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「言ったら変わるから」って、同じ理由で三年間すれ違ってた幼なじみの話

作者: たくわん。
掲載日:2026/04/10

 高二の春、幼なじみの陽向が「好きな人ができた」と言った。


 俺——羽村透——は、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てて沈んだ気がした。


 でも、その感覚の意味を考える前に、陽向は続けた。


「相談に乗ってくれる? 透ならわかってくれると思って」


 ああ、そういうことか。


 俺は笑った。たぶん自然に笑えていたと思う。三年間、ずっと練習してきたから。陽向の前では、なんでもないふりをする練習を。


「いいよ。誰なの」


「……それは、まだ言えない」


 陽向は少し俯いて、耳の後ろを掻いた。そういう仕草をするとき、陽向はいつも照れている。小学校の頃から知っている。


「どんな人?」


「……毎日会う人」


「クラスメート?」


「……うん、まあ」


 歯切れが悪かった。いつもはっきりものを言う陽向が、こんなにもじもじするのを俺は初めて見た。


 それがまた、胸に刺さった。


「好きになったきっかけは?」


「……ずっと前から好きだったのかもしれない。気づいたのが最近なだけで」


 そうか。ずっと前から。


「伝えるつもりある?」


「……わからない。でも、伝えたい、とは思ってる」


 陽向は窓の外を見た。夕方の光が横から差して、その横顔を金色に染めていた。


 俺は黙って、それを見ていた。


 こういう顔、するんだな。


 好きな人を思うとき、陽向はこんな顔をするんだ。


 知らなかった。


 知りたくなかった、かもしれない。


         ◆


 俺と陽向が幼なじみになったのは、生まれた瞬間からだ。


 隣の家に住んでいて、同い年で、親同士が仲良くて、気づいたら毎日一緒にいた。物心ついた頃から陽向がいて、陽向がいない日常というものを俺は知らなかった。


 小学校も中学校も同じ。通学路も同じ。朝は陽向が俺の家のインターホンを押して、「透、行くよ」と言う。それが俺の朝の始まりだった。


 陽向は明るくて、人懐っこくて、誰とでもすぐ仲良くなれる。俺は逆で、口数が少なくて、初対面の人間と話すのが苦手だ。正反対なのに、なぜか俺たちはずっと一緒にいた。


 俺が陽向を「そういう目で」見始めたのがいつかは、正確にはわからない。


 気づいたら、そうなっていた。


 中学二年の秋頃だったと思う。陽向が体育祭の練習で転んで、膝を擦り剥いた。保健室に一緒に行って、俺が絆創膏を貼ってやって、陽向が「ありがとう」と笑った。その笑顔を見た瞬間に、何かが変わった気がした。


 ああ、これがそういうことか、と思った。


 と同時に、これは言えないな、とも思った。


 幼なじみという関係は、ちょうどいい。近すぎず、遠くない。言ってしまったら、この距離が変わる。それが怖かった。


 だから、黙っていた。


 高一になっても、高二になっても、黙っていた。


 その間にも、陽向を好きだと思う瞬間は何度もあった。


 陽向が誰かと話しながら笑っているのを遠くから見たとき。俺のクラスに用事もないのに来て、「透に会いたかっただけ」と言ったとき。雨の日に相合い傘になって、陽向の肩が俺の腕に触れたとき。


 そういう瞬間に、俺は毎回、何かを呑み込んだ。


 呑み込むのは上手くなった。でも、量は増えていった。


 そして高二の春に、陽向は「好きな人ができた」と言った。


         ◆


 相談は、それから何度か続いた。


 陽向は「その人」について、少しずつ話してくれた。毎日会う人。よく笑う人。自分のことをよく見ていてくれる人。


 俺はそれを聞くたびに、頭の中でクラスメートを当てはめていった。誰だろう。田中か。佐々木か。それとも隣のクラスの誰かか。


「その人、俺は知ってる?」


 ある日、俺は聞いた。


「……知ってると思う」


「仲良いの、俺と」


「……まあ」


「どのくらい?」


 陽向はしばらく黙ってから、「かなり」と言った。


「へえ」


 俺は少し考えた。かなり仲がいい、毎日会う、クラスメート。


「わからん。誰?」


「言わない」


「なんで」


「……言ったら、変わりそうで」


 その言葉が、妙に胸に響いた。


 言ったら変わりそう。


 俺も同じことを思って、三年間黙っていた。


 なんだ、同じじゃないか。


 そう思ったら、少しだけ笑えた。笑える理由は、たぶん違うんだろうけど。


 その夜、俺はLINEの入力欄に「好きな人って俺のこと?」と打って、送信せずに消した。


 三回。


 消すたびに、自分が惨めな気がした。でも送れなかった。


 たぶん、答えが「違う」だったときのことを、想像したくなかったから。


         ◆


 六月に入ったある日、陽向が珍しく落ち込んでいた。


 いつも俺の家に来るとき、陽向は玄関のチャイムを押す前に声をかける。「透、いる?」そういう声が聞こえてから、チャイムが鳴る。それがいつものパターンだ。


 その日は、声がなかった。


 チャイムだけが鳴って、ドアを開けたら陽向が立っていた。いつもより目が少し赤かった。


「上がっていい?」


「いいよ」


 陽向はリビングのソファに座って、膝を抱えた。俺は何も聞かずにジュースを二本持ってきて、一本を陽向の隣に置いた。


 しばらく沈黙が続いた。


「……その人がさ」


 陽向が口を開いた。


「他の子と仲良くしてるの見て、なんか、しんどくなった」


 俺は黙って続きを待った。


「嫉妬って、こんなにしんどいんだね」


「初めて?」


「……うん」


 陽向はジュースを一口飲んだ。


「透は、好きな人できたことある?」


 俺は一瞬、止まった。


「……まあ」


「どうだった?」


「しんどかった」


「言えたの?」


「言えなかった」


 陽向は俺を見た。珍しく、まっすぐ。


「なんで言えなかったの」


「……言ったら変わりそうで」


 その言葉を言ってから、俺は気づいた。


 陽向が前に言ったのと、まったく同じ言葉だ。


 陽向も気づいたのか、少し目を丸くした。


「……そっか」


 それだけ言って、また膝を抱えた。


 俺たちはしばらく黙ったまま、並んでテレビを見ていた。テレビの内容は何も頭に入らなかった。


 二時間くらい経って、陽向が立ち上がった。


「帰る。ありがとね、透」


「うん」


「何もしてないのに、いてくれるだけで、なんか落ち着く」


 陽向はそう言って、笑った。さっきより目が乾いていた。


 俺は玄関まで送って、陽向が帰るのを見送った。


 扉が閉まった瞬間、俺は壁に背中をつけてそのままずり落ちた。


 床に座り込んで、天井を見た。


 いてくれるだけで落ち着く、か。


 その「その人」が誰かを話してくれながら、俺に愚痴を言いにくる。


 俺は陽向にとって、その程度の存在なのか。


 そう思ったら、ちょっと笑えた。笑えたけど、目の奥が少し熱かった。


 俺もそうだよ。陽向がいてくれるだけで落ち着く。


 でも、それを言ったら、全部変わる。


 だから、言わない。


 スマホを出して、またLINEを打った。


 『俺がその人だったら、って思ってる』


 五秒見て、消した。


         ◆


 七月の終わり、夏休みに入る前日。


 陽向が「伝えてみる」と言った。


 俺たちは学校帰りに寄り道していた。駅前の、いつも行くコンビニの前のベンチ。陽向がアイスを半分こしようとして、俺のを先に食べ始める。それもいつも通りだった。


「決めた。夏休み前に言う」


「今日?」


「今日」


「そっか」


 俺はアイスの残りを口に入れた。甘くて、少し苦かった。


「うまくいくといいな」


 自分でも驚くくらい、普通に言えた。


 陽向は俺を見て、何か言いかけて、やめた。


「……透って、すごいね」


「何が」


「なんでも、ちゃんと言えるじゃん。本心じゃないことでも」


 俺は固まった。


 陽向は続けた。


「うまくいくといいな、って今言ったじゃん。あれ、本心じゃないでしょ」


 心臓が、跳ねた。


「……何が言いたいの」


「別に。ただ、透ってそういうとこあるなって、ずっと思ってたから」


 陽向はアイスの棒を弄びながら、俺を見なかった。


「本心、言わないじゃん。いつも」


「……お前に言われたくない」


「そうだね」


 陽向は笑った。少し寂しそうな笑い方で。


「じゃあ行ってくる」


 立ち上がって、振り返らずに歩いていった。


 俺はベンチに座ったまま、その背中を見ていた。


 小さくなっていく陽向の背中を見ながら、俺は思った。


 行くな、と。


 言えなかった。


         ◆


 陽向から報告はなかった。


 夏休みに入って、三日経っても、一週間経っても、連絡はLINEで「暇ー」「映画行こ」「アイス溶けた」くらいのものばかりで、告白の話題は一切出てこなかった。


 俺から聞けなかった。


 聞いたらどうなったか、知りたいような、知りたくないような。うまくいっていたらと思うと胸が痛くて、うまくいっていなかったらと思うと——それはそれで、複雑だった。


 八月の中頃、俺の家で二人で宿題をしていたとき、陽向が唐突に言った。


「あの話、なかったことにした」


「……告白?」


「うん」


「なんで」


 陽向はシャーペンをくるくる回しながら、答えなかった。


「……やっぱりやめた方がいいなって思って」


「なんで」


「言ったら変わりそうで」


 また、その言葉だ。


「……ずっとそれ言ってるじゃん」


「だってそうなんだもん」


「変わるのが嫌なの?」


「……今のままの方が、たぶん幸せだから」


 陽向はそこで、少し俯いた。


「傍にいてくれる方が、付き合えるかもしれないってドキドキより、ずっと大事だから」


 俺は何も言えなかった。


 陽向が続けた。


「……バカみたいだよね。好きな人に告白もできないなんて」


「バカじゃない」


「なんで言い切れるの」


「……俺も同じだから」


 言ってから、気づいた。


 言いすぎた。


 陽向が顔を上げた。俺を見た。まっすぐ。


「……透」


「……なんでもない」


「なんでもなくない」


「……」


「透の好きな人って」


 陽向の声が、少し震えていた。


「……誰」


 俺は答えなかった。


 陽向も、もう聞かなかった。


 その沈黙が、たぶん答えだった。


         ◆


 それから三日間、陽向から連絡がなかった。


 俺からも、できなかった。


 何を言えばいいかわからなかった。謝るべきなのか。でも何を謝るのか。好きになったことを謝るのは、なんか違う気がした。


 三日目の夜、俺はずっとスマホを見ていた。


 陽向との会話履歴を遡った。


 春からのやりとりを、全部読み返した。


 『毎日会う人』

 『よく笑う人』

 『自分のことをよく見ていてくれる人』

 『言ったら変わりそうで』

 『傍にいてくれる方が大事』


 読んでいくうちに、心臓がうるさくなってきた。


 待て。


 待ってくれ。


 毎日会う——俺だ。

 よく笑う——陽向の前では笑う。

 自分のことをよく見ていてくれる——ずっと見ていた。

 言ったら変わりそう——それは俺も同じ言葉を使っていた。

 傍にいてくれる方が大事——相手と離れたくないから告白できない、と言っていた。


 六月に落ち込んでいたのは、俺が誰かと仲良くしているのを見たからか。


 夏休み前に「伝えてみる」と言ったのは——俺に言おうとしていたのか。


 俺が「うまくいくといいな」と言ったとき、「本心じゃないことでも言える」と言ったのは——わかっていたからじゃないのか。俺が誰を好きか。


 全部、繋がった。


 全部。


 俺は三秒くらい天井を見て、それからスマホを置いて、布団に倒れ込んだ。


 馬鹿だ。


 俺は本当に、馬鹿だ。


 三年間、陽向が好きだと思いながら、陽向の「好きな人の話」を聞きながら、一度も自分を選択肢に入れなかった。


 陽向が俺を好きなわけがない、と最初から決めていた。


 幼なじみだから。ただの幼なじみだから。


 でも——陽向も同じことを言っていた。


 傍にいてくれる方が大事。言ったら変わりそうで言えない。


 それは俺が三年間、まったく同じ理由で黙っていたことと、何一つ違わなかった。


         ◆


 四日目の朝、玄関のチャイムが鳴った。


 ドアを開けたら、陽向が立っていた。


「……おはよ」


「おはよ」


「学校、一緒に行こ」


 いつも通りの言葉だった。


 俺は少し迷ってから、「うん」と言った。


 二人で歩き出した。いつもの通学路。いつものペース。でも、いつもより少し静かだった。


 五分くらい黙って歩いてから、陽向が口を開いた。


「あのさ」


「うん」


「三日間、考えてた」


「……うん」


「透のこと、ずっと幼なじみだと思ってた。それ以上でも以下でもないって、そう思ってた」


「うん」


「でも」


 陽向が立ち止まった。


 俺も止まった。


 陽向はまっすぐ前を向いたまま、言った。


「三日間、透のこと考えてたら、なんか、ちょっと、心臓がうるさかった」


 俺は何も言えなかった。


「透と話せないだけで、こんなにしんどいんだって、知らなかった」


「……」


「透が私のこと好きかもって思ったら、なんか、その、」


 陽向がようやく俺を見た。


 耳が赤かった。


「……嬉しかった」


 俺の心臓が、うるさくなった。


「……陽向」


「まだ言わせて」


 陽向は深呼吸した。


「私がずっと好きだった人のこと、言う」


「……うん」


「毎日会う人で、よく笑う人で、自分のことをよく見ていてくれる人で」


 一言一言、確かめるように言った。


「言ったら変わりそうで、ずっと言えなかった人」


 俺はもう、わかっていた。


 でも、最後まで聞いた。


「透だよ」


 陽向の声は、少し震えていた。


「ずっと前から、透が好きだった」


         ◆


 俺はしばらく、動けなかった。


 春から聞いていた「好きな人」の話が、全部、俺のことだったとは。


 昨夜、読み返した言葉たちが頭の中で一気に繋がった。


 毎日会う人——そうだ、毎日会う。

 よく笑う人——俺、陽向の前でよく笑う。

 六月の嫉妬——俺が誰かと仲良くしているのを見たから。

 夏休み前の「言う」——俺に言おうとしていた。

 「本心じゃないことでも言える」——バレていたんだ、俺が誰を好きか。


 全部、俺だった。


 あの相談は、ずっと俺に向けられていたのか。


「……何で早く言わなかったんだよ」


 俺の口から出た言葉は、それだった。


 陽向が目を丸くした。


「それはこっちのセリフ」


「俺は——」


「透こそ、何で言わなかったの」


「……言えるわけないじゃん」


「なんで」


「お前と、変わりたくなかったから」


 陽向はしばらく俺を見ていた。


 それから、笑った。


 さっきとは違う。泣きそうな、でも嬉しそうな、そういう笑い方。


「馬鹿だね、私たち」


「……そうだな」


「何年、無駄にしたの」


「……三年くらい」


「三年」


 陽向はもう一度笑った。今度は声が出た。


「三年て」


「うるさい」


「透が先に気づいてたくせに」


「お前だって気づいてたくせに」


「それは——」


 陽向が言いかけて、止まった。


 俺たちは道の真ん中に立ったまま、向かい合っていた。学校に遅刻しそうだった。でも、どちらも動かなかった。


 陽向が、おそるおそる右手を出した。


 俺の袖を、少しだけ掴んだ。


「……透」


「うん」


「私のこと、今も好き?」


 俺は答えた。


「ずっと好きだった」


 陽向の目が、少し潤んだ。


「……私も」


 袖を掴む手に、力が入った。


「ずっと」


         ◆


 学校には遅刻した。


 担任に「どうした」と聞かれて、陽向が「寝坊です」と即答した。嘘が上手い。


 廊下で肩がぶつかるたびに、俺は意識する。今まで何百回もぶつかってきたのに、今日は違う感じがした。


 昼休み、いつもの場所でいつも通り飯を食べながら、陽向がぼそっと言った。


「なんか照れる」


「何が」


「透の顔、見れない」


「ずっと見てたじゃん」


「あれは違う。今は、その、」


 陽向がそこで言葉を止めた。


 俺は陽向の横顔を見た。耳まで赤い。


 三年間、陽向のこういう顔をたくさん見てきた。でも今日が一番、かわいいと思った。


「陽向」


「なに」


「こっち向いて」


「……嫌だ」


「なんで」


「照れるから」


「だから向いて」


 陽向がゆっくりこちらを向いた。赤い顔で、少し眉を寄せて、俺を見た。


「なんなの」


 俺は特に何も言わなかった。


 ただ、陽向の顔を見た。


 陽向がますます赤くなった。


「……見ないでよ」


「見る」


「なんで」


「好きだから」


 陽向が固まった。


 三秒くらい、固まっていた。


 それからぷいっと顔を逸らして、「ずるい」と言った。


「何が」


「そんなあっさり言えるじゃん」


「練習したから」


「何を」


「陽向の前でなんでもないふりをする練習。三年間」


 陽向がまた俺を見た。今度は笑っていた。


「……それ、今まで全部演技だったの」


「全部は盛りすぎ。でも、かなり」


「知らなかった」


「知ってたくせに」


「……半分くらい」


 陽向は笑いながら俯いた。


「半分知ってて、半分信じたくなかった」


「なんで」


「……都合よく考えたくなかったから。透が私のこと好きだなんて、思い込みかもしれないって」


「思い込みじゃない」


「わかった。今は、わかった」


 陽向はそう言って、またこちらを向いた。


 今度は逸らさなかった。


「透」


「うん」


「付き合ってください」


 真顔で言った。


 俺は一瞬きょとんとして、それから笑った。


「……順番おかしくない?」


「どうせ透が言わないから」


「言おうとしてたのに」


「どうせ言えなかったくせに」


「……それは否定できない」


「でしょ。だから私が言った」


 陽向は少し胸を張った。恥ずかしそうにしながら、胸を張っていた。そのちぐはぐさが、らしかった。


「よろしくお願いします」


 俺は言った。


 陽向が、また耳まで赤くなった。


「……よろしく」


 それだけ言って、陽向はまたぷいっと顔を逸らした。


 俺はその横顔を見て、思った。


 三年間、黙っていてよかった。


 いや、よくはなかった。三年間は無駄だった。


 でも——この瞬間のために、黙っていたのかもしれない、とも思った。


         ◆


 家に帰る道、二人でいつもの通学路を歩いた。


 帰りもいつもと同じ道、いつもと同じペースで。


 ただ一つだけ違うのは、陽向が俺の袖をずっと掴んでいた。朝みたいに少しじゃなくて、ちゃんと。


 俺は何も言わなかった。陽向も何も言わなかった。


 家の前まで来て、陽向が立ち止まった。


「じゃあ、また明日」


「うん」


「チャイム押すから」


「知ってる。毎日押してくれてるから」


「これからも押すから」


「知ってる」


 陽向は少し笑って、袖を離した。


 そのまま隣の家に向かって歩き出して——三歩くらいで振り返った。


「透」


「うん」


「昨日まで私が好きだった人、誰だと思ってた?」


 俺は少し考えた。


「田中か佐々木か、隣のクラスの誰かだと思ってた」


 陽向が笑った。今日一番、声を立てて笑った。


「田中て」


「なんで笑う」


「だって田中て」


「毎日会う人でクラスメートで俺と仲いい人って、そのへんしか思いつかなかった」


「一番仲いいのは透じゃん」


「……まあ」


「まあって何」


「お前が俺を好きなわけないと思ってたから、選択肢に入れなかった」


 陽向はそこで笑うのを止めた。


 まっすぐ俺を見た。


「……馬鹿だね、透も」


「そうだな」


「私も馬鹿だけど」


「そうだな」


「二人揃って馬鹿だった」


「そうだな」


 陽向はもう一度笑って、今度こそ家に向かって歩いた。振り返らなかった。


 俺は自分の家のドアノブに手をかけながら、その後ろ姿を少しだけ見ていた。


 明日の朝、チャイムが鳴る。


 陽向が「透、行くよ」と言う。


 それはずっと前から変わらない。


 でも——俺の心臓の鳴り方だけが、今日から違う。


 チャイムの音の意味が、今日から変わった。


 距離は変わらない。ただ、その距離の意味だけが——それだけが、全部変わった。


         ◆


 その夜、LINEが来た。


 陽向からだった。


『今日のこと、夢じゃないよね』


 俺は少し笑ってから、返した。


『夢じゃない』


 既読がついて、すぐ返信が来た。


『よかった』


 それだけだった。


 俺もそれだけ返した。


『よかった』


 スマホを置いて、天井を見た。


 よかった、と思った。


 三年間、黙っていた。でも三年間、ずっとそこにいた。陽向も、俺のそばにいた。


 明日もチャイムが鳴る。


 「透、行くよ」という声が聞こえる。


 それだけは、ずっと変わらない。


 ただ——そのチャイムを聞くたびに、俺の心臓は昨日とは違う鳴り方をする。


 それだけのことが、全部だった。


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「言ったら変わるから」って、同じ理由で三年間すれ違ってた幼なじみの話

                      完

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