雪山サバイバル四日目
雪山サバイバル四日目
朝日が昇る。
遮る物のない日の出は恐ろしく綺麗で、そして神秘的だ。
(さあ、覚悟は出来た)
ついに、この時がやってきた、この雪山からの自力での下山である。
いつ変わるかわからない山の天気に、この気温である。万全の準備が必要だろう。
いつかの山林と同じようにはいかない。
この地では、ただそこに居るだけで、命を奪われる危険性があるのだ。
インナーの上下は予備分も用意して、リュックに入れた。
セーターの上にダウンジャケットを来て、ニットの帽子を被る。
手袋と靴下は二重だ。
長靴には、手製のかんじきを装着している。
リュックの中にはタオル、裁縫道具。片手で扱える小さい鍋。
食料は干し肉と干し魚、ジャム。
火起こし用に新聞紙と薪と小枝を何本か、メタルマッチ。
水筒、金属カップ
リュックの外側に飛び出すようにスコップを、腰にナイフを装備した。
思いつく限りの装備をする、雪山どころか夏山すら登山経験は無いが、命がけで下るしか無い。どれくらいかかるだろう、二日か、三日か、いずれにせよ。
「必ず生き延びてやる」
そう呟きながら、クロの方を見る。
どうやら兄弟は準備万端のようだ、尻尾を振って玄関で待っている。
一点の雲も留めぬ空の下、俺たちは歩き出した。目指すは下山、とにかく下に向かって進むのだ。
……
天気も良く、かんじきの力もあってか足元も悪くない。
順調に進んでいるのでは、無いだろうか。
不思議な事だが必死で歩いていると、こんな雪に囲まれた場所でさえ、じんわりと汗をかいている。
露出している顔は痛いほど冷たいのだが。
ここは、どの程度の高さなのだろうか。
木が生えていないところを見ると、割と高そうではある。
「観光で、来たかったなぁ…」
真っ青な空と、どこまでも続く白い大地。
今まで感じた事のないほど、空気は澄んで綺麗だ。
今は風も無く、この世界で動いているものは俺たちだけ。
聞こえるのは、ざくりざくり、ぎゅっぎゅという俺とクロの足音と息づかいのみ。
ふっと立ち止まる、降り積もった雪が音を吸ってしまったのか、完全に無音だ。
まるで世界から俺たち以外は全て、居なくなってしまったのではないかとさえ思う。
知られざる自然の美しさに感動しつつ、歩を進めていった。
……
太陽が傾き始めた頃から、風が強くなり始めた。
ごぉぉと風が吹いて、雪が舞い上がる。
生命を拒絶するこの大地が、牙を剥き始めたのだ。
「ぉおっ!」
風に煽られてよろめく。
さらに風が吹き始めると、一気に寒くなって来た、体の芯から冷えていくのを感じる。
風があるだけで、これほど違うのか。
さらに先程までの汗が冷えて、体温を奪っている、まるで背中に氷の柱を入れられたようだ。
ガタガタと体が勝手に震えだす。
急激な体温の低下に一向に震えが止まらない、このままでは命に関わるだろう。
ざくり、ざくり。
凍えながらもしばらく歩き続けたが、もう限界だ。
「はぁーはぁー……」
風がしのげる場所を探すが、見当たらない。
代わり映えしないこの景色の中で、快適なホテルを探すのは絶望的だ。
手頃な洞窟でもあって、避難して、なんて事を少しは考えたが、都合良くはいかなかった。
しかし予想は出来ていた、洞窟が無ければ作れば良いのだ、建材は此処に沢山ある。
スコップを取り出し、斜面に穴を掘りはじめた。斜め上に向けて洞窟を作るイメージで雪を掘り出して行く。
しかし、ざくっ、ざくっと軽快に掘れていたのは初めだけだった。
途中雪が氷のように硬くなっていたり、入り口が埋まってしまったり、予想以上に作業は難航した。
慣れない土木工事に、小一時間はかかっただろうか。手袋の上から伝わる冷気で、手の感覚が無くなって来ていた頃に、それはようやく完成を迎えた。
(……出来た)
一人と一匹が、ギリギリ入れる程度の大きさの洞穴を掘る事が出来たのだ。
雪洞の中に入ると、風が凌げるだけで凄く暖かく感じる。
リュックを椅子の代わりにお尻の下に敷いて、座って休憩する事にした。
風を防げるようにはなったが、疲れと寒さで、もはや全く動けない。
火を起こす体力も無く、手は動かない。足は相変わらず貧乏ゆすりをやめないでいる。
雪山を舐めていた、準備さえすれば簡単に下山できると思っていた。
ひょっとして、このまま緩やかに死ぬのだろうか……。
(……死にたくない)
そんなことを考え始めた時、クロがゆっくり近づいて来た。
さすがに彼も寒かったのか、それとも青白い顔でガタガタと震えている俺を気遣ってか、ぴったりとくっついてくれた。ふかふかの毛皮と熱い体温が心強い。
彼の体を抱くようにして、しばらく小さくなって座っていると、冷えきった手にじわりと血が通って行くのを感じる。
その時に、命が繋がったと思った。
……
こくりと首が縦に揺れて気がついた。
暖かくなって安心したのか、どうやら眠りかけていたようだ。それとも少し眠っていたのか。
クロが心配してか、こちらの顔を伺っている。お前は命の恩人だな、何て呟いて頭を撫でてやった。
ちらりと雪洞の外を見る。
太陽は低く、沈むのを待っている状態だ、あたりはもう薄暗い。
風と雪も収まっているようだ。
入り口の前で火を起こす事にした。
先日と同じように雪を踏み固め、薪を何本か並べて直接雪に当たらないようにして、その上で火を点ける。
今は風もなく穏やかで、かじかんだ手でも火を起こすことができた。
カップに、ぎゅっと雪を入れ、その上から少しだけ水筒の水を入れる。それを焚き火にかけ湯を沸かした。
「熱っ!」
不用意に触ってしまった、こんな極寒の地で火傷するなんて洒落にもならない。
雪で少し冷ましてから飲む。
ごくりと食道を熱いモノが流れていく。体の中から温まるのがわかる。
「ははっ」
なぜだろう少し涙が出て来た。身体が温まる事が、嬉しい。
濡れてしまった衣服が、なるべく乾くように焚き火に当てる。
また、干し肉を茹でてスープにして、クロと一緒に食べた。干し肉はこれで最後となる。
残る食料は、ジャム一瓶と干し魚がいくらかあるだけだ。
今日は雪洞の中で、クロと一緒に小さくなって夜を過ごしたのだった。




