1話
――応え。
――応えよ。
――時は近い。
――こちは目覚めた。
「おい、秋穂。」
白昼夢を切り裂いて聞こえた私の名前。
横を見れば、心配そうな顔をした幼馴染の志信がこちらを見ていた。
「ぼーっとしてたぞ、大丈夫か?」
「うん。ごめん、志信。」
志信曰く、どうも私は最近こうしてぼーっとしていることがある、らしい。立ったまま寝るなんて器用だな、なんて前に言われてつい怒ったけど、あながち間違いじゃないのかもしれない。
夢を見ている。時間にしてほんの数秒の間。ただ正気に戻ると全て忘れてしまっているけど。思い出したいけど、思い出せない。
思い出せない夢は、まあ、さておき、どんな状態でも夢を見るほど寝ているのだ。正直自分でも呆れ半分、驚き半分だ。
若干色づいてきた広葉樹の並木道を歩き、学校が見えてきたところで何となく自分の体に異変を感じた。
肌がざわざわと粟立ち、心臓がまるで運動した後みたいにどくどくと早鐘を打つ。あきらかにおかしい、変だ。
「ね、志信、何かわかんないけど、変な感じがする。」
「秋穂?」
私の顔を覗き込むために前に志信が立った。そして見てしまった。その後ろに現れた、血のように赤い瞳と獣のような大きく鋭い爪を備えた手を振りかざした“人のようなもの”を。
「志信っ」
叫んだ時には時すでに遅く、志信は背中を切り裂かれ、私の方に倒れ込んでいた。抱きしめた志信の背中からは止めどなく生暖かい紅の液体が滲み、制服を浸食し、支えている私の手も染め上げた。
ふと頭上に陰が差したように思い見上げると、焦点の定まらない瞳が私を捉え、志信の血が付いた手を大きく振りかぶる。
強く目を閉じて、来るべき時を待った。が、何もない。痛みもない、それどころか生きている。おそるおそる瞳を開けると、そこには私達を背に立ち、刀の背で押さえ込んでいる女の子がいた。
(え?この人……。)
「之人!」
その子は大きな声で誰かの名前を叫んだ。その瞬間、いつの間に現れたのかうちの高校の制服を着た男の子は音もなく“例のもの”の背後に立ち、流れるような動作で何か鋭利なものを切っ先が貫通するまで心臓に突き刺す。
耳が裂けるかと思うほどの断末魔の叫びをあげ、驚くことにそれは光の粒子となり霧散した。
一連の流れをただただ見ていたところで、はっとする。私の腕には傷付いた志信がいる。呼吸が浅く、血が止まらない。このままでは出血多量で死んでしまう。
「志信、やだ、しっかりして。死なないで。」
頬を涙が伝う。だからなのかなんなのか、体中が熱い。まるで血が沸騰しているみたいに。何だか耳が遠く聞こえる。
――アハハハハハハハハハハ!
なぜかはわからないけど、頭に女の人の甲高い笑い声が響いた。本当に愉快だ、おかしい、そう言いたげな笑い声。
頭が痛い、やめて、その笑い声を止めて。じゃないと――
「香住、香住。」
強い声で私の苗字を呼ぶ人がいる。ゆっくりとそちらに焦点を合わすと、頭の笑い声は消え、体中の血が沸騰するような感覚が収まった。
さっきの笑い声がすごく嫌でしかたがなかった。止めないと……どうするつもりだったんだろう。いや、いまはそんなことよりも志信だ。
「いっ今村さん、志信が!」
「大丈夫。」
そう言うと私を呼び起こしてくれた人、もといクラスメイトの今村さんは手を志信の患部に当てる。すると手から光が現れたかと思うと、傷口に吸われるようにして消えていった。志信の顔色は良くなり、出血を止まり、呼吸も通常と何ら変わりなくなった。
今は静かな息で寝ている。
そして私の方に手を翳したかと思うと、柔らかい光と共に私の制服についた志信の血が消えていった。
にわかには信じられない出来事だったのに、さっきからの不思議な体験で私の脳は麻痺しているらしく、この行為を否定することなく受け入れてしまった。
「もう大丈夫。三十分くらい保健室で休ませてれば、後はけろりとした顔で授業を受けれる。」
「わかった。あの、ありがとう。」
今村さんたちがいなかったら、確実に私達は助からなかった。本当に感謝している。だからお礼を言った。
すると今村さんは目を大きく見開いていた。私は無意識のうちに、何か驚くようなことをしたのだろうか。
「君は、俺達の力に疑問を持たなかったのかい?」
今村さんの後ろに控えていた之人と呼ばれた男の人――私を直接的に助けてくれた人がそう聞いてきた。
今まで一言も話さなかった分、何だか重たく聞こえる。
「俺達、て」
おもむろに手を出し、一振りする。するとその手は光り輝き、鋭利な刃物になっていた。
そう、鋭利な。
何ものをも切り裂けるほどに研ぎ澄まされていた。
(ああ、これで刺したんだ。)
男の人は何も言わないけど、このタイミングで出すということは、そう言うことなのだろう。
今村さんの一瞬にして志信を治した力と、この人の瞬時に手を刃物に変える力。それらは人ならざる者の力で、常軌を逸している。
初見から察するに、二人は明らかに戦い慣れている様子だった。一介の高校生であるにも拘らずだ。
でも自分でもなぜかはわからないけど、不思議と私はそれに怯えたりはしなかった。
「色々と有りすぎて、多分脳が麻痺してるのかな。後で冷静になったときに、うわーってなるのかもしれないです。」
「……そうか。」
私の言葉を精一杯の強がりと感じたのか、彼は一瞬腑に落ちないという表情をして見せたものの、それ以上追求してこなかった。
「話はお済み?ならさっさと行くよ。」
今まで黙って私達のやりとりを見守っていた今村さんが、会話が終了したのを見計らってそう言った。
そうだ。ここで油を売ってる暇はない。早く志信を休ませなくては。
「之人、清田を保健室に連れてって。場所は西昇降口から入って左にあるから。」
「わかった。」
ユキヒトさんは私の目の前にしゃがみ込み、志信の右腕をひっつかむと自身の首の後ろにまわしてそのまま立ち上がった。
意識のない人間で、しかも成人に近い男性を抱えるとなると大変であるはずなのに、彼は顔色一つ変えずにいる。
そして彼は「お先に」と一言残して、次の瞬間にはこの場から忽然と消えていた。
瞬間移動したのか、それとも目にも止まらない速さで移動したのか、いずれにせよ彼らの力の成せる技なんだろう。
何にしても、私一人で志信を抱えて歩いていくのはちょっと骨が折れただろうから、助かることこの上ない。うん、感謝感謝。
それにしても、あの今村さんに命を救われて、しかもこうして話すなんて考えられなかった。
うちのクラスの中で一番明るくて友達がいっぱいいて、学年で一番頭が良い上に運動神経も抜群。とにかく、私とは正反対のタイプの人。多分、さっきの事件が無ければ、きっと係わり合いになることはなかったんだろうな。
「立てる?」
手を貸そうか、とも言われたけど私は何一つ怪我をしてなかったから、丁重にお断りして自力で立ち上がった。
安否の確認も兼ねた問いかけだったみたいで、大丈夫だとわかると、今村さんに促され学校への道を歩くことになった。
「あの、今村さん。」
「なーに。」
「もしかして、ユキヒトさんって、転校生?」
「そうだよ。今日付けで、宮野森高校の生徒になる。」
やっぱり。さっき志信を運ぶ為に保健室の場所を教えてたから、そうじゃないかなあとは思ってたんだけど、どうやら当たりらしい。
でも転校生なのに、もう知り合いなんだ。友達なのかな。あ、彼氏、とか?
「変な誤解される前に言っとくけど、之人は親戚だから。」
釘を刺すように言われてしまった。ごめん、その変な誤解後です。
転校生、か。何年何組に入るんだろう。まあ、そのうち聞いてみよう。
「にしても、香住って朝早いんだ。」
「ああ、今日は特別。何か目が覚めちゃって。で、志信は週番だったから朝早いし、一緒に来たの。」
あんな状態じゃ、週番は無理かな?でも、大丈夫だよね。もう一人いるし。
「今村さんこそ、朝早いんだね。」
人のこと言えないよ、そう言ったら今村さんはけらけら笑って、それもそうだ、と言った。
何となくだけど、今村さんって朝とか苦手そうなイメージがあるから、早い時間の登校ってちょっと違和感がある。なんて、失礼なこと、幼馴染の志信ならともかく、あの今村さんには言えないから心のうちにそっとしまっておこう。