26話
「あー化学きついー」
「秋穂って頑張ってるけどほんと理数苦手だよなぁ。」
「香澄はばりばりの文系だね。」
こちらに帰ってから数日間は基礎訓練のみをして、体力向上を目指していた。その間志信は力孔を閉じることに成功し、私よりも一歩先にいった訓練をしているとのこと。
訓練内容がまるで違うため学校以外では会うことがなかったけど、今日は珍しく時間が合ったので之人君も交えて三人で宿題をしていたのだ。
「やっと化学の終わったよ。志信教えてくれてありがとう。」
「……ん?」
「あれ香澄さん、プリントは二枚渡されてたはずだよ。」
「何だって!」
そんな馬鹿な。とりあえず化学の教科書とノートをパラパラとめくるがそれらしいプリントは挟まってない。というか、化学用のファイルが見当たらない。
「もしかしたら、化学のファイルに挟んだまま学校に忘れてきちゃったのかも……」
「まじかよ。」
「それはまずいね。」
明日提出なのに、大変なことをしでかした。
しかも今は午後八時。大変良い時間だ。もう学校も閉まってるだろう。
「いや、今日は夜に業者が出入りするからって、職員玄関が空いてるはずだぞ。」
「えっそうなの?夜に来るって珍しい。」
「そうそう。だから俺も覚えてた。今から行けばまだ先生もいるだろうし、理由を話してファイルとらせてもらうってのは?」
生徒会役員はそういう情報に強くて助かる。
夜の学校はちょっと怖い。でも宿題出せずに単位が減るのも怖い。
「いやでも、之人君、有りですか?」
一応之人君にお伺いをたてる。だって之人君は私を監督する役目を仰せつかっているのだから。
之人君はうーん、と考え込んだ後、ちらりと志信を見た。
「俺この後ちょっと用事があるから、清田が一緒に行ってくれるなら良いんじゃないかな。清田、最近力つけてきてるって奏季さんも言ってたし。」
時間ないみたいだから急いで行ってきなよ、と言われ、私たちは慌てて貴重品だけ持った。
「ごめん之人!ノートとか帰ったら片付けるから!」
「とりあえずまとめて端に置いとく許して!」
「誰も盗まないよ。」
それはそうだけど、一応ね。
そんな感じでバタバタしているところにユキさんがやってきた。
「あら。お急ぎでどうしました?」
「香澄が学校に忘れ物したっていうから、清田と取りに行くみたいです。なのでここ、このままでお願いします。」
「まあ、お二人で?之人様は?」
「俺は所用があって行けないんです。」
「そうですか……お気をつけて。」
「はいっ」
「行ってきます!」
之人君とユキさんに見送られ、私と志信は今村家を出て急いで学校に向かった。
全速力で走って、というのは最初の数分だけで、早々にバテた私に合わせて志信も歩いて向かう。もう無理、と言った時の志信の顔は忘れない。お前本気かよって顔して呆れ返ってた。
こんな夜遅くに学校の並木町を通ることも、学校に行くこともなかったからとても新鮮だった。
そして夜中に全力疾走したこともない。
初めてづくしでちょっと楽しい。
「あ、校門空いてる!」
生徒は午後七時には下校しなくてはならない。そうして七時三十分には校門が閉められるのだが、今日は開いていた。まだ業者が入っているのだろうか。
「急いで職員玄関に行くか。」
ということで職員玄関にまわる。下駄箱を見ると、誰一人先生の下足が置いてない上、室内履きが使われていない。
誰も立ち会いがないなんてあるのだろうか。
「何か変じゃない?」
「うーん。外にいるってことなのかもな。」
それはあり得る。
ただ、この職員玄関が空いているということは、いずれは鍵を閉めに戻ってくるだろう。
志信は事務の人が来客対応用に使う紙とペンを使い、忘れ物を取りに来た旨を書くと、セロテープで窓に留めた。
「じゃあこういう対応で。とりあえず教室に行くか。」
それでなかったら化学室に行こう、という話になった。
私たち二学年の教室は二階にある。そしてこの職員室のある棟とは違う棟にあるので、階段を登ったあと渡り廊下で向かいの棟に行かなくてはいけない。
あのばたばたの中いつの間に持ってきてたのか、志信は懐中電灯を出した。
「えっ用意いいね」
「いや、暗い中散策するなら当たり前だろ。スマホのライトだとバッテリー食うし。」
志信が持つ懐中電灯の灯りを頼りに階段を登る。
常夜灯は着いていて、月明かりが入るところは明るいけど、こういう窓のない階段は真っ暗でとても助かる。
お互い来客用のスリッパを使わずに歩いてるので、靴下を履いてるとはいえ足がひんやりする。
「なんか肝試しみたいだね。」
「あー夜の学校だから?」
「そうそう。定番だよね。」
「だな。でも今までやったことないけど。」
「そりゃあね。学校でやるってなったら、学校関係者の立ち会いが必要だし、それって超過勤務になるからね。実際難しいよね。」
そういうわけで、ちょっと憧れていたのだ。だから雰囲気だけ楽しめてわりと満足してる。
「そういえば今日って何の業者が来るの?」
「忘れた。何で?」
「何となく気になっただけ。」
階段を登った後、教室がある北棟に向かうべく渡り廊下を歩く。ここは中庭に面していて窓が沢山ついているため、とても明るい。
二人でぺたぺたと歩いて北棟に入る。こちらの棟は窓があるものの、森の木に覆われて月明かりが入らず暗い印象を受ける。
私たちのクラスは奥の方なのでひたすら歩いた。
途中、文化祭に使うのだろう看板やその他諸々作りかけのものが廊下に立てかけられていた。
これを見ると文化祭が近いんだなぁとあらためて実感が湧く。
そんな感じで歩いていると、やっと教室にたどり着いた。真っ先に自分の席に行き机の中を見ると、
「あった」
化学のファイルが机の中に入っていた。ついでにファイルの中を確認するとプリントが入っていた。
「あったよ、志信。」
「うん、良かったな。」
「そしてこんな時間なんで、プリントうつさせてもらえたり……」
「今回だけだぞ。」
「ありがとう志信!」
プリントもある、約束もとりつけた。明日は安心だ、ということでほっと一息ついたその時だった。
どこからか、低い、獣がうなるような声が聞こえたのだ。
「志信、なんか、声聞こえない……?」
「しっ」
短く遮られた。きっと志信にも聞こえたのだろう。
嫌な予感がする。
志信を見ると、その目は赤くなっていた。
ひたひたと床を歩く音が聞こえる。その音は段々と近づいてきている。
そしてそれは姿を表した瞬間、唸り声とともにこちらに向かってきた。
「っ!」
ダメかもと思ったが、なんの衝撃もない。恐る恐る目を開けると、私を背に隠すように立っている志信がいた。そして不思議な膜のようなものが私たちを覆っている。
「バリア、奏季さんに教わっててよかったよ。」
「志信!」
志信が助けてくれたらしい。
でも緊迫した状況は変わらない。
この妖はおそらく理性がなく、低級なのだろう。姿形はまるで人の形ではない。だからきっと私たちの声は届いていないはずだ。
それをわかっているのだろう、志信は私に話しかけてきた。
「このままでいてもどうしようもない。逃げるぞ。秋穂、目に力貯めとけ。」
そう言われたので、力を解放し、目に力を入れる。
「いくぞ!」
その合図で志信はバリアーを解いた。いや、バリアーを目を焼くような光を放ちながら壊したのだ。
さきほど志信が目に力をと言っていたけど、目がやられないよう対策を取らされていたということだ。
素早く志信に腕を掴まれ、教室から走り去る。
きっと妖も目がやられたのだろう。すぐに追ってくる気配がない。
「急いで逃げないと!秋穂、之人か奏季さんに連絡取れるか!?」
「うん!」
急いでポケットに入れたスマホに手を伸ばし、連絡を取ろうとしたところで、先程の妖がこちらに向かってきているのが見えた。
「くそっ!」
すぐに距離を詰められ、慌てて志信がバリアを張る。
だが、妖の爪が徐々にバリアに食い込んでいくのがわかる。
焦ってスマホをうまく操作ができない。そして焦った手でやっていたためにスマホを落とし、それはバリアをすり抜け運悪くも妖の足元へと滑り落ちていった。
「うっうそ!」
「くそっもう一回だ!秋穂!」
そして志信はもう一度バリアを爆ぜた。
私たちは必死で走って玄関に向かう。その間、志信はスマホを取り出して連絡を試みようとしているが、先程よりも早く回復した妖がまた迫ってくる音が聞こえる。
もう少しで階段、というところでそれは起きた。
「っまさか!?」
階段の下から響く唸り声。見なくても分かる。あれも妖だ。
低級とはいえ妖に挟み撃ちにされたようだ。
これ以上進まず立ち止まる。じりじりと近づいてくるため、私たちは窓の方へと追いやられていった。
「秋穂、その窓から逃げるぞ。」
「でもここ二階っ」
「さっきのバリア張れば衝撃は緩和される。やるしかないだろ!」
そう言って勢いよく窓を開けると、志信は私を抱えて窓から飛び降りた。
窓から妖がらこちらに走ってくるのが見える。
下にある中庭に落ちるものの、バリアのおかげで衝撃はなかったし怪我もない。しかし志信の顔は真っ青で、脂汗が凄いし、目の焦点があってない。
志信の腕を引っ張って急いで中庭から校内に戻り、開いていた部屋に隠れてドアを閉めた。
「志信……」
声を潜めて話す。
「わり、連続で力使いすぎた。之人に電話した。状況を話せなかったけど気がついてるはず。」
志信はもう走ることはおろか歩くのもままならない。
ということは、之人君がここに来るまで何とか耐えないといけない。
多分之人君ならそう時間はかからないだろうけど、耐えられるだろうか。
(ううん。何とかしないと。)
手にぐっと力を込め、前を見据えたその時だった。
扉の向こうで妖の唸り声が聞こえた、と思ったらどしんどしん、と何か大きなものが倒れる音が聞こえる。
扉は閉まっているし窓もないので何が起きているかは分からない。
だが下手に開けて見つかるのは避けたい。新手の敵だった場合は最悪だ。
私と志信に緊張が走る。
「清田、香澄さん、いる?」
その声は之人君だった。
待ち望んでいた声に私たちは肩の力を抜いて、お互い顔を見合わせて、ほっと一息をついた。
扉を開けると、そこには手を刃に変え、返り血を浴びたまま微笑む之人君がいた。
月明かりを浴びたその常軌を逸した姿は、恐ろしくも美しく、不謹慎にも私はその姿に見惚れてしまった。
「之人、君」
「うん、二人でよく頑張ったね。清田、結構力使ってるな。」
「もうへとへとなくらい。」
「初実戦なんてそんなもんだ。」
志信の様子を見ようと、之人君が瞬時に刃を消して通常の手に戻すと、土足なのも構わずスタスタと歩いていき、志信に手をかざす。その手からは柔らかい光が溢れたかと思うと、志信の中に消えていった。
「俺は攻撃特化だからこんな応急処置しかできない。志信、歩けそう?」
「頑張れば走れる。」
「まじか。ばけものじゃん。」
「いや、お前に言われたくねー」
「それもそうだ。」
軽口の言い合いにほっとする。応急処置とはいえ、志信が回復できて良かった。
之人君が差し伸べた手を志信がぎゅっと掴んで立ち上がるのを見ると自然と笑顔が出てきた、その時だった。
「香澄さん、こっちに!」
切羽詰まった之人君の声と、背中からの爆音と爆風は同時だった。
こちらに向かい手を伸ばす之人君が一瞬にして離れる。いや、私が離れていってる。背中を何かに掴まれ、凄い勢いで吹き抜けとなってる中庭の上の方へと引き上げられていく。
風圧と恐怖で見上げることもままならない。
何かわからないものに連れていかれているという恐怖が私を襲うが、後ろで恐ろしい金切り声が響いたかと思うと急にひっぱりあげる力を感じなくなった。
しかしここは宙なのだから、このままでは重力のままに落ちてしまう。
「っ!!!」
もう無理だ、と思い声にならない悲鳴をあげた時、誰かに抱えられるのを感じた。




