秋のごはん
ルディはトウヤと買い食い。ミノリは直継とシロエのところへお届け物──という訳で、めずらしく今日はひとりの帰宅になってしまった。
やけに静かなギルドハウスの入り口で、五十鈴はこっそりため息をついた。やっぱり意地をはらずに買い食いに付き合えばよかったかもしれない。
(いやぁ、でもやっぱり乙女としてはさ!)
いつもなら買い食いだってそこまで嫌じゃない。けれど今日の彼らの目的がニンニク大増量スタミナドラムスティックとなると、ほんのりある興味を殺していってらっしゃいと言うしかなかった。
(まァいっか。屋上でリュートの練習でもしよう)
<吟遊詩人>である五十鈴は時間を見つけると、屋上で楽器の練習をするようにしている。もちろん戦闘訓練はフィールドでできるし、職業が<吟遊詩人>だからと言ってそこまで楽器の演奏能力は問われない。が、指が動くようになればなるほど、実際の<歌>もよく響くような気がしていた。
(誰もいなければ集中できるしね!)
けれど階段を数段上がったところで、上から柔らかい音で名前を呼ばれた。
「もしかして五十鈴っちですかにゃ?」
姿などまだ見せていないのに、誰の足音か聞き分けてみせる。この能力が猫人族のものなのか、にゃん太個人の特技なのかを五十鈴は知らない。
「あーえっと、ただいま、です」
「おかえりなさいですにゃー」
階段を上がりきって顔を覗かせると、エプロン姿のにゃん太がにこりと笑う。
(やっぱり誰かいると安心するな……)
思いながら「あの、あたしちょっと屋上へ……」と言いかけるとにゃん太が先に口を開いた。
「ちょうどよかった、五十鈴ちに少し頼みたいことがあったのですにゃ」
ぱちり、と五十鈴は目を瞬かす。年少組全員で何かを頼まれることは多いが、個人の名指しは珍しかった。少しだけ緊張して続きを促す。
「と、その前にこれを見てもらいますかにゃ」
「え、なに…って、うわあ!」
体をよけてにゃん太が見せたテーブルには山盛りになった野菜。じゃがいもに、栗に里芋。特にすごいのはまだ枝にびっしりぶら下がったままの、鮮やかな緑色した枝豆だった。
「今日少しばかりお手伝いにいった先で気前よくどっさり頂いてしまったのですにゃあ」
にゃん太はやけに申し訳なさそうにいうが、手伝い先が<大地人>のグループであったなら<冒険者>の手伝いに感激する部分が多かったのだろう。特に人当たりのいいにゃん太のこと、きっと喜ばれて感謝されまくりの結果なんだろうな、と五十鈴は思う。
それはさておき。
「枝から外すの、手伝えばいいですか?」
言いながら威勢よく袖捲りする。現実世界にいる間も、よくこんな感じで母親に手伝いを頼まれていた。が、にゃん太はひげを撫でながら言った。
「それももちろん助かりますがにゃ……実はお願いしたいのはBGMだったりするのですにゃー」
「BGM?」
にゃん太の目が糸のように細まる。
「いやあ、山盛りの野菜を見ていていたらですにゃ、現実世界ではよく時間のかかる下拵えの時に音楽をかけていたにゃあと思い出してしまって」
「え……や、それってまさかあたしに? 今ここで?」
「いけませんかにゃ?」
うそ、まさか、と思いながらにゃん太を見るが、どうやら彼はどこまでも本気のようだ。
(ええええ、一対一で演奏なんて恥ずかしすぎるでしょー?!)
「曲はなんでも構わないのですにゃ。とにかくこの量を片付けるとなると、何か楽しみが欲しくなってですにゃ」
「う……ううう……」
本当なら無理ですの一言で終わった話だ。けれど、いつも美味しいご飯をたくさん用意してくれる彼に、何か返せるのならという気持ちが恥ずかしさより少しだけ上回った。
「あ、でもどんなジャンルが好きなのか、知らないです」
「なんでも構わないですにゃ? 今練習している曲でも得意な曲でも」
そう言われるとかえって悩んでしまう。そもそもにゃん太の年頃の男性となんて五十鈴はほとんど話した事がない。自分の父親よりはさすがに年下だろうが、落ち着きや優しさで比較すると、ちょっと子供っぽいところのある父よりずっと大人かもしれないと悩んでしまう。
(にゃん太さんのイメージならクラシックとかジャズとか? でももしかしてメタルとか激しいのが好きだったりして……いやいやまさか)
ううーんと悩みながらとにかく楽器の用意を始めると、了承を得たとばかりににゃん太もテーブルに座る。ぱちん、ぱちんとハサミを使う音が響く。
「ああ、これは……」
迷った末に弾き出したメロディーに、にゃん太の耳がぴくり、と動く。彼の好きな曲をどんぴしゃで当てるなんてことはできっこない。だったらメジャーで優しい曲を、と選んだものは、どうやら正解だったようだ。
「好きな映画ですかにゃ?」
頷くとなるほど、と優しく返る。
「バイオリンの工房には、一度行ってみたいと思っていましたにゃ」
「あ、素敵ですよね。あたしも楽器を作るところ一度ちゃんと見てみたいって思って……」
奏でたのは日本の有名なアニメスタジオの作った映画の曲。同年代の男女の甘酸っぱいような恋愛物は、好きだと語るには少し恥ずかしかったが、曲と、にゃん太のいう通り楽器を作るくだりが素敵だと思い、譜面などなくても弾けるくらいに耳に旋律が残っていた。
奏でているとやはり音楽は楽しく、そのまま次々に同じスタジオの作る映画曲を奏でた。たまにアレンジをして、時おり混じるにゃん太の雑学的な裏話に驚いたりして。
「いやあ、満喫しましたにゃ! 我が輩ひとりで聴くのではもったいなかったですかにゃあ」
「や、あたしも楽しかったし、また機会があれば弾きたいなとも思うし」
「ぜひお願いしますにゃ」
たくさん弾いて、少しだけ歌って、気がつけば体がぽかぽかに温まっていた。
にゃん太のほうもとっくに枝豆は外し終わり、いくつか里芋を剥いて、虫食いの栗も除け終わっていた。
「さて、それにしてもたくさん時間を頂いてしまいましたにゃ。他にご用事はなかったですかにゃ?」
「大丈夫です。それより、お料理のほうも手伝いましょうか?」
調理自体は<料理人>スキルをもっていないため手伝えないが、横にいて手助けくらいは出来ると思う。が、にゃん太はなぜか困ったように笑った。
「ぜひ──と言いたいところですが、今日のところは遠慮しておきますにゃ。これからの作業は女性にはちと刺激が強い……」
「? 刺激って、あたし魚さばくのもお肉切るのも大丈夫ですよ、田舎育ちなんで」
言うとさらににゃん太が笑う。
「勇敢なお嬢さんは素敵だと思いますが、今日は本当にやめておいたほうがいいと思いますにゃあ」
「そこまで言われたらかえって気になりますよっ。大丈夫、その辺の女の子とは気合いと根性が違いますから」
本気で伝えたのを、では試しにちょっとだけ見てみますかにゃ? とにゃん太に訊かれる。
そうして促されるままキッチンへ向かい、流しに横たわるものを見て五十鈴は絶叫した。
涙目。
あれはさすがに受け入れられない。
生理的な嫌悪といおうか、根源的な恐怖といおうか。
その日の晩御飯は栗ご飯に揚げ出し豆腐の枝豆とろみ餡かけ。お味噌汁と酢の物、そしてメインは里芋とイカの煮物だった。
自分の握り拳より大きい目玉と至近距離で目を合わせてしまった五十鈴は、八分割された吸盤をコリコリと噛み締めながら、今後にゃん太の忠告は真剣に受け止めようと心に誓うのだった。
巨大イカは、巨大なわりに、柔らかく真っ白でとても美味しかった。