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第2話 つながる心

 十一月二十八日 午後十一時三分


「もしもし」


「うん、あー、あの……優衣ちゃん」


「こういうのはあんまりよくないんだけど……今近くにいて……あの……これから行ってもいいかな」


「少しだけなんだ。時間あんまり取れなくて……ごめん」


「うん、ごめんね、すぐ行く」



 ◇



 あれから、相澤から優衣香のことは何も聞いていない。ただ、相澤の言う『大丈夫』だけを頼りに、俺は優衣香のマンションへ来た。

 でもやっぱり怖い。

 電話も怖くて出来なかった。


 優衣香が来てもいいと言ったからマンションへ来たが、この扉が開いても、目の前にいる優衣香を見るのが怖い。


 相澤が大丈夫だと言ったから大丈夫なんだろうが、部屋のインターフォンのボタンを押そうとして押せなくて、さっきから躊躇している。

 でも、今日は行かないといけない日だから……。



 ◇



 インターフォンを鳴らしてすぐ、解錠する音とチェーンロックを解除する音が聞こえた。


 ――扉の向こうで待ってたんだ。


 扉が開くと優衣香の姿があった。

 ネイビーのフリースジャケットを着て、黒のストレッチパンツを履いている。グレーのレッグウォーマーをして、髪の毛は変わらないストレートのロングヘアで後ろでまとめている。


「いらっしゃい」


 そう言う優衣香は俺の目を見ない。顔は見ているが目線を合わせない。


「……夜遅くにごめんね。今日来たくて」


 優衣香はサンダルを脱いで上がった。俺も靴を脱いで揃えて、目の前にいる優衣香を見た。

 ぎこちない笑顔の優衣香――。

 俺はそれから目をそらした。


「手を洗ってからお参りさせてもらうね」


 そう言って、洗面所に向かった。

 左の手前がトイレで、その奥のドアが洗面所だ。

 洗面所で手を洗っている時、脇にあるポプリが目に入った。


 ――あの時の薔薇かな。


 鏡に映る俺の顔は、少し頬が緩んでいた。

 鏡越しに見る洗面所の風景を見ると、違和感を覚えた。物が減った。なぜだろう。優衣香の家の中はいつも片付いているのに。洗面所でこれなら、リビングやキッチン、寝室や書斎なども物が減ったのか。


 洗面所のドアの正面は四畳半の和室。

 そこにはお仏壇がある。


 ――今年は命日に来れてよかった。


 お仏壇にある座布団には、いつも俺は座らない。

 座布団を除けて正座する。


 ――写真が変わってる。


 おじさんとおばさんが寄り添っていて、笑ってる。

 俺が高校生の頃に見た二人の姿だ。

 おじさんが入院する前に見た元気な姿だ。


 ――お嬢さんを守ることが出来なくて申し訳ございませんでした。


 線香を立ててから、俺は土下座をする。

 ここに来る度にいつもやってることだ。ずっと、お詫びしている。

 許される日は来ないけど、俺にはそれしか出来ないから。



 ◇



 和室から出てリビングの扉を開けると、優衣香は一人用ソファに座っていた。こちらを見ているが、やはり目をそらす。


 ――やっぱり物が減ってる。


 リビングの全景を視界に入れながら一人用ソファの左手にある二人用ソファに座ろうとした。だが、優衣香が立ち上がって俺の行く手を阻んだ。

 口を開こうとしている。

 俺は優衣香の体を引き寄せて頭を抱え込んだ。


「敬ちゃん、話――」


 俺は優衣香の口を塞いだ。

 唇を舌でなぞると優衣香が唇を開けた。


 優衣香の身体から力が抜けるまで、俺は口を塞いでいた。


 ――聞きたくない。言わないで。お願い。


 優衣香が目を開けて、俺と目が合った時、優衣香の目から涙が零れた。


 ――それは何の涙なの。


 優衣香の涙を手のひらと唇で拭いてやった。


 ――やつれてる。


 優衣香は厚手のフリースを着ているのに、中にだって服を着ているのに、痩せたことがわかるほどだった。


 ――優衣ちゃん、どうしたの。


「敬ちゃん、あの……私……相澤――」

「言わないで」

「でも……私がい――」

「言うな!!」


 大きな声を出した俺に優衣香は目を見開いて、身体が硬直してしまった。


「優衣ちゃん、ごめんね。俺の話を聞いて欲しい」


 優衣香の頭を撫でながら、優しく優衣香に話かけた。


「相澤は秘密を守ると言ったはずだよ。相澤は秘密を守ってる。だから優衣ちゃんも相澤との約束を守ってあげて欲しい」


 優衣香は目を伏せて、また俺の目を見たが、体から力が抜けてまた涙が溢れ出てきた。


 ――優衣ちゃん、笑って。俺に笑顔を見せて。


 優衣香の泣き顔を見ていたら、俺も涙が頬を伝うのがわかった。それを見た優衣香の唇が震えている。


「優衣ちゃん……俺のこと好き? 大好き? 優衣ちゃん、優衣ちゃん……俺と……ずっと……優衣ちゃん……俺……好きなんだよ優衣ちゃん……」


 俺は優衣香を腕に抱きながら、優衣香が嗚咽を漏らしながら途切れ途切れに好きと言う声を聞いていた。



 ◇



 午後十一時五十四分


 迎えの公用車が見えた。

 俺は走った。全力で走った。

 だが予定より四分も遅れてしまった。


 助手席のドアを開けてシートに滑り込むと、相澤は俺をくまなく観察した。


「ごめんね、遅くなった」


 そう言った俺の顔を見たが、視線が左右に動いている。何だろうか。だが相澤のおかげで優衣香と話し合えたから、お礼を言わないとならない。


「裕くん」


 シフトレバーをドライブに入れ、サイドブレーキを解除した相澤に声をかけた。


「ありがとう」


 何についての感謝なのか、言わなくてもわかってもらえる。相澤は、『いえ』と、ただそれだけを言って、発車した。



 ◇



 優衣香は引越しを考えていて、物を減らしている途中だと言っていた。俺としても、優衣香のマンション付近を野川に知られてしまった以上、今まで以上に気を遣う必要があり、『いいかもね』と優衣香に伝えた。


『もう少し広いところにしようと思ってるから、敬ちゃんの荷物を、もっと置けるからね』


 優衣香は俺との未来を見ていた。

 嬉しかった。

 でも荷物と言っても、俺は物を持たないようにしているから服くらいしかない。

 俺は優衣香さえいてくれればいい。

 そんなことを考えていると、相澤の声が耳に流れ込んだ。


「松永さん、顔に――」

「言うな。わかってる」

「いいですね、幸せそうで!」

「裕くんのおかげですよー」


 公用車の中で、二人で笑い合いながら、俺は相澤の幸せが何なのか、知りたいと思った。





 

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