11話
まるで獣のような咆哮と共に降ってきた一体の妖。
「っ!?」
ソレはその鋭利な爪を大きく振りかぶる。一瞬嫌な予感が頭を過ぎったけど、それは現実にはならなかった。
音もなく跳躍した之人君が、朝のときと同じように鋭い刃に変形させた手で妖の爪を薙ぎ払う。そして間髪入れずにその長い足で蹴りをいれた。
妖はまともにその攻撃を受けたようで、私のいるところから離れた場所へと為す術もなく重力に逆らい落下していった。
そして之人君はというと、軽やかに私の前に降り立った。
「香住さん、信じられないかもしれないけど、あれもまた今朝のと同様に妖なんだ。」
彼が信じられないと言った理由。
「人型をとっているから驚いたと思う。でも本来、妖というのは人間が血の渇望に飲み込まれた末路なんだ。妖になって日も浅いと、人間であった頃の記憶があるせいかああして人型をとっていられる。ただ日が経てば徐々に渇望に飲み込まれ、人であったことを忘れ、異形に成り果てる。」
ゆらり、と立ち上がった妖の見た目はほぼ人間だったけど、瞳が燃えるような紅蓮となっているし、歯も爪も鋭く尖っている。
でも私は、なぜかあれが妖であることを受け入れていた。
そうこうしてる間にも、妖がゆるりと立ち上がり、そして再び襲いかからんと走ってくる。
「ゆっ之人君!」
被捕食者側である恐怖に慄く私に、意志の強いしっかりとした口調で彼は言った。
「大丈夫。俺が守るよ。」
その瞬間、何かが頭の中で爆ぜた。
次いで脳裏に響く、どこかで聞いたことのある女の人の高笑いは、やがて止んでこちらに話しかけてきた。
ーーなぜ、何もせぬ?
ーー力を与えたはず。
力、与えた?
ーーそうか、覚醒……。ヒトとは、本当に面倒な生き物よ。
いつも忘れていた。でも、今思い出した。この声は、いつも夢で響いていたあの声だ。
脳内とはいえ、こうして会話したのは初めてだった。
(あなたは、誰?何をどこまで知ってるの?)
ーーこちは、そちの基、全てを識るもの。
何かの揶揄か、そうではないのか。わからないけど、何だか嫌な予感がする。
ーーそちは、何れはこちとなる。そのままでは、少し窮屈だな。
どくんどくん、と心臓が煩いくらいに鳴っている。
一瞬の間、そして、
ーー覚醒せよ。
その一言を聞いた途端、抑えきれないほどの力の波が私の体内を駆け巡り、そして光となって外に放出された。
そのあまりの痛さに私は気を失ってしまった。
之人君が何か叫びながら私を抱きかかえる。
その瞳は必死で、切羽詰まった様子だった。
妖はどうしたんだろう、と思ったけど口を開く元気が全くない。私はそのまま、之人君の腕の中で気を失った。
あの笑い声が、まるで始まりを告げる鐘の如く、高らかに私の脳内で響いていた。
またあの高笑い。
ーーそちの覚醒は為った。
そしてあの笑い声はだんだんと消えていった。
「……!」
ぱちり、と目が醒めた。
今回は夢を覚えている。覚醒したからだろうか?
「あ、起きた。大丈夫?」
すぐ頭上から聞こえた声に、見上げるとそこには予想外に近い之人君の顔があった。
それもそのはずで、どうやら私は之人君に胸に頭を預ける形で、路肩に座っている彼に横抱きにされていたのだ。
体重とか寝顔とか寝言とか顔近いとか何これお姫様抱っことか、色々考えた結果、穴があったら入りたい。消えてしまいたいくらいの恥ずかしさに悶絶しそうになるものの、先んじて言うことがある。
「重かったよね、ごめん。」
「いや?」
聞かれたらそう答えるよね、うん、重ねてごめん。
「とにかくもう大丈夫だから降ろしてくれるかな。」
すると之人君が私の顔をじっと覗き込んできた。
さらに近づいた秀麗な顔に内心どきどきしながらも返事を待つ。
「顔色は悪くないね。」
そしてそのままゆっくりと、まるで壊れやすい硝子細工を扱うかの如く静かに私を下ろしてくれた。
「歩ける?」
歩けるから下ろしてもらったのだ。
私は一つ頷くと、彼は無理はしないようにという旨を言い、さっさと私の荷物を持って立ち上がると手を貸してくれた。こそばゆい気持ちになりながらも、断わる勇気がない私はその手を借りる。
そして彼は、二人で歩いてきた時よりも幾分歩調を緩め歩いてくれた。
(さっきの姫抱っこといい、こういうのにときめいちゃったりするんだろうな。)
かく言う私も少々きゅんときた。
「そういえば、あの妖は?」
「倒したよ。」
彼が無事でここにいるということは、つまりそういうことなんだろう。なんだけど、実に簡潔すぎる答えに何と言っていいか考えあぐねていると、之人君は困ったように頬をかいた。
「悪い。いくらなんでも簡潔すぎだな。」
「ううん。よく考えてみればそれ以外言うことってないもんね。」
そうなのだ。倒したという事実。それが真実。
之人君にしてみれば、いつものように妖を狩人として倒した、それだけのこと。
そう解釈してからちらりと之人君を見ると、驚いていた。
「倒したって言われて、そっかって納得できるもの?ていうか、あの妖のことにしたって、もっと説明を求めたりしないの?」
朝の一件もあり、あんな感じで倒したんだろうなとは思う。妖にしても、之人君の説明で何となくはわかった。人型だとしても、私はアレが妖だと認めていたから別に違和感ない。
それって人としてどうなの、と言われるかもしれないけど、良いんです。
「朝はさ色々あって脳が麻痺してたのかなって思ったんだけど、意外と私不思議なことに適性あるみたいで、そういうもんだなって思ってる。」
まさにこの一言に尽きる。
「あー……なるほどな。」
苦笑しながら之人君は言った。
「君は、動揺しないっていうか、肝が座ってるね。」
オブラートに包んでいえばそうなんだろう。ただそれから剥がしちゃえば、つまりは冷たいとか、興味無いとかそんな感じ。
動じないわけじゃない。ただそれは一瞬のことで、まあそんなものかという結論に至るだけのこと。
「それより、あの後私が一体どうしたのか教えてくれる?」
あの緊迫した雰囲気の中、私は壮絶な痛みを感じて気絶してしまった。
外傷もないし、体調も悪くないから何ともないとは思うんだけど、気の失い方が普通じゃないから気になる。
「その、変なこととか、言ったりしなかった?」
「いや。寝言なんて全く。」
寝言の心配をしていると思われたらしい。話の流れとしては当然と言えば当然なんだろうけど。
「一体どうして気を失ったんだ?」
「頭の中で声がしたの。覚醒せよって言われた瞬間、体がとっても痛くなって、それで」
まてまて。ということは、もしかして私ったら覚醒しちゃった?
なんて疑問が浮かんだけど、それはつまり自分が能力者であることと同意なので、考えたくない。
「声?それに、覚醒って……。」
言ってから後悔した。
頭の中で声がするって、まるで電波みたい。
不思議キャラに思われてないといいなー、なんて考えていると之人君はいきなりぴたりと止まった。
「之人君?」
「声も気になるけど、その覚醒っていうのが一番気になるな。」
様子からして、電波系と思われてない。良かった良かった。
しかし次の瞬間、私は言葉を失った。
「多分、君は覚醒してる。」