私は夏の蝉でした
桜は疾うに散り果てた春の終わり、先生に捨てられた私は自分が蝉だと知りました。
土の代わりに布団を被り、夏が来るのを待ちました。
家族はたいそう驚いて、出ておいで、出ておいでと手招きいたします。
私はじっと布団を被ります。私は羽が欲しいのです。
夏まで待たねばなりません。
小さく暗い殻の中で、幾度か夢を食べました。
夢の私は乱暴で、真っ暗闇な夜の下、いつもバットを振るっておりました。
先生は野球が好きでした。
夏が来て、蝉の季節となりました。
私は先生に会いたくて
けれども二度と来るなと言われたのを思い出し
代わりに海へ行きました。
江の島の海はとても綺麗で、あの頃のままのようでした。
私は夏が好きでした。
先生が私をはじめて愛して下さったのも、小学生の夏でした。
江の島の海辺の塔の下でした。
かわいいねぇ、どこから遊びに来たの?
先生と登った鉄塔は、今も変わらずありました。
赤く錆びれてはいたけれど、それは今も昔も同じです。
最初から塔は壊れていたのです。
私はゆっくりと塔を登ります。
陽射しは強く、蜃気楼が見えました。
天辺までたどり着いたので、私は勇気を持って飛び上がり、錆びた鉄塔にしがみつきました。
夏に焼かれた鉄塔は、炎の柱のようでした。
私は必死に我慢して。
羽が出てくるのを待ちました。
陽が沈み、夜が来て、また陽が昇り始めても
私に羽は生えません。
太陽が天上に達した時、私はようやく思い出しました。
私はただの人でした。蝉になれない人でした。
焼けた手のひらで涙を拭い、壊れた塔から降りました。
そして最後に一度だけ、蝉のように鳴きました。
「私は先生が好きでした」
脱ぎ捨てられた抜け殻は、江の島の浜風に乗せられて、どこかへ飛んでいきました。
帰りの電車に揺られながら、私はこれからのことを考えました。
私は人間だったので、蝉のようには死ねません。
何度も何度もこの夏を、悲しい夏を繰り返さなければいけないのです。
私はお腹の子を撫でながら、いつかまた夏が好きになりたいなと思いました。
夏が嫌いなままで生きるには、人の一生は長すぎるから。