第五十話
「失礼いたします」
他愛ない話をしているところに、イルメラがお茶とシフォンケーキを持って来た。早速リステアードはケーキを一口食べて、おいしいと笑顔を見せる。
「とてもふわふわしていますね。口の中で溶けるようだ」
「シフォンケーキというケーキなんです。形がへこんだり、生地の断面が詰まっていたりして、まだまだ改良の余地ありなんですけどね」
「そうなんですか?十分おいしいのに」
「ありがとうございます」
お互いにケーキを食べる間、妙な沈黙が流れる。今までも沈黙はあったものの、気まずいと思ったことはなかった。今そう思うのは、リステアードがなぜか緊張していることが美波にも伝わっているからである。
「…えっとリステアードさん、今日はどうしてここに?」
「っ、実はですね、ミナミ様にお渡ししたいものがありまして…」
リステアードが胸元から小さな箱を取り出す。そうして蓋を開けてみせれば、そこにはブルートパーズのブローチが納められていた。そしてその灰色がかった青色は、リステアードの瞳の色でもある。
「これは、その、聖誕祭で贈り物をいただいたお礼なのですが…」
珍しく歯切れの悪いリステアード。何かを言い淀んでいるようだ。
「…私は、初めてミナミ様にお会いしたとき、なんて明るく笑う方なのだろうと思っていました」
初対面の自分にも躊躇いなく接してくれ、王都の女性のように媚びを売ってくるでもない。ごく自然に接してくれたことが、うれしかった。
「王都まで一緒に旅をする中で、ミナミ様のさまざまな表情を見ながら隣にいることが楽しかった。コロコロと表情が変わる貴女を微笑ましく思っていました」
「―――、」
一体これは今、どういう状況なのだろう?とにかくリステアードは真剣で、変に茶化すことはできない。美波はこの状況をむずかゆく感じながらも、速くなっていく自分の鼓動を聞いていた。
「貴女が聖女様だと知ったとき、どれほど衝撃を受けたことか。聖女様は女神様の遣い。こんなにも愛らしい人を独占できないのだと、渦巻いた自分の感情に戸惑いました」
それでも美波が聖女だと知って納得したこと。敬う気持ちが自然と心の底から湧き上がってきたこと。リステアードは美波への気持ちをぽつぽつと語り続ける。
「これからお伝えすることは、罪深いことかもしれません。それでも私は、ミナミ様に自分の想いを伝えたい。――貴女が好きです、ミナミ様」
「………!」
誠実さを体現したようなリステアードの言葉に態度に、美波は一瞬眩暈がした。
「えっと、あの…」
「………」
「ええっと…」
何も言葉が出てこない。リステアードの気持ちはうれしい。ただ、自分もリステアードを一人の男性として好きかといわれると、まだそうではないと言える。彼のことは好ましく思っているが、それは恋と呼ぶにはまだ幼すぎる気持ちだった。
「…突然押しかけた上に、突然こんな話をされては困りますよね。今すぐ返事がほしいわけではありません。ただ、貴女に私の想いを知ってほしかった。その上で、私を一人の男として見てほしかったんです」
私の我儘ですね、とリステアードは苦笑した。そして改めてブローチの入った小箱を差し出し、優しく微笑んだ。
「私の気持ちはさておき、このブローチは受け取っていただけるとうれしいです。一目見て、ミナミ様にお似合いになると思ったんです」
「………」
そこまで言われては突き返すこともできない。美波は小さな声でお礼を言って、動揺で少し震える手で小箱を受け取った。
「シフォンケーキ、おいしかったです。ミナミ様の新しいケーキを最初に食べられてうれしかったです」
そうして帰ろうとするリステアードを見送ろうとした美波だったが、それはリステアードに制されてしまう。そして応接間を出て行く彼の背を見送りながら、美波は椅子の上で沈むように滑り込んだ。
「な、なにが起きたの、今…?」
自分は夢でも見ているのだろうか?勘違いでなければ、今イケメンに告白されたのではないか?
「…え?現実…?」
先日のフェルディナンドといい、今日のリステアードといい、自分は本当に現実世界にいるのだろうか?ふわふわとした気持ちのまま、美波はのんやりと天井を見上げていた。
まさか三十路にもなって、しかも異世界で恋愛事に悩む日が来るなんて思わなかった。数年ぶりの色恋沙汰に、美波の脳内はパニックを起こしていた。




