第三十五話
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第十一の月に入ってすぐ。王城のダンス練習室で、鍵盤楽器の音色と美波の叫び声がアンサンブルを奏でていた。
「リズムが乱れていますよ!私の弾く音をよく聞いて!」
(足がつりそう、足がもつれそう、足が棒になりそう…!)
「ワン、ツー、スリー、そこでターン!」
「ぎゃあああ!倒れるぅぅぅ!」
ターンをしたところでバランスを崩し、ドスンと鈍い音を立てて尻もちをついた美波。するとダンスの先生は慌てて駆け寄り、美波へと手を伸ばした。
「少し休憩をしてから再開しましょう、オーツカ様。お疲れのところ恐縮ながら、ゆっくりとお教えしている時間はありませんので」
「はい…ありがとうございます、先生」
ダンスの先生は申し訳なさそうにそう言うが、スパルタなダンス練習をやめるとは決して言わない。聖女に対する扱いにしては手厳しいが、それにはどうしようもない理由があった。
(そもそも王様のせいなんだよね、これ。王様なんだから権力を使って、本当はどうにかできたんじゃないかって疑っちゃうよ)
事の始まりは二日前。美波が謁見の間へと呼ばれて行ってみると、そこには王座から降りたベルンハルトとフェオドラが立っていた。
(なかなか慣れないな、これ)
ウェインストックでは、聖女は王や王妃と同格またはそれ以上の存在として扱われる。二人が王座を降りて待っていたのはそういう理由からであるが、日本の一般人である美波としては違和感しかないのである。
「おお、オーツカ嬢。突然呼び立てて悪いな」
以前に約束した『過度に聖女扱いしないこと。特に王族は今まで通り振る舞うこと』をしっかり守ってくれているベルンハルト。
「実は其方に話しておかねばならんことがあってな…」
ベルンハルトの渋々といった態度に、美波の胸がざわつく。
(え?なに?なんかよくないことでも起きた?展開的には本物の聖女が現れたとか?)
「ベルンハルト、そんな言い方をしてはミナミ嬢が不安になってしまうわ」
「う、うむ」
「あのね、ミナミ嬢。急で申し訳ないのだけれど、二週間後に聖女のお披露目パーティーが開催されることになったの」
「聖女の?」
「ええ。国民たちの間でもミナミ嬢の作ったパンが広がり始めていてね。その流れで聖女の存在も知られ始めて、家臣から正式にお披露目をすべきだという声が上がったの」
「――あ、聖女って私か」
「やあね、ミナミ嬢。まだ呆けるには早くってよ」
未だに自分が聖女だという自覚が薄い美波である。
「以前からそのような声は上がっていたが、其方は目立つことが苦手だと言っていたであろう?のらりくらりとかわしていたのだが、家臣たちの声が大きくなりすぎて、どうしようもなくなったのだ」
「そ、それで二週間後は急すぎやしませんか?」
お披露目パーティーで何をするかは全く分からない。それでもこの国での聖女の地位を考えると、生半可な覚悟で挑めるパーティーではないことくらい予想できる。
「来月は聖誕祭があるゆえ、今月中に行うべきだということになってな。日程を調整した結果、二週間後となったのだ」
「ええええ…」
これはもう拒否権はないパターンである。
「だが、なるべく其方の出番は少なくて済むようにはしたぞ。聖女としての挨拶と、パーティーの最初のダンスを踊るだけでよい」
「いやいやいや!たしかに出番は少ないかもだけど内容がヘビィだよ!ダンスなんて踊ったことないよ!?」
思わず心の声が口に出てしまった美波。彼女の激しいツッコミにベルンハルトとフェオドラが一瞬きょとんとした表情になるが、すぐに元に戻った。
「もちろんあなたが不慣れなのは知っているわ。だからダンスの先生を招待したの。この二週間、大変だと思うけど練習を頑張ってほしい」
(たった二週間で、人前で踊れるようになるものなの!?違うよね!?絶対ならないよね!?)
「私たちとて、二週間で完璧に踊れるのは難しいと理解している。そこでパートナーには、其方の経験不足をフォローできる人物を充てることにした」
「へ?パートナー?」
「弟のフェルディナンドだ。あやつなら王族として社交のマナーはきっちりと学んでいる。何か不測の事態になったとしても其方をうまくフォローするだろう」
「あなたたち、随分と仲よくなったみたいだし、ちょうどよかったわね」
(何が『ちょうどいい』んですか、王妃様!!)
美波は知っている。ベルンハルトとフェオドラが、美波とフェルディナンドを密かにくっつけようとしていることを。そしてそれをフェルディナンドに指示しているということも。




