第三十三話
第十の月も終盤に差し掛かった頃。美波は日本食不足に苛まれていた。
「ああ…日本食が食べたいよお…。お米、おみそ汁、醤油味ぃぃぃ」
美波がアレスリアに召喚されてから半年以上。日本食が恋しくなって当然である。だが、今まで一度も日本食になりそうな食材を見たことがない。王城で出される料理はどれもおいしいものの、主食は小麦粉製品である。粉ではなく粒が食べたい。あの独特の甘さと噛み応えのある粒が。
「困りましたねえ。ミナミ様がおっしゃるような食材、どちらにあるんでしょうか。私も見たことがなくて…」
「城に食材を運んでくれる商人にも聞いてみましたが、知らないようでしたね」
紅茶を準備しながら、ゲルダが首を傾げる。そしてテラスでヨシュカのブラッシングをしているイルメラも首を横に振った。
「食材がなければお主の脳内検索とやらも使えぬな。いっそファシエル様に跪いて在り処を請うてみてはどうだ?」
「なんでそんな意地悪な言い方するのよ、ヨシュカ。それにこんなことで女神様を頼ったりしにくいよ。食材ひとつ見つけられないなんて…」
「あ、そうだわ、ミナミ様。収穫祭に行ってみるのはどうですか?」
現状を打破する案を出したのはゲルダだった。
「今月末は王都で収穫祭が開かれるんです。各地から商人がやって来るので、もしかしたらお目当ての食材も見つかるかもしれませんよ」
「何そのイベント!絶対行きたい!」
「ふふふ、そうですよね。後ほど外出許可をもらってきますね」
ゲルダの言葉通り、収穫祭当日の美波の外出は許可された。しかし条件付きである。その条件とは護衛であり、その護衛とはもちろんリステアードであった。
(あの一件から余計に目が見れなくなったよ…!)
あの一件とは、美波がリステアードに胸きゅんした日のことである。しかも今回は目立たないよう、平民の恰好をしての外出である。これではまるで、お忍びデートのようではないか。
(あああ!こんなこと考えちゃダメだ!)
三十路女の煩悩にイケメンを巻き込んではいけないと、物理的に頭を振って邪念を振り払おうとする美波。するとノックの音が鳴って、リステアードが迎えに来たのだった。
(平民服でも隠し切れないオーラ…!ううっ、眩しい…!)
美波がどこまで平然を保てるか、いささか不安である。
とりあえず例のごとく目を合わせないように絶妙に視線をずらしながら、挨拶を交わすという最初のハードルをクリアした美波。それから馬車に乗って王都まで下りた。もちろん馬車はお忍び用のシンプルな装飾のものだ。
「ミナミ様、街に着きましたよ。ここからは徒歩で行きましょう」
「――わあ!」
リステアードのエスコートを受けて馬車から降りる。目の前には、夕方の空に滲むように光るランタンや色とりどりのガーランドがいたるところに吊るされ、賑やかに収穫祭を楽しむ人々の姿があった。
「街のメイン広場を中心に露店がたくさん出ています。広場では劇団や踊り子などの上演もあるそうなので、気になるのであれば見ていきましょう」
祭りの活気に当てられてわくわくした表情の美波を見て、リステアードがそっと微笑む。そうして二人は隣に並んで、街の探索を始めた。
「そこのお嬢さん、串焼きはどうだい!」
「新鮮な果実水があるよ!」
「収穫祭の思い出に工芸品はいかが?」
露店の店主たちの客引きの声を聞くだけでも楽しい。日本では見たことのない食べ物や、宝石の欠片を使った装飾品、用途不明なおもちゃのような魔導具、木彫りの置物やお面など、時にはリステアードに優しく説明してもらいながら、美波は順番に見て回った。
「このジュース、生のフルーツも入っててすごくおいしいです!」
露店の品を堪能する美波を、微笑ましく見守るリステアード。
「っあ、」
人の往来が多い通りで、他の祭りの観客に軽くぶつかってしまった美波の肩をリステアードがそっと抱きしめた。
「人が多いので気を付けてくださいね、ミナミ様。それからはぐれないように――よろしければ私の服の袖を掴んでいてください」
(は、はずかしい…!!!)
服の袖を掴むなんて、まるで初々しいカップルのデートみたいではないか。むしろ手をつなぐよりも逆にはずかしい気がする。手をつなごうと言わないのはリステアードの配慮だと察するが、素直に袖を掴むのは抵抗がある。
悩んでいる間にも、美波はまた観客とぶつかりそうになる。見かねたリステアードは手を差し出し、優しく美波の名前を呼んだ。
(ぎゃー!なにこれ!?なんかのスチルですか!?)




