第二十九話
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それから月が替わった第九の月中旬。美波の元に、フェルディナンドが冷蔵庫の試作品第一号を持って現れた。サイズとしては結構小型ではあるものの、第一号は魔石に魔力を注いでからしばらくするとゆっくりと庫内を冷やし始め、期待通りの稼働を見せる。しかし、庫内が十分に冷えた頃、外側に雫が流れ始めたのである。そう、結露だ。冷やしは十分だが、冷蔵庫自体の断熱性が足りない。新たな課題が浮き彫りになり、フェルディナンドは再び研究所にこもるのだった。
そしてしばらくして、試作品第四号が持ち込まれた。結露の問題を解決し、美波がぽろっと要望を出した野菜室や温度調整機能までついている。フェルディナンドは目の下にクマを作りながらも、機能としては十分な冷蔵庫ができたと自信の溢れる顔を見せていた。
(ちょっと疲れてる感じも儚げで美人だな…)
美波はそんな場違いなことを思いながら、完成した冷蔵庫をしばらく試用してみた。うん。申し分ない。定期的に魔石に魔力を注ぐ必要はあるものの、しっかり地球の冷蔵庫が再現できている。サイズは一人暮らし用の冷蔵庫と同じくらいだが、ファミリー用、業務用のサイズまで改良されるのも時間の問題だろう。
ただ、冷蔵庫ができたとなると、アレも欲しくなってくるのが地球人である。
「これはもう完璧な冷蔵庫です!すごいです!ありがとうございます!」
「いや、お礼を言うのはこちらの方だよ、ミナミ。作っていてとても楽しかったし、何よりこの世界に革命を起こす魔導具だ。携われたことを光栄に思うよ」
美波が試用している間にしっかりと休んだのか、いつもの麗しいフェルディナンドが戻っていた。そしてその言葉通り、冷蔵庫作りは大層楽しかったのだろう。フェルディナンドは満面の笑みだった。色気が駄々洩れだった。美波はくらりとなるところを、なんとか踏ん張った。
「――それでですね、フェルディナンドさん。実は、もうひとつ付けたい機能がありまして…」
きらり、フェルディナンドの目が期待で輝いた気がした。
「冷凍庫という冷蔵庫よりももっと庫内の温度を低くして、食材を凍らせてしまう機能なんです」
「おもしろい!今すぐやろう!」
食い気味でそう答えたフェルディナンドはワーカホリックと呼んでも差し支えないのではないだろうか。この美人に強いて欠点を上げるとするならば、魔導具研究が好きすぎることかもしれない。
それから再び冷蔵庫の改良が始まり、連日、魔導研究所の明かりが消えることはなかった。そして改めて美波の試用を経て、ついに地球のものと遜色ない冷蔵庫が完成したのである。それは冷蔵庫の研究を始めて一ヶ月強が経った頃のことだった。
「な、なんだこれは…!?これは料理界がひっくり返る代物だぞ!!」
そう大興奮しているのは、王城の料理長である。初めての完成品は、城の厨房で使ってもらうことにした。
「おいおいおい、バターが溶けてないぞ!肉も冷たくてすぐ腐る心配がない!」
「りょ、料理長!野菜がぱりっとして新鮮なままです!」
「料理長ぉぉ!こっちは氷が作れてますよ!」
厨房は驚きと喜びで興奮冷めやらぬ状態だ。そんな状況を、発案者である美波、開発者であるフェルディナンドとホルストは満足そうに見守っていた。
「やっぱり料理する人には冷蔵庫の有難さが痛感できるんですね。あんなに喜んでもらえるなんて、フェルディナンドさんとホルストさんに相談してよかったです」
「私も自分が作った魔導具が喜んでもらえるところを見られてうれしいよ」
「とはいえ、まだ一般普及のための改良は必要です。聖女様の故郷にも早く届くように生産効率を上げていかねばなりません」
「君も素直じゃないね、ホルスト。本当はうれしいくせに」
「よ、喜びながらも先のことを考えるのは開発者として当然のことです」
ホルストの態度に仕方がないという風に笑ってみせたフェルディナンドが、今度は美波の方へと向く。
「ありがとう、ミナミ。レイゾウコの研究、本当におもしろかったよ。また何か思いついたら、いつでも相談してほしい」
「はい、こちらこそありがとうございます。こんなに早く作っていただけて、すごく助かりました」
「ふふ、ミナミの願い事なら最優先だよ。ミナミなら何もなくても会いに来てくれていいからね。――特別だ」
「………!?」
歩く誘惑が本領発揮した艶やかな微笑みに、美波の身体はぞくっとし。それを誤魔化すように顔を料理長たちの方へ向け、なんとか自我を保ったのだった。
(今のはずるい!今のはずるい!今のはずるい…!!)
早鐘を打つ美波の心臓は、果たしていつ収まるのか。
こうして美波は、またアレスリアに新しい文明をもたらしたのだった。




