☆2 傷だらけの霊魂
けむりが目に入ってとってもいたい。
こんなに泣きたいのになみだが出ない。
いたいのは目だけじゃない。
わたしはいつもこんなことばっかり。
まいにちひどい目にあって、それで、いつだって誰も助けてなんてくれない。
人にいやなことばっかりさせられて、いじめられて。
こんなからだになってまで。
けむりがいたいよ。あついよ。助けて。
ごめんなさい、ここから出して。
あやまるから。
気持ちわるいおじさんって思ってごめんなさい。ご主人さまって言えばいいの?
だってしゃべれないのに。
何でこんなことするの?
もう、やめてよ。
やめてよ……。
けむい………。
熱いよ……………。
*
臭いはそこそこマシになった筈だ。嗅覚疲労で気にならなくなっただけかも知れないが、それは自分じゃ分からない。
ワキガや体臭が本人には分からないのと同じように屍臭だって次第に慣れてしまうものだ。
長時間の薫製と加熱の乾燥で、ミイラとまではいかないがマシになったとはいえ、常人には辛いかもしれない。
だから良い子は絶対に真似をしないでいただきたい。
ようやくゾンビを燻し終えると屋敷に入れる。
さっそく俺はローブを脱ぎ、ゾンビに押し付けた。
「ほら、洗濯!」
全裸安定。
部屋の中では裸族が最高なのだ。異論は認めない。
逆に何で服なんて着なきゃいけないの? 人が見る訳でもなし、寒けりゃ最悪暖炉だってあるし、魔道エアコンだってある。付けっ放しにしたとしても魔力代だってたかが知れている。
とんがり帽を棚に放り投げ、そのままソファーに横になる。
「ぐるるる」
ゾンビが返事をする。
「それ終わったら、部屋の掃除なー」
あくびをしながら指示を飛ばす、これだ。これこそが使役するって事だ。
その間、俺は魔力回復。別名睡眠に努めよう。コイツの所為で減ったMPはまだ全回復していない。それに俺は基本、昼間は寝る生活なんだよ、夜型人間というやつだ。
だから俺が寝てる間に洗濯も掃除も全部やっといてくれよな!
親が生きていた頃、それはママンが全部やってくれてたな、とふと思い出した。(本来の)壁ドンしたらご飯も出てきた。部屋の前にトレーが置いてあって、焼きたての白パンやコカトリスの目玉焼きでハムエッグ。
だがベーコンエッグお前はダメだ。ベーコンは目玉焼きと合わない。ハムが最適解なのだ。それを何度言っても聞き入れられなくて、ハンガーストライキをした事もあったな。結局俺の意見なんて何も聞くつもりがないんだ。畜生。何につけても。
俺は二つ並んだボイルドエッグの真ん中の、自前のフランクフルト、いやボンレスハムをわさわさと掻いた。
ああそうだ。寝る前に、久しぶりに風呂にでも入ろうかな。
しかし、おかしいな。
魔導洗濯機の音がなかなか聞こえてこない。今月は魔力代を滞納してなかった筈なんだが?
「ん?」
ふと見ると、ゾンビは全く働いていなかった。その場から動いてすらいない。
奴は、顔に手を当てている。俺のローブは何と床に落ちている。
いや、目を覆っているのだ。
心なしか頰が赤くなっているようないないような。
指の隙間から俺の下半身をチラ見している。
「何やってんだよ、早く洗濯しろよ」
とローブを拾い上げてもう一度ゾンビに渡す。しかし、奴はぽかーんとしたままだ。
「ええっと。もしかしてお前、洗濯の仕方も分かんないのか?」
ぼーっとしたままのゾンビは、そのまま暫くすると、やっと微かに頷いた。
反応遅えよ。
仕方ない。脳が焼かれちゃったんだったなコイツは。何も覚えてないに違いない。
俺は腰に手を当て胸を張る。
「よし、今から教えてやるから付いて来い」
*
へんたいだ。
やっぱりこのひと、へんたいさんだ。
やっとけむたいのをやめてくれた、気持ちわるいおじさん。そのひと、家に入ってふくをぬいだら、はだかだった。
みてしまった。
さいていだ。
思わずひめいをあげて、でもぐるるるってしか言えなくて、わたしは思わず目をふさいだ。
でも何かへんなことをされちゃうんだとしんぱいで、ゆびのあいだからおそるおそる見てみた。
……まえにおふろで見たお父さんのよりずっと小さくて、なんかしょげている。
それに、何か言ってる。
はだかで服をわたして、手でおいでおいでってしてる。
なんでだかとってもえらそうだ。
いやだ。
ニヤニヤわらってる。
気持ち悪い。
何なのこの人。
へんたい。
*
「ほら、ゾンビだって働かなきゃ生きていけないんだぞ?」
手招きして、何故か嫌がるゾンビに説教をかまし無理矢理、洗濯場に連れて来る。この際自分の事は棚上げだが、まあいい。ゾンビだから死んでるけど、それも置いておこう。
家事くらいさせられなければ、作った意味がないのだから。
水場の脇に大きな横向きドラム式の魔導洗濯機が設置してある。十年前の最新型で、魔道ヒートポンプ乾燥機能まで付いている。これも遺産の名残りである。
中にはいつの時代のものか分からない、カビかけたパンツなんかが無造作に突っ込んである。自分で回すのが面倒で、しばらく放ったらかしにしていたままの状態だった。
どうにかそこまで連れてきて、そこにローブを放り込む。
「洗浄魔法のポーションがここに置いてあるから、このフタ開けたとこに適当に入れて」
「ゔゔゔ」
「な? ここの水晶玉を押したら勝手に始まるから、あとは待ってりゃいいんだよ。簡単だろ? 分かったか?」
「ゔえー」
ゾンビは分かったような分からないような、微妙な表情をしている。そりゃそうだ。ゾンビの気持ちなんて人間に分かる筈が無い。
そもそも腐ってやがるんだから。
クオリアの無いのがゾンビなのだ。
これ、洗濯の仕方も何回か教えてやらないとダメかもな。
「でも遊んでる暇なんか無いぞ。洗濯してる間に、お前は部屋の掃除だからな。それが終わったら、んーと、買い物かな?」
いやダメだな。
こいつはゾンビだ。人目につくのはあまり好ましくない。
ううむ、庭仕事でもさせておくしか無いのだろうか。意外と使い勝手が悪いな。
自宅警備員はもう定員が足りているし。
せっかくゾンビを作ったのはいいんだが、実際こいつ邪魔かも……。洗濯も出来ねえでやがるし。
そりゃ商売にならないワケだ。
世間体も悪い。
例えば、実は陰でこそこそダークノベルなんぞを書いてる奴なんかよりも、もっと余計に世間体が悪い。
うん、……捨てちまおうかな。
考えるのも面倒なので風呂にした。
魔道給湯器から引いたシャワーで浴槽にお湯を張る。バスマジックポーションが切れていてしばらく風呂掃除をしていないため、湯垢が底に固まっている。
それが極力目につかないように、薬草を濃いめに放り込む。
「部屋の片付け、しとくんだぞ」
ゾンビに言い残すが、なあに別に期待なんてしてない。きっとあいつはバカだ。
「お前は絶対、入って来るんじゃないぞ」
水分や湿気はゾンビにとって厳禁なのだ。腐敗の進む原因となってしまう。
せっかく燻して乾かしたのだ。
それに第一、死体とはいえ俺は男と一緒に風呂に入る趣味などない。
ヘンリー・ケイス、彼は享年19才の腐った盗賊だ。ヒゲも濃い。
どう贔屓目に見ても可愛げのない、寧ろふてぶてしい、臭くて悪人ヅラのクソ野郎だ。
俺はそこだけはいたってノーマルなのだ。LGBTは済みませんがお断りします。俺はごくストレートな死体愛好家なのです。
本当だったらかわいい女騎士のゾンビがいいんだが。
エルフ少女もゾンビなら捨てがたい。あとは獣耳ゾンビ少女とかモフりたい。エサもいらない動く剥製だ。ドラゴンゾンビもメスなら許す。だが美少女ゾンビに変身とか出来るんだろーか。ううん、出来ないだろーな。
だが、男盗賊……か……。なんと微妙な。
さっきまで希望の星だとか蓮の花だとか言っていた癖に、実にひどい言いようであるが、人間、欲を出すと大概こんなもんだ。手に入らないものだけをひたすら求め続け、既に得たものは興味を失う。
だって仕方ない。だってあいつ洗濯も出来ないし。
*
きたないへや。
なにこれ。
なんてきたないの?
へんたいさんのおうちはすごくちらかっている。
ごみやかみくず、ほこりが、いちめんにちらかってる。
おもちゃみたいな道具もたくさん落ちている。
それからご本。本だなもあるのに、ゆかにやまづみされている。
大丈夫? おかあさんにおこられちゃうよ?
ちゃんとおかたづけしないとだめなんだよ。
ヘンタイはタオルとせっけんを持ってどこかに行ってしまった。
わたしは今から、何が出来るの?
一体これからなにしたらいいの?
*
伸びていた無精髭も剃り、さっぱりして風呂から出ると、ゾンビはいなかった。
「へ?」
また逃げられたのだと気づくのに、相当の時間がかかった。
「は? 何で? あ? どーゆーこと?」
確かにゾンビが抜け出せない結界みたいなものはこのウチにないし、扉に鍵も掛けていない。
だからって、普通逃げるか? えーっ?
「ちょっと待ってよォー、はァァァァァ?」
俺は湯上りタマゴ肌でフルチ◯のまま、ローブも今は洗濯中。詰んだ。
新しいローブを買いに行くローブがないって奴か。
この格好では追うに追われない。というか俺が追われるわ!
男盗賊が微妙だとか言ってゴメンって!
捨てようって言ったのが悪かったのか?
例え廃棄するにしても、ご近所さんにバレるようなやり方ではいけない。
生ゴミは燃えるゴミの日に出さないと回収してくれないし、燃えるゴミの日は今日じゃない。
回収日以外に出せば、お節介なおばちゃんとかにすぐ鑑定されて、持ち主がバレて怒られた後で社会から糾弾されて村八分だ。
ゴミはしっかり分別しないとダメだ。
「いやマズイぞ」
よく考えたら、それどころか奴は、『盗品』である。
程よく腐ってきて識別不能のドロドロになっていれば、鑑定されて照合されない限りは判明しないだろうが、防腐処置もしてしまったしアイツはまだそこそこ新鮮だ、イキがいい。
バレる。一発で。
盗賊ドロボーと言われてしまう。
いやそれはいいとして、しかも今回の事件は一般家庭から盗んだのとは訳が違う。世界中に勢力を伸ばし、国王から最貧民まで全員が頼る『教会』から盗み出したのだ。
届けられたら最悪の場合、騎士団に逮捕のうえ、死体が無料でもう一つ増える……要は死罪だ。縛り首だか魔力椅子だかで。
コイツ何かたまたまウチに迷い込んで来たんですよー、死んだまま。なんて言い訳は通用するだろうか?
ダメだ。
運良く盗難の罰、死罪を間逃れたとしても更に最悪な展開が待っている。
仮に盗んだのが俺だという証拠が運良く誰にも見つからず、うまいことすっとぼけられたと仮定して、教会は奴の所有権を主張するだろう。
盗品がこんなクソカスゴミクズ野郎だったとしても、代わりに既得権益だったか損失補填だったかで莫大な賠償金を請求されるのが定番だ。
奴らは基本的に金の亡者なのだ。悪どい。
そして俺は借金を返す為に、手近なダンジョンに魔石採掘労働者としてぶち込まれ、棒で打たれながら働き、タコ部屋で仲間に虐められながら、短い坑夫の一生を終えるのだ。
落盤で楽に死ねる事が唯一の希望、みたいな、終わった人生一直線だ。
現代魔法技術などと言ってもその礎、魔石採掘は今も冒険者とかいう名の底辺労働者に寄って成り立っている。
何てことをしてしまったんだ…………。
hip-hopではなく魔石坑節なんぞを歌わされてしまう。
だがあのゾンビ。逃げるだなんて理由が分からない、防腐処置までしてやったのに。
「何でだよ、もう!」
とにかく、探さなきゃ。
だが、服は……洋服箪笥を開けると、新品同様の背広が入っていた。戦闘鼠色のシングル、ツーボタンだ。
これは昔、頼んでもいないのにママンが買ってきた、就職なんかに使える様にという服だった。惠体か何かの加護や特殊効果が掛かっている、とても高価な品物だ。
忘れてた。まだ捨ててなかったようだ。
まあ仕方ない。
他に着るものがないので、背に腹は変えられない。
これ窮屈で嫌いなんだが?
「しょうがねえなあ」
諦めて、シャツ、ネクタイを締めジャケットを羽織る。せめてもの抵抗にとズボンの中はノーパンだ。
準備が終わると、俺は外に向かって駆け出す。
今日はなんて日だ。陽のあるうちに二度も外出するなんて、これは世界の終わりが近いのか?
太陽はもう低く傾いて、時間は既に夕焼けの頃だ。
綺麗な色の空の下、ノーパンが気持ちいい。直にズボンの生地にすりすりするこの感覚はこれはこれで納得だ。
ゾンビの這った痕跡は今度もくっきり残っている。
お香の匂いも漂っている。
屋敷が町外れにあってよかった。
暫くは人に発見される事もないだろう。
夕日の野道を散策する。
流石に今度は魔族、町内会長さんも出現しない。
だがしばらく行くと集団登下校中の、子供の群れにエンカウントした。
何だか、やかましく騒いでいる。
逃げますか?
>はい。
惠体の効果により、運良く事案は避けられた。
だが様子がおかしい。普段なら不審者として警戒され、遠くからでも石を投げられるのが常なのだが。
これも背広の特殊効果か?
ジャリどもはキャアキャア言いながら、俺ではなく、見当違いの方向に石を投げている。
「ちょっと待って!」
その集中砲火の先には、うずくまったゾンビがいた。
「こ、こら。ダメだ!」
とっさに前に出てゾンビを庇う。
子供達は手を止め、いぶかしげに俺を見る。
嫌だ。注目されるのは鳥肌が立つ。ロリコンならご褒美だろうがネクロフィリアにはキツい。生地に擦れた奴がピクリとしかしない。
「おいたんだえ?」
「なんでとめるの?」
「そいつきもいよ?」
「わるいやつじゃね?」
「せんせにいいつけちゃう?」
単体では攻撃力も魔力も低い子供達だが、集まると危険なのだ。
奴らは緑魔法を使う凶悪な中年女性を召喚する笛や魔道ブザーを手にチラつかせている。
「私は校長先生の知り合いだ。君たちは平民小学校の生徒だね?」
右も左もわからないような低脳には、更に上の権威を引っ張り出して脅すに限る。
これが汚い大人の戦い方なのだ。
嘘ではない。あのヨボは昔、ウチに腰痛治療を受けに来ていた。
「弱いものいじめをしてはいけないよ」
そして正論。
効いてくれ! 頼む!
「だってそいつはしんでるよ」
「きもいお」
「きたない」
「くさい」
「あいつから、ちかよってきたんだよ」
ダメだ。効果はない。
一計を案じ、かの究極魔術師ヨシュアの名言を拝借する。
「分かった。じゃあ決して死なない人だけが、彼に石を投げなさい」
「わけがわからないよ」
「おいたんもくさいお」
「ちんちん!」
「まあいいや、あきちゃった」
「おやつのじかんだからかえろ」
子供達はお帰りになった。
一度、一番悪ガキそうな奴(何故かチンコを出して来た奴だ)が振り向いてふざけて投石してきたが、それも何とか当たらずに済んだ。
戦闘が終了した。
敗北感がハンパない。
いや、ここでは負けた事こそが勝利だ。負けイベントなのだ。
子供は、悪戯をして叱られた事を、決して親には話さない。……最近ではモンスターの親子でない限りは、と但し書きがつくが見た感じ人族だったので、大丈夫だろう。
ならばゾンビの秘密は守られる。
このバトルに勝つためにはリアルな話、魔石油王くらいのステータスが必要になってくるだろう。無理だ。
「大丈夫か?」
うずくまったゾンビに近寄り、手を差し出す。
動かない。死んでるのか? いや死んでるのか。
だが、投石にやられるとか、そんなヤワな死体に作った覚えはないぞ?
*
おともだちになれるとおもった。
へんたいからにげて、ちょうちょさんとあそんでいたら、わたしとおないどしくらいのこがいっぱいきた。
がっこうがえりかな、わたしもいれて?
何でにげるの?
いじめないで!
石をなげないで?
おともだちになりたいだけなのに。
なかよくしたいだけなのに。
わたしがこんなかっこうだから?
そうだわたしは、きたないくさったおじさんなんだ。
かなしくて、じめんにうずくまる。
石はあたってもいたくないけど、かなしくてつらくて、いたかった。
それでも、なみだはぜんぜん出ない。
石がやっとやんだ。とおもったら、へんたいさんが立っていた。
*
心配したが、ゾンビはゆっくりと立ち上がると俺の手を取った。
「さ、お家に帰ろう?」
ゾンビは相変わらずぼーっとしている。頷くタイムラグも遅い。
夕日はもう沈む。
これ執筆のためネクロフィリアについて調べてたら気持ち悪くてちょっと吐きました。