、背中を押した。

  結果だけを啜る連中とは、何もかもを相対している。

  ノーフェイスを思うと、貴族の格好が許容できないのだ。

  結局、マリーはアランやハベルとの会話の悉くが頭に入らなかった。

  なにかてきとうに返事をし、愛想を浮かべ応対した記憶のみ。

  戦い続け、魔王を倒し、手に入れた平和な世界で行われる宴が彼女にとっては苦痛だった。

 

 






  ハベル・クラフトは屋敷に戻ると飾り付けられた貴族服を鬱陶しそうに脱いで、老執事アルバートに手渡した。

  服の下に収められていた肉体が露わになる。

  鍛え上げられた筋肉を晒し、アルバートから渡された柔らかな部屋着へと着替えた。

 

  「ハベル様。今日はマリー様とお会いになられたとか」


  「アランに無理やり誘われてな。前も言ったが、俺としてはあまり彼女と会いたくはない」


  豪奢な部屋の中央に置かれたソファに腰をかけ、体重を背もたれに押し付けた。

  机に置かれたグラスを手に取り、注がれた醸造酒を喉に流し込む。

  アルコールには強い身体ではあったが、冷たさと共に流れる淡い感覚が頭を軽くさせた。

 

  「今の俺はハベル公爵だ。彼女の苦手な貴族。彼女から近づいてくることもない。あとはアランが余計なことさえ言わなければ大丈夫」


  首をぐるりと回した。

  凝り固まった筋肉と、骨が音を立てた。

  堅苦しい場は彼もあまり好きではない。

  しかしああいう場に出ることも貴族としての務めなのだ。

  人と出会い、関係を強め、打算的な繋がりとはいえパイプを作る。

  貴族は何よりも横の関係が大切なのだ。

  パーティというステージはそれを作るには最適な環境でもあった。

  だから人が集まる。

 

  「ハベル様がノーフェイスであることは、そこまで隠さなければならないことなのでしょうか。相手はマリー様でございます。隠す必要はないかと」


  アルバートのその言葉に、ハベル・クラフトは首を振った。

 

  「アルバート。マリーだからこそダメなんだ。彼女はきっと、喋ってしまう。ハベルではなくノーフェイスを思って」

 

  勇者マリーの師となり、窮地を救い、そして魔王討伐ののちに消えたノーフェイス。

  その正体は公爵ハベル・クラフトである。

  それを知るものはごくわずか。

  老執事アルバートはその一人であった。

 

  「ノーフェイスを……?」


  「ああ。ノーフェイスに光を浴びせようと。だが、それは違う。彼女はノーフェイスの正体を公表することの意味がわかっていない」


  ノーフェイスは表舞台にはいないものの、決して無名であるわけではない。

  勇者の師。

  それだけあればよかったが、姿を晒すにはノーフェイスは人を殺しすぎた。

  例え罪人であっても、正規の手段なしに虐殺せしめた存在が公爵その人であると知れたら厄介なことになる。

  正体を知る人間は必要最低限に留めておきたかった。

  マリーは晒さなくてもいい相手だ。

 

  「世界は平和になった。魔王が死んで、人々は毎日怯えずに生活できるようになった。そしてノーフェイスも同時に、死んだ」


  闇の戦士は闇と共に。

  闇が消えた今の世界にノーフェイスは必要なかった。

  だからハベルは封印した。

  ノーフェイスという男は死んだのだ。

  そうしてハベル・クラフトという男だけが残った。

 

  「私は……」


  アルバートは口ごもりながら言った。


  「私はハベル様がノーフェイスの鎧を脱ぎ去ったことに少しホッとしていました。魔族との戦いは危険だからです。いつ死んでしまうかと気が気でありませんでした。ですがハベル様。貴方は本当にノーフェイスを捨て去られたのでしょうか」


  「……どういう意味だ」


  「ノーフェイスの鎧を貴方は封印なさいました。地下奥深くに、頑丈に鍵をかけて。しかし本当にノーフェイスが死んだのであれば、鍵なんていらないのです。ハベル様が常に首から提げている鍵。それを時折握りしめ、しかめた顔をしている姿を見るたびに私はこう思うのです。ハベル様はノーフェイスを捨てきれていないと。ノーフェイスを望んでいると」


  「違う」


  「……そうですか。ならばそれは私の杞憂であったようです。今の話はお忘れくださいませ」


  アルバートはそう言って頭を下げ、部屋から出ていった。

  一人残されたハベルは、息を吐いた。

 

  「そんな、そんなはずはない。認めるものか……」


  頭を抱える。

  何故だかずきりと頭が痛んだ。

  ハベルはアルコールには強いはずだった。

  酒のせいではない。

  だがハベルはこの頭痛を酔いのせいであると思わずにはいられなかった。






 

  アランに連れられてハベルが訪れたのは王都に建てられた闘技場。

  武芸の腕を競い合う大会が開かれる場でもあり、設備その他は城内の練兵場以上に整っていた。

  よくわからないままハベルはアランの後をついていたが、闘技場に入り、その中心で木剣を片手に立っている少女、勇者マリーの姿を確認してその場から逃げ出したくなった。


  「おいおいアラン。こういうのは俺に一言言ってからだな……」


  「言ったら絶対についてこないだろう?」


  それもその通りである。

  ハベルはマリーとは極力顔を合わせたくはなかった。

  アランはそれを知っているはずである。

  それなのにこういう場を用意するのは、何か嫌な思惑を感じてしかたがない。


  「ハベルさん。一つ手合わせ願いたい。アラン王子に腕のほどは聞いている」


  マリーは会うなり突然にそう言った。

  あまりにも唐突すぎるそれにハベルは面食らって何も喋れない。

  アランはいつのまにか手に持っていた木剣をハベルに投げた。

  慌ててハベルはそれを掴み取り、困惑を口にした。


  「いったい何が起きてる。勇者様とやり合えっていうのか?」


  「そうだハベル。マリー嬢はそれをお望みらしい。昨日彼女と少し話をしたのだ。もしかしたらハベルは君よりも強いかもしれん、とな」


  「よくわかった。全てお前が原因だなアラン。あとで覚えておけよ」


  「この国の王子にそんなセリフが吐けるのは君ぐらいなものだよ」


  アランは笑った。

  ハベルは苦々しい表情で、横目でアランを睨んだ。

  どうしてこんなことをしなければならないのか。

  向かい合う勇者マリーはやる気も十分といった感じで、ハベルを視線の先に捉え、一挙一動も見逃さない肉食獣のような目で伺う。

  ハベルはこの場から逃げ出すことを諦めた。

  木剣をてきとうに構える。

  開始の合図はアランに握られた。

  鋭く響く、始まりの声と同時に勇者はハベルの懐へと飛び込んだ。

  胴を薙ぐ一閃を、ハベルは遅れて防ぐ。

  流れは勇者が握っていた。

  一撃一撃が重く、そして身体を揺さぶる。

  人よりも遥かに強靭な魔族を斬り伏せるための剣技である。同じ木剣を扱っているはずなのに、ハベルには自分の握っているそれが彼女のそれよりも頼りなく感じられた。

 

  「強いな、勇者。世界を任されただけはある」


  「私は、少し拍子抜けです。王子はあなたのことを高く評価していた」


  「あいつは嘘つきだからな。俺も人のことは言えないが」


  ハベルの動きが一段と素早くなった。

  ギアを一つ上げたように、挙動の全てが滑らかに、さっきまでとは別人のように。それにマリーは驚いた。

  とはいえ、勇者の動きについていけるはずもない。

  幾らかの打ち合いのあと、ハベルは剣を弾かれ、それがくるくると宙を舞い遠くでからからと音を立てて落ちた。

 

  「あなたは……」


  マリーはハベルの目を見据えた。

  突き刺さるような視線に、思わずハベルは目を逸らした。


  「あなたはまだ本気を出していない。そうでしょ?」


  「……まいったな。アラン、勇者様はどうやら俺を芯からへし折りたいらしい」


  「まあそういうな。……マリーさん、どうやら君のことを少し見くびりすぎていたらしい。聖剣がなくともここまで強いとは。これでもハベルはかなりの剣の腕を持つのだが……」


  いえ、とマリーは首を振った。


  「ハベルさんはたしかに強かったです。私が知る限りでは、人の中で二番目に。ノーフェイスさんには及びませんでしたが」


  勇者が口に出したその名前に、アランは苦笑した。

  横にいるハベルがどんな顔をしているか、それを想像するだけで笑えてくる。

  当のハベルは努めて関係のないように振る舞った。


  「ノーフェイス。君の師の名だな。黒い鎧を纏う、謎の戦士」


  アランはそう言って、ハベルをちらりと見た。


  「ハベル。君も聞いたことはあるだろう?」


  「……少しだけはな。えらく腕の立つ男らしいが、魔族だけでなく人も斬る凶暴で悪辣な男とも聞いている。なぜ名を上げていなのかは気になるけれど、それは正解だろう。表に出てはいけない類いだ」


  「違います!」


  マリーはハベルの言葉に、怒りを露わに叫んだ。


  「彼は私の恩人で、決してそんな、悪い人間じゃありません。ずっと私を助けてくれていたんです。あなたみたいに、痛みも苦労も知らないような貴族の人間が彼を悪く言わないで! あなたは何もわかっていない!」


  「あ、ああ。すまなかった」


  勇者の剣幕にハベルは驚き、慌てて謝った。

  アランはその様子に笑いを堪えるのに必死で、常ならば一つ二つ挟む揶揄の言葉を発することができない。

  だって、そのノーフェイスは今勇者が怒鳴っている目の前の男のことなのだ。

  何もわかっていない。

  そう何もわかっていないのだ。

  勇者マリーは、こうも熱をあげて想い続けるノーフェイスのことなど、何もわかっていないのだ。

  わからせまい、とひた隠しにしたのはハベルではあるが、全てを知っているアランの身としては、この滑稽にも近い光景は面白おかしくて仕方がなかった。


  「こいつを許してやってくれ、マリーさん。何しろこの男、貴族も貴族。君はノーフェイスを知っているかもしれないが、私たちはあまり知らないのだ。それに、こういう意見を持っているのはこいつだけじゃない」


  「……知ってますよ」


  マリーは小さく呟いて、その場を去った。

  えらい勢いで怒鳴られたハベルは溜め息をついて、勇者の姿が見えなくなると、アランに向き直った。


  「お前、何がしたかったんだ」


  「ちょっとね。そろそろネタバラシの時間だと思ったんだ。けど、あの調子じゃまだダメみたいだ」


  「当たり前だ。俺もあそこまでとは思っていなかったが、彼女の中でノーフェイスの神話は時と共に成長していくのだろう。だから俺は一生隠し通すつもりでいたんだ」


  「……残念だ。彼女も可哀想に。深く思うが故に、ノーフェイスから遠ざかるなんて」

 

  「それでいい。それでいいんだ。ノーフェイスは死んだ。平和な世界に、闇はいらない」


  アランは肩を竦めた。

  この国の第一王子アランも、ノーフェイスの正体を知る男の一人である。

  色々と便宜を図り、ノーフェイスが自由に活動できるように助けていた。

  ノーフェイスは闇に葬りさらなければいけないことはわかっていながらも、アランはそれが悲しい結末だと思ってしまう。

  世界のために尽力した影の英雄が、悪のまま終わるなんて。

 

  「それにしても、やはり勇者というべきか。鋭いな。下手したらバレていたかもしれない。それがアランの目論見だろうけど」


  「君が手を抜いたおかげで失敗に終わったけどね。それとも、本当に彼女に手も足を出なかったのかい?」


  「まさか」


  ハベルは落ちた木剣を拾い上げ、力を込めて握った。

  ばきゃり、と柄がひしゃげる。

  砕かれた破片が散らばり、使い物にならなくなったそれをハベルは投げ捨てた。


  「そもそもこれじゃあ、本気を出せるはずもない」






  王都に魔族が出現した、という報は王城にすぐに届いた。

  突如湧いて出たように多くの魔族が現れたらしい。

  原因不明。

  混乱の中、勇者は魔を滅する天の力を秘めた光り輝く剣、過酷な旅を共に歩んだ相棒とも呼べる聖剣を手にして、街へと飛び出した。

  アランは側にいたハベルにそのことを伝えた。


  「勇者が鎮圧に向かった。しかし、何やら嫌な予感がする」

 

  アランのその嫌な予感はハベルにも覚えがあった。

  王都に魔族が入り込んでいるかどうか、なんてものはとっくに調べきっている。

  ハベルのもとで作り上げられた特殊な効果を発揮する魔道具の一つ、その中に王都全域の魔族の気配を探知するものがあり、つい先日の検査では何も感知されなかった。

  であるのに、こうも多数の魔族の襲撃を許したのだ。

  ありえない。

  信じられないことであった。


  「ハベル。お前はどうするんだ」


  アランは尋ねた。

  ノーフェイスになるかどうか。

  それを聞いているのだ。

  アランはハベルがノーフェイスを封印したということもしっている。

  二度と鎧をつけることはない、とハベルがそう言ったことも。

  それでもアランはハベルに聞いた。


  「アラン……」


  「ノーフェイスになれ、と言っているわけではないんだ。でも、お前はどうしたい? 勇者だけに任せるのか?」


  「……ノーフェイスは、もういない」


  「ああそうだ。だけどいつでも帰ってくる。君の首元にあるその鍵が証拠だ。君が望めば、いつでも。この襲撃、おかしいと思わないか? 魔王を滅した勇者がここにいるのをわかって、王都を攻めたのだとしたら……」


  最悪のシナリオである。

  勇者敗北のニュース。

  それは一度は歓喜に震えた世界を、再度絶望に叩き落とすだろう。

  敵にも勝算があるはずだった。

  魔族に絶対的な有利を持つ聖剣を携えた勇者を相手取る。その勝算が。


  「平和は終わった」


  アランは静かに言った。


  「揺れた世界に、ノーフェイスは生き返る」


 





  「お待ちしておりましたハベル様」


  屋敷に戻ったハベルをアルバートは迎えた。

  ハベルは悩んでいた。

  ノーフェイスに戻るか否かを。

  アルバートはハベルのそんな悩みも知ったように、彼に言った。


  「ハベル様。私は先日述べたように、ノーフェイスの鎧を封印なされたことに安心しております。貴方が危険な戦いに身を投じることは、この私にとっては心配でしかたがないのです」


  「……わかっているアルバート」


  「ですが……」


  アルバートは続けた。


  「私は今のハベル様のお顔を見ると、それは間違いであったのではと思うのです。貴方はハベル・クラフトという人間でありながら、同時にノーフェイスでもあったのだと」


  アルバートの目には、ハベルの苦しそうな顔が映った。

  彼の中にあるノーフェイスが王都の危機を許そうとせず、ハベルはそれを必死になって抑え込んでいる。

  ノーフェイスは闇の戦士である。

  表に出てはならない、影の姿。

  勇者という光を育てるために強く濃くなった黒色の闇は、出来うる限り封じなけれならない。

 

  「ハベル様。私はどちらの貴方にも忠誠を誓っております。それは何が起きようと変わることはないでしょう。それがこのアルバート・ウォーレンの誇りでございます」


  アルバートはそう言って黙った。

  主人でありハベルに全てを委ねた。

  あとは、彼がノーフェイスを受け入れるかどうかだった。

  いや、もう彼の中では結論は出ていた。

  アルバートの言葉が、アランの言葉が、ノーフェイスに居場所を与えた。


  「……アルバート、どうやら用事ができたみたいだ」

 

  「ハベル様……」


  「心配はいらない。すぐに戻ってくるさ」


  ハベルはそう言って首元に提げられた鍵を握った。


  「かしこまりました。どのような服をご用意すれば?」


  「もちろん黒だ」


 





 

  「どうしてっ、どうして聖剣が効かないの!?」


  王都の中心。平時は綺麗に整った広場も今は破壊の跡が目立つ。

  魔族が宙を旋回し、銀の甲冑に身を包む騎士がそれに対するが、いかんせん地力が違いすぎた。

  そして要の勇者は、仮面を被った一人の男に翻弄され自由に動けずにいる。

  シドウと名乗るその男は世界征服を謳い、マリーを相手に互角以上の戦いを繰り広げた。

 

  「どうした勇者。魔王を倒したといってもその程度か。如何に聖剣に頼りきりだったか、自分の力では何もできないなんて笑わせる」


  マリーと打ち合う男は、そう言って笑った。

  彼女の聖剣は魔族の力を大幅に減退させる能力があった。

  最強の存在である魔王を討伐できたのもその能力によるものが大きい。

  でも今まではそれでよかったのだ。

  何故なら彼女の敵は魔族しかおらず、例外なくその力を発揮していたから。

  だが目の前のこの男には通じない。

  一撃は変わらず重く速く、聖剣で迎え撃つもジリ貧の一方。

  体力は削られ、背後で響く悲鳴が彼女の精神を疲弊させた。

  何度も斬り結ぶうちに、彼女は何かに勘づいた。

 

  「お前、まさか……」


  「アハハハハ!! ようやく気づいたか勇者。そう、そうだ。お前の思っている通りだよ」


  距離をとった男は仮面を脱いだ。

  窮屈なものをとったように、ふるふると首を振った。

  その下に隠されていたのは、人のそれだった。


  「そう、俺は人間なのさ。人間だから聖剣は効かない。簡単な話だ。にしてもここまで勇者が弱いとは思わなかったよ。本来の計画では俺が転移させた魔族が王都を滅ぼすまでの時間稼ぎのつもりだったけど、このままだと殺せちゃう」

 

  まあ、何も問題はないがね、とシドウは言った。

  勇者と同等か、それ以上の剣技を持つ男であった。

  それでいて戦いに手段は選ばない。

  やりにくい相手だった。

  マリーは荒げた息を整えながら、目の前の男を斬りふせるためのあらゆる方法を講じたが、良いものは出てこない。

  何より気持ちが焦っていた。

  どうにか早く倒して、街の人間を救わなければならない。

  けれど今のままではそれも難しそうだ。

 

  「外道が! 人でありながら魔族と手を結ぶなんて!」


  勇者の怒りに、シドウは笑った。


  「外道は人間の本質さ。魔族連中とは比べものにならないドスグロい悪! 勇者よ。魔族の王たる魔王が世界征服を企んで、それよりももっともっとゲスい人間が世界征服を考えない、なんてわけはないだろう!」


  「このっ……!」


  「いいか勇者。なによりも恐ろしいのは魔族ではない。人間だよ。魔族なんて俺たちからすればかわいいもんさ。力はありこそすれ、その性質は極めて純粋。強いがために、単純だ。その点人間はすげーよ。ほらこうして、俺のようなやつが現れる。でも俺だけじゃないぜ。魔王が倒され人間の世界になった今後、次から次へと現れる。ようは早いか遅いかの違いさ。そして世界は早いもん勝ちのルールでできてる」


  シドウは歪な笑みを浮かべ、勇者に剣を向けた。


  「だから俺は誰よりも早く、世界を獲るのさ!」


  シドウの剣撃は強力である。

  勇者は衝撃でふらついた。

  そしてそれを見逃すような男ではない。

  振りかぶられたその剣を避けることも出来ず、防ぐにも間に合わない。

  死を覚悟した。

  マリーは思わず目を瞑り、襲いくる恐怖を直視できず固まった。

  しかしそれはいつまでたってもやってこなかった。

  恐る恐るマリーは目を開けた。

  そこには目前で止められたシドウの剣と、それを為したもう一つの剣。

  その剣を握っていたのは、黒い鎧を纏った騎士。


  黒騎士ノーフェイスがそこにいた。


  「ノーフェイス……さん……?」


  「……その剣は飾りか、勇者マリー」

 

  聞き慣れた、重厚な声がマリーの全身に染み渡った。

  叱責の言葉であるのに、彼女の身体に活力が戻った。

  変わらない。

  ノーフェイスは変わらず自分を助けてくれる。

  ノーフェイスは消えてなんかいないのだ。


  「ノーフェイス、ノーフェイスといったかお前。聞いた名だ。しかし勇者でさえも俺に手も足も出なかった。お前に何ができる!」


  再度振られた剣を、ノーフェイスは手の甲で受け止めた。


  「なっ……!? そんなバカな。この剣はミスリル製だぞ。大金はたいて買ったミスリルの剣だ。それなのに傷一つ……」


  「ミスリルが一番硬い金属ではないからだ」


  ノーフェイスの鎧はアダマンタイトと呼ばれる超硬度の金属でできていた。

  世界最硬とも言われるアダマンタイトは極めて希少で滅多に手に入らないが、ハベル・クラフトは公爵で、そして世界有数の富豪でもあった。

  クラフト家の保有する財産の殆どは魔王討伐のために費やされた。

  この鎧はその一つ。

  彼に妥協はない。

  世界の平和のために金に糸目はつけなかった。

  ぐい、と剣ごとシドウを押しやり、片方の拳を身体に叩き込んだ。

 

  「あがッ!!」


  くの字に吹っ飛び、広場の隅まで転がったシドウは痛みに顔を歪め、その場で血を吐いた。


  「くそっ、くそっ、くそっ!! なんだよお前は! いきなり出てきて、救世主気取りで! 知ってるぜノーフェイス。お前も沢山人を斬ってきたんだろう! お前も俺と同じ穴のムジナなんだよ! 同じ人殺しだ。汚れた男が、良い気になって!」


  シドウの叫びも、ノーフェイスには届かない。

  それに彼自身自分のことはよくわかっていた。

  だから封印したのだ。

  こうやって、解いてしまったが。


  「人間が世界を支配する限り、世界は平和にならない。わかるかノーフェイス。俺はただの始まりに過ぎない。俺を殺したところで、第二第三の俺が現れる。いや、そもそも人など悪の集まりよ。魔王の存在によって隠されていた本性が表に出ただけにすぎない! お前一人頑張ったところで止められないのさ!」


  「それは止めない理由にはならない」


  シドウに近づいて、剣を振った。

  スパン、と首が刎ねられた。

  ごろり、と地面に転がるそれをノーフェイスは冷たい目で見ていた。

  マリーは目を背けて、そうした自分を恥じた。

  まだ彼女は人の死に、そしてそれに自分が関わることに慣れていなかった。

  ノーフェイスは躊躇なく首を刎ねた。

  覚悟が足りないとマリーは思った。

  人を殺してでも、混乱を鎮める覚悟。

  ノーフェイスと共にいたのに、マリーはそれでもそこから目を背けてしまう自分が嫌だった。

  けれど彼はそれでいいと思っていた。

  人殺しの咎を背負うのは闇の住人であるノーフェイスだけでいいと。

  勇者にそれを背負わせるつもりはなかった。

  一歩間違えたら奈落である。

  光は光を。闇は闇を。

  人にはやるべき領分というものがあって、マリーはノーフェイスのそれとは違った。


  「何を呆けているマリー。まだ魔族は王都を襲っている。ここに来る途中に何体か斬ったが、全部じゃない」


  「あ……、は、はい!」


  マリーは力強く頷いて、魔族の群れへと向かう彼に続いた。

  聖剣のその光に翳りはない。

  世界の平和が乱れようとしていた。

  シドウの言葉通り、これからまた荒れるだろう。

  ノーフェイスは魔族を斬り、人々を救い出しながらこれからを憂いた。

  どうやらノーフェイスは、まだまだ死ぬことはないらしい。


 





  全てが終わった。

  王都を襲う魔族は勇者と王都にいる兵士、そしてノーフェイスの手によって全て滅ぼされ、元凶たる人間も二度と動くことはない。

  世界は平和を取り戻し、しかし新たな不安を抱えた。

  シドウは特別な一人ではないのかもしれない、という不安。

  それは今まで人間の暗部に触れてこなかった彼らに大きな影響を与えた。

  王城内部。

  勇者は王族貴族、兵士給仕その他の騒ぎの中に歩きながら、ノーフェイスを思った。

  彼はまたも消えてしまった。

  まるで最初からそこにいなかったのように。

  だがわかったこともあった。

  王都の襲撃にノーフェイスはすぐに駆けつけた。

  それは彼はこの街に住んでいるのだということだ。

  マリーは本格的にノーフェイスを探すことに決めた。

  そうして人の群れを歩き、何か手はないかと考えた。

 

  「私は常に側にいる」


  喧騒の中、彼女の耳にたしかにノーフェイスの言葉が届いた。

  重く沈んだ声である。

  間違えるはずもない。

  彼女は咄嗟に辺りを見渡した。が、それらしき姿は見えない。

  人でごった返すそこは、貴族の顔ぶれが並ぶ。

  もうすでに名前を顔もよく覚えていない。

  だがその中にノーフェイスはいるのだ。

  彼女は足を早めて、ある場所へ向かった。

  この国の第一王子、アランのもとに協力を求めて。

  勿論、ノーフェイス捜索の。


  世界に混乱の気配が漂った。

  不穏な空気に包まれ、近い将来また人々は恐怖に震える時がくる。

  しかし、ここには勇者とノーフェイスがいた。

  ノーフェイスは生き返ったのだ。

 


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