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* 5 *

『蒼の誕生日のプレゼント、もう買ったんだ』


『絶対、喜ぶはずだから、……だから、お願い、戻ってきて』



 眩しい陽射しに目を開けると、そこは見慣れた自分の部屋だった。カーテンの隙間から射し込む朝日が、丁度ベッドの上の僕の顔を照らしている。僕は一瞬、今がいつなのか解らず、考えた。が、壁のカレンダーを見て、思い出す。そうだ、今日から、新学期だ。どういうわけか、秋だったような気がしたが、きっと夢のせいだろう。

 それにしても、まだ時間が早すぎることを知った僕は、朝食の準備を始めた母親に、珍しいものでも見るような顔をされながら外に出た。生まれたときからこの海辺の街で育ったせいで、特に珍しくもなくなっていた海が、何故か今日は、気になる。

 堤防に登って砂浜を見下ろすと、そこには黒いボルゾイ犬のステラを連れて散歩をしている、見慣れた親友の姿があった。

「パァル! おはよう!」

 大声で叫ぶと、気付いて砂浜で両手を振った。その隙に犬が逃げ出し、慌てて追いかけていく……。普段は大人しくて従順な犬なのだが、海を見ると興奮するのか、それとも飼い主に問題があるのか、突然勝手な行動をするのだ。見慣れた光景だけれど、何だか懐かしい。そう感じる根拠も解らず、急すぎる堤防の階段を降りて行く。

「やっと捕まえた、」

 息を切らせて、パァルが駆け寄ってきた。犬は海に飛び込んだのか、濡れそぼっている。飼い主が側にいるのもお構いなしで、大きな体をふるって水滴を飛ばした。それも、いつもの光景。

「油断するからだよ。ちゃんと繋いでおけばいいのに」

 何度も言った気がするセリフを口にしながら、犬に完全に馬鹿にされている親友を、僕は呆れ顔で眺めた。何度逃げられても、リードを付けようとしないのは、彼が意地っ張りの負けず嫌いだからだと解っているけれど。

 堤防の向こうから母親の呼ぶ声が聞こえて、我に返った。時間を忘れていたが、今日から新学期だった。

「いけない、僕も早く帰らなきゃ、」

 パァルも慌てて、まだ遊び足りない犬の首輪に手をかけ、引き摺るようにして帰って行った。



『蒼、もうすぐだよ。もうすぐ会えるよ』


『僕のこと、覚えててね、絶対だよ』



 そう、そのあと僕は朝食をとり、急いで着替えて家を出た。途中、パァルの姿を見つけて駆け寄ると、僕の靴を見るなり、途端に不機嫌な顔になった。新学期に新しいお揃いの靴を履いて行く約束だったのを、つい昨日までは覚えていたのに、今朝になったらすっかり、忘れていたのだ。

 ……どうして今から起こる事が、解っているような気がするんだろう。まるで、一度経験した事を思い出すかのように、脳裏に浮かんだ。それが不思議に思えた瞬間……。

 目の前に、真っ白な光が広がった。自分が目を開けているのか、それとも閉じているのか定かではなかったが、とにかく眩しかった。しばらくその強烈な光と戦っていると、今度は耳に、規則正しく刻む電子音が聞こえてきた。何だろう、この音。目覚ましかな。今日から、新学期のはずだから。

 考えていると、次に聞こえてきたのは、廊下を走る、バタバタという足音だ。廊下、なのかどうかは解らないが、丁度、遅刻ギリギリの教室の外を、誰かが全力で走っている時の音に似ていた。その足音はどんどん近づいてきて、乱暴に扉を開ける音がし、僕のすぐ横で、止まった。随分急いだのだろう。息を切らせているのが解る。

 ようやく明るさに慣れてきた僕の目に映ったのは、見慣れたパァルの綺麗な顔。ただ、数えるほどしか見たことのない、泣き顔だったのには驚いたが。

「蒼、……」

 何か言おうとして、パァルは幼い子供のように、声を上げて泣き出した。何があったのだろう。もしかして、あの犬が? 小学校の頃、初代のステラが死んだ時も、こんなふうに泣いていたから。それとも、……何だろう。

 やがて、僕の周りを、大勢の人間が取り囲んで、口々に、良かったね、もう大丈夫だね、と言いながら涙を流した。僕はわけも解らず、ただその真ん中で、ジッとしていた。


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