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ある吸血鬼と人間のお話

作者: 川犬

2014年度、横浜祭にて配布した小説です。

 人間とは、我々吸血鬼の生存に必要不可欠な生物である。


 高校の時、生物学の教師はそう言っていた。

 私は、吸血鬼だ。この世界は現在、ほとんどが吸血鬼であり、人間は絶滅が危惧されている。

 人間が絶滅することは私達吸血鬼にとっては死を意味する。なぜならば、私達が食糧とするものは人間の血だからだ。

 だから、私は大学を卒業してから、人間の血に似た食糧を生成する研究を始めた。

 だが、その研究をするには当然のことながら人間の赤い血が必要となる。それならば、人間の血を提供してもらえばいいのだが、吸血目的以外で使用することは非常に困難だった。というのも、私がこれからやろうとしている研究を以前他の研究者達が既に研究しており、全て失敗に終わっているからだ。人々は、数々の研究結果に絶望し、そして人間の血の提供を絶った。吸血鬼達は自分らの繁栄を諦めたのだ。今ある人間の血をちびちび飲んでもあと数日しか生きることが出来ない。


 吸血鬼は飢え死にする。


 しかし、私は諦めない。

 実は、研究に使う人間の血を手に入れる方法はある。その方法を実現させるために必要なものも既に入手している。

「ドラ。タイムホールを開いたよ。三十秒ほどしかもたないからこれを装着してからすぐ行って!」

 私の同志は腕時計型のタイムホールを開く装置を操作して、何もない空間から真っ黒な穴を生成した。そして、私はそれを渡される。私は渡されたものを装着した。

 そう、人間の血を手に入れる方法とは、過去にタイムスリップして過去の人々から血のサンプルを得る方法なのだ。そうすれば、十分な人間の血を得ることが出来、研究に役立てることが出来るだろう。

 ただし、注意すべきことがある。それは、吸血鬼によって犠牲になるよりも前に、犠牲者の人間の血を採取すると、その地点で吸血鬼による犠牲者自体が別の人物になる可能性が生じ、歴史が変わってしまうかもしれないのだ。運が悪いと、吸血鬼のいない現代に歴史が書き換えられてしまうことも可能性としては十分あり得る。だから、時間遡行をして、人間の血を採取することは禁止されている。それでもタイムホールを開く装置さえあれば、他の吸血鬼から人間の血を奪うよりリスクは小さいため、私はこれを選択した。

 私はタイムホールを覗き込む。中は暗闇が広がっていた。

 暗闇に飛び込むのは少々勇気がいるが、飛び込まないわけにはいかない。

 飛び込まなければ、吸血鬼はおしまいだ。

「それじゃ、行ってくるよ。良い土産を期待してくれ」

「ああ、期待しているよ」

 私は同志に軽く手を振り、タイムホールに飛び込んだ。

 タイムホールの中は空気抵抗が存在しないらしく、ぐんぐんと下へ落ちていく。不思議な感じだ。

 私はゆっくりと目を閉じた。次に目を開けるとき、どのような景色が目の前に広がっているのかを想像しながら。



 ドサッと音を立てて、私は下へ叩き付けられた。

「いったた……」

 確かに痛かったが、叩きつけられた時の衝撃はそれほどでもなかった。

 私は目を開けて、今の状況を確認する。

 私を受け止めたのはごみ袋の山であった。

 そして、路地裏のようで、人の姿は一つも見当たらなかった。

「ウッ」

 ごみ袋の山の上にいると認識した途端、強烈な異臭が私の鼻を刺激した。

 私の嗅覚は早くこの場から離れろと言っている。

 私は離れるために立ち上がろうとした。しかし、眩暈がしてふらつき、再びドサッと音を立てて倒れた。

 耳元でぷーんと音がして、手で払う。どうやら私は時間遡行酔いになってしまったらしい。

(……えるか? おい、ドラ。聞こえるか?)

 脳内に直接、同志の声が響き渡る。

(ああ、聞こえるぞ)

(それはよかった)

 私の脳内にはチップが埋められている。このチップによって、場所が離れていても時間が異なっていても会話が実現しているのだ。

(今どんな状況だ)

 私は鼻をつまみながら、返答する。

(ごみ袋の山の上にいる。時間遡行酔いしているから、しばらくまともに動けない)

(そうか、時間遡行酔いが醒めたら、行動に出てくれ)

(……了解)

(じゃ、一旦切るぞ)

 プツンと脳内で何かが切れたような感覚を味わった後、私は指を鼻から外し、仰向けに寝そべった。

 相変わらず、強烈な悪臭はするがだんだん慣れてきた。

 それから私は目を閉じる。時間遡行酔いが醒めるまでしばらく休もう。



 足音が聞こえた。コツコツコツコツと足音が聞こえた。

 どのくらいの時間寝ていたのだろうか。瞼の裏側が寝る前までは赤かったのに、今は黒い。おそらくもう夜だろう。

 夜にごみを捨てに来るのだろうか。私の時代では、朝一番にごみを捨てるのが普通だ。昔は夜に出すのが普通だったのか?

「……ちょっと」

 女性の声だった。それも、まだ子供の声。

 私は目を開けた。街灯が全てを照らしていた。

「邪魔なんだけど」

 私の視界に映ったのは、ぼろぼろの衣類を纏った小学生ぐらいの少女であった。髪の毛は右側でかわいらしい桃色ゴムで縛ってまとめて、サイドテールにしてある。

 私は少女に睨まれながら、ゆっくりと起き上った。体が軽い。時間遡行酔いが醒めたようだ。

「すまないな」

 私はごみ袋の山から降りた。だが、少女は相変わらず私を睨み続けた。

「なんだよ」

 少女は私から視線を逸らし、ごみ袋の山を見ながら問いかけに答える。

「……別に、見ない人だなって思っただけ」

 人、か。

 少女は私のことを人だと思っているらしい。それはそうだ。吸血鬼は外見こそは人間とほとんど変わらないのだ。違いがあるのは、吸血衝動に駆られている時に目が赤く光るのと、吸血用の犬歯が人と比べて若干長いだけ。

 それから少女は私への興味を完全に失ったのか、私の存在を気にせずにごみ袋の山を漁り始めた。

 ガサゴソガサゴソ。

 少女はごみ袋を開けては手を突っ込んで、ガサゴソと音を立てながら何かを探しているようであった。

「何を探しているんだ?」

「食べ物よ。外見で分かるでしょ? 私はホームレスなの」

 そう言いながら、食べ物らしき物体を手にしてはじっくりとそれを眺め、うんと頷くとパクリと食べた。

「腹壊すぞ」

「いいわよそんなの。お腹壊すより、空腹で死ぬ方がずっと嫌」

 少女の目には光が灯っていた。それは生きたいという願望の光。私の時代の吸血鬼達とはまったく異なる光。

 私は少しだけこの少女に興味を持った。

「親はいないのか?」

 その言葉を聞いた少女の手がピタッと止まる。表情に苛立ちが見え始める。


「なんで、見ず知らずのおっさんにそんなこと教えなきゃいけないの?」


 少女は再び私を凍り付いた眼で睨みつける。

「おっさんか。私はまだぎりぎり二十代なんだがな」

「うっさい! そんなことどうでもいい! どっか行ってよ!」

 少女の声が細い路地に響き渡る。先ほどの少女とは全く別人のような迫力のある声だった。

「……へいへい」

 私はくるりと百八十度回転し、少女から離れていった。

 人間に興味を抱いたのは初めてだが、おそらくもう二度とあの少女には会うことはないだろう。



 しばらく路地裏を歩いていると広い場所へと出た。道路をホイールが4輪ついた乗り物が走っている。この乗り物は高校の時に歴史で教わってもらっており、何なのか知っている。自動車という乗り物だ。実物を見るのは初めてなので少しだけ気持ちが舞い上がったのは仕方がない。

 私は、同志に連絡を取ることにした。

 脳内で同志の顔をイメージする。そしてcallと脳内で呟く。

 脳から糸が伸びていくような感覚とともに声が聞こえた。

(お、酔いが醒めたか)

 無事、同志に繋がったようだ。

(ああ、これから行動に移る。吸血鬼による最初の犠牲者のデータ一式を私の脳へ送ってくれ)

 最初の犠牲者。

 私たちが通常の吸血鬼によって犠牲になる人物を特定することは非常に困難だ。だから、今回は吸血鬼による最初の犠牲者にターゲットを絞り込み、吸血鬼の犠牲となってから、その吸血鬼が去った後に血のサンプルを得るという作戦に出ている。

(了解)

 しばらくすると私の脳内にデータが流れてきた。そのデータは私の記憶へと還元されていく。

 最初の犠牲者はおよそ三日後に吸血鬼によって殺害される。殺害されるのは十二歳の『かんな』という名前の女の子で、ピンク色のゴムでサイドテールにしているのが特徴。

 ……先ほど出会ったホームレス少女と特徴が完全に一致していた。もう二度とあの少女に会うことはないと思っていたのだが、どうやらまた会わなければいけないらしい。

(どうだ、ちゃんと送られたか?)

(……ああ大丈夫だ。ちゃんと送られてきている。それと先ほど、最初の犠牲者と思わしき人物とも既に接触していたようだ)

(本当か!?)

 同志の驚いたような声が脳内に反響する。

(本当だ。容姿が服装を除いて完全に一致していた)

(そりゃ、探す手間が省けてラッキーだな。さていいか、ドラ。その少女が吸血鬼に襲われるのはおよそ三日後だ。これがどういう意味なのか分かるな?)

(正確に三日後に吸血鬼に襲われるわけではない、ってことだな? 2日後に襲われる可能性だってあるし、四日後に襲われる可能性だってある。だから、私はその少女を監視しなければならない)

 情報というものは時間が経つにつれ、劣化していくもので、私が生きている時代では、最初の犠牲者が現れる時間帯が曖昧となってしまっているのだ。

(そうだ。警戒を解かせるために、なるべくフレンドリーに接して、彼女と一緒に居続けろ。監視は周囲の人に怪しまれるから、やめておいた方がいい)

(フレンドリーねえ……わかったよ)

 フレンドリーに接するのは、私の苦手なことの一つだ。しかも相手は十二歳の少女。

(よろしく頼むぞ。それじゃ)

 同志の声はそこでプツンと途絶えた。

「……はぁ」

 私は大きな溜め息を吐いた。

 来た道を戻ることにしようか。人間の血を手に入れるためだ。頑張ろう。



 先ほどのごみ袋の山まで戻ったが、そこには少女の姿は無かった。

 悪臭だけが私に存在してますアピールをしてくる。私はそれを無視した。さすがにこの臭いには慣れた。

 そんなに時間は経過していない。ここにいなくともそう遠くへは行っていないだろう。

 それにここは一本道だ。私がごみ袋の山へと戻っている最中に少女に会わなかったのだから、少女は反対方向へ向かった他ない。このまままっすぐ進んでいけば遭遇する可能性は高い。

 私は散乱しているゴミを避けながら、前進する。街灯が路地裏を照らしてくれているおかげで、まっすぐ進むことが出来た。

 ひたすら、何もない道を歩く。歩く。歩く。

 しばらく歩いていると、誰かがうつ伏せで倒れているのが見えた。

 サイドテールの少女。最初の犠牲者になる予定のあの少女であった。

 私は少女の近くにまで近づき、しゃがむ。

「はぁっ……はぁっ……」

 肩を呼吸とともに上下に動かしていることから生きていることは確実だが、呼吸が荒かった。

「おい」

 私は少女の肩をとんとんと叩きながら、声をかける。

 少女はゆっくりと顔をこちらへ向けた。何か痛みに耐えているような顔をしていた。

「だから、腹を壊すと言ったんだ」

「うる、さい……っ」

 そう言いつつも、少女は苦痛に耐えられないのかお腹を小さな両手で押さえた。

 私はポケットから薬を取り出した。

 万能薬。これを飲めばどんな病気も治る。この時代の何十年後もの後の未来で開発された薬なんだ。本来は吸血鬼が服用するものだが、人間が服用しても問題ないだろう。

 私は一粒薬を取り出し、少女の口に突っ込んだ。

「飲み込め。腹痛が治るはずだ」

 少女は私の言う通り、ごっくんとそれを飲み込んだ。

「……」

 私は何も言わず、少女をおんぶした。少女は抵抗する気力もないのか、最初ちょっと身構えただけで素直に私に従った。

 背中から苦しそうな少女の吐息が聞こえる。予想通り軽かった。

 私が少女を助けるのは、歴史を変えないためだ。ここで、死なれて最初の犠牲者にならなかったら困るからな。

 さて、寝床を探そうか。



 寝床はすぐ見つかった。ホテルユーラシアと書かれた大きな看板がある建物を見つけたのだ。

 そこに入り、未来から持ってきたこの時代の現金を渡し、手続きを済ませて早速部屋に入る。ホテルの従業員に若干怪しまれたが、何も問われなかった。

 部屋に入る頃には少女はいつの間にかすーすーと寝息をたてていた。薬が効いて腹痛が治まったのであろう。一安心だ。

 私はシングルベッドに少女を寝かせ、椅子に座った。

 吸血鬼は夜行性だ。今の時間帯が一番活発な時間なのだ。

 少女が完全に寝ているのを私は確認しながら、ポケットからあるものを取り出す。

 ブラッドパック。

 中には人間の血が入っている。少量しか入っていないが、三日は持つだろう。

 そのパックにストローを差し込み、吸い上げる。口の中に入ったそれを飲み込まずに、吸血歯で吸った。その瞬間、体全身に莫大なエネルギーが生まれたかのような感覚が生じる。もう十分だろう。

 私はストローから口を離し、ブラッドパックをポケットにしまった。

 夜行性ではあるが、流石にやることがない状態でずっと起きているのはつらい。私はシャワーを浴びて、それから寝ることにした。



 日光が私を照らし、朝になったことを告げる。

 私は大きな背伸びをして、少女の方をちらと見る。少女はまだ寝ていた。

 時計で時間を確認してみると針が丁度6時を指していた。寝る前に時間を確認していなかったが、おそらくそんなに時間は経ってないだろう。

 体が非常にだるいが、私は椅子から降りて立ち上がった。

 少女を起こして、朝食を済まさせよう。

 私は少女の肩を揺らす。

「おい、朝だ。起きてくれ」

「んん……」

 少女は嫌そうな顔をしながら、布団を頭に被せる。意外と朝に弱いんだな、こいつ。

「朝だぞ、起きてくれ。おーい」

 私は少女から布団を剥がし取る作業に移った。

 布団を引っ張ると少女もそれに抵抗して、引っ張る。どうしても起きたくないようだ。

 起きたくなくとも、こいつが吸血鬼に襲われる日が近づいているんだ。力尽くで布団を引っ張り上げる。

 少女は布団に引っ付いており、布団と同時に持ち上がった。そして耐えられなくなったのかズドンとベッドに落ちた。

「ふぐぅっ」

 少女は睡眠を諦めきれないようで、布団を手でさわさわと探していた。しかし私が布団を持ち上げているため、当然布団のありかにたどり着けるわけがない。

 少女は諦めて、目をこすりながら起き上った。

「パパ、おはよ……」

 どうやらまだ寝ぼけているらしい。

「私はお前のパパではないぞ。起きろ」

 少女は眠たそうな目を開け、ぱちくりと周りを見渡した。そして、私をしばらく見つめてくる。

 私も見つめ返してみると、少女はハッと声をあげ、私のことをビシッと指さした。

「あ、あんた昨日の」

「あんたとは心外だな。私の名前はドラだ」

「こ、ここはどこなの!?」

「ホテルだ」

「ほ、ホテル!? あんたあたしに何する気なの!? あたしまだ十二歳よ!?」

 慌てふためく少女に軽くチョップを下した。

「少し落ち着け。ちゃんと説明する」

 少女は痛そうに頭を抱えて、こちらを睨む。若干目が涙ぐんでいる。

 私は小さな溜め息を吐いた。

「お前は昨日、私の忠告を聞かずに腐りかけの食べ物を口にした。その後、見事に腹を痛め、路地裏の途中でうずくまっていたんだ。私はそれを助けたまでだ」

 少女は沈黙を続ける。

「このままお前をほったらかしにしていたら、お前は死んでいたかもしれないんだ。私に何か言うことはないのか」

 少女は私から目を逸らす。

「……別に」

 少女は聞き取れるか聞き取れないかの微妙な声の大きさでそう返答した。

 少しだけむっとなったが抑えた。

 相手は人間だ。気にすることはない。

「可愛くない奴だな。まあいい。それじゃ朝食を食べに行くぞ」

 私を見上げる少女の目が大きく見開いた。

「どういうこと?」

「お腹空いていないのか。朝食を食べに行こうと言っているんだ」

「誰とよ」

「私とだ」

「は、はぁ!? だ、誰があんたなんかとっ」

 少女は座ったまま後ずさり、ベッドの端まで移動した。

 きゅぅー。

 突如少女のお腹から可愛らしい音が聞こえてきた。

 少女の顔がみるみる赤くなっていく。耳まで赤い。

「ほら、行くぞ」

「……」

 さすがの少女も食欲には耐えられないようで、こくんと小さく頷いた。

 私と少女はホテルの食堂へ向かった。



 ぱくぱくもぐもぐ。

 少女は、呼吸をする暇もないぐらいの勢いで食べ物を口の中へと放り込んでいく。

 私はその様子を少女と向かいの席に座って、眺めていた。

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。

 少女はしばらく食べ続け、お皿の上の食べ物がほとんど何もなくなった頃にやっと手を止めた。

 そういえば、こいつの名前聞いていないな。データによると『かんな』という少女が最初の犠牲者となるようだが、果たしてこいつの名前はかんななのだろうか。もしかしたら、顔が似ているだけでまったくの別人なのかもしれない。

「お前、名前はなんて言うんだ」

 私の声に気付いたのか少女はこっちを見た。しっかりと私の目を見てくる。

「それを聞いてどうするの」

 あの時、同志はフレンドリーに接してくれと言った。どうすればフレンドリーな返答になるのだろう。

 少しだけ考えた末、とりあえず思いついたセリフを私は言うことにする。

「名前が知りたいと思っただけさ」

 フレンドリーな返答とは言えないかもしれないが、悪くはない返答なはずだ。

「ふーん……まあいいわ、ごちそうしてくれたお返しに教えたげる」

 なんて偉そうな態度なんだ。

 少女は胸を張って答えた。

「あたしはかんなっていうの」

 私の脳内にあるデータと完全に一致した。

 目の前の少女、かんなが最初の犠牲者になる少女で間違いない。

 ということは、いつかんなが吸血鬼に襲われるのかも分からない訳だから、一緒に行動しなければいけないことは確定したというわけだ。

「かんなっていうのか。よろしくな」

「何が、よろしくな、よ。ねえ、今度はあたしが質問していい? 私をどうするつもりなの?」

 私は核心には触れない程度に正直に答えた。

「特に何もする予定はないが……まあしばらく行動を共にしたい」

「は? しばらく行動を共にしたい?」

「ああ」

 少女は怪奇的な目で私を見る。

「やっぱり、あたしの身体が目的なの?」

「なんで私が十二歳のガキに欲情しなきゃいけな」

 突如、左足にドスッという音とともに痛みが生じた。かんなに蹴られたらしい。

 私はポーカーフェイスを貫いた。

「とにかく、詳しいことは言えないがしばらくの間行動を共にしなければいけないってことになっているんだ。ダメか?」

「……」

 かんなは私のことをじっと見つめる。

 私も真剣に見つめ返す。

 かんなは目を逸らした。

「理由くらい教えてよ……」

「それは悪いが無理だ」

「どうしても?」

「……そうだな。かんなの両親について教えてくれれば私も教えてやろう」

 昨日から地味にそのことが気になるので私はそれを条件とした。かんなが両親について教えてくれても、私は本当のことを話すつもりは到底ないが。

 かんなの表情はみるみる曇っていった。両親について聞くのはどうやらタブーなようだ。

「教えたくない」

「そうか。ならば交渉決裂だな」

「……もうそれでいいよ」

 かんなは半ば諦めているようであった。私としては助かる。

「よし、それじゃ十分朝食を食べたことだし、一旦部屋へ戻ろう」

 その後、何十日もシャワーを浴びていないであろうかんなにシャワーを浴びさせ、私達はホテルからチェックアウトした。



「で、かんな。普段何やっているんだ」

 かんなは表情を曇らせたまま、地べたに座り込んで俯いている。

 私はその隣で立っている。

 私たちは大通りでコンクリートの壁を背にしていた。たくさんの人や車が私たちの前を横切る。

「別に。いつも何もしてないわよ。お腹が空いたら食べ物を貰いに行ったりしているくらい」

 そう言ってから、かんなはボロボロの衣類に顔を埋めた。

「そうか……」

 私はかんなの隣に腰を下ろす。

「昨日は、ごみ袋の中の食べ物を口にしていたが、食べ物をめぐんでもらえなかったのか」

「……いつも貰いに行っているお店があるんだけどね。そこの店番をしているおばあちゃんがね、昨日病気で倒れちゃって」

 かんなの声はどことなく震えていた。今にも泣きそうだった。

「なるほど。それでかんなは空腹で耐えられなくてあんなことをしたんだな」

「……」

 かんなからの返答はなかったが、おそらく図星だろう。

 私は目の前を横切る人や車を見ながら小さな溜め息をついた。

 吸血鬼の犠牲になるまでくらいかんなの面倒は見てやろう。なんだかあまりにも可哀想に思えてきた。ちなみにこれは同情だ。

 私も黙り込むことにする。お昼になったらコンビニにでも行って何か買ってこようか。

 目の前を横切る人々にはいろんな人がいた。杖を使って歩く老人。カップル。妊婦。

 しばらく眺めていると、一人の男の子が私たちの方へ寄ってきた。

 かんなの友達なのか。かんなはそれには気づかない。

 と、男の子はいきなりかんなのことを人差し指で指し、大きな声で言う。

「ねえ、まま! なんでこの人のお洋服ってさ! こんなに汚いの!」

 ビクッ。

 かんなは肩を小さく揺らし、さっきよりも深く顔を埋めた。

 私は男の子を睨んだ。

 なんて無神経なやつなんだ。幼い奴は空気を読まない。

 男の子の背後からその男の子の母親らしき人物が近づいてきて、男の子の手を取った。

「ほら、ゆーちゃん! こんな人に近付いちゃだめよ! 何してくるかわからないわ!」

 男の子は母親を見上げた。

「はぁーい」

 それから母親は男の子を連れてささっといなくなる。

「……」

「……」

 沈黙だけがその場に残った。

 私は一つの決断をする。

 さっき、私はかんなの面倒を見てやろうと思った。だから、見てやることにする。

「かんな」

 私は立ち上がりながらかんなの手を取り、引っ張った。

 かんなは顔をあげ、私に引っ張られながら立ち上がる。目には涙がたまっていて今にも零れ落ちそうだった。

「洋服を買いに行こう」

「え?」

 かんなは戸惑いを隠せないようだった。

「でもお金……」

 私は微笑んだ。

「お金はいくらでもあるから気にするな。実は私は金持ちなんだ」

 実際、この時代のお金はいくらでもある。いや、正確にはいくらでも作れるのだが、そんなことをかんなに言ったら逆に怪しまれるだろうから、それは言わないでおく。

「さあ行くぞ」

 私はかんなの手を引っ張った。だが、かんなの小さな手はそれを拒否した。

「そんなの、悪いよ」

 私とかんなの手が離れる。

「あたしなんかのためにそんなことしなくていい。この服でも十分だから」

「かんなはさっきみたいに言われてもいいのか?」

 かんなは目を伏せる。

「いいよ……」

 その声は自信なさげだった。

 このままじゃ埒が明かないな。

 私はある案を提示することにした。

「なあ、かんなの誕生日プレゼントとして私が洋服を贈るのはダメか?」

「へ?」

 かんなの目に若干輝いた。

「い、いいのっ? って、いやいやいやいやだめよ。やっぱり悪い悪い悪い! そもそも今日誕生日じゃないしっ!」

 もう少し押せば、押し切れそうだ。

「誕生日はいつだ?」

「それは……分からない」

「分からないってどういうことだ」

「あたしね、祝われたことないの、誕生日に。だから知らなくて」

 押し切れると思ったが、予想外の状況に陥ったようだ。

 かんなが自分の誕生日を知らないらしい。

「それじゃ、今まではどうしてきたんだ? どうやって自分の歳を数えていた?」

「一回だけ年齢を教えてもらったことがあって、その日を誕生日ってことにしているの」

「その日はいつだ?」

「三月三日よ」

 今日は三月三日ではない。さて、どうすればいいか。そんなことはもう既に思いついている。

「……本当の誕生日が分からないのなら、今日をかんなの誕生日にしてもいいんだよな」

「へっ?」

 三月三日も本当の誕生日である可能性は低い。それならばいつ誕生日にしても構わないはずだ。

 かんなに洋服を買ってやるためだ。

 私は再びかんなの手を取った。

「誕生日おめでとう、かんな。さ、誕生日プレゼントを買いに行こう」

 強引にかんなの手を引く。かんなは抵抗しなかった。



 洋服店で私とかんなは洋服選びをし、二時間もかけて洋服を購入した。

 その一つを選ぶためにそれだけ時間をかけるくらいなら面倒だから候補の洋服は全部買ってやってもよかったのだがな。かんなは一つでいいと頑なに貫き通したいようだったので私の方が仕方がなく折れた。

 洋服店を私とかんなは出た。外はまだ明るい。

 隣で歩いているかんなは購入した洋服が入っている紙袋を大切そうに抱えながら、時折微笑んでいる。

 さっきまでとは全然違うかんなの表情が見れた。なんだか私の方も楽しくなってくる。

「ねえ!」

 かんなは私の目の前まで移動し、笑顔になった。

「ありがとねっ! ドラ!」

 それは今までで一番の満面の笑みだった。

 私も微笑んだ。

「早速着てみたらどうだ」

 かんなは笑顔で紙袋に目を向ける。

「え、でもいいのかな。なんかもったいない!」

「そうやっていつまでも着ないのももったいないと思うけどな」

「うーん、それもそうねっ!」

 そんな会話をしているうちに、小さな公園に通りかかる。お手洗いがちょうどその公園の中にあった。

「着替えてくるね!」

 かんなは私に手を振って、お手洗いの中に入っていった。

 しばらくするとかんなはお手洗いから出てきた。そして、私を見つけ走り寄ってくる。

「ドラー!」

 かんなは少しだけ息を切らしながら、私の前まで来ると軽くポーズを取る。

「ねえ、どうっ?」

 かんなはさっきとは違って女の子らしい容姿へと変貌していた。サイドテールの可愛らしい少女だ。

「似合っているぞ」

 試着の時にも見たが、改めて見てもやはり似合っていて良い。見ていて飽きない。

「えへへ、ありがとう」

 かんなはほんのり頬を赤らめる。照れているのだろう。

 それから少し間があって、かんなが口を開いた。

「ね、ドラ」

「なんだ?」

 かんなの顔がみるみる赤くなっていく。

 どうしたんだ?

「あたしね、今までこんなにやさしくされたことなかった。いつもいつも邪魔者扱いされたり、馬鹿にされたり。あたしに食べ物をくれるおばあちゃんだってあたしが食べ物をねだりに来るたびに早く帰ってほしそうにさっさと食べ物を渡すだけだった。こんなことまでしてくれたの、ドラだけなの。だから、さ」

 かんなは俯き、たまにちらちらと私を見ながらこう言った。


「あ、あたしともっともっと一緒にいてください!」


 え?

「お願いしますっ!」

 かんなは勢いよく頭を下げた。

 私の思考が一気にフリーズする。

 これは、なんだ?

 目の前にいる少女は、私に何と言った?

 一緒にいてくださいってことは、これは、つまりどういう。

 私に焦りが生じる。

「ちょ、ちょっとまってくれ。この際言ってしまうが私がかんなと行動を共にするのは後二日が限界だぞ。というよりなんで私なんだ」

「だから、ここまであたしをやさしくしてくれたの、ドラだけだからなの! あたし、ドラのことが好きになっちゃったみたい!」

 かんなの口からはっきりと好きだという言葉が出たのを聞いた。聞いてしまった。

「好きになっちゃった!? 早急すぎないか!? だって、昨日初めて会ったばかりじゃないか!」

「そんなの関係ないの! あたしの人を見抜く力が優れていただけだわ!」

 かんなのその言葉を聞いて、私は落ち着きを取り戻し、冷静になった。

 私は小さな溜め息を吐いた。

 人を見抜く力が優れていた、か。

 さっきの一瞬、私は私自身が吸血鬼だということをすっかり忘れていた。それを今思い出した。

 楽しかった時間が一気に別の物に変わってしまったような、そんな感覚を覚えた。

「残念ながらかんなは私のことを何も見抜いてないよ」

「見抜いてるわよ! ドラ、あんたがすごく優しい人だってこと見抜いてる!」

「確かにそれはそうかもしれないな。だが、他にもかんなの知らない私のことはたくさんある」

 例えば、私が吸血鬼であること。例えば、私が未来からやってきたということ。例えば、私が人間の血を採取するために来たということ。例えば、かんなが数日のうちに吸血鬼による最初の犠牲者になることを知っていること。例えば……。

「あるなら教えてよ! あたし、ドラのことならなんでも知りたい!」

「知ったら絶対にかんなも……私も後悔するからそれは教えられない」

 再び少しの間が空く。かんなの表情が沈んでいった。

 それでも諦めきれないようで、私に何か声を掛けようといろいろ頑張っているようだった。

 私はそんなかんなの頭をやさしく撫でた。

 かんなは抵抗しなかった。

「本当にごめんな」

 かんなの目が徐々に潤い始める。

 そして、目に涙をたっぷりと溜めながら、頭にある手をどけて私のことをまっすぐと見つめた。何かを決心したという瞳をしていた。

「あたしのこと、全部話すわ」

「私のことは何も話さないぞ」

「それでもいい! 聞いて」

 かんなはゆっくりと深呼吸をした。

 それから目に溜めていた涙を手でごしごしと拭き取る。

 そんなことをしたら洋服が涙で汚れちゃうじゃないか。そう言おうとしたが、やめた。これからかんなが大事なことを話すんだ。邪魔をするわけにはいかない。

 脳内で通知音が鳴り響く。

 同志からの通知が来ているようだったが、それも無視することにした。後で連絡しよう。

 さて、一人の少女は話を切り出す。

「あたしのパパとママはね、あたしのことが嫌いなの。小さい頃からあたしに全然構ってくれないし、家にいることはほとんどないし。それで、挙句の果てにはあたしを養子に出した」

 再び脳内で同志からの通知が来た。私はキャンセルした。

「養子先でもあたしの扱いはひどかった。あたしのことをよく思ってないみたいで、あたしは養子先のおばさんに蹴ったり殴ったりされた」

「それを誰にも言わなかったのか?」

 かんなは首を横に振った。

「誰にも言わなかったんじゃなくて、誰にも言えなかったの。おばさんが怖かったから」

 かんなは一度呼吸を置いて、再度話し出す。

「養子先でひどい目にあったから、あたしは耐えられなくなって家を出た。そしてホームレスになった」

「それで今に至る……と」

「うん……あたし、本当にここまでやさしくされたの初めてなの。だから、さっきは自分の思いを抑え切れなくなって、思い切って言っちゃった。いきなりでごめんなさい」

 ぺこりとかんなは頭を下げた。そして頭を上げ、私をじっと見つめた。私の返答待ちのようだ。

 かんなは小さい頃から大切にされたことがないと感じていて、辛かったのだろう。私がそんな状況だったら、耐えきれなくなって自殺したに違いない。

 でもかんなは生きようとした。養子先の家を出て、ホームレスとなってもなお生きようとした。食べ物をくれるおばあちゃんがいなくてもごみ袋を漁って食べ物を探し、生きようとした。生きようとしたんだ。

 それってすごいことなんじゃないか。

 タイムホールに落ち行く前の時代の吸血鬼はかんなと比べてどうだ。一部を除いて、皆諦めていた。かんなとは違って生きることを諦めていた。生きようとしなかった。

 目の前の少女の目には光が宿っているように私には見えた。生きたいと願う強い意志の光が。

 私は自然と口端が緩んだ。

「私の負けだ。かんな」

 吸血鬼は人間には叶わなかったよ。

「へ?」

「ちょっとまっててくれ」

 突然の私の宣言にかんなは混乱しているようだったが、私はそれを無視してかんなから背を向けた。

 そして目を閉じ、脳内で鳴り響く通知に応答する。

(おいドラなんで出てくれないんだ!)

 それが同志の第一声だった。かなり取り乱している感じだ。

(すまないな)

(……まあいい。緊急事態だ。今すぐその少女から離れろドラ)

(なぜだ?)

(吸血鬼がもう時期、やってくることが判明した。その時にお前が少女と一緒にいると歴史が変わってしまう!)

(……ほう)

 予定よりずいぶんと早いじゃないか。

 私は大きく息を吸って、吐いた。

(すまないな。同志よ)

(ん? おい、お前まさか)

 私は同志の話を最後まで聞かずに切った。通話を切って、吸血鬼とも縁を切った。

「ねえどうしたのドラ」

 後ろからかんなの不安そうな声が聞こえた。

 私は人間側につくことにしたんだよ、かんな。

 振り返って、かんなの両肩を掴む。

「ひゃっ!? え、えと、え!? 何!?」

 かんなの顔が真っ赤に染まる。

「あ、そういうこと? で、でもまだ早すぎるよ……」

 それからかんなは目を閉じ、身構えた。

 何か勘違いをしているらしいが気にしないことにした。

 私はかんなと同じ目線になるようにかがんでこう言った。

「私はお前の見方だ」

 そして肩から手を離した。

 かんなはプルプル震えながら、何も起きないと分かったのか恐る恐る目を開けた。その目が直接私を捉える。

「ど、どういうこと?」

 かんなは戸惑う。

 そんなかんなを見て、私は全てを話そうと決心した。

「全部話すよ」

 まずは、かんなの今の状況から話そうか。

「もう時期――」

 まだ、話し始めたばかりだった。話し始めたばかりだったのに。

「――おい、てめえら……イヒヒ」

 私の言葉がかき消され、背後から汚い声が聞こえた。

「説明する前に来てしまった、か」

 私はかんなを背中に隠すように振り返った。私の前には涎を垂らし、興奮状態にある吸血鬼の姿があった。彼の目は赤く光っている。

 ある日突然、人間から突然変異で吸血鬼へとなってしまった彼は、人間の血を吸わなければ生きていけない。

「俺さあ、なんかよくわかんねえんだけど、血が欲しいわけね。真っ赤な血が欲しいんよ。イヒヒ」

 彼は今すぐにでも襲い掛かってきそうな体制を取っていた。

 吸血鬼の戦闘力は人間に比べて段違いで上だ。一般人が相手になったところで武器を持たないなら一瞬で負ける。プロボクサーだろうがなんだろうが一瞬で潰される。

 だが相手も吸血鬼ならば、そうはいかない。

「……かんな、逃げてくれ。逃げないとかんなは死ぬことになる」

「え、なんで? というか、まったく状況がつかめてないんだけど」

「理由は後で話す。それと私についても全て話す。絶対に話すから逃げてくれ」

 私は背後にいるかんなの肩を強めに押した。

「わ、わかった!」

 その言葉の後に走り去る音が聞こえた。

 彼は不機嫌そうな表情をする。

「おいおいおいおいぃッ! 勝手に逃がしてんじゃねぇぞ。……まあいい」

 ニタニタと彼は笑った。

「俺は昨日からなぜか力であふれているんだ。すごいんだぜ?」

 彼は近くに落ちていた大きめの石を手に取り、それを私目がけて振り投げた。

 その弾丸よりも速いそれに当たれば、当たった場所は確実に貫通する。

 私はそれをひらりと避けた。

 石はお手洗い所の壁に当たり、石と壁が砕け散った。

「あ? 避けただと?」

 彼は驚愕しているようだが、この程度の速度ならば対処することは簡単だ。

「当たり前だ。私はお前と同じなんだからな」

 彼は硬直した。

「お前も俺と同じなのか?」

「ああ、そうだ」

 私はポケットからレーザー銃を取り出す。

 それを彼に向けた。

 自らの手で終わらせようじゃないか。

「さよなら、吸血鬼」

 レーザーは一瞬で彼の頭を貫いた。彼は声を上げることもなく、私の正体を知って困惑した状態のままばたりと倒れる。

「……」

 私はレーザー銃をポケットに仕舞い込んだ。

 背中から変な汗がにじみ出てくる。

 歴史が変わった瞬間だった。

 ああ、やってしまった。

 歴史が変わると私自身がどうなるのか、それは知らない。もしかしたら、私という存在がそもそも消えてしまうのかもしれないし、消えてしまわないかもしれない。

 でも、今の私にとってはそんなことはどうでもよかった。かんなさえ、犠牲にならなければ何でもよかった。

「ドラ!」

 かんなの声が聞こえてきた。

 逃げろと言ったのに、どうやら聞き入れてもらえなかったようだ。

「そいつ、倒れちゃったけど……何したの?」

「かんな、どうして戻ってきたんだ」

「え……ごめん。だって、心配だったから」

「そうか……」

 かんなは本当に強い。吸血鬼の何十倍も何百倍も強い。

「あれ、ねえなんか……」

 かんなは私に近付いて私の手を握ろうとした。しかし、握ることは出来ないようだった。

「え……嘘……」

 私の手足は透けていた。どうやら、歴史が変わると私の存在も変わるようだ。

 私はかんなの頭を撫でようとした。しかしやはりすり抜けてしまい撫でることは出来なかった。

「私は未来から来たんだ。そして、お前がそこで倒れているやつに殺されるのを見届けることになっていた」

 私は冷たくなっているであろう吸血鬼を指す。少女の視線がそこに移る。

「私の正体はそいつと同じ、吸血鬼だ。時間がないようだから、詳しいことは言えないが未来は吸血鬼の時代となっていて、人間の血が足りなくて私が過去に戻って人間の血を採ってくることになっていたんだ。それがかんなだった」

 かんなは声も出せないようで私を見つめたまま突っ立っている。

「だが私は、吸血鬼を殺してまでそれを阻止した。さっきのかんなの話に心を打たれたからだ」

 私は一つ間を置いて、それから再び話す。

「私はかんなを死なせたくないと思った。その結果が今の状況だよ」

 かんなを孤独にしてしまう。でも、かんなが死ぬことよりかは全然マシだ。

「かんなはこれから孤児院を訪ねるといい。そこはかんなを温かく受け入れてくれるはずだ」

 私という存在がどんどん薄くなっていく。

「かんな、これからも強く生きてくれ」

 私はもはや意識だけの存在なのかもしれない。声が出ているのかもまったく分からない。でも、自身が笑っているということは分かった。

「わかんないよ……吸血鬼って何? 私が殺されていた? いきなりそんなこと言われても全然わかんないよ……ねえ待ってよ。いかないでよ。あたしはドラと一緒にいたい。……いたい!」

 その言葉を最後に、視界が真っ白になった。

 音も、色も、何もない空白の世界。

 意識はまだ残っているが、それも徐々に薄くなってきている。この空白の世界に溶け込んでいく。

 最後に私はこう思った。


 これで良かったんだ、と。




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