32話
何の前触れもなく立ち止まったウイさん。
「あの、どうしたんですか?」
滝までの距離はまだ半分といったところだろうか。
湖のど真ん中で立ち止まったウイさんに合わせて、私も燈織さんも立ち止まる。
そしていきなり進行方向で水柱が立ち上がった。
「え、何これ!」
そこそこの大きさの水柱が天に向かって立ち上がり水しぶきをまき散らしているけど、こちらにかかることはなかった。雨の日に家の中から窓の外をみている感覚に近い。目の前の見えない障害物に水滴があたっては下に垂れ流れていく。
さっきの話ではナリに認められた者は通れるとのことだったけど、これは歓迎されているうちに入るのだろうか。
「お、くるねぇ」
間延びした燈織さんの声が聞こえたかと思うと、天に向かって伸びていた水柱が突如としてこちらにうねるようにして向かってきた。
しかしそれも水しぶき同様、見えない何かに阻まれるようにしてこちらにあたることなく、ばしゃりと大きな音をたてて水柱が崩壊して湖に還っていく。
そうして視界がクリアになったかと思うと、さきほど水柱が立っていたところに、一人の女性が立っていた。
「ニカ、無礼だ。」
ニカさん、と言うらしい。この雰囲気からして間違いなく天の一族なのだろう。
そして一連の行為がニカさんがやったということがウイさんの言葉にて察することができた。
「ふん。何が無礼なの。」
彼女の真っ赤な唇が歪められる。
そしてこちらに対して良い感情を持っていない。
「ナリ様もマヤ様も寛大な心をお持ちゆえに受け入れよと仰せだけど私は認めない。その女、宮様の御声が聞こえたにも関わらず柱の一族と共にいたというではないの。莫迦なの?」
訂正、だいぶ嫌われています。
そして燈織さんに私が宮の声が聞こえたという事実が今ここでばれました。
「秋穂ちゃん、やっぱり聞こえてたんだね。」
そんな気はしてたけど、と特に驚いた様子もなく言われので、肩透かしをくらってしまった。
柱の一族の要職である燈織さんがそんな反応ということは、それこそ今村さんだったり三樞もそう考えてあるということなのか。そう思ってこんな状況だけど燈織さんに聞いてみたところ、それは無いと言われた。
「柱の一族では宮は過去の存在なのだから、今声が聞こえるなんて考えたことすらないよ。だからそんなことバレてたら秋穂ちゃん地下牢に繋がれてたんじゃない?」
私をすぐに殺すのではなく地下牢に、というあたりが否定できない。きっと宮の情報を得るために拷問尽くしの毎日だったのだろうというのは想像に難くない。
「というか、何でそいつがここにいるの!」
ニカさんが怒りながらびしっと燈織さんを指差す。それは私も何でなのか聞きたいくらいなので、とても同意です。
「柱の一族の、しかもヒナキ!それを我らの屋敷に入れるだなんて!」
燈織さんがヒナキだとバレていたらしい。気を遣って燈織さんと呼んでいたけど、いらない気遣いだったようだ。
私からすれば、最初に紹介されたのが燈織という名前ーーまあ役職名だけどーーなので、こっちの呼び方の方がしっくりくるからこっちでつい呼んじゃうというのはある。
だいぶ怒っているニカさん、それに呼応してあたりの水が細波をたてる。さっきの水柱といい、この女性は水を操る力を持っているのか。
「ウイ、あんた善悪の区別も付かないの?」
燈織さんに向けていた指降ろし、ギラリと聞こえそうな目付きでウイさんを睨む。そんなニカさんの感情の起伏に合わせて、小さな波がだんだんと大きくなっていく。
今でこそここに立っているけど、そのうち水中にドボンとか、波に飲み込まれるんじゃないかという恐怖が出てきて思わず燈織さんの方に体をすすすっと近づける。この人強いし、なんか安心感あるし。
「何とかおっしゃい!」
「ナリ様が許した。だからここを通ることができている。ここではナリ様とマヤ様の考えが絶対。我々の考えなど些末なものだ、ニカ、忘れたのか?」
ウイさんとニカさんが睨み合う。やがてニカさんが指を下ろし、後ろを向いた、と同時にあたりの水のゆらめきがおさまり、しーんも静まり返る。どうやら彼女が折れたようだ。
「……先に戻るわ。」
そう言ってニカさんは滝の中へと吸い込まれるように入っていった。
「ニカが大変失礼いたしました。」
ウイさんが深々と頭を下げてくるので、慌てて頭を上げるよう言う。
「ウイさん、結果的に何もなかったので大丈夫です!」
「何もなくはないでしょう。秋穂ちゃん驚いてたし。」
「燈織さん、静かに!ウイさん、私たち怪我してないんで大丈夫なんです!」
余計な一言を言う燈織さんを制し、本当に何ともないことを告げるとようやくウイさんは頭を上げた。
「変わんないねぇ、ニカは。あの二人を崇拝してるし、まあどこかでお出迎えしてくるとは思ってたよ。」
何てことない様子で燈織さんが呟くと、その言葉にウイさんは渋い顔で眉間を揉んだ。
「あの者は昔から行き過ぎるきらいがあります。私からも常々注意しているのですが……。」
「常々注意して何千年なら、もうどうともならないでしょ。」
身も蓋もない燈織さんの言葉からすると、ヒナキとして生きていた頃からニカさんも生きていたのだろう。ただあの夢で見ていないし名前も出ていなかったから、私が分からなかったのも道理だ。
「足を止めさせてしまい、申し訳ないです。さあ行きましょう。」
ウイさんには大丈夫と言ったけど、早速の洗礼に気が重い。それに伴って天の一族の隠れ家に進む足取りも、先程より重く感じる。
ただもう引き返したところで、元いた生活には絶対に戻れないどころか、悪化することが懸念される。志信は大丈夫かな、大丈夫だな。一緒に今村に入ったけど、結局天の一族が狙っていたのは私だし。あと基本的に今村の誰かが付いていたから怪しい行動はしてないって証明してもらえるはず。
今村さん、こんなことなって頭抱えてるだろうな。
夏南ちゃん、あんなに良くしてくれたのに嫌われちゃったかな。
奏季さん、最後会えなかったな。何も言えなかった。
之人君はーーー之人くんは、
(文化祭、一緒に行けなくなった。もう一緒にいられなくなった。私を名前で呼んで、必死に止めようとしてくれたのに。)
その事実がだいぶ堪える。やり場のない想いをどうしていいかわからず、手をギュッと握り、とにかく言葉に出さないように叫ばないように泣かないようにする。
ふと、背中をぽんぽんと叩かれる。こんなことするのは隣にいる燈織さんだけで、驚いて彼を見ると小さく笑っていた。
「色々と思うことあるだろうけど、俺がそばにいるよ。愚痴だって聞くし。だから、さ。」
ぎゅっと握りしめていた手をつんつんと叩かれたので、そっと手を開くと手のひらに爪の跡がくっきりと残っていた。
「大丈夫、大丈夫。」
そうしてもう一度ぽんと背中を叩かれる。
大人が子どもをあやすようなやり方だ。見た目は私より少し上くらいだけど、実際精神年齢で言えば、だいぶだいぶの大人と子どもだから間違ってはいないだろう。
ウイさんはこちらを振り返ることなく、黙々と先導してくれているところを見ると、情緒不安定な私に配慮してくれているのだろう。燈織さんが私に話していてもけして割って入ることがない。
何千年も魂を移して生きてきて沢山のものを見聞きしていて、先の戦いでもその圧倒的な力を見せてくれた彼を信頼できないわけがない。
燈織さんが一緒に来てくれて良かったと思えた。
「ここから入ります。」
目の前にはニカさんがその姿を消した大きな滝がある。近づいている時から思ったけど、こんなに大きな滝なのに音がしない。遠距離からはそこそこ音が聞こえたのに、近づけば近づくほど音が無くなっていき、ウイさんの声が明確に聞こえるくらい本当に静かだった。
「不思議な滝ですね。音がしない。」
「はい秋穂様。これはそういった呪いがかけられているのです。音もしない、そして濡れることもない。」
水で濡れることもないとは初耳だ。でも助かる。
「さあ、行きましょう。」
導かれるまま、ウイさんの後について滝の中に飛び込んだ。




