ベリグッだ!
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
家の近所のコンビニのおにいさんが、なんだかとってもかっこいい。昨年の秋口くらいからちょくちょく見かけるようになったおにいさんは、美人と男前のちょうど真ん中くらいの絶妙に整った顔をしている。男の俺ですら、コンビニに行くたびに、おにいさんの顔を見て、うーん、ベリグッだ! などと思いながら、その顔を更に凝視してしまうほどだ。しかし先日、俺はとんでもないことに気付いてしまった。おにいさんは、どうも、少し髭が濃いらしい。
とは言っても、鼻の下の髭ではなく、顎のサイド、耳から顎にかけてのライン髭が濃いので、真正面から見ると完璧な造作なのだが、横顔を見て驚いた。色白なはずのおにいさんの顎のラインが、微妙に煤けているように見えるのだ。よくよく見ると、髭だとわかった。
眩暈がした。ショックだった。大学二回生にもなって、なんでこんなことにショックを受けなくてはいけないのかわからないけれど、とにかくショックだった。おにいさんだって、男なのだ。そりゃ髭くらい生えるでしょう。俺にだって生えるもの。頭ではそう理解できるのだけど、どうも気持ちが付いて行かない。
生々しい。それが、感想としてはいちばん近いように思う。おにいさんの髭は、なんだか妙に生々しい。俺は、まるで思春期の少女のように繊細に戸惑っていた。崇拝や憧れの対象だった目の前のおにいさんが、急にただの男の人に見えたのだ。混乱した気持ちのまま、俺は、おにいさんからお釣りを受け取る。
「ありがとうございましたー」
おにいさんは、ぎこちない抑揚を抑え込むような平坦な声で言った。
おにいさんに髭を見つけて以来、俺はおにいさんの粗ばかりを探すようになってしまった。まず、おにいさんの名札を確認し、そこに書いてある名前が黒柳徹子と一字違いの「黒柳徹也」だったことに異常なまでに興奮してしまい、楽しくなってにやにやしてしまった。そして、寝癖の直っていない髪の毛や、時々顎や頬に出現する赤いニキビを見ては、生々しい! なんて生々しいんだ! と心の中でフガフガと興奮していた。
おにいさんは深夜のシフトに入っていることが多い。寝癖も髭もニキビも、あれもこれもそれも、深夜に働いているせいなのかもしれない。生活が不規則だからなのかもしれない。なんとなくだけど、そう思った瞬間に、急に胸がきゅんと激しく高鳴った。きゅんとなった胸を抑えて、改めておにいさんを見ると、おにいさんは、前以上に輝いて見えた。顎のラインが煤けていても、名前がちょっとおもしろくても、寝癖が直っていなくても、ニキビがあっても、やはりおにいさんはとことんベリグッなのだった。俺は、頭に靄がかかったようにぼんやりとおにいさんの顔に見入ってしまった。そんな俺と目が合ったおにいさんが、なんですか? という感じの不思議そうな表情をする。俺は、なんでもないですよ、という表情を作り、深夜のコンビニを後にした。おにいさんの、なんですか? の表情が、なんだかいつもより幼く見えて、とってもかわいかったので、俺は何故だかものすごくテンションが上がってしまい、無意味に家までの道のりをダッシュで帰った。
「なんなの、それ。惚れてんの?」
家に戻り、リビングでテレビを観ていた妹の菫に、まだ下がりきらぬテンションのまま息せき切ってコンビニのおにいさんのことを話すと、呆れたようにそう言われて驚いた。その言葉に最高潮だった俺のテンションは一気に下がってしまう。
「な。惚れてるって、なんで……?」
呆けたようにぼそぼそと言うと、
「だって兄ちゃん、恋する思春期の少女のようなこと言うんだもん」
現在、高校二年生、思春期真っただ中の菫は言った。
「別に、兄ちゃんが誰を好きになろうと、私はかまわんけどね。ふうん、そっかー」
菫は頷きながら、
「よし。今度、そのかっこいい店員さんを見に行ってみよう」
などと言うものだから、
「すみれちゃん、見るって。そんなのだめだよ。見たらすみれちゃん、おにいさんのこと好きになっちゃうよ」
俺は慌てて止める。
「見たくらいで好きになるわけないじゃん」
馬鹿じゃないの、と菫は笑う。
「いや、なるって。なるなる」
「なにそんな必死になってんの」
呆れたように言われ、俺は黙ってしまう。妙な沈黙が下りて、菫がこめかみを指でカリカリとかく。なんとなく間が持たない時の菫の癖だ。
「じゃあ、俺もいっしょに行く。すみれちゃんがおにいさんを好きにならないように見張ってるから」
意を決して妥協案を出すと、
「見張ってたからって、そういうの阻止できるもんかね」
菫は言い、
「でも、兄ちゃんのほうはもう手遅れだね。完全に惚れてんじゃん」
と呆れたように笑い、俺の坊主頭をじょりじょりと撫でた。
「見張っててくれるひとがいなかったんだよね」
俺は溜息と共に言う。
「見張ってたからって、阻止できるもんかね」
菫は、もう一度言う。
次の日の深夜、コンビニへ行っておにいさんの顔を見てやると言う菫にくっついて家を出た。今日はおにいさんの日じゃないといいなあ、と思っていたのだけれど、深夜のコンビニの灯りの中、おにいさんはぽつりとレジカウンーに突っ立っていた。
「いらっしゃいませー」
菫と共にコンビニに入ると、おにいさんは、やっぱりぎこちなさを抑え込むような平坦な声で言った。それだけで、なんとなくそわそわしてしまう。
あのひと? と菫が視線だけで聞いてきた。俺は、無言で頷く。菫は、あからさまにおにいさんを見ることもなく、素知らぬふりでスナック菓子を選んでいる。空気の読める妹だ。俺はほっとする。
昨日ここへ来たばかりで、買うものが思いつかない俺は、とりあえずガムを持って、おにいさんのいるレジへと向かう。すると、菫がスナック菓子とゼリーの数個入ったカゴを、俺の横からカウンターに割り込ませた。
「ちょっと、すみれちゃん」
咎めるように言うと、
「いいじゃん」
菫が言った。
「ご一緒でよろしいですか?」
目の前のおにいさんが、一応という感じで尋ねてくる。
「いえ、別で」
「はい、一緒で」
俺と菫の声がほぼ同時に重なる。
「けちけちしないでよ」
「勘弁してよ。俺、今月もう金ないんだよ」
言い合っていると、前方から咳払いのような音が聞こえた。ん? と思う。おにいさんを見ると、眉根を寄せて、苦しそうに菫の置いたカゴを見ている。俺たちがモタモタしていたものだからイラついているのかもしれない。
「今、なんで咳払いしたの?」
菫がおにいさんに向かって言った。なんて無鉄砲なことを! と俺は慌てる。しかもタメ口。
「……すみません」
しまった、というふうに、片手で口を押え、おにいさんは言った。
「いや、こっちがモタモタしてたのが悪かったんです。会計一緒で。一緒でいいです」
焦ってそう言い繕う俺の言葉を無視して、菫は言う。
「咳払いの理由。その一、レジでモタモタしてんじゃねーよ。その二、いちゃついてんじゃねーよバカップルが。その三、一と二両方」
淡々と選択肢を並べた菫に、開き直ったのか、おにいさんが諦めたような口調で短く答えた。
「その二」
驚いてしまって、俺はおにいさんの顔を凝視する。
「ぶっぶー。はずれ」
菫は言った。そして、財布から原付の運転免許証を出して、おにいさんの目の前にかざした。なにやってんだ、と不思議に思っていたら、俺にも出すように菫は目で訴えかけてくる。わけがわからないままに、俺も普通車運転免許証を出しておにいさんの目の前にかざす。
「カップルじゃなくて、兄妹でした」
菫は言った。確かに、俺と菫は兄妹よりもカップルに見られることのほうが多い。それだけ似ていないのかもしれない。
「新丸子顕と新丸子菫。新丸子なんて名字は結構珍しいから、偶然同じ名字のカップルだって可能性は薄いよ。住所も同じでしょ」
言われたおにいさんは、戸惑ったように俺を見た。その顔は、どこか気の抜けたような表情にも見える。俺も、戸惑って菫を見た。菫は満足したのか、免許証を財布にしまう。そして、
「モタモタしてたのは申し訳なかったです。会計は是非一緒で」
と言い残して、さっさとコンビニを出て行ってしまった。
残された俺とおにいさんは、顔を見合わせる。はっきり言って、気まずい。こめかみを免許証を持ったままの指でかいていたら、
「髪、長かったんだね」
バーコードを読み取りながら、おにいさんが言った。
「え」
とっさに何を言われたのかわからず、俺はおにいさんの顔を見る。
「免許証の写真」
おにいさんが言った。免許証の写真の俺の髪は、普通程度の長さだったのだが、現在の坊主頭に比べると確かに長い。
「あ、はい。これ、写真撮った時は。はい」
俺はこくこく頷きながら、持っていた免許証をしまった。
「ごめんね」
おにいさんは、気まずそうに俺から目をそらして言った。その態度すらなんだか生々しくて、俺の胸はきゅんと高鳴ってしまう。少しだけ見えた顎のサイドの煤けた様子に、更にドキドキする。ぐぐっとテンションが上がってしまう。
「いや、こちらこそモタモタしちゃって。それに妹が失礼しました。しかも似てない兄妹で。なんか本当いっぱいすみませんでした」
早口でまくしたてるようになってしまった俺の言葉に、おにいさんは微かに笑った。うわあ、うわあ! と思い、急に顔に血が上り、頭の中がぐるぐるし始めた。
俺がお釣りを受け取ると、
「ありがとうございました」
おにいさんが言った。なんとなく、親しみがこもっているような気がした。気のせいかもしれないけど、いつもよりは。
俺はコンビニを飛び出し、前方に見える菫の背中をダッシュで追った。
俺が追いつくと、
「名札見た? あのひと、黒柳徹也っていうんだね。徹子さんと一字違いじゃん。親は何考えて名前付けたんだろ」
菫は考え込むようにして言った。
「覚えやすい名前ではあるけど、付けられたほうからしたら、ちょっと困っちゃう名前だよね」
「たぶん、親は何も考えてないよ。少なくとも、徹子さんのことはこれっぽっちも考えてなかったと思うよ」
俺が言うと、
「そうかもね」
菫は納得したように言った。そして、
「兄ちゃんも、名前覚えてもらえたかな」
そんなことを言われ、ちょっと感動してしまった。スナック菓子やゼリーの代金は後で請求してやろうと思っていたのだけれど、やっぱりやめといてやろう、と思い直す。そして、あ、と気付いた。
「すみれちゃん。好きにならなかったでしょうね、おにいさんのこと」
「なるか」
呆れたように菫は言った。
「兄ちゃんが、しっかり見張ってたでしょうよ」
あれから、コンビニへ行くと、おにいさんは俺に軽く会釈や目礼をしてくれるようになった。顔見知りになれたのかなと思うと、うれしい。
レジで会計をしてもらっていると、
「妹さんは元気?」
と話しかけられた。
「あ、はい。元気です。もう本当、元気すぎるくらいで」
と答えて、なんだか気詰まりになり、こめかみを指でかく。
「彼氏とか、いるの」
ふいに、おにいさんが言う。
「え、俺ですか?」
驚いて聞き返すと、
「いや、妹さん」
おにいさんは少し笑って言った。
「あ、ですよね」
何言ってんだ俺、と恥ずかしくなる。
「や、今は、いないと思い……ます」
言いながら、なんだか目の前が暗くなったような気がした。もしかして、もしかして。もしかして、おにいさんは。
「ええと、きみのほうは、その、彼女とかいるの?」
さっきの勘違いを気遣ってくれたのか、ついでのように聞かれ、
「いません」
俺は首を振る。頭の中では、「もしかして」が、どんどん膨らんでいる。おにいさんは、もしかして、菫に。
「惚れちゃいましたか?」
ぽろりとこぼれるように聞いてしまった。その瞬間、おにいさんの耳たぶがほんのりと赤く染まった。ビンゴ。だけど、当たっても嬉しくない。
「あー、そ、そうなんですねー」
へらへらと笑いながら、俺はお釣りを受け取る。なんだか泣きそうだ。
「ごめんね」
おにいさんが目を伏せて謝った。俺が菫の兄だからだろう。
「いいえ、全然。全然いいです。かまいません」
俺はぶるぶると首を横に振って言う。ほっとしたような顔のおにいさんから、お釣りを受け取ると、俺は泣きながら家までダッシュした。なんてこと。おにいさんのほうが、菫を好きになってしまった。告る前から失恋だ。
「なに泣いてんの?」
今日もリビングでテレビを観ていた菫が、俺の顔を見てぎょっとしたように言った。玄関の前で涙は拭ったつもりだったのだけれど、泣いていたことがあっさりとばれてしまった。
「泣いてないよ」
とっさに否定したのだけど、
「いや、涙出てるし」
と言われ、目尻をさわると、確かに涙が出ていた。拭った後に新しく流れてしまったのだろう。
「涙じゃないよ。これはただの体液だよ」
「ああ、まあ、間違っちゃいないけどさ」
涙も体液には違いない、と菫は言う。
「涙じゃないって」
俺はむきになって言い返す。
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
菫は言って、俺の坊主頭をじょりじょりと撫でる。
菫は何も聞かなかった。いい子なのだ。頭をじょりじょりされながら、こんなの、もともと叶うはずなんてなかったんだから、と繰り返し自分に言い聞かせていた。絶対絶対、叶うはずなんてないんだから。結果は同じだ。早いか遅いかの違いだけだ。
それ以来、深夜のコンビニでおにいさんの顔を見ると、なんだか悲しくなってしまう。今まで、顔を見るだけで嬉しくなってテンションが上がっていたのに、こんなに一気に落ち込むのか、と自分の精神の脆さを実感する。それでも、やっぱりおにいさんの顔は見たいので、おれはコンビニへ通うのだ。
「最近、元気ないね」
会計をしてもらっていると、おにいさんは言った。
「そんなことないです」
俺は、へらへらと笑いながら返事をする。
「そう?」
おにいさんは言って、こちらに手を伸ばしてきた。じょりじょりと頭を撫でられ、驚く。
「よしよし」
言って、おにいさんは微かに笑う。心配してもらえて、撫でてもらえて、それはとても嬉しいことのはずなのに、どうしてか、うっと喉が詰まった。
いつもは自転車で大学へ行くのだけど、その日は朝から雨が降っていた。仕方がないので電車で行くことにする。
ラッシュ時を過ぎた駅のホームには、もうまばらにしか人がいない。俺はその中に、見間違いようのない姿を見つけた。
「おにいさん」
思わず声をかけてしまい、すぐに、おにいさん呼びは変だったかったな、と少し後悔した。
「顕くん」
そう呼ばれ、名前を覚えてくれていたのかと嬉しくなり、
「黒柳さん」
俺もおにいさんを名前で呼び直した。
「名前、覚えてくれてたんだ」
おにいさんは、複雑な表情になる。
「覚えやすい名前だったものだから」
そう答えると、おにいさんは、少し恥らうように俯き、ますます複雑な表情になった。どうやら、自分の名前を持て余して困ってしまっているようだ。
「あの」
おにいさんが話題を変えるように言う。
「さっき、おれのこと、おにいさんて呼んだよね」
「はい」
やっぱり変だったなと思いながら頷くと、
「顕くんとおれは、たぶん同い年なんじゃないかと思うんだけど」
おにいさんは言った。
「え」
驚いて、おにいさんの顔を見る。そうすると、顎のサイドの煤けた部分が目に入り、きゅんと胸が高鳴ってしまう。ああ、生々しい。
「このあいだ、免許証を見せてもらった時、生年月日見て同い年だなと思ったんだけど」
「あ、そうなんですか」
同い年だったのか。何故か、ずっと年上だと思い込んでいた。
「なんで、おにいさんだと思ったの」
そう言われ、俺は少し考えて答える。
「お店の店員さんとか、なんか、みんな年上に見える……から? かなあ」
「あー、そっか。まあ、わからないでもないけど」
おにいさんは微かに笑った。その顔、すごく好きだなあ。そう思ってしまう。
「黒柳さん」
なんとなく名前を呼びたくなって、そう呼ぶと、
「それよりは、おにいさんのがいいかな」
と、言われた。
「自分の名前、好きじゃないですか」
尋ねると、
「うん、好きじゃない。理由は言わなくてもわかると思うけど」
おにいさんは微かに笑う。ドキドキして、おにいさんの顔を見ていられなくて、俺は下を向く。
おにいさんの手が視界に入る。荒れてささくれ立ったその手は、働いているひとの手だった。いいなあ、と思った。この手、好き。俺は、見るからにかさかさしていそうなその手を、空いている方の手で思わず握ってしまった。
「えっ」
おにいさんが小さく声を上げ、俺を見た。
「すみません」
俺はすぐにおにいさんの手を離す。
「すみませんでした」
もう一度言って、俺は下を向く。
頭の中がぐるぐるしていた。何やってんだ、何やってんだ、何やってんだ!
俺の乗る電車が入ってきた。たぶん、おにいさんもこの電車に乗るのだろう。これは気まずい。なんで手なんて握っちゃったんだ。泣きたくなる。
プシュ、と音をさせ、電車の扉が開いた。
「あ、おにいさんも、この電車ですよね」
そう言い終わらない内に、手を掴まれた。
「え」
今度は俺が驚いて声を上げてしまった。まばらにいた人が、みんなその電車に乗ってしまい、ホームには俺とおにいさんだけが残る。
「乗らない、ですか」
聞くと、おにいさんは小さく頷いた。
ドアが閉まり、電車は行ってしまう。遅れて、冷たい風がびゅう、と吹いた。おにいさんの髪の毛がぶわっと乱れる。改札にいる駅員さんが、ちらりと俺たちを見たので、どちらからともなくぱっと手を離した。
「ごめん。どこか行くとこだったのに」
おにいさんが言う。俺はいい。出席日数は足りているはずだ。一日くらいサボっても大丈夫だろう。
「俺は、大丈夫です。おにいさんこそ」
おにいさんこそ、どこかへ行くところだったのではないか。そう思って言うと、
「おれは別にいいんだ。今のとこ単位足りてるし」
と言われる。今までおにいさんは社会人なのだと思い込んでいたので、そういえば同い年だったんだ、と、さっき知ったばかりの情報を思い出す。
「ああ、大学生ですか」
「うん」
「俺も大学生です」
「そうなんだろうなとは思ってた」
おにいさんは微かに笑う。ドキドキする。
「あっち、座ろう」
おにいさんが言うので、改札からは死角になっているベンチのほうへ移動する。
「さっき、なんで手握ったの」
おにいさんがいきなり核心に触れてくる。俺は、その質問に答える言葉を持っていない。答えられない。だって、おにいさんは、菫のことが好きなのに。他の人、しかも男の俺に好意を寄せられても迷惑なだけだろう。頭の中がぐるぐるして、俺は黙ってしまう。どうしていいのかわからずに、指でこめかみをかいていると、
「おれは、きみのことが好きなんだけど」
おにいさんは、平坦な声で言った。
「え」
驚く。聞き間違いではないのかと思う。だけど、やっぱり、はっきりと聞こえたように思う。おれは、きみのことが好きなんだけど、と。ぐるぐるしていた俺の頭は、その一瞬で動きを止めてしまった。
「絶対、絶対絶対、ないだろうとは思ってたんだけど、でも、おれの気持ちを知っても、顕くん、全然いいって、かまわないって言ってくれて、それだけでじゅうぶんだって思ってたんだけど、でも、さっきの……」
おにいさんは目をぎゅっと瞑って、口ごもる。
「絶対ないって思ってたのに、もし、顕くんも同じ気持ちなら嬉しいなと、ちょっと思ってしまって」
閉じられていた瞼が開く。
「期待してしまった。ごめん」
おにいさんは言って、困ったような表情で俺を見た。
「すみれちゃんに、惚れてるんだと思ってた」
俺は呆けたままで口を開く。
「す? え、あ、妹さん? なんで?」
おにいさんは不思議そうな表情で聞き返す。
「すみれちゃんに彼氏いるのか聞いたし」
「あれは、会話のきっかけというか……その後のが本題だったんだけど」
俺の頭の中で、あの時のおにいさんとの会話がよみがえる。
ええと、きみのほうは、その、彼女とかいるの? いません。惚れちゃいましたか?
あれって、俺にってことだったのか。そう考えたら、「(俺に)惚れちゃいましたか?」なんて、結構なプレイボーイ発言だ。急激に恥ずかしくなり、頭に血が上った。
「さっき、なんで手握ったの」
おにいさんは、もう一度言う。
「さわりたかったので。すごく」
俺は、もそもそと呟くように答える。
「すみません」
言いたいことがうまくまとまらない。こめかみをかきながら言葉を探していると、おにいさんの手が伸びてきて、頭をじょりじょりと撫でられた。
「さわりたかったので」
おにいさんは言った。
「顕くんを見るたびに、頭じょりじょりしたいなと思ってた」
俺も黙って手を伸ばし、おにいさんの顎のラインを指でなぞってみる。じょりじょりとはいかないまでも、ちりちりとした感触がある。ああ、すごく、すごく、すごく、生々しい。生々しくて、そして、とってもべリグッだ!
「うれしいなあ」
テンションが上がってしまい、思わず言う。
「本当?」
おにいさんが言った。
「うん、うん」
何度も頷くと、
「だったら、おれもうれしい」
そう言って微かに笑ったおにいさんの顔は、やっぱりとっても、うっとりするくらいに、とってもベリグッなのだった。
了
ありがとうございました。