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拾肆


集落を出て、あぜ道を暫く歩き森に入る。

あまり奥には入らずに、目に田畑が映る場所で留まると、私は振り返り、雪白と向き合った。


「それで雪白、話しとは?」

「――どうして、村里に帰って来なかったの?」


話をはぐらかすように、雪白は儚い笑みを浮かべ穏やかな口調で質問を質問で返した。

それが何故か胸に刺さり、咎められている気がして、私は戸惑いながらも理由を話す。


「白山に、刀を清めに行っていたんだ。それから恩人に礼をするために、この集落で仕事を手伝っていて、色々あって……明日、帰る予定だった」

「貴女は――村里から出てはいけなかったのよ。早く、帰ってくれば良かったのに……」


雪白が目を伏せ、弱々しく独り言のように呟いた。それを耳にした私は、ただならない事情があるのかと思い声を潜める。


「村里で……何かあったのか?」


私が問えば、雪白の表情は無になった。

感情を閉ざすような顔つきだったが、目には冷たく軽蔑が含まれている。

口から吐き出される声音には怒りが滲んでいた。


「お前は何も見えていない……!」


豹変した雪白に私が呆気にとられれば、それが逆撫でしてしまったのか、彼女は胸に手を押し当て、取り乱しながら癇癪を起こしたように吼えられる。


「お前に分かるか!? 妊娠することでしか三鷹様の気持ちを向かせることが出来ない、哀れで虚しい私の気持ちが!! 分かるはずもないだろう!? 刀を振るうだけで、存在するだけで、あの人の御心を奪えるお前なんかにッ!!」


私は困惑しながらも、気遣うように言葉を掛ける。


「だが、もう二人は結婚してる。私は、妻帯者に欠片も興味はない。それに、私も結婚した。これなら安心だろう……?」


そうだ。

和泉と結婚したのなら、雪白も私への妬み、嫉み、僻みを感じることもなくなる。

それに何より、私は村里を去る。これなら私の姿も見なくて済む。

雪白は私の気持ちとは裏腹に、ギリっと歯を鳴らし睨みつける。


「お前は何も分かっていない……! どうして気付こうとしない……! 気付かぬのなら、ここで死ね!!」


悲鳴のように叫ぶと、雪白は両手で印を結んだ。

私は腰を落とし、防御体勢に入る。


雪白は暗示術使い。

暗示で、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を狂わせるが、精神さえ集中力を切らさなければ恐れることはない。


精神力の強さでは私の方が雪白を上回っている。酷く取り乱していので、このまま彼女に近づき、傷つけずに拘束する。


「――っ!」


足の先に針で刺されたような痛みが走る。

目を落とせば、草履に無数の虫が集っており、足に登ろうとしていた。


「こ、これは……!?」


足を振って振り落とそうとするが、四方八方から登ってくる虫を払うのは難しく、登る速度のほうが早い。

袴の裾から侵入した虫に足を噛まれ、痛みが襲い顔を顰めれば、雪白の狂った高笑いが響いた。


「虫をお前に食わせようと企てていたが、まさか逆に食べられることとなろうとはっ! 夢にも思うまいな!」


愉快げに天を仰いでいるが、手の印は結んだままだ。まさか虫に私を餌だと暗示をかけることが出来るとは、想定外であった。


刀の柄を掴み、登ってくる虫を叩きつけるように払うがそれを逃れた虫たちが進行をやめることはなかった。


体中が齧られ、痛みが走る。体を這われる感覚は精神を啄み、鬱陶しさから焦燥に駆られる。


雪白は上げていた顔をふいに正面戻し、虚ろな瞳で私を見据えると、印を結んだ手を腹の前に下げ、怨念の言葉を吐き出した。


「――ここまでしても、何故気付かない……! 気付く機会は与えていた筈なのに、お前は目を逸らしてばかりだな……!」


首まで上がってくる虫の進行に、私は手で何度も擦って落とす。その手にすら虫が登っている。全身を覆われてしまうのも時間の問題だ。


――落ち着け。この術は、悪意で出来ている。ならば祓える筈だ。


私は瞳を閉じて息を静かに吸い、ゆっくりと吐き出す。神気を体に纏わせ、和泉と出会ってから幾度も唱えている祝詞を口にする。


「うっ……!」


雪白が苦しそうに呻く声が耳につくが、私は気にせず唱え続ける。

体を張っていた虫たちが、進行を止め、我に返ったように引いていく。


――そう。土地に還りなさい。白山の神もそれを望んでいる。


瞼を開ければ、雪白は片手で頭を抱えて苦痛で顔を歪めていた。

私はゆっくり歩を進め、彼女に歩み寄ると垂れ下がっている着物の袂を引っ張った。


「やめよう、雪白。これ以上はお腹の子に障る。先ほどの長の、孫娘のように愛らしい子が生まれるんだから、体を大事にしなければ」


手のひらで覆っていた隙間から、雪白が目を見張ったのが見えた。

その顔は酷い事実を突きつけられたように、慄いていて口が小さく開いている。


それを目にした瞬間、不思議と彼女が傷ついていると感じ取り、何故か掛ける言葉を間違えたと気付いた。


雪白の歯を食いしばる音が耳につき、私の手を力任せに払うと数歩後退した。

そして帯に手をいれる様を、私は時が止まったように見つめる。

出された短刀の鞘を抜き、銀色に光る刀身が見えた。


「お前が、お前が、気づきさえすれば……! 私は……!」


俯きがちに殺意のある鋭い瞳で、私を射るように睨みつけ、恨み言を唱える。

片手で握りしめた短刀を振り上げ、憎しみを込めて髪を振り乱しながら、私の胸を目掛けて短刀が下ろされる。


が、何かに引っかかったように雪白の体が止まる。糸術が腕と体全体に巻き付いている。

雪白の背後を見れば、和泉が離れた場所で左手で印を結び、右手は雪白から伸びている糸術を握り捕らえるために拳を固く握っている。


「そこまでだ。――菊理、わかったか。これが痴情のもつれ、というやつだ」


不敵に笑って、軽口を叩かれる。

糸に絡めとられている雪白は、それでも私から瞳孔の開いた目を向け続け、刺そうと藻掻いていた。


すると糸術の力が強まり、締め上げられた雪白の手から短刀が滑り落ち、苦悶の声が小さく漏れ始める。

私は慌てて和泉に声を掛ける。


「加減してくれ! 雪白のお腹には子供がいるんだ!」


和泉の顔から笑みが消え、眉を顰める。


「……身持ちか。産む前からこの調子では産んだとて、子供を大事にできるか疑わしいものだな」

「初めての妊娠で、雪白も不安定になっているんだ。多分、産んでしまえば……三鷹に似た子を目にすれば落ち着いてくれるはずなんだ!」


一郎さんの孫娘に対して、優しい声音で歌を紡ぎ、お手玉をしていた雪白は、黒い感情などなく、ただただ慈しむように愛情をもって接していた。


そんな彼女を目にしてしまえば、そう信じられずにはいられない。きっと、旦那の昔の女のことなんてどうでも良くなる筈だ。


私の必死の訴えに、和泉は表情を緩めると余裕の笑みを浮かべる。


「安心しろ菊理。女を縛るのは得意だ」

「……その言葉、信じるぞ和泉!」


糸術の締め付けが強くなり、雪白の開いた口から呻吟が漏れ聞こえる。

それが徐々に音をなくして、体から力が抜け落ち手足がだらりと下がった。

その瞬間、和泉が術を解いたので、私は倒れゆく雪白の体を支えた。


「菊理、その女の腹の子の状態を視る。穢れが移っていると厄介だ。家に運ぶのを手伝え」

「分かった!」


雪白の上体と足を手分けして持ち上げ、家に向かった。

家の前には集落の人たちがいつの間にか集まっていて、私と和泉が雪白を運んでいる姿を目にすると、皆がぎょっとする。


「え!? 雪白さん!?」

「退け! 今から診療する!」


和泉が強い口調で言い放つと、皆が左右に避けた。

家では異変を感じ取ったのか、花さんが布団を敷いていた。花さんは私達と入れ替わるように家から出て、戸を閉めた。


雪白を布団の上に下ろすと和泉は彼女の帯を外し、胸にかけると腹の箇所だけ着物を開けさせた。


曝された腹を和泉は五本指を押し当てては、全体を確認するように位置を変えていく。

そしてその手はぴたりと止まり、和泉は絶句したように腹を見つめた。

明らかに様子がおかしく、私は不安になり思わず声を掛ける。


「和泉?」


和泉は腹から視線を逸らすことなく口を開いて、ポツリと呟く。


「……菊理、井戸から水を汲んでこい」

「分かった!」


私は水桶を手に取って直ぐ様家を飛び出し、水を汲みに走った。戻って来ると雪白は掛け布団を掛けられていた。


和泉は正座をして腕を組み、難しい顔で雪白をじっと見つめている。緊迫した雰囲気に、私は何かがあったことを察し息を呑んだ。


「菊理、話がある。隣に座れ」


重々しい口調で切り出され、私は持っていた桶を土間に置いて、緊張で体を硬くしながら隣に正座した。

雪白は少し苦しげな顔をして眠っている。

和泉がゆっくりと口を開く。


「結果から言えば、腹に子はいなかった。この女は――処女だ」

「……え?」

「つまりこの女は、妊娠するようなことはしていない。妊娠は妄言だったということだ」


何を言われたか分からない。


妊娠するようなことはしていない――?


そんなこと到底信じられないことだと言うのに、脳裏には、私が間違った発言をした時の雪白の傷ついた顔が過ぎる。


『どうして気付こうとしない――!』


雪白の悲鳴が耳に木霊のように響き渡る。

その意味が、彼女の助けを求める声だとしたら――。

悲痛で顔が歪み、引き攣りそうになる声で、絞り出した言葉は和泉への非難だった。


「それは……嘘だ。和泉は、嘘をついている……」


だって、私は……その確固たる証拠を何度も目にしている。

動揺している私を余所に、和泉はその望みを断つように雪白を見つめながら、落ち着きを払った口調で説明し始める。


「人というのは、思い込みで体が願望に応えようとする時がある。それはそう珍しいものでもなく、月のものが遅れただけで精神が不安定になり、無意識に予兆に結びつけようとしてしまうのだ。その影響で月のものが遅れることもある。しかも、この女は暗示術を得意としているなら、俺の糸術と同様に自身にかけることも可能だ。そして――その痕跡があった」


言われた瞬間、私は立ち上がる。


「……確認しに行ってくる」

「菊理?」

「和泉は雪白の側にいてやってくれ! 起きた時、人がいなければ心細いだろう!」

「待て! 菊理!」


和泉の強い制止の声を振り切って、私は置いていた刀を拾い上げて戸を開けると、人だかりを押しのけ村里に走った。


雪白が妊娠していないなら、どうして、どうして体を慮ったりしていたんだ……! ――嘘だ! 和泉は嘘をついている!

だって――三鷹はそんなことをするような男じゃない……!


疲れることなど気にすることなく足を動かす。視界が茜色に染まっていき、村里に着く頃には夜だろう。

呼吸の量の調整すら忘れて、肺が、脇腹が悲鳴を上げても私はひたすらに走った。


だって私は、見えている――。



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