第四十八話
「ねえ、ミナミ。私からもお礼があるのだけれど、受け取ってくれるかい?」
「え?」
急に立ち止まったフェルディナンドに合わせて、エスコートを受けていた美波も歩みを止める。隣を見れば、フェルディナンドが淡く微笑みながら美波を見つめていた。
「聖誕祭のときに贈り物をしてくれたでしょう?それがうれしかったんだ。だからこれは私からのそのお礼だよ」
フェルディナンドが懐から出した小箱には、宝石が埋め込まれた華奢なネックレスが入っていた。その宝石はフェルディナンドの瞳の色。
「こ、こんな高価なものいただけないですっ!」
美波が贈ったのはパウンドケーキ一切れだ。どう考えても価値が見合わない。
「どうか受け取ってほしい。私からの気持ちだ」
「でも…」
「――最初、ミナミに近づいたのは王命のためだった」
あわよくば聖女と王弟が結婚すればよいと、王命で近づくことを命じられた。そしてそのことをすぐに本人に話してしまった。聖女が打算的に王弟と結婚したいと思うならそれでよし、王弟の見た目に惚れたならそれもよし。フェルディナンドは、結婚というものに夢も希望も抱いていなかった。
「でも実際に話してみると、ミナミは明るく朗らかな女性だった。貴族の女性にあるような打算や欲望のない、純粋に一人の人間として私に接してくれた」
身目麗しい王弟でもない、栄誉ある王立研究所所長でもない、ただのフェルディナンドとして接してくれた。それがどれほど貴重なことか。
「ミナミと魔導具の話をするのは楽しかった。私の研究を応援してくれる姿にも心を打たれた。今私は、王命だからではなく、一人の男としてミナミにもっと近づきたいと思っている」
「―――っ、」
今まで見たどんな姿より美しいフェルディナンドの姿に、美波の心臓は高鳴った。
「だからこのネックレスを受け取ってほしい、ミナミ。君に魅せられた哀れな男の些細な願いを叶えてくれないか?」
外見の美しさに加えて色気も駄々洩れである。こんな男性からの懇願を断れる女性が、果たしてこの世にいるのだろうか?
「わ、分かりました!謹んで頂戴いたします!大切にします!」
これ以上、目を合わせていては惹き込まれてしまう。本能的に危険を察知した美波は思わず胸元を抑えながら視線を逸らした。
「ありがとう、ミナミ。早速だけど、私が着けてもいいかい?」
「…は、はい」
「後ろを向いて」
くるっと背中を向けた美波の首筋にネックレスのチェーンが触れる。遅れてフェルディナンドの指先が掠め、美波の身体はぞくっとした。
「はい、できたよ。よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます」
心なしかネックスレスを着けた首筋が熱い。そのあとはまともにフェルディナンドの顔が見れず、フェルディナンドはそれさえもお見通しという風に、ずっと機嫌よく微笑んでいたのだった。
私室で美波を出迎えたイルメラは、一瞬で美波に何かがあったことを察した。その胸元には煌めく一粒の宝石。その色を象徴するのは、この国ではある一族しかいない。そしてその宝石は希少価値が高いため、もし美波が市場価格を知れば卒倒するだろうと思い、ネックレスの話題には触れないことにした。
――『一人の男としてミナミにもっと近づきたいと思っている』。
美波の脳内で何度も繰り返されるフェルディナンドの言葉。寝る間際にも思い出しては心臓を高鳴らせる状態を危険だと判断した美波は、別のことを考えようとする。
(そういえば、意外とパウンドケーキが喜んでもらえたな)
手軽に量産できるし、装飾を次第では見栄えのするスイーツになる。他にもアレスリアにはない地球のスイーツがあって、それらを作るともっと喜んでもらえるかもしれない。
「そうだ!これだ!」
美波はついに、脱ニート生活となる事業計画を思いついた。テイクアウトから始めて、ゆくゆくはカフェ併設でお店が出せればいい。表立ってお店で働かなければ聖女が労働しているとは思われないし、レシピさえしっかりすれば製作だって選任のパティシエに任せられるはずだ。結果的には不労収入につながるのではないだろうか。
美波はこのアイディアが消えない内に、脳内検索でパウンドケーキのレシピをいくつか書き出した。翌日グィードに相談をしてみると、十分に事業になると言ってもらえた。こうして美波の文明開化は、まだまだ続くのだった。




