4話
今村さんはすたすたと歩いていき、上座に腰を降ろした。
凛とした表情で上座に座る彼女は、まさしく人の上に立つために生まれてきた存在なのだと思わされる。いや、実際そうなんだろうけど。だって、クラス委員長だし。
私の隣には之人君、前には志信、その隣つまり之人君の前に例の女の子が座る。
皆が座ると、控えめな声で失礼します、と入ってきたユキさんがお茶を出してくれた。
「ありがとうございます。」
そう言うとユキさんはにこりと微笑んでくれた。やっぱり綺麗な人なんだな、と思う。
皆にお茶だしが終わると、音も無く部屋を去っていった。
「とりあえず、自己紹介でもしようか。夏南ちゃん。」
「はい。初めまして、一年の篠田夏南です。」
今村さんに促され、夏南ちゃんはよろしくお願いします、と一礼してにこっと笑った。
「篠田家は今村の分家筋で、治癒を得意とする家系なの。夏南ちゃんは、その中でも随一の力を持ってるんだよ。」
「そんなことないです、翔華様。」
ここは不思議な力を持つ人達が集まっているようだ。
「んで次、之人。」
「名前はみんな知ってるよね。俺の能力は体の一部を変化てきること、かな。所謂戦闘型で、本家分家に関係なくこういった異能を持つ者は狩人、と呼ばれて今村当主の手足となり戦うんだ。」
異能、と言った時に一瞬之人君の瞳が揺らいだような気がしたけど、瞬きした瞬間にはいつもの吸込まれそうな真っ黒な揺らがない瞳に戻っていた。
気のせい、だったんだろうか。
「当主はあまりこの本家を離れられないから、遠方の妖を狩るのが、狩人なんだ。」
彼は学校で自己紹介をした時に、各地を転々としていたと言っていた。それは狩人ゆえで、当主である翔華さんの代わりに遠方の妖を狩る為だったのだということが今になってわかった。
転勤族だからとか、そういう生ぬるい理由なんかじゃなかったのだ。
次は今村さんが自己紹介する番だった。彼女は見ると、すっと背筋を伸ばして居住まいを正した。
「あたしは今村の現当主、翔華。あたしの使命は、妖を倒すこと。」
とんでも情報に言葉を失う。凄い人だとは思っていたけど、あの今村家の御当主さんだったとは。通りで格が違うわけだ。合点がいく。
ちらりと志信を見てみる。案の定、動揺とかそういった感情は見受けられず、いつもの淡々とした表情だった。
「まあ、そんな感じ。で、次は清田。」
「この場にいるみんなが知ってると思うから、パス。」
「清田と夏南ちゃんって、知り合いなの?」
之人君が二人に尋ねると、夏南ちゃんがにこりと笑って答える。
「清田先輩とは、生徒会で一緒なんだよ。先輩は副会長で、私は書記。」
そんな感じで自己紹介は終わった。
今村の現当主、今村翔華さん。そして狩人であり、今村さんの親戚の今村之人君。この二人は何の因果か私のクラスメイト。そして後輩で一年生の篠田夏南ちゃんは、今村の分家であり治癒を得意とする一族の人間で、その中でも随一の力を持っている。
「どこから説明すれば良いのか悩むんだけど、とりあえず大事なとこだけ説明するよ。」
あんまり難しい話だと理解するのに時間がかかるな、なんて考えていた私など今村さんは知る由もない。一呼吸置いてから、早くもなく遅くもなく、聞き手にとっては聞きやすいテンポで話し始めた。
「昼に妖のことについて話したと思うんだけど、アレがいつからいたかはわからない。でも太古からいたとされている。基本的に人間みたいに飲食物からの栄養摂取はいらないみたいだけど、血に飢えることがあるみたいで、そういうときは能力者を捕食、血を摂取するみたい。能力の程度に関係無く、能力者である。ことが重要視されてるね。」
淡々と語られる妖について。急に今朝のことを思い出して身震いする。
あの妖は確かに捕食する側で、自分達は捕食される側だった。現代での人間は基本的に捕食する側であり、あのような捕食される恐怖など普通に生きていれば感じることは無い。
為す術も無く、ただ最後の一瞬を待つしかできない恐怖。
「香住さん、大丈夫?」
見ると、心配そうな表情で之人君がこちらを見ていた。
「うん、平気。」
あれだけ感じてた恐怖が、自分でも驚くくらいに、まるでお湯で溶かしたみたいにすうっと溶けてなくなっていった。
何で之人君?とは思えども、今朝驚くほどの身体能力を駆使して今村さんと助けてくれたのを思い出し、ああ、だからか、と納得する。あれだけの力を持っている之人君がそばにいるだけで安心できるのかもしれない。
「で、そんな妖を倒すために寄り集まった能力者たちの子々孫々が、今村一族ってわけ。んで、戦いに傷ついた今村の人間を治してくれるのが、夏南ちゃん率いる分家筋の篠田ってとこ。」
「翔華様!率いるだなんて、私は、そんな……。」
「何よ、似たようなもんでしょ。」
恐れ多いとばかりに、必死に否定する夏南ちゃんを今村さんは一蹴した。言いたい事はあるだろうに、不本意ながらにも夏南ちゃんは押し黙ってしまった。
「一族の人間は妖の血を一度飲ませられるの。適合し、己の体を変化させることをできた人間は、本家分家に関係なく狩人となり、ゆくゆくは当主と戦う……うん、さっき之人が言ったからいいか。ただ、狩人って本当に珍しい存在で、その代ごとに一人いれば良い方なの。狩人を持たない当主だって過去にいたし。そう考えれば、二人も狩人がいる今って豊作だけど、異常なんだよね。」
「俺達を数年に一度実る果物かなんかみたいに言うなよ。」
呆れたように之人君はそう言うと、今村さんはごめんごめんと謝った。
二人も、ということは、之人君みたいな力を持つ人が他にもいるらしい。少し気になるけど、まあ、そのうち見てみたいなぐらいの気持ちだ。
「妖と戦う、なんて言ったけど、能力者を保護するっていう目的もあるわけよ。で、各地にいる能力者を探したりとか、あと妖に関する情報収集とか、その他雑用諸々を受け持つのが、“暗
”っていう一族。その中から当主直属の部下が代々一人輩出されて、“燈織”という名を襲名するの。」
今村さんが言うには、“燈”るに、織る、と書いてヒオリと言うらしい。
珍しい名前だな、なんて思うも、代々と言うからには昔から使われていた名前ということがわかり、そう考えると今の名前の常識なんて当てはまらないのだろうと納得した。
「あと、これ大事。さっきの和服の似合うめっちゃくちゃきれーな人は篠田ユキさん。夏南ちゃんのお姉さんで、この家の一切を取り仕切ってくれるお手伝いさんなんだけど、生活する上で何かあったらこの人に聞いて。」
その言葉に、ユキさんは笑顔で一礼した。その姿はまるで大和撫子である。
今村さんとユキさんは対極関係にある美しさだと思った。
それにしても、と思う。
今村さんは、ユキさんに何かあったら相談すると良いと言った。でも、相談するような何かがあるほどこの屋敷に来るだろうか?
「おい、今村。」
「なに、清田。」
「生活する上で相談ってどういうことだよ?」
はっとして今村さんを見ると、彼女は頬を掻き、うーんと唸り難しそうな顔をしていた。
「今朝のことがあった以上、もうあんたたちを家には帰せない。とりあえずうちに泊まってもらって、覚醒できたら一族に入ってもらう。力が無かった場合は、妖に狙われることはないだろうから、一連の記憶を消して家に帰すよ。」
さらりと言われたが、なかなか聞き捨てならない。
つまり、覚醒するまでこの家のお世話になるということである。修学中の学生が、他所の家に。しかも覚醒がいつになるか解らない上に、しないかもしれない。つまりどれだけここに滞在するかわからないのだ。それなのに親に何て説明すればいい。というか、許されるのだろうか?
それに、覚醒したらしたで、一族の仲間入りは決定事項らしいし、そもそも力が無かった場合は記憶を消され家に戻されると。どっちも怖すぎる。
でも冷静になって考えてみると、一度妖に襲われている以上、また次がないとも限らない。もし家にいて、家族を巻き込んだりしたら?私なんかの力じゃ家族を守るどころか、返り討ちだ。私は何も出来ない。見ているだけ。今朝襲われた時にはっきりと理解した。身近にいる大切な人を守るという意味でも、離れて暮らすことが一番に思える。
「覚醒したらって、曖昧だな。だいたい、親に何て説明すれば良いんだよ。」
私の疑問を感じ取ってくれたのか、あるいは自分が疑問に思ったからなのか、私がどう言えば良いのかわからずにぐるぐる悩んでいたことを、さらりと今村さんに聞いてくれた。おそらくは、後者の方で。
「覚醒に関しては個人差あるからさ。あと親への説明だけど、うちの燈織が色々頑張ってくれたから大丈夫。後は生活に必要な荷物を取りに行ってきて」
口ぶりから察するにもう話はついているみたい。ってことはさっきの話って事後承諾なんじゃないの?そもそも断れなかったやつで、ハイとイエスしか許されなかったやつだよね。
それでも私一人じゃない。志信がいる。そう思うと心強かった。
「そういえば今村さん。どうやって覚醒させるの?」
まるで見当もつかない。志信をちらりと見てみると、当たり前のことだけど彼も分からないらしく肩をすくめて見せた。
「あんたたちにそれぞれマンツーマンで毎朝稽古をつけようかと思ってる。」
ピシャーン、と後ろで雷が鳴ったかのような衝撃を受けた。稽古とはあの稽古なのだろうか。肉体を鍛錬する、あの稽古のこと。
自慢じゃないけど、私はもの凄く体力が無い。且つ、持久力も無い。運動が嫌いなんてものじゃない、運動そのものに嫌われてるんじゃないかってくらいに出来ない。
それなのに、毎朝。読んで字の如く、毎日の朝に、稽古をしなくちゃいけないなんて。
「毎朝というからには、回数を経て稽古をしないと、覚醒は望めないってことか?」
「あら、さすが頭良いだけあるわね。副会長サマ。」
「何言ってんだ、学年一位のクラス委員長めが。」
ちなみに、志信は学年二位である。順位が一桁だなんて羨ましいかぎりです。
それはさておき、今の二人の会話から、覚醒を知るには地道に毎朝稽古をしないといけないことがわかった。なんてことだ。毎朝来るであろう地獄を分かっていながら回避できないなんて。
「何か問題でもあるの?」
「俺はいいさ。」
我が幼馴染様は、勉強ができる。加えて顔も良い。それだけでも十分なのに、スポーツも万能ときた。スポーツ推薦で学費免除で入れる高校が数校あったにも関わらず、私と同じく偏差値も平均並みの宮野森に来たんだから勿体無い奴だ。
「ただ、秋穂はキツイだろうと思って。」
「香住?あー。」
哀れみをいっぱい込めた目でこちらを見る志信に沸々と怒りが湧いてきたのは仕方が無いことだと思う。思うのだけど、今村さんのその微妙な反応もぐさりとくるものがあって、私の心の中はもうごちゃごちゃになっていた。
「香住さんって、動く系苦手なの?」
純粋に疑問に思ったのか之人君がそう聞いてきた。その質問、今だけは聞きたくなかったなんて、言えるわけもない。
どう答えようか悩み、しどろもどろになっていた私を差し置いて口を開いたのは志信だった。
「苦手、なんてもんじゃない。運動音痴レベル。」
絶句とはまさにこの事。開いた口が塞がらない。
そこまで言うか、普通。怒りでわなわなと小刻みに震える、膝に置かれた私の手を見て慌てて夏南ちゃんがフォローを入れてくれる。
「清田先輩、言い過ぎですよ。得手不得手は誰しもあるものです。」
「秋穂の運動神経の無さを目の当たりにすれば、お前だってそんなことも言えなくなる。」
もはや撃沈。
フォローを入れてくれた夏南ちゃんには悪いけど、もう何も言えない、何も考えられない、何もしたくない。
毒舌の幼馴染を持ってしまった自分をこれほど呪うことはないだろう。
「まあ、体力を使った覚醒度を上げる稽古もあるけど、そんなに運動能力を必要としたものにはしないからさ、俺と一緒に頑張ろうよ。」
慰めるかのように、之人君にぽんと肩を叩かれた。優しいな、之人君は。じゃない、それどころじゃなくて、もしかして之人君は朝稽古のお供を志願してくれたのだろうか。私なんかの?今日会って間もない私なんかを?いやいや、何の冗談を。
「翔華、とりあえず香住さんの当面の朝稽古は俺が引き受けるよ。もし覚醒したら、その質によって稽古つける奴はまた決めなおした方がいいと思うけど、まあ、それまでは。」
今村さんはどう考えてるんだろう。そう思って彼女をちらりと見てみると、何か思うところがあるのかじっと之人君を見ていた。
何か言いたそうに口を開くも、その口から言葉が出ることはなく閉ざされた。
「……翔華様?」
何か言いあぐねている今村さんを心配するように夏南ちゃんが問いかけるも、今村さんは何でもない、とひとつ頭を振って答えた。
「俺だって“こういうこと”をやってみたくなったんだよ。」
「……あんたがそう言うなら、そうなんだろうね。あんたは、隠し事をしたり煙に巻いたりはするけど、嘘はつかない。」
之人君は、にこにこと笑っていた。彼は肯定もしなければ、否定もしない。ただ、笑っているだけ。
彼がこれ以上何も言う気が無いと悟ったのか、今村さんは一つ溜息を吐いた。
「まあ、いいわ。そういうわけで、香住の指南役は之人が。清田の指南役は……やっぱ奏季君か。」
「そういえば、今夜帰ってくる予定でしたっけ。」
「夕飯にはいるだろうから、そん時にでも説明するか。」
「奏季さん、姉さんの料理好きですもんね。」
トントン拍子、とは行かないまでもわりとスムーズに私の指南役は之人君に決まった。
そして志信の先生も。名前はソウキさんと言うらしく、今は外出しているよう。なんと夕飯の時に顔合わせらしい。それでいいのだろうか。
ちなみに、夏南ちゃんのお姉さん、つまりユキさんの料理が好きというプチ情報を得た。
(うん、本当にプチ情報。)
「さて、そういうわけで、あたしからの説明はおしまい。夕飯まで時間あるし、夏南ちゃん、二人にこの屋敷の案内でもしてあげて。」
「はい、翔華様。ではお二人共、行きましょう。」
夏南ちゃんに促され、席を立った。
一応今村さんにお辞儀をして、部屋を出ようとしたら、之人君がにこにこと笑いながら手を振ってくれたので私も小さく振り返してから、先に部屋を出ていた夏南ちゃんの後を追った。