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弐拾参


鷲夜と共に村里に向かっていると、徐々に通り悪魔の肌がピリピリと痛みだす。

通り悪魔は視線の先にある、灯籠を構えている入り口を、細めた目で見て顔を顰めた。


(あの村は、白山の神の加護があるな。……そう言えば晴時という男も、白山の神の神気を感じられたな……)


距離があるというのに、感じられる神聖な空気が不愉快になり、通り悪魔は先に鷲夜だけを村里に向かわせた。


通り悪魔が手に入れた体は、産まれた弟に両親の愛情を取られ、嫉妬にかられた少年のものだった。


弟を悪い妖に攫ってもらおうと、岩山に訪れた少年に、通り悪魔は「それじゃあ()()()()()、崖下を覗いてくれれば叶えてやろう」と条件を出した。


少年はそんなことでいいのならと、崖下を覗いたが、不安定な足場で足を滑らせ亡くなった。


生贄として捧げられた体は新鮮ゆえに、その人物の生前と変わらぬ、生きている人として憑くことができる。亡くなった魂の代わりに妖がその役割を行うのだ。


通り悪魔は、自身の腕を掻き切り、頬、腕、足、胴体に血を塗りつけた。これで幾分か、神の神気に当てられなくて済む。


村里に足を踏み入れれば、家屋の密集地の拓けた場所に集まった人々は、ざわめき立っていて、周囲に気を配るどころではなかった。


通り悪魔は物陰に隠れ、様子を窺えば人々は疑心暗鬼に陥っていた。

鷲夜の言い分を信じる者、晴時がそのようなことをする筈がないと否を唱える者。


思考を働かせ、感情論を押し付けては、それに従わない者に苛立ちを覚える。人の裏切りへの議論は、軋轢が生じやすい。

突如、誰かが倒れた。十代前半の娘だ。誰かが慌てた様子で口を開く。


「菊理ちゃん!?」


通り悪魔はその名を耳にして、倒れた娘を凝視した。娘より年上の若い男が、彼女を支えた後、胸に抱いて家屋の中に入っていった。

それを目にして、通り悪魔は舌打ちをして親指の爪を噛んだ。


(あれが菊理か……! 動揺して精神が揺らいでいるが、晴時と同じで白山の神の加護を受けている……! なんと面倒な!)


予定が狂った。

これでは通り悪魔の穢れに、気付かれるのは時間の問題だ。

鷲夜が妖を祓ったと証言したことで、体と刀に憑いている穢れを怪しまれずに済んでいるが、このままでは不審に気づく祓い人が出るだろう。


通り悪魔は、急いで策を練る。

痛みで苦しんでいる表情を作り、腕を痛めたように手で掴み、跛行しながら鷲夜の元へと向かった。

そしてまだ幼い、高い声で助けを求めるように悲痛な声を上げた。


「皆さま、鷲夜さまの言うことは、本当です。僕はこの目で見ました。男の人が、娘を助けてほしいと言っていたのを……!」


全身血だらけの少年の姿が目に入れば、人々は「まあ、血だらけ……」「可哀想に……」「こんな子まで被害に……」と同情の言葉を口にし始めた。


通り悪魔がふらりと倒れる演技をすれば、鷲夜が体を支え、胸に抱いて持ち上げた。


「起きてしまったか。一人にしてしまい、すまなかった」

「いえ……。鷲夜さまが悪く言われている方が、体が堪えました……」

「――すまない皆の者。私はこの子を家に運ぶ。議論は好きに交わし合うといい」


鷲夜が切り捨てるように背を向ければ、人々の勢いは途端に鳴りを潜め、戸惑うように視線を交わし合う。


後は、この少年が亡くなったことを告げれば、人々は動揺し穢れは村里を覆う。

小娘一人の白山の神の神気だけでは、どうすることも出来ないだろう。


鷲夜の屋敷に着けば、出迎えた鷲夜の妻が口元を両手で覆い、酷く取り乱した様子で鷲夜に声をかける。


「鷲夜様、なんて穢れが酷い! 早く清めの場で浄化なさって下さい!」

「……今はする気が起きぬ……。晴時を殺めてしまったことに対して、気を晴らしたくないのだ……」

「……」


暗い表情で、重たく言葉を口にすれば、妻はそれ以上何も言えなくなり、自分の軽弾みな発言を後悔するように口元から手を離し、下で手を合わせると俯いた。


通り悪魔はその隙を見逃さず、穢れを鷲夜の妻に纏わせる。鷲夜の穢れのせいで気付けないだろう。


鷲夜は用意した布団に、汚れることも厭わず、通り悪魔を寝かせた。

鷲夜は通り悪魔の横に正座し、厳格な表情を保ったまま顔を俯かせてじっと見つめる。


暫くして妻が水の入った桶と手拭いを用意し、代わるよう配慮の言葉を掛けるが、鷲夜は礼も言わずに受け取ると、その場を動こうとしなかった。


妻は、胸に手を当て、気遣うように視線を鷲夜に向けては逸らし、結局掛ける言葉が見つからなかったのか、落ち込みながら部屋を後にした。


日が暮れて夜になっても、二人がその姿勢を貫き通していれば、誰かの足音が近づいてくる。


襖が開く音がして、通り悪魔が薄目で確認すれば、晴時の娘を介抱していた男が、鷲夜を見下ろすと強い口調で諌めた。


「父上、屋敷の穢れが酷い! いつもなら清めを欠かさないのに、一体どうされたのですか!?」

「友を亡くした」

「っ……」


ピクリとも体を動かさず呟いた一言で、三鷹は口を噤み、悲痛に歪めた顔を逸らした。

陰鬱な空気が漂う。暫しの間のあと、鷲夜が口を開く。


「晴時の娘はどうした?」

「……菊理ですよ、父上。高熱で魘されて、いつ目覚めるかも分かりません……。だから、当分僕が面倒を見ます」

「――それは好都合だ」


嬉しそうな第三者の声に、三鷹は驚いて聞こえた方に顔を向ける。

通り悪魔は寝ていた上体を起こすと、三鷹を無視し鷲夜に話しかける。


「今なら晴時の娘は意識がない。容易に殺すことが出来る。父が死んで動揺しているのなら、少し無理をすれば体に憑くことも出来るだろう」

「その子供は――なんですか?」


異様な雰囲気を感じ取ったのか、三鷹がたじろぐように訊ねる。

鷲夜は答えることなく立ち上がると、何処かに出掛けようと視線の先が三鷹の背後を捉えていた。


それをおかしいと確信したのか、三鷹は表情を引き締め、立ち塞がるように背筋を伸ばした。


「今、菊理を殺すと聞こえましたが……何処に行くつもりですか?」


睨むように問いただせば、鷲夜は三鷹の瞳を捉えると冷厳な態度で答えた。


「もう後戻りは出来ぬ。人を殺めてしまった」

「……今、何と言いました?」

「晴時も――私が殺した」


三鷹は絶句した。

到底信じられない事を打ち明けられたが、鷲夜はそんな悪質な冗談を言う性格ではないことは、息子として重々理解している。だからこそ、受け入れられなかった。

呆然としながらも、確認するように訊く。


「晴時さんを、父上が――?」

「ああ。だから、私は晴時の願いを叶えなければならない」

「願い?」


訝しげに問えば、鷲夜は頷く。


「晴時の娘に妖の主を取り憑かせ、私が祓う。さすれば、事実上、私は晴時を超えることが出来る」


三鷹は、瞠目した。

晴時の願いと言いながら、自分の望みを叶えようとしている、荒唐無稽なことを言われ、父親が正気ではないことに気づく。

息を呑んだが、三鷹は努めて冷静に、鷲夜を気遣うように言葉をかける。


「父上、貴方は穢れのせいで気が触れてしまっている。今直ぐ清めの滝で、穢れを洗い流しましょう」

「滝?」


通り悪魔は、嫌な気配を感じ眉を顰める。

それを気にとめることなく、鷲夜は三鷹を見据えたまま無言で刀を抜くと、喉元に切っ先を突きつけた。

三鷹はそれを、憐れな瞳で見つめる。


「父上に、僕が斬れますか? ――晴時さんが亡くなって、心の整理がつかないのかもしれませんが、お気を確かにお持ちください」

「心の整理?」


鷲夜は鼻で笑い、突きつけていた刀をゆっくり下ろす。

三鷹はそれを目にしてほっと安堵したのも束の間、大腿に鋭い痛みが走り、膝が崩れた。

呻いて血が流れている足を押さえれば、鷲夜は呆れたようにため息をつき、言葉を吐き捨てた。


「馬鹿馬鹿しい。どうして私が晴時の死如きで、狼狽えなければならない。寧ろ胸のつかえが取れたわ。今の私の唯一の望みは、晴時を超えることだけだ」

「……そのためなら、菊理を殺せるんですか?」

「晴時の娘など、欠片も興味はない。それに――両親に先立たれているのなら、いっその事、二人のもとに送ってやった方が温情があるだろう」


父の無情の言葉を耳にして、三鷹は頭にカッと血が上った。

尊敬していた父が、人の命を軽々しく扱おうとしている姿に我慢ならず、三鷹は腰に携えていた刀を抜いた。




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