第十九話
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王城に留まることを決めてから、数日。美波は、料理長や料理人たちにハーフェン村のパンとして塩パンとベーグルの作り方を教えたり、部屋が客室から私室を移動になったこともあり王城内の地理を覚えたりと、それなりに充実した日々を送っていた。
労働らしい労働もせず、十分すぎるほどの衣食住が保障されている点については気が引けるものの、まさしく平穏と呼べる毎日を過ごしていた美波だったが、急に試練が与えられた。
美しく手入れされた庭が眼下に広がる王城のテラスに設置されたティーテーブル。そこに並ぶのは、専属の料理人や菓子職人たちが丁寧に作ったと思われるお菓子や軽食。そして美波の向かいに座る、銀髪で濃い紫色の瞳を持つ美人。
そう、『歩く誘惑』である。
(どうしてこうなった…!)
美波が招待されたのはフェオドラのお茶会だったはずだ。それがいざ来てみれば、席にいたのはフェルディナンド一人ではないか。美波が来るなり現れた王妃付きの侍女によると、フェオドラはやむを得ない急用でお茶会に来ることが叶わず、代理としてフェルディナンドを呼んだとのこと。
(なんで代理が歩く誘惑なの…!?せめて王女様にするとか、いっそキャンセルしてくれたらよかったのに…!)
美波の心の内など知る由もなくフェルディナンドは立ち上がり、自分の向かいにある椅子を引いてエスコートをする。逃げ出すことも叶わず美波は大人しく席に着き、今に至るというわけである。
(この人と話すこと、なにかあるかなあ…)
今まで二度ほど顔を合わせたが、会話らしい会話をしたことはない。おまけに無駄に色気のある美人ということで、なんとなく美波の中では苦手意識がある相手だ。
「王妃とお茶会だと思われていらっしゃったでしょうに、急に私がいて驚かせてしまったようですね」
「あ、いえ、とんでもないです。ええと、ウェインストックさんはたしか研究所の所長さんでしたよね?むしろお忙しいところ、すみません」
「どうぞ私のことはフェルディナンドとお呼びください。ウェインストックだと、王族全員が該当してしまいますからね」
フェルディナンドの綺麗な微笑みがひとつ。思わずうっとりしてしまいそうな微笑みではあるが、美波の三十年という人生経験が、それは社交用の計算された微笑みだと分析していた。美人なだけではなく計算高いとなると、ますます美波の中で要注意人物に指定されていく。
「分かりました。そうお呼びさせていただきます」
侍女が紅茶を淹れてくれる。とりあえず間を持たせるためにも、まずは一口と、美波がカップに口をつけたときだった。
「正直にお話すると、王妃がこのお茶会に来なかったのはわざとなのです。オーツカ嬢と私の親睦を深めさせ、あわよくば婚姻させたい意図があるようです」
「げほ…っ」
フェルディナンドの暴露に、危うく美波は紅茶を吹き出すところだった。正確には吹き出しかけていて、鼻の奥が痛くなっていた。
「…え?…は?今なんとおっしゃいましたか?」
「王妃は貴女と私を婚姻させたいようです。まあ王妃だけではなく、王の意向でもあるのでしょうが」
「どうしてそうなるんですか…!?」
「聖女を王族に取り込みたい。そこにちょうど都合のいい私がいた、というところでしょうか」
「随分と明け透けにお話してくださるんですね…!?」
正直すぎるフェルディナンドは一体何を考えているのか。美波の彼に対する警戒度は高まるばかりである。
「名前はもちろん、髪色や目の色からお分かりになるかと思いますが、私はウェインストック王家の正統な血を引いています。王弟として、現在、王位継承順位は一位です」
(性格はさておき、美人で血筋もよくて、お金持ちで権力もあるってか。ハイスペックすぎる)
「継承権はジークフリートが十八になれば放棄する予定ですが、未婚者で今すぐ婚姻ができる王族は私一人です。しかも直系なので、周囲としても申し分ないのでしょう。聖女の威光は世界共通ですし、是が非でも貴女をウェインストック王家に取り込みたいというのが、王家の本音ということです」
「……なぜ、突然そんな話を私に?」
正直すぎて何か裏があるのではないかと、美波はそう思えて仕方がない。




