迷宮サバイバル三日目(後半)
迷宮サバイバル三日目(後半)
じりじりと出口に向かって後退りを始めた。目線は、開かれようとしている奥の扉から外さずに、そのままの体の向きで後退していく。
キィ
キィィ……
音を立てて、扉が開かれた。
背中に冷たい物が走る。
そこに現れたのは、緑の頭部を持つ、小鬼と呼んでいる生き物だった。
さらに首から下は真っ黒な体毛、二足歩行で猫背のその身体は、霊長類を思わせる。
しかし、いつか見たそれとは決定的に異なる部分があった。
両の眼が無い。
それがあるはずの位置には、ぽっかりと穴が空いている。
しかし、そんな事など大した問題ではないと言わんばかりに、それは立っていた。
「……」
刺激しないよう、ゆっくり静かな動きでナイフを右手に構え、そのまま後ろに下がって出口を目指す。
カチカチカチカチ……
何度か聞いたこの音。
カチカチカチカチ……
どうやら、小鬼の穴の奥から聞こえてきているようだ。存在しない目と、目が合う。
何か、やばい。
踵が部屋を出た瞬間ナイフを鞘に入れ、ばっと弾かれたように俺は駆け出した!
戦う事は出来ない。
とにかく此処を離れなければ。
追いかけて来ているような気配を背後から感じる。
振り向く余裕は無い、古い作りの廊下を全速力で駆け抜けていく。蜘蛛の巣を手で払う事すらしないで、一直線に。
側から見れば、ほんの僅かな時間だっただろうか。自分の中では永遠とも思える長い間、走り続けた。
先の小部屋が見えない程遠くに来た頃、新たな扉を見つける。
金属製のしっかりしたドアだ、しかし躊躇している余裕は無い、ノブに手をかけて回す。
ガチャガチャ……
しかし鍵がかかっていて、開かない!
「はぁっはぁっ」
来た方向を見据えながら、何度も取っ手を回す。頭の中でカチカチカチカチという音が鳴っている。いつ奴が現れるか分からない。
ガチャガチャガチャ……
「開け開け開けっ!」
ガチャガチャ
「くそっ!」
頑として開かない扉に悪態をついて、ドンと拳を打ち付ける。
だめだ、もう一度走り出した。
脱兎の如く、眼に映るものを全て過去にしながら駆けていく。
いくつもの窓から射し込む光の帯を通り越し、ついに新たな扉が現れた。
もう体力の限界だ。
すがるように、祈るように、取っ手を回す。
かちゃりという音と共に開いた!
だんっと転がり込むように室内に飛び込んで、扉を閉める。
閉めたそれに寄りかかるようにして座り込んだ。
「……っはぁ、はぁっはぁっ!」
何だったんだ今のは。
耳の奥で、頭の横で、どくどくと心臓が飛び跳ねている音が聞こえる。
酸素が足りていないのか、ぼやぁっとする視界の端で何かが動いたのが見えた。
それは、先見たのと同じような小鬼だった。
いくぶん小ぶりだが、これも頭部に二つの空洞を有している。それが、何も言わず飛びかかって来た!
「うおぉぉっ」
声を上げながら四つ足で地面を這い、辛うじてそれを躱した。
バンッと威勢のいい音を立てて、扉に追突する小鬼。強かに顔を打ち付けた様だが、どうやら何とも無いらしい。ふらりと再び立ち上がった。
こちらも、その隙に態勢を整える。
出口を陣取られている以上、やるしかない!
覚悟を決めるが早いか、背負っていたリュックを小鬼の顔目掛けて投げつける。
反応できなかったのか、手で受けずにバンッと頭部に直撃した。
その瞬間、ぐらりとよろめく。
「あぁぁぁぁぁ!」
雄叫びと共にナイフを腰だめに構えて、体ごとぶつかっていった!ずぶりと柔らかな肉を刃が掻き分ける感触。
どん、と後ろに倒れる小鬼。
右手にナイフを構えたまま、その様子を伺う。
「ふぅーふぅー」
努めて息を整える。
奴の脇腹の辺りから、どくどくと血が出ているのが見える。
出血量から考えるに、重要な器官を破壊できたようだ。恐らく致命的なダメージになるだろう。
しかし、そんな事実は無かったかのように、無表情で起き上がってきた。
ぐるりとこちらを向く。
空洞の目と目が合う。
カチカチカチカチカチカチカチカチ
「嘘だろ……」
またも一直線に飛びかかってきた!
身体を捻って身を躱そうとするが、足に力が入らない。一瞬遅れたその瞬間、どんという衝撃が走る。
ガタガタガタッ
もつれあって地面を転がる。
視界が一回転して、元に戻った時には天井と小鬼の顔を臨んでいた。
馬乗りの体制を取られているようだ。
はぁぁぁぁと大きな呼吸と共に、大きく口を開けて噛み付いてくる!
肩を握られて、逃げられない。
ばっ!
間一髪、左手で首を抑えて難を逃れる。
しかしグィィとそのまま、恐ろしい力で押し込んできた。
「うおおおっ……!」
右手のナイフを逆手に持ち替え、ドンッと空洞の眼に突き立てる!
ぶちゅりと何かに突き刺さった感触。刹那肩を握る手が緩んだ気がする。
ぐぐぐとそのまま奥へ押し込む。
「死ねって!」
ぷつり
向こう側に貫通したかと思った時、かくんと急に押さえられた力が抜けて解放された。
ごろんと転がって起き上がる。
どうやら事切れたようだ。
「はぁーはぁー」
壁に背を預けて休むが、ナイフを構えたままだ目線は外さない。しかし、もう震える手足に力は入りそうにない。
もう一度戦うのは、不可能だろう。
(絶対起き上がるなよ……)
その時。
がちゃ
不意に真横から聞こえる扉の開閉音。奥に、もう一部屋あったのか!
薄暗い室内の上、戦闘に必死で見落としていたらしい。
「しまっ……!」
ドンッという衝撃。
振り返る暇すらなく、視界が闇に染まった。




