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幼い王妃はイルカを知らない

 ジャクル王である私と、サンブリア王女であるセラフィナの婚姻が決まったのは5か月前だ。

 そこからが大変だった。なんたって王族の結婚だからね。「着の身着のままお嫁においで」とはいかない。庶民はこれでいい場合もあるとか小耳に挟んだが、王族間では絶対許してはもらえないからなぁ。敷居の低い庶民、羨ましいぞ!

 

 まずは住居。

 王宮の南側、日当たりの良い一角を大急ぎで改築し王妃宮とした。サンブリアから来た幼い王妃は、ここを住まいとすることになる。

 元々、娘の部屋があったあたりだ。若い女性が好むような、華やかで優しい雰囲気の装飾が施されていた。戦争の痛手からまだ完全に抜け切れていない敗戦国としては、大金をかけて花嫁を迎える準備はできなかった。

 案の定、セラフィナに付き添ってやってきたサンブリアの侍女や家来たちは、少々不満そうな顔をしている。そんなこと言われたってねぇ。


 我が国をコテンパンに叩いてくれたのは、サンブリア(そちら)でしょ。そちらの王様でしょーが。高額戦争賠償金を要求してきたの、そちらのお国だよね。おかげで我が国は、青息吐息なんだから。苦しいなりにがんばったんだぞ!

 うるさいサンブリア側の従臣(がいや)たちが口を開く前に、釘を刺しておこうと思う。でないと、寒い懐を必死に算段して輿入れの支度をしてくれた、ジャグル(わたし)の家臣たちの立つ瀬無い。

 王たる者、気配りが大切だ。

 

「追々セラフィナの成長や好みに合わせて、改装や改築をしていけばいいだろう」

「良いのですか?」


 セラフィナの顔が、ぱっと華やぐ。うん、かわいい。


「もちろんだよ。あなたの好きなようになさい。ただし、予算内でお願いするよ」

「はい!」


 幼い妻の方が、よほど理解力と協調性がある。従臣たちはまだなにか言いたげであったが、主人たるセラフィナが良いと言った以上、正面切って文句はつけられない。

 フンだ!


 私たちは王妃宮の中庭を望む回廊を歩いて、その先のセラフィナの部屋へと歩を進めていたのだが、当の妃の足並みが遅れがちになっていた。もちろん彼女の歩幅を考慮して、ゆっくりと歩いていたつもりなのだが、時折足が止まるようになった。


「やはりお疲れのご様子ですね」


 わたしが話しかけても、セラフィナの視線は中庭の方へ向いたままだった。


「なにか気になることでもありますか?」

「噴水があります」


 セラフィナの声が弾んでいた。

 彼女の言うとおり、正方形の中庭には中央に池があり、その真ん中に池の水を循環させる用途を兼ねた噴水がある。水が高く跳ね上がるような派手な仕掛けはないが、池の真ん中にイルカの像があって、その口から水が絶えず噴き出している構造になっている。四方より中央の池へと十字に石畳が敷かれており、その小径によって区切られた花壇がシンメトリーに配置されていた。


「近くに寄って、ご覧になりますか」

「はい!」


 すぐにでも駆け出しそうな様子だったが、その前にセラフィナはちらりと彼女の侍女頭の顔色を窺った。ボアネル夫人といったか。言葉を発することはなかったが、わずかに眉根を寄せたのは、私も見逃さなかった。


「あ……、又にいたします。陛下が宮殿をご案内してくださっている途中ですもの」


 明らかに、セラフィナは戸惑っていた。

 彼女は好奇心が強いのだろう。噴水が気になって仕方ない。子供なのだから、好奇心は旺盛な方が健康だよ。なのに大人の、侍従や侍女たちの顔色で、それを抑え込もうとしなけばならないなんてかわいそうだ。


 華美な衣装や宝石が欲しいと言っているのではない。噴水を見てみたいと望んでいるだけじゃないか。


 私はひょいと小さなセラフィナの身体を抱き上げた。決して体格や腕力は自慢できるようなおじさんではないが、それでも小さな子供くらいは抱き上げられる。


「さあ、一緒に参りましょう。あなたはこの王妃宮(みや)で一番偉い方なのですからね。見たいとおっしゃればいいのです」

「陛下!」


 お付きの家臣がガヤガヤ言っているが、知らん! 今の私には聞こえないぞ。そちらの国ではどうだか知らないが、8歳の子供とはいえ、セラフィナは王妃の身分だ。この国では一番気分の高い女性なのだよ。敬いたまえ。

 セラフィナを抱っこしたまま、中庭に出る。この時期、ジャクルの午後の日差しは強くて眩しい。だが幼い子供の好奇心は、そんなものではくじけなかった。


「吹き出すお水がきらきらしています。お空の色と太陽の光を映して、きれい! これはなんというお魚なのですか」


 おやおや。我が妻は、イルカを知らないらしい。ジャクル国ではイルカは神の使いだ。この国の王妃が、イルカを知らないでは済まされない。


「セラフィナはイルカを観たことがありません」

「それではご存じないのも仕方ありませんな。では落ち着いたら船に乗り、本物の泳ぐイルカを見に出かけましょう」


 後ろのサンブリア従臣団はざわついたが、当のセラフィナはうれしそうな声を上げた。約束ですよ、と念を押す。サンブリアは内陸の国だからねぇ。お付きの大人たちだって、川船くらいなら乗ったことがあるかもしれないが、海洋へ出る船に乗るなんてことは初めてなんじゃないのかな。ふふふっ、図星らしい。狼狽えているよ。

 なんて大人たちがつまらない腹の探り合いをしている間にも、セラフィナの好奇心はクルクル動いていた。


「アドリアン、下ろしてくださいな。お水に触ってみたい!」


 私の腕から半ば飛び降りるようにして、セラフィナは噴水池に駆け寄る。侍女頭のボアネル夫人が止める間もなく、王妃は池の水に手を突っ込み、すくい上げた水を空に向かって放った。空の青色を吸った水の玉は、ゆらゆらと揺れて形を変えながら空中を遊泳したのち、セラフィナの頭上へと落ちてきた。


「きゃあ、冷たくて気持ちいい!」

「セラさ……いえ、王妃様!」


 ボアネル夫人が声を上げたが、セラフィナはさらに池に手を突っ込み、水を跳ね上げた。


「きれい、きれい。水でできた宝石だわ。ジャクルのお水は水晶でできているの?」


 もちろんそんなことはない。が、セラフィナの無邪気なこの一言は、ジャクル国の廷臣たちが幼い王妃に抱いていた暗い心象を一変させたのであった。


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