第三十九話
第十二の月に入ってしばらく。寒さも本格的になった頃、美波は新居へ引っ越しすることとなった。美波の言葉通り『城』を渡そうとしていたベルンハルトを止め、小さい家を願った。しかし実際のところはどうだろうか。持て余すほどの大きな屋敷をもらってしまったのである。
「いやいやいや、絶対部屋が有り余るじゃない、これ…」
馬車が立派な門を通過したときから怪しいとは思っていた。手入れされた庭園を抜けて見えてきた家は『屋敷』と呼ぶレベル。城を渡されなかっただけマシだと思うべきかどうか、悩むところだ。
「まあまあ!ミナミ様にふさわしい立派なお屋敷ですわねえ」
「ミナミ様なら、もっと大きなお屋敷でもよいとは思いますが…」
美波が王城から連れてきた侍女は二人。そう、ゲルダとイルメラである。美波が王城を出ると聞いて、彼女たちは自ら付いて行くことを申し出てくれた。美波としては断る理由はなく、むしろ願ったり叶ったりで大いに喜んだ。
「でもこの広さだとゲルダとイルメラだけじゃ手が行き届かないよね?他に人を雇った方がいい気がするなあ」
「あら、ミナミ様。それは――」
ゲルダが何かを言おうとしたとき、馬車が止まった。護衛として同行したリステアードが馬から降りて、馬車の扉を開ける。美波たちが馬車を降りると、そこには年配の男性と複数の使用人が並んでいた。
「お引っ越しおつかれさまでございました、ミナミ様。私はミナミ様のお屋敷で家令を務めさせていただきますグィード・グレーベルと申します。どうぞグィードとお呼びくださいませ」
「えっ?家令?」
「ほらね、ミナミ様。私は国王様が別の使用人たちを手配していると思っていましたよ」
「え、えええ…」
ベルンハルトは侍女を手配すると言っていたので、てっきりゲルダとイルメラだけからと思いきや。まさかの家が管理できるよう使用人を勢揃いしてくれていたようだ。しかし彼らの費用もまた、国庫から支払われているはずである。そう思うと、一般人の美波としてはとても気が引けるわけで。
(なんとか生計を立てる方法を考えなきゃだな)
なんとも現実的な聖女である。
「ミナミ様、私はここで失礼いたします。お屋敷の警護は引き続き部下が行うので、ご安心ください」
「あ、ティーレマンさん。お忙しいところここまでありがとうございました」
「いえ、私が希望して来ていますから」
(おおう、相変わらず眩しいな)
キラキラな笑顔を残して、リステアードは王城へと戻って行った。気を取り直して家令グィードの方へ向けば、こちらも微笑んでいる。
「それではミナミ様、まずはお部屋へとご案内いたします」
グィードに付いて家の中へと入る。そのまま二階へと上がり、廊下の最奥、一番広くて日当たりのよい部屋が家主たる美波の部屋だ。調度品はシンプルながらも洗練されたデザインと色で揃えられており、美波は一瞬でこの部屋を気に入った。
「うわあ、素敵な部屋だ…」
「お気に召していただけたでしょうか?もしお気になさないところがございましたらお申しつけください。すぐに模様替えをさせていただきます」
「いえいえ!完璧です!」
そして部屋の一か所には、大きなふかふかのクッションが置かれていた。これは間違いなくヨシュカの寝床だろう。
ヨシュカが街中を歩いたら悪目立ちすると思い、今は王城で少し待ってもらっている。家に着いて準備ができ次第、呼び寄せることになっていた。
「これならヨシュカもゆっくりできそうです。グィードさん、ありがとうございます。早速ヨシュカを呼ぼうと思うのですがいいでしょうか?」
「はい、もちろんでございます」
「ヨシュカー。いつでも来てくれていいよー」
びゅんっと強い風が吹いて、思わず目を閉じる。そして目を開ければ、目の前にヨシュカが座っていた。
「遅い!呼ぶのが遅いぞ、小娘!」
王城での一人ぼっちのお留守番で、ご機嫌ななめのご様子である。
「ごめんね、ヨシュカ。でもほら、見て!ヨシュカ専用の大きなクッションを用意してくれてるよ!」
「ふんっ、そんなクッションごときで許されると思うなよ」
そうは言いつつも、ヨシュカは自分の寝床を確かめるようにクッションへと歩み寄る。そしてクッションに乗って、足で何度か踏んだ。ふみふみ。
「どう?ヨシュカ」
ふみふみ。ふみふみ。
続いて、ヨシュカはクッションを掘り出した。ほりほり。
(そ、それはクッションが破けないかな?大丈夫かな?)
ほりほり。ほりほり。そしてクッションの上でくるっと回ってから、ヨシュカは寝転がった。
「ふん、悪くはないな」
(気に入ったんだ…!ヨシュカ…!かわいい…!)
どうやらヨシュカの機嫌は直ったようである。
「これからすぐにゲルダがお飲み物を持って参りますゆえ、それまでしばしお待ちくださいませ」
グィードは綺麗に一礼をして、部屋から出て行った。美波はそのまま無言でソファー座り、膝に肘をついて俯いたかと思えば。
「はあああああああああああ」
盛大で深いため息を吐いた。
「こんな大きな家の管理費に、少なくとも十人は超える私たちの生活費、そしてお給料……一体いくらあれば足りるの?いくらあればいいのぉぉぉぉお」
「今度は何を喚いているのだ、小娘」
クッションに寝転がったまま、美波の負のオーラを見かねたヨシュカが声をかける。美波はそんなヨシュカに縋るような視線を向けた。




