第三十六話
「フェルディナンドの了承は取ってある。其方のパートナーになれることを光栄に思っていると言っていたぞ」
どこでフラグが立ったのか。歩く誘惑ことフェルディナンドは、しっかりと美波を気に入ったようである。近頃は、密かな王命にも割りと積極的なご様子。
「当日のドレスはこちらで手配しておくわ。あなたは挨拶とダンスに集中してちょうだいね」
「よろしく頼む、オーツカ嬢」
「は、はひ…」
こうして急遽決まった美波の聖女デビュー。昨日からダンスの猛練習に励んでいるのだが、日本でもダンスを踊ったことなどない。まったく身体が思う通りに動かないものである。
(いつ足を挫いてもおかしくないぞ、これは。ステップを意識してたら背筋が曲がってくるし、背筋を意識してたらステップを間違うし)
さらに大きな問題なのが、全身の筋肉痛である。ダンスは全身運動をしているようなもので、普段使っていない筋肉を練習で酷使している。全身に痛みがある中でさらに猛練習するというのは、なかなかの苦行だ。
(くぅ!筋肉痛が辛い!でも翌日に痛みが来るならまだ若い証拠よね!まだ若いってことは、飲み込みも悪くないってことよね!)
美波は持論で己を鼓舞する。そして再開された練習では、再び彼女の叫び声が響くのだった。
そしてお披露目パーティー当日がやってきた。朝からゲルダとイルメラにピカピカに磨き上げられた美波は、鏡に映る自分に見惚れていた。
「馬子にも衣裳ってこのことね。プロの技術ってすごい…」
聖女をイメージしたシルクの白いドレスに、袖や裾の金色の刺繍が映える。美波のストレートヘアは下したままで、頭には月桂樹の葉を模した金の髪飾りが輝いていた。さらにイルメラの手によって綺麗に施された化粧は、彼女を清楚に見せる役割を果たしていた。
「本日の夜会はミナミ様が主役です。楽しんできてくださいね」
ゲルダが優しく応援したと同時に、フェルディナンドが迎えに来た。
(ぐぅ!すっごい美人…!)
盛装のフェルディナンドは凶悪である。歩く誘惑どころか、いっそ歩く凶器と名付けたい。そんなフェルディナンドの色香に惑わされないように、美波はそっと目を逸らした。
「すごく綺麗だよ、ミナミ。よく似合ってる」
「ア、アリガトウゴザイマス」
「うん?なんだかぎこちないね?もしかしてパーティーに緊張してる?」
「ソレモアリマス」
「それも?――ああ、そうか」
フェルディナンドが美波の顔を覗き込む。濃い紫色の瞳と視線が交わった。
「ミナミは私の顔が好きだからね?今夜の私はどうかな?」
(ぐはっ!鼻血が出るかもしれない!)
そう悪戯気に笑う天上の美人に、美波は現実逃避でこのまま意識を失いたくなった。もちろんそんなことは叶わない。
「「いってらっしゃいませ」」
ゲルダとイルメラに見送られ、フェルディナンドのエスコートで舞踏会場へと向かう。いよいよ本番という緊張で表情の硬い美波を見て、フェルディナンドは微笑んだ。
「ねえ、ミナミ。私は五歳から社交術を学んで、七歳からは身内のパーティーやお茶会に、十歳からは正式に父や兄と社交の場に出ていたんだ。知識も経験も十分にあると自負しているよ。だからこそ今、ミナミのパートナーになれている。いざというときは私がいるから安心していいよ」
「フェルディナンドさん…。――はい、よろしくお願いします」
そう美波を励ますフェルディナンドは眼福ものである。いや、そうではなく、相手に安心感を抱かせる心強さを感じられる。美波は一度深呼吸をして、腹を括った。
舞踏会場へと続く扉の前で、他の王族たちと合流する。ちなみにヨシュカはお留守番である。そして扉が開かれるのと同時に侍従からの入室宣言がされ、美波はついに大勢の貴族たちに披露されることとなった。
「皆、よく集まってくれた。誰もが噂を耳にしているとは思うが、このウェインストックに喜ばしくも光栄な出来事があった」
観衆の前に、威厳ある態度でそう挨拶を始めたベルンハルト。その間も、ほとんどの会場の視線は美波を見据えていた。




