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拾玖



夜の風が頬を撫で、両膝を突いている湿った土は冷たく、体温を奪われていくようだ。


コオロギが鳴く声が場違いな風流の雰囲気を漂わせ、鷲夜は月を愛でるように顔を上げて和やかに口を開いた。


「お前の父――晴時は、実に鼻につく男だった」


遠い日の、懐かしい記憶を追想するように和やかな響きだった。


·

·

·


菊理の父、晴時は十代の頃に旅の途中で、この村里に立ち寄った外部の人間であった。

その時の彼は祓い人ではなく、ただただ刀の腕が立つだけの男だった。


そこで菊理の母、そよと出会い婚姻を結んだ。

そよは体は弱かったものの、祓い人の術士で、白山の神を信心深く信仰していた。


その影響もあってか、晴時は自分の腕が何か役に立つのではないかと考え、年の近い鷲夜に教えを請うてきた。


付け焼き刃で祓い人が出来るわけがないと、侮る気持ちが前に出そうになったが、体で分からせてやったほうが良いだろうと鷲夜は考え、懇切丁寧に祓い人について指導した。


しかし、鷲夜の予想とは裏腹に、晴時は頭角を現し始める。恐るべき成長の早さに、天賦の才を感じずにはいられなかった。


だが、それは鷲谷にとって面白くなかった。

血反吐を吐いて自身が覚えた物を、何の苦労もなく盗られていき、いつの間にか築き上げた立場さえ揺るがす存在になっている。


自分が村里の跡取りであるにも拘らず、晴時の評判はうなぎ登りで、鷲夜の腹の底はどす黒いものが渦巻き、物陰から彼の姿を目にしては気づかれないように妬みの眼差しを向けていた。


そんなある日、街の商人から、知り合いの住んでいる土地で妖が悪さをしているので、祓ってほしいとの個人的な依頼があった。


知り合いが住んでいる場所は他藩で、既にその土地の祓い人が派遣されている見込みもあり、そうなると派閥争いに巻き込まれる懸念がある。


ひと月も拘束される上に、軋轢が生まれかねない、行ったしてもとんぼ返りになる。

割に合わない仕事であったが、晴時は引き受けていた。


人からよく見られたいが為に面倒なことを引き受ける、と鷲夜は馬鹿にしていたが、まさかこれが思わぬ結末を迎えるとは、青天の霹靂であった。


商人の知り合いの土地で騒ぎを起こしていた妖は、晴時が村里を立って数日で危うさが増し、幕府御抱の祓い人が派遣された。


そして協力して祓った結果、晴時の実力が目に留まり、上申され、村里を治めている大名の耳に入った。


気が良くなった大名は、晴時に恩賞を賜ろうとしたが、彼はそれを辞退した。

慎ましやかな態度に、大名はますます気に入り、代わりに当時村里の名主、鷲夜の父親に感状を贈った。


それを目の当たりにした鷲夜は、自分の中で何かが折れる音がした。

祓い人としても上を行かれ、人としての器の大きさを見せつけられて、これ以上鷲夜をどう追い詰めるつもりなのか。


初めからそのような重要人物が居ることが分かっていれば、鷲夜も断らずに任務に当たっていたというのに。

運だけで一瞬に父をも乗り越えたことが気に食わなかった。恩賞を辞退したことすら鼻につく。


妬み嫉み僻みは、完全に憎悪に変化した。

それからは晴時に出し抜かれぬように、鷲夜は共に任務によく当たるようになった。


それから時が流れて互いに子が生まれた。

息子が晴時の娘に惹かれているようであったが、当然それを成就させる気はなかった。


晴時と家同志で繋がるなど反吐が出る。

育ちの良い雪白をあてがう話を出せば、三鷹は言質を取ったと意味のないことを訴えていた。

鷲夜はまともに取り合わず、捨て置いた。


そして四年前、岩山の妖の主の噂を耳にした。

父の跡を継ぎ、名主となった鷲夜は屋敷の客間で晴時と向き合った。

話して早々、晴時は率先して調査を引き受ける。


「私が様子を見に行こう。封印が解けかけている状態であるなら、早く対処しなければ。人々に不安が広がれば、妖に付け込まれ兼ねないからな」

「待て。噂によると、近くの村に穢れで気が触れた人を匿っていると聞く。それが真であるなら、既に被害が広がっている可能性がある。となると、一人で対処するのは難しいであろう。――私も行こう」

「そうか……! 鷲夜と一緒ならば心強い。お前はいつも私が無理をしようとすると、戒めてくれるからな。刀を振るうしか脳のない私にとっては、有り難い存在だ」


鷲夜の提案に、晴時は嬉しそうに力強く頷く。

憎悪で塗れてはいるものの、それが晴時に悟られずにいるのは、細い糸のように頼りない繋がり、晴時が未だに鷲夜を敬っているからだった。

鷲夜は兄のような風格で、晴時に皮肉る。


「お前は人の為となると、見境がなくなるからな。誰かが手綱を握っててやらねば」

「ハッハッハ! 鷲夜は馬の名手だな!」


冗談だと捉えられ、晴時は愉しげに笑う。こういう無神経なところも、癇に障り苛立たせることに、晴時は全く気づいてないのだろう。


一つでも欠点があれば、取り立ててやれるというのに。晴時はそれを少しも見せようとしない。


きっと、彼がそれを見せる時が、憎悪に塗れた鷲夜にとっての救いになるのだろう。


それから岩山に訪れると、封印のしめ縄は切れていて、洞窟はもぬけの殻だった。

鷲夜は事態の深刻さを嘆いた。


「不味いな……。こうなると、直ぐに大名に報せなければ……。――晴時! どこへ行く!?」

「近くにある村が気になる! 鷲夜は先に村里に帰り、報告を急いでくれ!」

「待て! 晴時!」


鷲夜の制止の声を意に介さず、晴時は振り向くことなく走り続けている。

その後ろ姿が忌々しく、怨念を込めて「勝手なことばかり……!」と吐き捨てると晴時の後を追った。


村が見えてくれば五、六歳程の少年が赤子を抱いて晴時のところに駆け寄ってきた。

泣き叫んでいる赤子よりも大きな声で、少年は訴える。


「助けて下さい! 父と母が、急に弟に手をあげようとしたんです! 村の人達もおかしくなってるみたいで!」


鷲夜と晴時は視線を交わした。やはり妖の被害が出ているようだ。

少年を後ろに追いやり先を進めば、手に斧や棒等を持った人たちが出てきて、正気を失っている暗い顔つきで、二人にじりじりと歩み寄る。

鷲夜は注意深く彼らを視た。


「晴時! 注意しろ! 生者も混じっている! 今、祝詞を唱える。慎重に見極めろ!」


鷲夜は片合掌し、瞼を閉じると精神を落ち着かせ、祝詞を唱えた。

操られた人たちが手に持っている武器を落とし、苦しげに呻き始める。

晴時は彼らの様子を凝視すると刀を峰打ちに持ち替えた。


「唱えるのをやめろ!」


少年の鋭い声がやけに響き渡った。

鷲夜が開眼し視線を移せば、少年が泣いている赤子の首に包丁を向けて、虚ろな目で鷲夜を見つめている。

驚き目を見張れば、唱えていた祝詞が途切れた。

少年が煩わしいそうに顔を歪めて、口を開いた。


「この赤子が生者だと言うことは、見れば分かるだろう?」


言われて、二人が刀を下ろせば、操られた人々に捕らえられた。

地面に膝を突けられ、両脇から村人に腕を拘束される。


正気を失っている人は、力の加減を知り得ないように強く締め付けてくる。

少年は離れた場所から赤子に包丁を向けながら、鷲夜を眺めると愉快げに目を細めた。


「ほう。よく視れば、面白い穢れを持っているな。とてもいい穢れだ。――気に入った。その穢れを煽るには……」


鷲夜の顔から視線を晴時に移し、人差し指を指した。


「お前、自害しろ。さすればこの赤子を見逃してやる」 

「なっ!?」


言われた言葉に鷲夜が驚けば、晴時は動じることなく、ただじっと少年を見据えている。そして、静かに口を開いた。


「――鷲夜のことも見逃してくれるか?」

「良いだろう」

「晴時、何を言っている!?」


耳を疑い、晴時に間を置かずに非難するように問えば、彼は真摯な瞳で鷲夜を見つめた。その顔に迷いは見られない。


「自害であるなら、あやつに憑かれる心配はない。後は頼んだぞ、鷲夜」

「やめろ、晴時! 祓い人として自害する者はいるが、大抵は今生に未練が過ぎり、悔やむ心が生まれる! それは穢れに繋がり、妖に体を乗っ取られるぞ!」

「その時は……鷲夜、お前が私を祓ってくれ」


晴時は揺るぎない決意の瞳を鷲夜に向けた。その瞳を目にした鷲夜は、言葉を失う。

絶句しているのを良いことに、晴時は自分勝手な語句をつらつらと述べ始める。


「鷲夜になら任せられる。俺を祓ってくれるなら、妖が憑いた時に今世に留まり、気合いで取り図ろう」

「馬鹿なことを言うな……そんなこと、出来るわけがない……。それにお前の娘はどうする気だ……」

「娘――?」


妖が不思議そうに首を傾げる。

晴時は村人から拘束を解放されると、無言で刀を手に取り、切っ先を自分の腹と向けた。

そして瞼を閉じると、穏やかに祈るような口調で言葉を紡いだ。


「――菊理は言った。今生の別れとは永遠のものではない。行き着く先に死があるのではない。大切な人に再び相見える為に、私たちは死にゆくのだ。だから、私は死を怖れるのはやめた。菊理に会えなくなることなど、永遠にありはしないからだ……!」


強い願いを口にして、晴時は神気の宿った刀で腹を貫いた。

鷲夜の視界に鮮血がほとばしり、晴時の姿を脳裏に焼き付けるように目が見開いた。そして瞼を固く結んで顔を逸らし、歯を噛みしめる。


晴時の覚悟を見せつけられた鷲夜は、その想いに応えようと胸に決意を抱き、震える口で言葉を零す。


「……あとは任せろ、晴時……。この妖は私が祓ってやる……!」


そんな言葉を口にしたのは、どんな感情からだったのか。四年経った今では覚えていない。

刻々と時間は過ぎるのに誰一人動かない。鷲夜は訝しみ、妖に声を掛ける。


「――何故憑かない?」

「よく視ろ。その男に俺が憑くことは出来ない。心身共に清らかなままだ」


指摘されて、ハッと顔を向ける。

見つめる先には血を流し、動かなくなった晴時の姿があった。

体がふるふると震えだし、忘れ去っていた憎悪を思い出す。


「最期の……最期まで弱みを見せない気か……!?」


鷲夜に勝ち越したまま、晴時は逝ってしまった。

込み上がってくるのは、悲しみではなく、怒りと苛立ちであった。腸が煮えくり返るほどに、血が沸騰している。


(何が祓ってくれだ! お前になら任せられるだ! お前は何一つ、私を信用していないではないか!)


いつの間にか体が解放されていて、鷲夜は立ち上がると鋭い目つきで晴時を見据えたまま近づいた。


妖が憑きもしない清廉な遺体を、鷲夜は土足で踏みつけた。

妖が取り憑きさえすれば、穢れを祓うことで上回ることが出来るというのに、死して尚、まざまざと人徳を見せつけられれば、矜持が傷つけられ黒い感情に支配されるのも無理はなかった。


穢れろと、刀を振るった。何度も何度も振るう。しかし、人の形を保てなくなった晴時は穢れることはなく、鷲夜の刀も穢れはしなかった。

細い糸は完全に切れ、救いなどこの世になかったのだと鷲夜は思い知った。


·

·

·


鷲夜は語り終わると、肩を落として息をつき、穏やかに笑った。


「奴が死んだ今、憑き物が落ちたように心が晴れ晴れとしている」

「!」


この男は父が死んだことを心底喜んでいる。

遺体を弄ぶなど非道極まりないことをしたというのに、悪びれる欠片すらない。

沸々と湧き上がる怒りで身を乗り出せば、体勢が崩れ地面に倒れ伏せる。


「父の……父の遺体はどうした!?」

「岩山に行ったのに崖下も見なかったのか? 折角近くを通りかかったというのに――晴時も浮かばれないな」


鷲夜は呆れ果てたように言葉を吐き出した。


――棄てただと!?


頭にカッと血が上り、殺意が芽生え、目の前の男を今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい衝動に駆られる。


「よくも……! よくも父に命を助けられておきながら、外道のようなことが出来たものだな!? 自分の都合のいいように真実をねじ曲げ、私達を騙すとは! 上に立つ者として恥ずかしくはないのか!?」

「私は助けてくれなどと頼んだ覚えはない。あいつは勝手に死ぬと言って死んだのだ」

「屁理屈を言うくらいなら黙れ! 父はお前を信じたというのに、これでは父が報われない!」


縄を解こうと藻掻くが、何の手応えもなく、だたただもどかしい気持ちが募る。


鷲夜は縁側を降りて私の目の前で立ち止まると、腰に携えていた刀を抜いた。刀身が銀色に輝く。


それを舐めるように眺めた鷲夜は、刀を持つ手を振り、私の鼻先に切っ先を突きつけた。


「父の仇が取りたいであろう?」

「……っ!」


私の心が激しく揺れ動き、頭に血が上り、怒りに支配され、鷲夜を射殺すように睨みつければ、彼は満足そうに笑って刀を動かした。

体を縛っている縄の間に刀を差し込まれる。


「覚悟ができたのなら、自分で動いて切るがいい」


嘲笑し、侮る。

私はそんな態度を忌々しく思いながらも、言うとおりに体を捻じる。

紐がほどけ、腕を動かせば鷲夜は縁側に上がった。


「ほら、お前の刀を返してやろう。好きに使え」


私の前に、鞘に収められた刀が投げ落とされる。

欲しかったそれを目にすると瞳孔が開き、迷うことなく掴んで刀を抜き、鞘を投げ捨てると鷲夜に吼えた。


「鷲夜! 私と共に地獄に行くがいい!」





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