第三話
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ファシエルに召喚されたあの日、ヨシュカが美波を連れて行ってくれたのは、召喚された森の近くにあるハーフェンという小さな村だった。村人がヨシュカに気づくなり、慌てて誰かを呼びに行く。そうして現れたのはこの村の村長だという老人で、彼は丁寧にヨシュカと美波に接した。
創造神に召喚されたということこそは話さなかったものの、神獣が連れてきた人間。村長の計らいで、美波は村の空き家に住めることになった。その空き家は人が住まなくなって時間が経っていたのか最初こそ人が住めそうになかったが、村人総出での修繕や掃除を手伝ってくれたお陰で、美波は割りとすぐに快適に住めるようになった。
村人の仕事を手伝って、そのお礼に食べ物や生活必需品を分けてもらう日々。空いた時間には村長にアレスリアのことを教えてもらい、月日や時間の数え方は地球と同じと知り、今は第四の月で春の季節だということも分かった。
「ミナミ、今日も作物の出荷を手伝ってくれてありがとうね。明日は花の出荷を頼めるかい?」
「もちろん!午後は荷物配達の手伝いがあるから、午前中だけの手伝いになるけど大丈夫?」
「午前だけでも十分助かるよ!」
ハーフェン村に来てから半月ほど。毎日誰かしらの手伝いをしていたこともあり、村人たちともそれなりに仲よくなった美波は、スローライフとも呼べる生活を営んでいた。東京にいた頃には経験したことのない肉体労働に疲れ果てる日々だったが、そのお陰で美波は余計なことを考えずに済んでいた。
「――小娘」
「あ!ヨシュカ!」
おおよそ二日に一度、美波の様子を見にヨシュカがハーフェン村へと顔を出す。今日もまた、ヨシュカは村人の手伝いを終えて帰宅する美波を出迎えた。
「今日も問題なく過ごせているようだな」
「うん、今日もいっぱい働いたよ。お礼に鶏肉をもらったから、今夜はシチューにしようかな」
そう笑顔を見せる美波だったが、次の瞬間には少し寂しそうな表情になる。黙ってヨシュカに歩み寄った美波は、そのまま倒れ込むようにヨシュカの白い毛の中に顔を埋めた。
「ハーフェン村のみんなは本当にいい人たちばっかりなんだよ?みんな、困ったことはないかって、いつも私を気に掛けてくれてる」
「そうか」
「ヨシュカだってそうだよ。ぶっきらぼうでちょっと口は悪いけど、こうして私の様子を見に来てくれる」
「……ふん。我はファシエル様から頼まれているからな」
「……うん。神様が私を見守ってくれているのは分かるんだけどさ。でも、やっぱり。元の世界のみんなと会えないのは寂しいなあ…」
「………」
アレスリアでの生活に馴染んできたからこそ、余計なことを考える余裕ができてしまう。その余計な思考を振り払おうとヨシュカの温もりに縋る美波を、一瞬の眩暈が襲った。
『――ミナミ、聞こえますか』
それはファシエルが美波に話しかける兆候だった。
「あ、神様。あの日ぶりですね」
『ええ、そうですね。あなたが健やかに過ごせているようで何よりです。けれど、寂しい思いをさせてしまってごめんなさいね』
「………」
いくら謝られたって、元の世界を恋しく思うこの気持ちはどうにもならない。ファシエルにはファシエルの理由があって自分を召喚し、理不尽に召喚されたもののアレスリアで安全に生活ができるように見守ってくれている。決して悪いことばかりではないと前向きに考えようとする美波だったが、それでもささくれる感情は消えなかった。
『今日はミナミに伝えたいことがあって、こうして話しかけました。あなたが元の世界のことを想うのは当然のことです。そこはわたくしの配慮が欠けていました。なので、用意をしてきましたよ』
「……え?」
何やら前向きな言葉がファシエルから聞こえた気がする。希望を持って少し明るくなった美波の声に気づいたのか、ファシエルの声音がより一層優しくなった。
『元の世界の人々と連絡が取れるようになりますよ、ミナミ』
「本当に?」
『はい。今すぐというわけにはいきませんが、あなたにわたくしの聖物を授けましょう』
「やった…!その聖物はどうやって受け取ればいいですか!?」
もう連絡も取れずに、二度と会えないと思っていた元の世界の人々。そのことが美波の心に暗い影を落としていたが、ファシエルがそれをどうにかしてくれると言うのだ。美波は純粋に喜び、ファシエルの言葉を待った。
『アレスリアには、ウェインストックという王国があります。あなたが今いるハーフェン村もまたこの王国に属する村になります。そしてその王都にはわたくしを祀る大聖堂があるので、そこまで来てください。大聖堂はわたくしの力が一番強く届く場所。そこであれば、あなたに聖物を授けることができます』
「ウェインストックの王都にある大聖堂ですね。分かりました。必ず行きます…!」
『待っていますよ、ミナミ。あなたの旅に幸多からんことを』
そうしてファシエルとの対話を終えた美波。諦めていた元の世界と連絡が取れるという喜びに思わず持っていた食料の入ったバスケットを放り投げ、ヨシュカに両手で抱き着いた。
「ヨシュカ!私、元の世界の人と連絡が取れるって!」
「そう大声を出すな、小娘よ。我も聞いておったわ」
「すごく嬉しい!すごく嬉しいよ!」
喜びとその興奮で徐々に涙声になっていく美波の声。ヨシュカは呆れたような顔で美波の好きなようにさせていたが、その尻尾は地面を擦るようにゆっくりと揺れていた。